飛騨の山猿マーベリック新聞

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☆小沢一郎・国連中心主義

2013年05月02日 21時02分28秒 | ●YAMACHANの雑記帳

http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/appear/2005/ar20050308142225.html

<本多勝一の憂刻ニッポン>
小沢一郎(上)
現行憲法の下で「無血革命」を目指す
週刊金曜日 2005年 1月14日発売号

二〇〇四年一二月七日、小沢一郎事務所で

――我々の認識では、「戦後民主主義」は風前の灯になってしまったのではないかと思っています。その現状と背景をどうみますか。私はいわゆる「戦後民主主義」は結局戦前の反動に過ぎなかったのかもしれないと思うのですが……

小沢 戦後も戦前同様、日本的なコンセンサス社会の継続でしかなかった。欧米流の民主主義を取り入れて「戦後民主主義」だと言っていたが、中身が伴わないものだから、おかしなことになった。今日の政治、経済、社会、文化の行き詰まりの原因はそこにある。

――重要な認識で私も共通だと思います。自衛隊のイラク派兵問題で派兵が延長されましたが、これについてはどのようにお考えですか。

小沢 最初から派兵すべきではなかったと考えているので、延長には反対。まず撤退すべきだ。

――関連して、米軍は「大量破壊兵器」を口実に、国連を無視して一方的にイラクに攻め込んだんですが、結局パウエル米国務長官も大量破壊兵器はなかったと断言している。で、私はこの戦争をアメリカの侵略と主張してきたが、その点はどうみますか。

小沢 大義なき戦争、そして国際社会の合意なき戦争だから、言葉遣いは別として、米英のプライベートな戦いだ。国際社会の合意に基づく平和維持のための軍事力の行使ではなかった。そのプライベートな戦いに、日本が軍隊を参加させてはいけない。それは憲法の精神にもとると、私は一貫して主張してきた。

――日本の歩むべき道として、小沢さんは「国連中心主義」を提唱されていますね。日米中心よりもそちらに重点を置くわけですが、その点をもう少し具体的にお話しください。

小沢 国連中心主義と日米同盟は、よく対立する命題のように言われるが、それは事実ではない。日本国憲法の理念は、国連憲章の理念そのもの。文言もほとんど同じだ。日米同盟の象徴たる日米安保条約も、国連憲章の枠組みそのものであり、文言も同じなんだ。だから私は、国連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円としてとらえている。安保条約も第五条で、国連が紛争解決の措置を執った場合は、日米の共同行動はそこで終了すると明記している。

超大国アメリカ一国ですべてを解決できるかというと、無理だ。今回のイラクがいい例だね。だから僕は、アメリカの知人に「キミたちはなんて愚かなんだ。ベトナム戦争でわかったはずじゃないのか」と言っている。世界最強の軍隊でも人心を掌握することはできないんだ。どのような場合でも、国際協調の考え方に立って、国際社会の合意と協力を得てやらないと、アメリカ自身も不幸なことになる。

実は、日米同盟の重点は安保ではない。みんな軍事面ばかりクローズアップするが、日米同盟の強化はもっとほかにやることがいっぱいある。経済の緊密化は特に重要だ。何よりも、日本が自立して、アメリカにきちんと忠告できる立場にならないといけない。

――ベトナム戦争と全く同じ「愚か」をやっているというご指摘は正鵠を得ていますが、私はベトナムもイラクもアメリカ建国以来の歴史の延長だと思っています。ところで小沢さんは、一九九九年九月の『文藝春秋』掲載の記事のなかで、「対米関係で手を切るということは日本が鎖国することだ」と書かれていますね。その通り「手を切る」のではなく、是々非々といいますか、少なくともフランスやドイツの対米姿勢、ああいう姿勢を日本も取るべきだ。

小沢 日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。われわれは国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる。

――抽象的な憲法改定論議が多いなかで、小沢さんたちは現行憲法の理念を実現しようと「日本一新十一基本法案」を去年(二〇〇三年)の国会に出されましたね。

小沢 僕らは、現行憲法の下で「無血革命」をやろうとしており、またそれができると思っている。その具体的な内容と方法を示したのが、この「十一基本法案」です。「無血革ス」とも言える大改革は、国民自身の決断と選択がないとできるものではない。それらを一体として実施することで、「自由で公正で開かれた社会」と「自立した国民による自立国家」を実現したい。

それに対し、いまの日本の改憲・護憲の議論は、理念もなければ、中身も全然ない。憲法が諸悪の根源のように主張する人々がいるが、憲法が変われば一夜にしてすべての問題が解決するのか。そのようなとらえ方は、政治的思考の停止にほかならない。憲法というものは、国民が互いにより良い生活をしていくための最高ルールだ。だから、時代が変わって、国民が変えた方がいいと思うところがあれば変えたらいい。しかし、それだけのことだね。

