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幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

与える愛の魔法と『幸福の法』

2021-06-29 23:28:16 | ばくちゃんの独り言

「愛」の画像検索結果

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて、今日の演題は、私の苦手な愛です。

私、長年幸福の科学の信者をしちょりますが、愛はよくわからないんです。

恥ずかしながら・・・。

ですから、今回の記事は、全くの私見です。

・・・って、ここの代表管理人は、私見以外、書けるんでしょうか? (爆笑)

って言うか、幸福の科学の教えの、本質的な部分の記事、今までに書いたことがありましたでしょうか?(劇爆笑)

う~ん、幸福の科学高知を名乗りながら、信者さんでさえ聞いたことのない、独自見解しか今まで書けておりません。

おお、筆力不足、ここに極まれり。(爆笑)

ともあれ、幸福の科学では、「与える愛」「愛の発展段階」という教えがあるので、「愛」については多くの学びがあるんですけれども、私の頭がザルなのか(笑)、そもそも私の心に、その愛の教えを受け取るだけの、レセプター(受容体)がないのか、愛っていうのは、私にはどうもよくわからないんです。

っていうことで、超~苦手な愛に、今日はチャレンジに挑戦いたします。

千葉北総病院 部署紹介(中央手術室) | 日本医科大学看護師募集サイト

愛とは何かと言われて、すぐにお答えできる方を、私は心から尊敬いたします。

今の私にとっての愛は、「理解しようとすること。」までで限界でございます。

理解されようとするのではなく、理解しようとする努力が、今の私には愛に見えています。

理解しようとすると、不思議ですけれども、とても心が落ち着くんですね。

私は手術部に勤める看護師(男性)ですけれども、何年やってもこの仕事は緊張します。

こう見えて私は、とてもあがり性なんです。(^^;

そして、実は人見知り人間です。

誰も信じてはくださいませんが。(爆笑)

で、若かりし頃、とある先輩看護師から、こうご指摘を受けました。

「ばくよ、自分のことばかり考えてるから、あがるんだ。」

「ばくは健康なんだから、あんたは手術を受ける、患者さんの立場を考えなはれ。」

私は、その言葉をお聞きして、雷に撃たれたような衝撃を受けましたね。

「おお、そうであった。患者さんはもっと、不安な気持ちに違いない。」「僕は今まで、自分のことしか考えていなかった。」と、深く反省しました。

そして不思議なことに、そう思うだけで、余分な緊張感が取れると同時に、「自分が、目の前の方(患者さん)のために、何をしなければいけないか。」が、自然と思いつき、「そのために自分は、何を学び、何の技術を得ていなければならないか。」も、自然とわかるようになってきたんですね。

すると私の身体は、確実には、慌ただしくそして忙しくはなるんですが、また確実に、心は平安なんですよ。

不思議ですねぇ。

これは仏教的に言えば、無我なる境地の入り口なのかも知れませんね。

この先輩からお聞きした一言、「患者さんの気持ちを考えろ。」という言葉。

私は自分のためだけに生きてきた人生から、人のために生きる人生の素晴らしさに気づかせて下さったと、心から感謝しております。

そしてキリスト教の信仰論で言っている、「汝の神を愛せよ。」という言葉ですけれども、この「神を愛せよ。」というのは、私は、「神様を、理解しようと努力せよ。」ということではないかと思うんですね。

「イエスキリスト」の画像検索結果

神様に、自分を理解してもらおうとするのではなく、神様の思いや願いを、理解しようとすることが、神への愛であり、それこそが信仰心ではないでしょうか?

全知にして全能であられる神様はきっと、何もかもご存知でしょうから、よく考えれば、いまさら自分のことを、理解していただこうとする必要はないはずなんです。

それはもう、ある意味で時間の浪費ですから、もういいんですよね。

それよりも、神様の願いを理解しようと努力するところに、万物の霊長、神の子人間の、真の尊さと誇りの根源がありはしないでしょうか?

おお、なんだか、私らしくない、崇高な終わり方になってしまいました。(爆笑)

ということで本日は、経典『幸福の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。

それでは、またのお越しを。

          (ばく)

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自分の心は、100パーセントコントロールできる 「幸福への第一歩」シリーズ

 

幸福の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=140

自己実現を求めている人、自己発揮をしたいと思っている人は、「人に認められたい」という気持ちが非常に強いものです。それ自体は非常に尊いことなのですが、そう思って、がんばっているうちに、「自分一人だけが生きる」という状態になっていることが、わりにあります。

一生懸命に努力しているのに〝努力逆転″となり、がんばればがんばるほど、まわりが迷惑したり困ったりしていることもあるのです。

「自分は自己鍛錬をして、こんなに努力しているのに、なぜ人から認められないのか」と思うことがあるかもしれませんが、その場合には、他の人たちへの視点が欠けているのだと思います。「自分のことしか考えていないのではないか」ということです。

企画を出す場合でも、自分の評価が上がること、「こんな企画を思いつくとは、君は頭がよい」とほめられることだけを考えている人は、企画の質もそれほど高くはありません。

いろいろな企画を出しても、周囲からうるさがられるだけであることが、けっこうあります。(中略)意見を発信する前に、まず相手の立場を考えることが大事です。

たとえば、「この企画を相手が使えるかどうか」ということを考えれば、企画の内容にも、おのずと絞り込みがかかってきます。(中略)大切なのは、「自分がこれを思いついた」ということではありません。「これを相手が使えるかどうか」という点を考えて企画することが大事なのです。(中略)

