飛騨の山猿@飛騨マーベリック新聞・小沢一郎と共産党アレルギーを捨て野党共闘し一丸となって政権奪取しよう♪

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◆「表現の不自由展・その後」実行委員・永田浩三・武蔵大学教授の目に涙も「作家に一言もないことは尋常ならざる事態」

2019年08月11日 18時09分54秒 | ●YAMACHANの雑記帳

「表現の不自由展・その後」実行委員・永田浩三・武蔵大学教授の目に涙も「作家に一言もないことは尋常ならざる事態」 ~緊急集会&記者会見 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止事件19.8.7

2019/08/11 に公開
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首相へのヤジ排除 札幌市内で抗議デモ 「道警は説明と謝罪を」

2019年08月11日 16時45分01秒 | ●YAMACHANの雑記帳

首相へのヤジ排除 札幌市内で抗議デモ 「道警は説明と謝罪を」

2019/08/11 に公開
安倍晋三首相が7月、札幌市で参院選の街頭演説をした際、ヤジを飛ばした聴衆が北海道警に排除された問題で、当事者やその支援者ら約150人(主催者発表)が10日、市内中心部で「道警は説明と謝罪を」と、抗議デモを実施した。【撮影・源馬のぞみ】2019年8月10日公開

2019/08/11 に公開
札幌市で7月15日、安倍晋三首相の街頭演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえて排除した問題で、当日排除された人ら約150人が10日夕、札幌市中心部で抗議デモを行った。参加者は「道警、謝れ」「ヤジの排除は絶対反対」などと訴えた。 https://www.asahi.com/articles/ASM8B5...
 

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★【佐高信×早野透+平野貞夫のジジジ放談】酷暑と台風のお盆休みのお楽しみ!日本の政治を一刀両断

2019年08月11日 14時52分59秒 | ●YAMACHANの雑記帳

【佐高信×早野透+平野貞夫のジジジ放談】酷暑と台風のお盆休みのお楽しみ!日本の政治を一刀両断

2019/08/11 に公開
佐高信、平野貞夫、引きずられる早野透、暴走する三ジジの怪気炎!よそでは聞けない参院選分析。自公で与党とまとめられて公明党は怒らないのか、讀賣の改憲下心のありそうな一面写真から参院選結果を分析し、野党のていたらくを指弾、叱咤激励。ときにスピリチュアルなヤバい方向にも脱線しかかりつつ、お天気より熱い鼎談をどうぞ。 2019年8月6日収録
 
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★Breaking News (Aug. 11, 2019) - Japanese F-35A crash caused by human error

2019年08月11日 11時37分06秒 | ●YAMACHANの雑記帳

Breaking News (Aug. 11, 2019) - Japanese F-35A crash caused by human error

2019/08/10 に公開
The Japanese Air Self-Defense Force (ASDF) concluded on Friday the fatal crash of an F-35A stealth fighter into the Pacific Ocean in April was caused by human error and not a mechanical fault. The conclusion that the pilot had experienced "spatial disorientation" before the fatal crash follows an investigative report released in June that drew the same conclusion.
日本航空自衛隊(ASDF)は金曜日、4月のF-35Aステルス戦闘機の太平洋への致命的な衝突は、機械的な故障ではなく人為的過失によるものであると結論付けました。 パイロットが致命的なクラッシュの前に「空間的見当識障害」を経験したという結論は、同じ結論を引き出した6月に発表された調査報告に続きます。
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★日系人の悲劇、繰り返すな 同じ米国人なのに強制収容

2019年08月11日 10時49分44秒 | ●YAMACHANの雑記帳

日系人の悲劇、繰り返すな 同じ米国人なのに強制収容

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第2次世界大戦当時のハートマウンテン強制収容所=Yoshio Okumoto氏撮影/ハートマウンテン・ワイオミング財団、Densho提供

https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019081102000067.html

薄曇りの空に向かって揚がる星条旗を、胸に手を当てながらじっと見つめる。上着の襟にも星条旗のバッジが光る。米西部ワイオミング州のハートマウンテン日系米国人強制収容所跡。日系二世のノーマン・ミネタ(87)は、第2次世界大戦中に日系人が受けた差別と苦難の歴史を伝える行事に参加するため、今夏も「わが家」に帰ってきた。

写真ノーマン・ミネタ氏

 1941年12月の日本の真珠湾攻撃により、日系人は敵性外国人のレッテルをはられ、憲法で保障されるべき市民の自由を奪われた。42年11月、11歳だったミネタは、温暖なカリフォルニア州サンノゼから家族とともに収容所に送られてきた。750エーカー(約3平方キロメートル)の敷地は鉄条網に囲まれ、9つの監視塔ではライフル銃を構えた兵士が目を光らせていた。