日本国憲法の基本理念は、平和主義、国民主権、基本的人権、国際協調の四原則だが、どれも不都合はない。時代が変わっても、普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない。日本国憲法の成立のプロセスは議論すればいろんな問題が出てくるが、中身とは別問題だ。もう少し冷静で論理的な議論を望みたい。

――国際平和・国際協力という場合、国連へ兵力を提供するんですね。ここんところが、憲法第九条に関連する自衛権の行使と、そのための戦力は矛盾しませんか。

小沢 国家の自衛権の行使と、国際社会の合意による国連の強制力行使とは、全く次元が異なり、その二つは峻別して考えなければならない。国連の決定に基づく平和維持のための軍事力行使は、第九条が禁じている「国権の発動による武力行使」には当たらない。内閣法制局はこれまで、その二つを混同して、国連の活動であっても、軍事力の行使は集団的自衛権の行使であり、「国権の発動による武力行使」だという見解だが、国連活動は個々の国々の自衛権とは全く異質のものだ。

もちろん、日本も自衛権を持っているが、個別的であれ集団的であれ、自衛権の行使は最大限抑制的でなければならないと解釈しないと、日本国憲法は成り立たない。自衛権の発動、つまり国権の発動による武力の行使は、直接日本が武力攻撃を受けた場合、あるいは日本の周辺地域で紛争が起きて放っておくと日本に直接の武力攻撃が及びかねない事態になった場合に限って許される。それ以外では行使しない。

――国連待機軍を創った場合、いずれ自衛隊をなくして国連軍にするんですか。

小沢 いや、自衛隊は自衛権の行使、つまり「専守防衛」に当たる。

――自衛権行使の自衛隊は残すんですか。

小沢 もちろん。自衛権の行使は国連の活動ではない。

――ただ、自衛隊の海外派遣はしないということですか。

小沢 そう。それは憲法上の制約ではなく、政治判断によるものだ。日本の場合、戦後二度と侵略戦争はしないと誓ったわけだから、そのことを実態として国際社会に示さなければならない。だから、軍隊を海外に出す時は、国連の旗の下に国連のブルーヘルメットをかぶって行った方がよい。それなら、かつて日本の侵略を受けた周辺諸国も心配しないと思う。

――別の組織を創るということか。

小沢 そういうこと。自衛権の行使のための兵力と、国連平和維持活動のための兵力は明確に切り離すべきだと思う。

(以下次号につづく)

<本多勝一の憂刻ニッポン>
小沢一郎(下) アテルイの末裔 だから反骨精神旺盛
週間金曜日 2005年1月21日発売号


――小沢さんはアテルイの末裔だそうですね。その意味では、日本国憲法の一条から八条あたりに対して違和感があるのかと思っていたのですが(笑い)。私も大いに違和感があるので……

小沢 僕らの先祖は一三〇年前の明治維新のときも賊軍の汚名をきせられた。賊軍だから靖国神社にも祀られていない。それにもかかわらず、今も勤王の志を抱いているのだから、たいしたものだ。

先祖はその昔「俘囚」と呼ばれ、大和朝廷に最後まで反抗した。アテルイは一二〇〇年前だ。僕は、末裔として反骨精神が強いと思うが、ものの考え方は論理的、合理的だ。

――ここにきて自衛隊の幹部が自民党の議員に改憲案を指南していた事実が明るみに出るなど、自衛隊の独走が危惧されますが、どうですか。

小沢 心配はいらない。主権者である国民がビシッと自信を持って、まともな政治家を選べばいいんだ。軍人だって憲法について発言してかまわない。国会にも呼べばいい。防衛庁内局、つまり官僚が威張っている状態がシビリアンコントロール(文民統制)だと思われているが、とんでもない。最終的にはすべて政治家が決断する。それがシビリアンコントロールなんだよ。要は、それができる政治家を選ぶことだ。

――そのためには結局選挙で勝つしかない?

小沢 もちろん。選挙で自民党に一票入れておいて、「小沢頑張れ」と言われても困る。少数じゃ、頑張りようがないではないか。

――前回の選挙では数字の上では民主党が伸張しましたけれど。

小沢 次は民主党が勝つ。この傾向は変わらないと思う。

――選挙が終わり、しばらくして世論調査があると支持率が下がりますね。

小沢 いや、支持率はまだ高い。『朝日新聞』では民主党が一七~一八%で、自民党が二七~二八%。これだと選挙になったら逆転する。『朝日』を含めてみんな体制派だから、聞かれるとみんな、自民党と答える。僕の後援会ですら、自民党と言っている人がいるんだからね(笑い)。

――私は先日『週刊金曜日』(二〇〇四年九月一〇日号)に、遺伝子の研究によると「日本人の七割は従順型だ」と書きました。

小沢 そう、日本人は圧倒的にお上依存、体制派が多い。みんな支持政党を聞かれると無難な答えをする。僕の地元・岩手県は自民党議員が一人しかいないのに、普段は、自民党の方が支持率が高い。

