セクハラ撲滅:性暴力被害を訴え出た伊藤さん、国連本部で会見
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226043
3.30「大抗議行動」 佐川証言が火を付けた国民のデモ拡大
予想通り、証人喚問で安倍首相と昭恵夫人の「森友疑惑」への関与を否定した佐川宣寿前国税庁長官。早速、自民党の二階幹事長は「政治家の関与がないことが明白になった」と喧伝している。 しかし、佐川証言は、安倍政権にとって逆効果もいいところだ。真相を語らず、安倍夫妻の潔白だけを強調したために、国民のフラストレーションを強める結果になっているからだ。実は、首相周辺も「抗議デモ」の拡大を恐れているという。「すでに内閣支持率は31%まで急落していますが、地元に帰ると有権者の怒りは数字以上です。皆、森友疑惑の中心に安倍夫妻がいると思っている。心配なのは、佐川前長官の証言が有権者の怒りと不信感に火をつけそうなことです。もし、抗議デモの人数が5万人、10万人と膨れ上がったら、政権はもたない。すでに5000人、1万人、1万5000人と増えているので心配です」(自民党関係者) 実際、抗議デモは宮城、大阪、福岡と全国に広がっている。大きな特徴は、スローガンが変わり始めていることだ。高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治)が言う。「安倍応援団は誤解しているようですが、デモに参加している人の多くは、普通の市民です。右も左も関係ない。ほとんどの人は一体、何があったのか、“森友疑惑”の真実を知りたいと思っているだけです。真実を知るためには、昭恵夫人の証人喚問も必要だと訴えている。何も昭恵夫人をさらし者にしたいわけではありません。30日の官邸前デモのスローガンが<STAND FOR TRUTH>となっているのが象徴的です。真実が明らかにされない限り、デモは終わらないと思います」 安倍夫妻の関与を否定した佐川発言は、いかにも不自然だった。すでに佐川前長官は、何かを隠すために「決裁書」まで改ざんしている。真実を隠せば隠すほど、真実を求めるデモは大きくなっていくだけだ。 この先、市民の「抗議デモ」が拡大するのは必至だ。証人喚問が行われた27日も国会周辺に市民が集まり「証言拒否は絶対許すな」とシュプレヒコールを上げている。28日も、大勢の市民が国会周辺に集結した。 さらに、3月30日(金)は、首相官邸前で19時30分から<STAND FOR TRUTH>というスローガンを掲げた大抗議行動が予定されている。(エイエイオー)
天皇陛下の沖縄訪問を機に沖縄主要二紙沖縄タイムスと琉球新報は社説。各々の標題は、沖縄タイムスが[両陛下来県,際立つ「寄り添う姿勢」、そして、琉球新報:「両陛下来県 平和願う姿勢の継承を」である。それは、今の安倍政権が、「沖縄の人々に寄り添う姿勢がない」「平和和願う姿勢がない」事の現れである。
天皇陛下の沖縄訪問を機に沖縄主要二紙沖縄タイムスと琉球新報は社説を書いた。各々の標題は、沖縄タイムスが[両陛下来県]際立つ「寄り添う姿勢」、そして、琉球新報:「両陛下来県 平和願う姿勢の継承を」である。それは、今の安倍政権が、「沖縄の人々に寄り添う姿勢がない」「和願う姿勢」がない事の現れである。
琉球新報はさらに次を記述している。『沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である』。
A―1:事実関係1:沖縄タイムス社説[両陛下来県]際立つ「寄り添う姿勢」(29日)
・父親の昭和天皇は戦後、一度も沖縄を訪れていない。「戦争責任」と、米軍による沖縄占領の継続を希望したとされる「天皇メッセージ」問題が、昭和天皇には最後までついて回った。
・陛下が、海洋博の開会式に出席するため初めて沖縄を訪れたのは、皇太子時代の1975年7月のことである。
・「沖縄の旅」は皇太子時代を含め今回が11回目となる。
・沖縄、広島、長崎、そして海外の激戦地。「象徴の務め」として最も重視してきたのは「慰霊の旅」である。
・1996年4月に来日したクリントン米大統領との会見で、陛下は、沖縄の基地問題を念頭に「日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と述べた。
同年12月の誕生日を前にした記者会見では、沖縄戦と米軍統治の歴史に触れたあと、こう語っている。
「このような沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思っています」
・「寄り添う天皇像」は多くの国民の支持を得ている。
A2―事実関係2 琉球新報:「両陛下来県 平和願う姿勢の継承を」(3月28日 )
・天皇はかつて「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つある」と述べ、その一つとして「6月23日の沖縄の戦いの終結の日」を挙げている。
・皇太子夫妻として1975年7月、初来県した。「ひめゆりの塔」で献花直後に火炎瓶を投げ付けられた。その夜、天皇は談話を発表した。
「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
心を寄せ続け、今回で11回目の来県となった。
・ちょうど73年前のこの時期に沖縄戦は始まった。沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。沖縄戦の教訓と、両陛下が平和を願う姿勢を次代の皇室に継承してほしい。
・天皇は96年12月の会見で「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と述べている。この年の4月に、日米両政府は米軍普天間飛行場の返還を発表している。天皇の発言は基地問題の解決を指すものとみられる。
しかし、その願いとは逆の事態が進行している。普天間飛行場はいまだに返還されていない。安倍晋三首相は「基地負担の軽減に全力を尽くす」と言いながら、政府は沖縄の民意に反して名護市辺野古で新基地建設を強行している。これ以上の基地負担を拒否するという県民の訴えを来県中に受け止めてほしい。
46年1月、連合国軍総司令部(GHQ)は、北緯30度以南の南西諸島を政治上、経済上、日本から分離すると発表した。この年の11月、日本国憲法が公布された。日本と切り離された沖縄住民は、戦争の放棄を掲げる9条の条文を知り、平和憲法に憧れた。
天皇は80歳の誕生日会見で「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくり、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた」と述べている。
72年、沖縄は平和憲法の下に復帰した。しかし、米軍による相次ぐ事件事故、新基地建設強行にみられるように、沖縄では今でも憲法の基本理念がないがしろにされている。「象徴天皇」として憲法を順守する天皇に、この事実を受け止めてもらいたい。