幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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名門ロータスと仏教思想

2020-10-01 00:50:24 | 自動車から見える日本と世界

Vol.9 サーキットの狼|はやかわ/Li-1970s店主|note

ロータス ヨーロッパ スペシャル (英 1966年~1975年)

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

本日は久しぶりに、自動車関連記事です。

10月には4日(日)に、大川隆法幸福の科学グループ総裁御法話を、そして16日(金)からは、映画『夜明けを信じて』の上映を控えているにもかかわらず、編集長の趣味で書いているとしか思われていない(笑)自動車記事を書くのはなぜかと言うと、このブログには「アクセス数が減ったときに自動車関連記事を書くと、アクセスが回復する」というジンクスがあるからでございます。(爆笑)

ところで、これまでここのブログでは「社会に対する影響力」が大きなテーマですので、どちらかというと、地味でマニアックなものに焦点を当ててきましたが、このブログで初めて、外国車、イギリスのスポーツカー「ロータス」にスポットを当てます。

ロータスと言えば、私たち、スーパーカー世代には、たまらない響きがございます。

日本の第1次スーパーカーブームの火付け役となった漫画「サーキットの狼」(池沢さとし作 少年ジャンプ)で、主人公の風吹裕矢の愛車が、ロータス ヨーロッパ スペシャルだったからです。

漫画「サーキットの狼」の劇中では、レーサー志望の裕矢が操るロータス ヨーロッパ スペシャルは、たった1600㏄で126馬力しかない性能にもかかわらず、軽量な車体と優れた空力特性とコーナーリング性能を駆使して、フェラーリやランボルギーニといった、4000㏄超級の大型スーパーカーに勝つという、日本人が大好きな「柔よく剛を制す」の精神の漫画です。

サーキットの狼(2) | 池沢さとし | スポーツ | Kindleストア | Amazon

その影響もあって、世界的には小型の軽量スポーツカーに分類されるロータスヨーロッパですが、日本ではスーパーカーのカテゴリーで語られています。

日本では、大相撲の翔猿(とびざる)や炎鵬など、小兵力士が人気を呼びますし、最近の自動車漫画では、「頭文字D(イニシャルD)」で、同じく小馬力のトヨタスプリンタートレノ(130馬力)で、300馬力級のスーパースポーツカーに勝つ物語にも、「サーキットの狼」のロータス ヨーロッパの影響が伺えますよね。

ロータスの作品の大きな特徴は、エンジンの出力特性や内装の品質、そして各種部品の出自にはこだわらず、とにかく、ボディが軽量であること、そして空気抵抗が少ないことにお金をかけていることです。

それは創始者のアンソニー・ブルース・コーリン・チャップマン(1928年~1982年)が、バックヤードビルダー、つまり自宅の裏庭でレーシングカーを作り、レース参戦していた学生時代からの哲学でした。

特にその傾向が顕著なのは、市販乗用車第1号のロータス7(現ケーターハム7)や、続くロータスエリート(初代)です。

特にロータスエリートは、乗用車初の、強化ガラス繊維プラスチック(FRP)によるモノコックボディを搭載し、ボディの空気抵抗係数は0.29と、60年前の作品としては、驚異的な技術で出来上がっていました。

残骸から蘇ったロータス・エリート - 試乗記 | AUTOCAR JAPAN

ロータス エリート(初代 1957年~1963年)

FRPは小型船舶や小型飛行機などで使用され、軽く強い材質です。

モノコックとは、ボディが一体構造をなし、飛行機に技術由来するボディ全体で強度を保つものですが、いくら強度的に十分で、工作も容易FRPであっても、タイヤから、上下左右、そして斜め方向と、複雑な外力に常時対応する自動車ボディにおいては、FRPモノコックは、剛性や振動など、商品として多くの問題があり、エリートは商品としては成功しなかったようです。

その反省を踏まえ、次作のエランでは、Y型に鉄板を加工したバックボーンフレームにFRPボディを乗せました。

自動車のボディが、路面などから常時受けざるを得ない複雑な外力は、ボディの背骨の役目をするバックボーンフレームが受け持つことで、エランはエリートよりシンプルでローコストなFRPボディを持ちました。

鉄製のフレームを持つことで、エランはエリートより80kgほど重量増になりましたが、強化されたボディを優れたコーナーリング性能で、オープンボディも可能となり大ヒット、ロータス大躍進とブランド確立の立役者となりました。

エラン : あなたは違いがわかりますか? 車のデザインの歴史はパクリの歴史 ? - NAVER まとめ

ロータスエラン(初代 1962年~1975年)

