幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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欅坂46 『不協和音』と日本的価値観の輸出について。

2019-12-31 23:30:06 | TV番組・芸能・スポーツ

「欅坂46 紅白 2019」の画像検索結果

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2019年最後の記事となりました。

幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただいた皆様のご愛顧を持ちまして、一年もつつがなく終えることができます。

本当にありがとうございました。

慌ただしく過ぎて行った、令和元年が終わろうとしています。

今年は久しぶりに、NHKの紅白歌合戦が見ながらの大晦日です。

何の気なしに、ただぼんやりとテレビを眺めていましたら、欅坂46さんが『不協和音』を披露していました。

欅坂46が紅白でこの歌を歌うのは2年ぶりだそうで、確か前回はウッチャンナンチャンの内村さんとのコラボで、欅坂のメンバーが過呼吸で倒れたというアクシデントがあったことを、その後のネットのニュースで見た覚えがあります。

紅白は生放送ですから、そういうアクシデントは嫌ですけれども、伝統的に、その年の秋に出演者が決まりますので、なかなか緻密な運営とかできないでしょうから、必ずと言っていいほど、「何か」が起こるのが紅白で、それもまたよきかなですよね。

さてそのアイドルらしからぬ演出で、幸福の科学のお仲間の方々からも賛否両論ある欅坂46ですが、私は割と好きです。

最初見たときはビックリしましたけれども、私の娘よりも年齢の若い、かわいらしい女の子たちが、かわいらしくもない衣装を着せられ、かわいらしくもない歌を歌わされ、かわいらしくもないダンスを踊らされているのを見ると、なんだかもう気の毒で気の毒で。

「もう秋元さんこのコたちに、もっとかわいらしい演出しちゃれや!(笑)」と思ってしまったのが最初の印象でしたが、とてもメッセージ性の強い楽曲を歌っていて、この『不協和音』も、アグネス・チョウ(周庭)さんら、香港の市民デモに参加している若者たちが、どうやら彼女たちの楽曲を聞いて、自らを鼓舞しているらしいです。

う~ん、わかる気がする。

「香港でも」の画像検索結果

彼らが香港警察の暴力にも耐え、恐怖を克服しながら、「中国の香港化」を目指して、来る日も来る日も、デモを続けていられるのは、大きな理想や、キリスト教を多数派とした信仰心だけでなく、心に響く楽曲があったのですね。

彼女らのパフォーマンスが、世界のオセロゲームの、黒と白のコマをひっくり返すのかもです。

話は変わりますが、この時期と言えば、クリスマスがあり、年の瀬にはお寺で除夜の鐘を突き、年が明ければ神社に初詣と、キリスト教・仏教・日本神道と、日本の宗教観が目まぐるしく変わる時期でもあります。

一見すると、宗教的にチャランポランとも言えるかもしれませんが、観る目を変えれば、日本と言う国の、根源的な宗教観を垣間見ることができると思います。

それは、「神の道は、どこから登っても、頂上でつながっている。」というものです。

クリスマス然り初詣然りですが、宗教行事に参加するということは、少なくとも、対象の神様を認めていなければなしえないことです。

私なんぞは、クリスマスだからといって浮かれはしないし、寒いのが苦手なので、除夜の鐘を突きに行ったこともないし、出不精なので、なかなか初詣に神社にも行きませんので、ひょっとしたら、常識的な日本的価値観では、「信仰心のない人物」と思われているかも知れませんね。(苦笑)

 

さてそのような日本をよそに、海を隔てて海外に行けば、信仰が違えば、敵対している時代が続いています。

とても不幸なことで、それによって宗教紛争や宗教戦争が起こっていますが、そこはやはり、日本的価値観が、もっと自信を強めて広がる必要性があると思うのです。

というのも、日本だって1500年前の聖徳太子の時代には、蘇我氏と物部氏の仏教勢力VS神道勢力の宗教戦争があったわけですが、その後、十七条憲法等の施策によって、宗教の不和の時代を乗り越え、ほぼ完全な、信教の自由社会となっているからです。

このような歴史ですから、日本人には、宗教の違いで命のやり取りをするほど憎しみ合うということが、とうてい理解できないのです。

これから世界は、急速に「根源的な日本的精神」に対するニーズを強めていくと思うので、まだまだ日本は衰退するわけにはいかないし、きちんとメッセージを発信できるだけの自信を持つべく、努力精進しないといけないなぁと思います。

さて令和元年最後の記事は、経典『永遠の法』そして『救世の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、今後もっともっと重要となる、宗教の融和に関する大川隆法総裁の見解の一部をご紹介いたします。

2020年も、よろしくおねがいいたします。

             (ばく)

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香港デモ マスコミの嘘を見抜け 人権団体がマネーロンダリング?【及川幸久−BREAKING−】

鋼鉄の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2293&utm_source=IRHweb&utm_medium=LP&utm_campaign=Laws-of-Steel_GO_id22293

「★1月5日(日)大川隆法総裁先生ご法話衛星中継「鋼鉄の法」講義。13時~」 

本会場:東京正心館

全国支部・精舎にて衛星中継  

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11   

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

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TEL:088-850-7774 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737

 

 

永遠の法

「仏の光がプリズムにかかったように分かれてきて、それぞれ特色を持った教えが説かれているのだ。それぞれの如来が『仏(神)とはこういうものだと思う』と説いてきたのが、それぞれの宗教になったのだ」という話をしました。