――小泉首相の靖国参拝、安倍前幹事長をはじめとする参拝擁護発言が目立ちますが、この問題はどのようにお考えですか。

小沢 小泉は総理・総裁になるために靖国参拝を公約しただけだ。だから、批判が出ると靖国神社に行くのは初詣だと平気で言う。ちゃんちゃらおかしい。本当に参拝が信念ならきちんと八月一五日に行けばいい。彼は、靖国問題も領土問題も、日中も日朝も日米も、こういったいい加減さで、主張も、理念も、見識もない。これではアメリカや中国からバカにされても仕方がない。

――そう、事実として彼はバカですからね。靖国神社は戦争責任者のA級戦犯が祀られており、その点が特に問題になっています。

小沢 九月に中国に行って唐家F国務委員と会った際、靖国神社へのA級戦犯合祀問題に話が及んだ。私は「戦争犯罪人」という言葉を受け入れるわけにいかない。戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた結果だから。彼らは本来、日本国民がみずから裁くべきだった人たちだ。また、靖国神社は戦場で傷つき倒れた人たちを祀る場所であり、それ以外の理由で死んだ人は、靖国に祀る筋合いではない。だから、政治的責任の結果死に至った人たちについては、どうしても顕彰したければ、乃木神社のように別なものをつくって祀ればいい。

それで僕が唐家F国務委員に、「戦争で倒れた傷兵を弔うことは、どの国でもやっている。それだけなら問題はないだろう」と問うと、「ありません。それはその通りです」と納得していた。

――それは一種スジの通った基準ですね。ところで最後の質問なんですが、岡田代表の対米姿勢にみられるように、自民・公明両党に対して野党第一党として鮮明な対抗軸を打ち出せていませんが、政権交代に向けて今国民に一番アピールすべきことはなんですか。とりわけ与党との対立点・対抗点といいますか……

小沢 自公政権は、戦後体制の延長にすぎない。我々は戦後の自民党政治の権力構造、つまり官僚中心の権力癒着構造の打破を主張してきた。そうである以上、根本問題にメスを入れて世直ししなければ、我が党の存在意義はない。その点を曖昧にしたままなら自民党と同じだ。国民にわかりやすい明確な結論を、党内論議を経て早く出すことが急務だ。

――いま現実に政権を自公から奪える一番手が民主党だと思います。きょう話を伺って、党首は小沢さんが一番適任ではないかと思いました。

小沢 いやーぁ、そうとは言えない。非合理的な曖昧さが通用する国民性では、僕のような理念や政策論だけでは選挙で多数は獲れない。政権を獲るには三〇〇〇万票が必要だ。世の中が急迫してくれば、ハンドルの遊びがなくなるから、みんな切実な思いで政策論に目を向けるが、いまはまだ飽食の時代の延長だから、遊びの部分が多い。その部分の票も獲らないと過半数にならない。

僕で勝てるなら逃げませんよ。次の総選挙が政治生活の総決算だと思っているから、必ず勝たなければならない。私情はまったく抜きにして、僕で獲れるなら多少無理をしてもやるし、そうでないなら、ほかの手段を考える。

   ――九月の『朝日新聞』のインタビューでもそのようなことを言われていますね。「実際に国民生活にかぶってくるような事態にならないと僕がでる必要がない」。しかし続いて「僕(小沢さん自身)にとっても時間がない。最後の機会と思うから」と。それで次の総選挙でと言われていますが、これはぜひ自民党政権を倒せる日が近く来ることを願っています。

小沢 絶対に倒す。絶対にだよ。

――来年(二〇〇五年)解散はありますか。

小沢 解散の前に政変があるだろう。小泉さんが辞めるときだよ、政変は。小泉さんは人気がなくなれば辞めるしかないだろう。

――その時点で解散ではないか?

小沢 人気がなくなったときは解散なんかできるはずがない。来年中には小泉政権が倒れる可能性があるとみている。あの政権は、なにか一発起きたら終わりだ。

――総選挙はあるんですか。

小沢 ない。だが、民主党が政権を獲れば総選挙だ。今のままでは少数で政権を獲ることになるからだ。

――政変は起きるけれども……。

小沢 自民党はクビをすげかえて政権を維持する。選挙をやったら負けるからだ。しかし、傾向的には次の総選挙で政権交代が実現する。

二〇〇四年一二月七日、小沢一郎事務所で

インタビューを終えて

正直な話、かなり基本的な認識で小沢氏と共通するとは意外だった。現役記者のころ {政界} を担当なり取材なりしたことがないので知らなかっただけかもしれないが、論理の一貫性でも明晰な頭脳が感じられ、小泉首相のような馬鹿とは桁が違う。もし政治家としての対世間上の計算や遠慮がなければ、もっと純粋にスジのとおった言動をしたい人ではないかと思う。

「国民が自信を持って、まともな政治家を選べばいいんだ」というあたりにこの政治家のすべてがかかっているのだろう。どの国であれ、まともな政治家を選べるかどうかは、最終的には「国民」の民度の問題にならざるをえない。

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