幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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【クリスマスに思う】「神のものは神へ」の言葉を超えて。

2015-12-24 22:02:30 | そして光の中へ ザ・伝道

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今日は12月24日、クリスマス・イブです。

日本においては、戦後急速に国民に普及し、今では日本の年末の風物詩となりました。

子供たちにとっては、翌朝に「クリスマスプレゼントがもらえるかどうか」とわくわくし、若い恋人たちにとっては、「彼氏彼女とどうやって過ごすか」とか、様々な思いをめぐらせる季節でもありますね。

ともあれ日本では、肝心のイエス・キリストの御生誕を祝うクリスマス当日よりも、その前夜祭的なクリスマスイブの方が、どう見ても盛り上がっていると言えますね。

ただイエス・キリストの御生誕の日が、本当に12月25日であるという証拠はどこにもないらしいです。私も若い頃聖書を読んで、「どこにも何月何日に誕生」という記載を見ることができず、「えっ、それってどういうこと?」と思ったことがあります。

どうやらキリスト教が大国ローマの国教となり、更なる布教先を求めて、ローマ以外の辺境の地・・・つまり今の北ヨーロッパ社会で布教活動をしていた際に、今のドイツ地方、ゲルマンの当時の祭りを取り入れたのが、今のクリスマスの起源というのが有力な説です。

それだと、クリスマスのお祭りの飾り付けに、もみの木が使用されるのも納得ですよね。イエス様がお生まれになったイスラエルの地は、それほど寒くはないので、針葉樹林であるもみの木は自生しておりませんから。

世界4大聖人に並び称されるイエスキリストのご生誕を祝う式典であるクリスマスを、その前夜祭パーティーで盛り上がる日本の文化は、敬虔なクリスチャン的な発想からすれば、???な部分かとも思いますし、日本人である私も、少し申し訳ない気がないわけではありませんが、これはやはり、日本人の民族の根源的な思考として、「日本人は、とてもお祭り好きである」という文化的思考が、切っても切れないことは間違いないだろうと思います。

日本人がお祭り好きなことは、日本の方ならば、絶対に否定なさらないだろうと思います。しかしそれは、決して敬虔でないとも、信仰心が薄いことでもなく、むしろこの逆だと思うのですね。

なぜならば、お祭りの本質とは、『神様に感謝を捧げるために行う宗教行事』だからです。

ですから日本では戦後急速にクリスマスが普及しましたが、これはやはり、日本人がそれまでなじみのあまりなかった西欧社会の宗教であるキリスト教を、「正しい教えと認識した」ということであり、その教祖さまであるイエスキリストを、「神様のお一人、神人のお一人として、または聖者のお一人として、はっきりと認識した」ということだろうと思うのです。

日本は、国民の宗教的文和的背景にある日本神道も仏教も、ともに多神教的な思想形態ですから、日本人は思想的に、イエスキリストを「神様のお一人」として、または「聖者のお一人」として、極自然に認識することができます。

でなければ、マンガであれ、『聖☆お兄さん』で、イエスキリストを描くことなど、思いつくことすらできないでしょうし、テレビ放映化や映画化されたりするほど、人気が出たり社会的に受け入れることなどできないでしょう。

つまり、日本人のお祭り好きの背景には、必ず、『宗教が好き』「神仏に、感謝を捧げる行為が好き』という、根源的な思想的バックボーンがなければこうはならないのです。

ともあれ、日本でのクリスマスの普及には、「お祭り=宗教が好き」という日本人の思想があり、日本人がキリストを神人聖者と認めたという背景があるのですが、この思想的な寛容性を、私は世界にも広めるべきだと思うし、認めさせるべきだとも思うのですね。そうすれば、世界から宗教による戦争など起きなくなるからです。

愛の聖人イエス・キリスト。

しかし残念ながら、現代社会においては、宗教紛争の時代であり、その中核にはキリスト教の存在があります。

イエスキリストの言行録である新約聖書を読む限り、そこから紛争の種を見いだすことはできません。

イエスの言うとおりにすれば、必ず平和が来るはずなのですが、現実はその逆となっております。

その要員は、「イエスが語った、たった一言にある」ならば、さあどうなりましょうね。

その一言は、イエス在世中、当時のユダヤの人々に、経済の質問を受けた時の言葉です。

「カエサルのものはカエサルの、神のものは神に。」

カエサルとは、当時のユダヤの通貨は、宗主国のローマのもので、カエサルの肖像が彫られていました。

このことでイエスは、政治的革命を求める当時のイエス信者に対し、宗教の優位を説いたと思うのですが、この一言が、キリスト教的な政教分離の方向性を作ってしまいました。

つまり、政治(カエサル)は、神の以降、つまりイエスキリスト的な絶対平和主義とは関わりなく、政治の判断で戦争や紛争、そして侵略行為までを起こせる同義付けとなってしまったのです。

今現代人は、このキリスト教的政教分離の思想を超えなければなりません。

つまり日本的な、「神仏はそもそも、人間通しの争いを望んではいらっしゃらない」という信仰に基づいた平和論が、信者数の多いキリスト教よりも説得力を持たなければいけないと思うし、それが現代における希望だと思うのです。

それが可能な思想が救世の法であり、それを体系的に、また科学をも巻き込んで、説得できる方こそ、現代の救世主です。

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それは現代の福音であり、未来の希望の鐘なのです。

                (ばく)

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