では、なぜそうした区別をする必要があるのでしょうか。「これこそ仏の教えだというものが、一つだけあればいいではないか。それをもとに、すべての宗教家が同じことを説けばいいではないか。そうすれば混乱も宗教戦争もないだろうし、人びとも迷わなくてすむだろう」――このように考える人もいると思います。

しかしながら、「お仕着せのような一律の教えでもって、ほんとうに人間は満足するのであろうか」ということです。
たとえば、車で道路を走るときでさえ、さまざまな車に乗っているではありませんか。異なるメーカーの車が走っていますし、色にしても、白、赤、黄色、青など、いろいろな色の車が走っています。また、大型車、中型車、小型車といった違いもあれば、燃費がいいか悪いか、値段が高いか安いかといった区別もあります。しかも、新車もあれば中古車もあるのです。

さらには、男性が好んで運転する車、女性が好んで運転する車といった違いがあります。それから、「車は速ければいいというものではない。レーサーが乗るような車ばかりではなく、遅い車もあっていい」という人もいます。また、「ツードアがいい」という人もいれば、「フォードアがいい」「ファイブドアがいい」という人もいて、いろいろです。

したがって、「どの車がいちばんいいか」と問われても、一概には答えが出てこないでしょう。
現在、「さまざまな宗教が乱立している」と言われています。しかし、「どの宗教がいちばん正しいのか」ということは、「どの車がいちばんいい車か」ということと同じなのです。

もちろん、「値段がより高い車がいい車だ」ということは一般的に言えますし、「この車よりもあの車のほうが高級車だ」ということはあります。
だからといって、「すべての人が絶対にこの車でなければならない」というところまでいくかといえば、そうではありません。人によって好みの違いがあっていいのです。

仏教には、小乗、大乗という言葉があります。「乗」とは、乗り物の意味です。つまり、小乗、大乗は、小さな乗り物、大きな乗り物ということです。
小乗はいわば小型車であり、自分一人しか乗れません。ところが、大乗は言ってみれば大型車ですから、大勢の人が乗れます。

このように、宗教のなかには小型車と大型車が存在しているのです。その違いは、どれだけの数の人たちを運ぶことができるかという、その運び方によるわけです。

宗教の教えにも、それぞれの好みや風土、土地柄に合ったものがあるということなのです。
『永遠の法』P261~266

 

救世の法

昔、仏教が日本に伝わってきたときには、「仏教を入れよう」と主張する蘇我氏と、「日本古来の神が怒るから駄目だ」と主張する物部氏との間で戦いが起き、多くの血が流れましたが、聖徳太子が仏教を入れました。

通常、外来の宗教を入れると国産の宗教は滅びるものですが、聖徳太子は、日本神道を滅ぼさずに仏教と融和させました。神道という枠組みのなかに仏教の教義を取り入れて、日本の国の基礎をつくったのです。

日本神道そのものには、形式としての儀式はありますが、教えがなかったので、この“中空状態”の部分を仏教の教義で埋めることによって、日本を先進国にしようとしたわけです。その意味で、聖徳太子は偉かったと思います。

ユダヤ・キリスト教圏においては、「千年王国」という理想があります。これは、私が説いている「仏国土・ユートピア」のような世界です。「メシアが現れて理想の国を築き、その王国が千年間続く」という、「千年王国」の思想があるのです。

ところが、日本を見てみると、聖徳太子も偉大でしたが、そのあと平安京をつくった桓武天皇も偉大です。
桓武天皇は、奈良の平城京から京都の平安京に都を移しました。平安京は唐の都をまねたと言われていますが、京都盆地に碁盤目状のきれいな街路をつくり、宗教都市を築いたのです。

そこには、神道と仏教、さらに道教の思想まで入っていました。もちろん、神道は、もともと孔孟の儒教思想も内に秘めているので、儒教とも関係があります。そのような宗教の融和のなかで、新しい宗教国家を目指したのが桓武天皇であったと思います。

その平安京、すなわち京の都は、「鳴くよ(七九四)ウグイス平安京」という、年号の覚え方で有名な七九四年から、明治維新で東京に首都が移るまで、一千百年ほど続いています。したがって、「千年王国」の理想は、実は日本では現実に成立したことなのです。宗教都市がつくられて、その都が千年以上栄えたわけです。

その都には、「宗教的寛容性のなかで、多様な思想を受け入れつつも、信仰心をきちんと立てて政を行う」という姿勢がありました。

京都という、日本の宗教都市で起きたことを、次は国際レベルで考えてみる必要があると思います。
私は、幸福の科学を私一代で終わるような宗教にはしたくありません。そして、「幸福の科学の教えは、二千年、三千年と続いていってほしい」と思いますが、その前段階として、まずは千年王国を目指します。

すなわち、千年は繁栄が続くような宗教の基盤をつくり、立派な宗教国家を建設したいと思っています。
宗教立国をなし、日本をほかの国の模範としたいのです。

「日本を見習いなさい。日本のようにすれば、宗教戦争も終わるのだ」ということを示したいと考えています。諸宗教のよいところを取り入れ、諸宗教が仲良く融和する、「宗教を尊重する国家」をつくりたいのです。
『救世の法』P141~146

欅坂46 『不協和音』


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