ロータスのエリートとエランは、後に日本のホンダがSシリーズを、トヨタが2000GTを開発するときに参考にしたのは間違いなく、特にトヨタ2000GTなどは、エランと同じY型バックボーンフレームを採用するなど、ロータスエランの上級バージョンを、トヨタ&ヤマハが自力で作ったと言い切って良いと思います。

つまり、ロータスの初期の作品は、日本のスポーツカー黎明期に、多大な影響を与えた「偉大な先生」だったわけですね。

日本の自動車草創期だけでなく、日本の自動車メーカーと、名門ロータスとは、その後も深いつながりがあります。

トヨタやいすゞなどは、トヨタXX(2代目)のサスペンションチューニングで技術提携していましたし、いすゞなどは、ピアッツア(初代)やジェミニ(2代目)などで、「ハンドリング by ロータス」という仕様があり、堂々とサスペンションをロータスがチューニングしたことを謳っていました。

またトヨタはロータスの乗用車にエンジンを供給していましたし、ホンダなどは、F1のチームロータスにエンジン供給し、共に世界最高峰で戦ってもきました。

ロータス ホンダ 100T(1988年) – F1 Model PhotoGraphics

ロータス ホンダ 100T(1988年)(No.2 中島悟 車)

さて、自動車業界と言えば、創業者の名前が社名になるのが一般的ですが、創業者のコーリン・チャップマンの名前には、「ロータス」という名前はどこにもありません。

「ロータス」とは、日本語で「蓮の花」のことです。

なぜコーリン・チャップマンが社名に「蓮の花」と名付けたかは、ご本人はそのことについて、生前には語っていなかったようです。

しかし、諸説ありますが、その中のひとつとして、「コーリン・チャップマンが、仏教に心酔していたから。」というのが、最も有力な説なのですね。

仏教の象徴でもある「蓮の花」。

これはお釈迦様が、「苦悩に満ちたこの世であっても、泥の沼で美しい花を咲かせる、蓮のように生きよ。」と説いた、有名な「蓮の花たとえ」に由来します。

なるほど、チャップマン時代のロータスの作品には、仏教思想が流れているように思えます。

それはどういう面かと言うと、「割り切りの良さ」です。

ロータスの乗用車は、エンジンのヘッドなどの一部品の制作はしても、エンジン本体や駆動系の製造はせず、今製造している他社からの供給ですし、走りに無関係な、操作性の部品なども、他社からの流用です。

またエリートやヨーロッパの後輪での、独特な「チャップマンストラット」と呼ばれる、横方向を支えるリンクのない、超簡素なサスペンションなど、無駄という無駄は排除し、「軽さ」を特化させる技法にも現れています。

またロータス発祥で、グランドエフェクトというものがあります。

これは現代のレーシングカーで一般的となった、ボディ下面の風速を速く流し、ボディにダウンフォース(下向きの力)を発生させ、空気抵抗を少なくしながら、路面への貼り付け力を強めて、コーナーリングスピードを上げる発想にも現れてます。

それは、小欲知足(しょうよく たることをしる)の思想が、私には垣間見えるのですね。

これは、「あれもこれもと欲張って、いろいろ手を出のではなく、欲を抑えて、今あるものに感謝して生きる。」という思想です。

F1空力学]レーキ角とフロアでのダウンフォースについて考察Part.2-2 | F1モタスポGP.com

これは物欲のみならず、たとえば、他人からの評価とか、目に見えないものにも当てはまります。

現代的に、また幸福の科学的に言えば、「見返りを求めず、愛を与えて生きよ。」となるのでしょう。

ともすれば人は、今あるものを当たり前と思い、もっともっとと欲しがり、その欲望の炎に苦しみます。

しかし時折、「小欲、知ることを足るが大事だよな。」と、この言葉を思い出すだけでも、心は平静さを取り戻すから不思議ですよね。

そしてそれは、「己の強みを知る」ことでもあると思います。

分不相応な分野に躍起になるのではなく、心を整え、分析することで、強みが見えてきます。

その強みに特化することで、活路を見出すことも、小欲、知ることを足るの精神でもあります。

ロータスは、小さなスポーツカーが大好きな私にとって、語っても語っても語りつくせないのですが、文字数制限が近いので、あと一言だけ。

現在のロータスは、多大な功績のあったF1からも撤退してしまいましたし、今の資本は中国企業が握っています。

トヨタやホンダは、ロータスの苦難に、手助けができなかったのでしょうか。

なぜできなかったのか、トヨタやホンダの関係者の方に、私は教えていただきたいのです。

師でもあり、多くのビジネスを共にし、共に最高峰で戦ってきた盟友に対して、トヨタやホンダは、ビジネスライクというか、ちょっと冷たかったのではないでしょうか。

トヨタやホンダには、日本的な「御恩返しの精神」で、仏教思想を理解していたと言われる故コーリン・チャップマンを弔っていただきたかったと、少し残念に思うのであります。

さて本日は、経典『信仰のすすめ』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、仏教の真髄を大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。

        (ばく)

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※ 重要 10/4(日)「聖地エル・カンターレ生誕館 立宗記念御法話」開催決定!