 冬は時に氷点下30度に達した。「激しい風と砂ぼこりがほおを打ち、身を切るように寒かった」

 なぜ自分は米国民なのにこんな仕打ちを受けるのか。収容所での生活は、後に下院議員として日系人の名誉回復に努め、ブッシュ(子)政権の運輸長官として米中枢同時テロの危機管理を担ったミネタの政治活動の原点となった。

 ミネタは今、米国社会に当時と似たような人種偏見による閉塞(へいそく)感が漂っていることを懸念している。「今なら両親は、米国に入国することさえできなかっただろう」。歴史を繰り返してはならない-。積極的に人の輪に入って語る姿に、強い使命感がにじみ出ていた。

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強制収容の様子を語るベーコン・サカタニさん。後方にそびえるのがハートマウンテン(岩田仲弘撮影)

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<米国民として 日系人と戦争>(1)敵性外国人

 ベーコン・サカタニ(89)は1942年8月、13歳の時に米ロサンゼルス近郊から西部ワイオミング州のハートマウンテン強制収容所に隔離された。「一体何が起きているか分からなかった。ただ野菜畑を捨てることを余儀なくされた親について来ただけだった」

 収容所に着いて初めて、困難が待ち受けていることが分かった。見渡す限りの荒涼とした土地。常時1万人以上が約500戸のバラック小屋に押し込まれた。サカタニの家族7人に割り当てられたのは約45平方メートルの一室。部屋には裸電球一つと簡易ベッド、石炭ストーブだけしかなく、ここで約3年間過ごした。

 「子どもたちはハートマウンテンにハイキングしたり、川遊びしたり。何をして遊ぼうか、探してばかりいた」。だが親たちは、広大な荒れ地を開墾するなど生きるために黙々と働き続けた。

 戦争が終わり、収容所は閉鎖。収容者は列車の切符と25ドルだけ渡されて追い出された。カリフォルニア州に戻ってもサカタニは差別を受け続けた。「高校のクラスで日系人は私だけ。誰も話しかけてくれない。昼食は運動場で一人弁当を広げた。あるクラス発表の時、私はみんなの前で思わず叫んだ。『私も米国民なんだ!』」

 サム・ミハラ(86)も42年8月、家族4人でサンフランシスコから送られてきた。あるとき、脚が痛くて歩けなくなった。収容所内の病院で診察を受けたが、なかなか治らず、1カ月後、何とか回復した。

 5年前、首都ワシントンで自らの診察記録を見つけると、「筋肉の関節炎」とでたらめな病名が記されていた。「産婦人科は充実し、3年間で556人の子どもが生まれた。腹痛や風邪などにも対応できていたが、他の専門医はいなかった」

収容所内の病院の様子を説明するサム・ミハラさん(岩田仲弘撮影)

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 元新聞記者の父は緑内障にかかり、専門的な治療を受けられなかったため失明した。父は自ら、点字板を作っていたという。

 日本軍の真珠湾攻撃により、敵性外国人となった日系二世は軍への入隊も認められなかった。すでに入隊していた多くも除隊を強いられ、収容所に連れてこられた。

 米国民として認めてもらうためには、戦って国に忠誠を尽くすほかない-。二世はそう考え、個人で、あるいは集団で政府に嘆願書を出した。

 米陸軍省は43年、日系二世で構成された第442連隊を結成し、欧州戦線に投入することを決めた。名誉回復と米国への忠誠をかけた戦いが始まった。=敬称略

 (ワイオミング州パーク郡で、岩田仲弘)

    ◇

 第2次大戦中、「日本に祖先を持つ」というだけで差別を受け、自由を奪われた日系米国人。彼らの歴史を通じて、今米国で起きている移民問題を考える。

 <日系人の強制収容> 1942年2月19日、フランクリン・ルーズベルト米大統領は前年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃と日米開戦を受け、大統領令9066号を発令。諜報(ちょうほう)活動や軍事施設などに対する妨害活動を防ぐという名目で、特定地域を軍の管理に指定する権限を陸軍長官と軍司令官に与えた。軍は米西海岸とアリゾナ州の一部を軍管理地域に指定し、4万5000人の日系1世と7万5000人の2世、3世の計12万人が10カ所の荒れ地につくられた強制収容所に隔離された。ワイオミング州のハートマウンテンもその一つで計約1万4000人が収容された。

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