日系人の悲劇、繰り返すな 同じ米国人なのに強制収容
第2次世界大戦当時のハートマウンテン強制収容所=Yoshio Okumoto氏撮影/ハートマウンテン・ワイオミング財団、Densho提供
https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019081102000067.html
薄曇りの空に向かって揚がる星条旗を、胸に手を当てながらじっと見つめる。上着の襟にも星条旗のバッジが光る。米西部ワイオミング州のハートマウンテン日系米国人強制収容所跡。日系二世のノーマン・ミネタ(87)は、第2次世界大戦中に日系人が受けた差別と苦難の歴史を伝える行事に参加するため、今夏も「わが家」に帰ってきた。
ノーマン・ミネタ氏
1941年12月の日本の真珠湾攻撃により、日系人は敵性外国人のレッテルをはられ、憲法で保障されるべき市民の自由を奪われた。42年11月、11歳だったミネタは、温暖なカリフォルニア州サンノゼから家族とともに収容所に送られてきた。750エーカー(約3平方キロメートル)の敷地は鉄条網に囲まれ、9つの監視塔ではライフル銃を構えた兵士が目を光らせていた。
冬は時に氷点下30度に達した。「激しい風と砂ぼこりがほおを打ち、身を切るように寒かった」
なぜ自分は米国民なのにこんな仕打ちを受けるのか。収容所での生活は、後に下院議員として日系人の名誉回復に努め、ブッシュ(子)政権の運輸長官として米中枢同時テロの危機管理を担ったミネタの政治活動の原点となった。
ミネタは今、米国社会に当時と似たような人種偏見による閉塞(へいそく)感が漂っていることを懸念している。「今なら両親は、米国に入国することさえできなかっただろう」。歴史を繰り返してはならない-。積極的に人の輪に入って語る姿に、強い使命感がにじみ出ていた。
強制収容の様子を語るベーコン・サカタニさん。後方にそびえるのがハートマウンテン(岩田仲弘撮影) |
<米国民として 日系人と戦争>(1)敵性外国人
ベーコン・サカタニ(89)は1942年8月、13歳の時に米ロサンゼルス近郊から西部ワイオミング州のハートマウンテン強制収容所に隔離された。「一体何が起きているか分からなかった。ただ野菜畑を捨てることを余儀なくされた親について来ただけだった」
収容所に着いて初めて、困難が待ち受けていることが分かった。見渡す限りの荒涼とした土地。常時1万人以上が約500戸のバラック小屋に押し込まれた。サカタニの家族7人に割り当てられたのは約45平方メートルの一室。部屋には裸電球一つと簡易ベッド、石炭ストーブだけしかなく、ここで約3年間過ごした。
「子どもたちはハートマウンテンにハイキングしたり、川遊びしたり。何をして遊ぼうか、探してばかりいた」。だが親たちは、広大な荒れ地を開墾するなど生きるために黙々と働き続けた。
戦争が終わり、収容所は閉鎖。収容者は列車の切符と25ドルだけ渡されて追い出された。カリフォルニア州に戻ってもサカタニは差別を受け続けた。「高校のクラスで日系人は私だけ。誰も話しかけてくれない。昼食は運動場で一人弁当を広げた。あるクラス発表の時、私はみんなの前で思わず叫んだ。『私も米国民なんだ!』」
サム・ミハラ(86)も42年8月、家族4人でサンフランシスコから送られてきた。あるとき、脚が痛くて歩けなくなった。収容所内の病院で診察を受けたが、なかなか治らず、1カ月後、何とか回復した。
5年前、首都ワシントンで自らの診察記録を見つけると、「筋肉の関節炎」とでたらめな病名が記されていた。「産婦人科は充実し、3年間で556人の子どもが生まれた。腹痛や風邪などにも対応できていたが、他の専門医はいなかった」
収容所内の病院の様子を説明するサム・ミハラさん(岩田仲弘撮影) |
元新聞記者の父は緑内障にかかり、専門的な治療を受けられなかったため失明した。父は自ら、点字板を作っていたという。
日本軍の真珠湾攻撃により、敵性外国人となった日系二世は軍への入隊も認められなかった。すでに入隊していた多くも除隊を強いられ、収容所に連れてこられた。
米国民として認めてもらうためには、戦って国に忠誠を尽くすほかない-。二世はそう考え、個人で、あるいは集団で政府に嘆願書を出した。
米陸軍省は43年、日系二世で構成された第442連隊を結成し、欧州戦線に投入することを決めた。名誉回復と米国への忠誠をかけた戦いが始まった。=敬称略
(ワイオミング州パーク郡で、岩田仲弘)
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第2次大戦中、「日本に祖先を持つ」というだけで差別を受け、自由を奪われた日系米国人。彼らの歴史を通じて、今米国で起きている移民問題を考える。
<日系人の強制収容> 1942年2月19日、フランクリン・ルーズベルト米大統領は前年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃と日米開戦を受け、大統領令9066号を発令。諜報(ちょうほう)活動や軍事施設などに対する妨害活動を防ぐという名目で、特定地域を軍の管理に指定する権限を陸軍長官と軍司令官に与えた。軍は米西海岸とアリゾナ州の一部を軍管理地域に指定し、4万5000人の日系1世と7万5000人の2世、3世の計12万人が10カ所の荒れ地につくられた強制収容所に隔離された。ワイオミング州のハートマウンテンもその一つで計約1万4000人が収容された。