ご演題「降魔の本道」

【日 時】 2020104(日)11開演

【本会場】 聖地エル・カンターレ生誕館

【衛星中継会場】 高知支部 他 全国衛星

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【祝】10/4(日)大川隆法総裁 生誕館ご法話決定!

蚊取り線香に蚊が近寄りたがらないように、反省をしている人に悪霊は近寄りたがらない。

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この世のなかを見渡してみると、不幸の種はあちこちにたくさんあるので、「これを取り除かないかぎり、幸福になれない」という考え方をし、不幸の種を完全に取り除いて極楽浄土の姿をこの世に下ろそうとしても、それは極めて難しいことです。

しかしながら、「この世という世界は、そういうものである。この世には、闘争や破壊、憎しみ、嫉妬、恨み、狂気の世界がたくさんある。また、この世は弱肉強食の世界でもある。この世は、生きていくのがなかなか難しい世界なのだ」ということを認めつつも、それはそれとして、逆に、そのなかで、この世に自分が生まれた意義、生きている意味を見いだすことが、非常に大切なことなのです。

仏法では、これを「泥中の蓮華の花」にたとえています。
大切なのは、「そのなかで、あなたは、いかにして一輪の花を咲かせるか。いかにして、蓮の花のような清らかな花を咲かせるか」ということです。

「どのような環境のなかにあっても、泥沼のなかから咲く蓮の花のように、一輪の花を咲かそう。清らかに生きていこう。すがすがしく生きていこう」と決意して生きていけば、それなりの花を咲かせることは可能です。その花の大きさは、さまざまでしょうが、小さい花でもかまわないのです。
『信仰のすすめ』(大川隆法著 幸福の科学出版)P42~46

 

人間には、創られたものとしての痕跡があります。
赤ちゃんは、生まれてきたら、すぐに酸素呼吸ができます。口も日も鼻も耳も付いています。人間の肉体の姿そのものを見ると、あまりにも見事に、この地上で生活ができるように創られています。これは、ある意味で信じ難いことです。

また、幸福の科学の教えを学んでいる人は、「魂」という問題に遭遇します。魂の問題について深く研究すれば研究するほど、「魂とは、ほんとうに値打ちのあるものである」ということが分かります。そして、「この値打ちの奥にあるものは何か」ということに思いを巡らすと、「やはり、人間は創られたものなのではないか」という推定が働くことでしょう。

人は、それぞれ、思うことや考えることは違います。しかし、たとえば、心を揺さぶる言葉に接したときには、誰もが同じように感動します。「先祖を辿(たど)っていっても、親戚でも何でもない」という関係は幾らでもあるはずですが、それでも、同じように心を揺さぶられます。日本人に限らず、外国の人であっても、きちんと翻訳された真理の言葉に触れると、魂を揺さぶられます。その部分において、人はみな同じです。

これは、なぜでしょうか。実は、まったく別々の個性として生きてきた人たちであっても、そのなかに、お互いに分かりうる部分があるのです。人間がお互いに分かりうるのは、相手と同じものが自分のなかにもあるからです。自分のなかにないものは分かりません。自分の感覚や思いのなかに、相手と同じものがあるから分かるのです。

それぞれ、いろいろな環境に生まれた人、自分が会ったこともない人、地球の反対側に住んでいる人、アフリカの人、インドの人、このように多種多様な人がいますが、すべての人の心に共通して流れるもの、すべての人の心を貫いているものがあるわけです。

地上では、それぞれの両親から別々に生まれた人間であっても、突き詰めていけば、心の部分、魂の部分で、すべての人がつながっています。地上には六十億以上の人々がいますが、みな、つながっている部分があります。行動様式や話している言語、髪の色や肌の色は違っても、心の奥において、その価値観において、道徳律において、真理において、確かに共通している部分があるのです。

「その元が何かあるに違いない。その元にあるものは何だろうか」と手繰っていくと、その元なるものが、「根本仏」「根本神」などといわれる存在です。「魂は根本仏(根本神)によって創られている」という推定が働くのです。
(同 133~136ページ)

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