自分が認められるためではなく、「このアイデアを使えば、自分の上司は成功し、出世する」「この企画を使えば、あの人は成功する」というような思いで出した企画は、当たる確率がかなり高くなります。「他の人のことをまず考える」というワン・クッションが入っている企画は、成功することが多いのです。(中略)

自分自身を磨いていくことも大事なのですが、それだけではなく、やはり、全体の力がアップし、チーム全体が成功することにつながるように考えていくことです。自分自身が出世することだけを考えるのではなく、それがまわりの人の成功にもつながっていくような考え方を、常に持っておくことが大事です。
『幸福の法』(幸福の科学出版)P126~130

 

2020【大川隆法総裁PRF】.jpg

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界160カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3300回を超え(うち英語説法150回以上)、また著作は31言語に翻訳され、発刊点数は全世界で2850書を超える(うち公開霊言シリーズは550書以上)。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「美しき誘惑―現代の『画皮』―」(実写・2021年5月公開) 、「夢判断、そして恐怖体験へ」(実写・同年8月公開予定)、「宇宙の法―エローヒム編―」(アニメ・同年秋公開予定)等、23作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、450曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。


どうして古今東西、世界中に、宗教は存在するのでしょうか?

2021-05-24 00:08:31 | ばくちゃんの独り言

祈りには祈り方よりも大切な事が3つあった | 宗教.jp

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

さて、人の一生は3万日とも言われまして、数十年と言われれば長いように見えても、自分目線で言えば、一日一日の積み重ねであります。

「人生は、あっという間に過ぎゆくもの」と、かつて人生の先輩たちから教えられた言葉が、数々の大人の階段を上り、身をもって理解できる年齢(56歳)に、いつの間にかなっていました。

「自分より若い人たち、遅れて世に出てくる未来の人たちに、さあ、どれだけのことを伝えられるのか、また、残すことができるのか。」

こういうことも、チョビッとだけ考えられるようにもなった昨今。

「ああ、こういう面持ちで、父や母、祖父や祖母、そして先輩たちが、私に接してくださったのだなぁ。」と、少しだけ、考えられるようになった今日この頃です。

きっと神さまは、私を育て導いてくださった、父母や祖父母や学校の先生や先輩たちよりも、もっともっと大きな境地と見識、そして大いなる愛のまなざしで、私のみならず、人類の始まりから今までをご覧になりつつ、我が子である人類に幸福な未来を与えようと、なさっているように思えます。

そう、一日も休むことなく、地に光を投げかける太陽の如く、一日も枯れることなき大気の如く、人知を超えた大きな愛の力を、ただただ与え続けて下さっています。

その神様の箱庭の中で、私たちは生まれ、幸福を望んで生きているわけです。

それは一生をかけた、手探りの旅ではあります。

また、旅に必要な旅費は、働いて稼がなければなりませんが、地図やコンパスなどは、与えて下さっているように思うのですね。

それが「宗教」や、元来は宗教が始めた「教育」だと思うのです。

祈りが叶わなかった時には叶わなかったことに意味があります | 困ったら絶対に、祈ってみることをお勧めします! | ダイヤモンド・オンライン

ところが、日本の近代教育においては、まるで、宗教は人間の都合で作られたように教えているような感じです。

これでは、神が人間を創ったのではなく、まるで人が、神なるものを作ったように認識してしまいますよね。

まったく、完全に価値が逆転しているわけで、お釈迦様が言った「末法」とはこのことですよ。

だからこそ世界が、聖書的に言えば、「黙示録の時代」のような面持ちになっているのだと思うのです。

そういう逆転した価値観、常識の中で、私たちは生きているわけです。

しかし、もしも人間の都合で宗教ができたのならば、どうして古今東西、世界中に宗教は存在するのか、どうか教えていただきたいものだと思うのです。

だってそうでしょう。

近代になって知られるようになった、アフリカの南端の黒人たちにも、オーストラリアのアボリジニの人たちにも、南アメリカ大陸南端のインディアンたちにも、古来より宗教がありました。

もしも、人間の都合で宗教ができたのならば、世界のどこが発信源で、どういう経緯で宗教が全世界を席捲したかを、科学的根拠に基づいて、私たちに語っていただきたいものです。

家族の祈り

そんな話は、学校で教えていただいたことはなく、テレビで見たこともないですし、書籍でも読んだことはありません。

ですので、「宗教は人間の都合で作られた」という、一見すると現代的な、パッと見は科学的な浅薄な価値観は、確たる証拠はないはずで、単なる仮説、そして都合の良い思い付きでしかないはずです。

「どうして古今東西、世界中に宗教は存在するのか?」という問いに答えられるのには、「それは神さまが、ずっと昔から、地球の隅々にまで、人々に愛を与え続けていたからですよ。」としか、きちんと説明はできないように、私の幼い頭脳では思えて仕方がないのですが、皆さん、いかがでありましょうか?

さあ、世界の中の日本の高知から、今と未来の日本と世界の人々に向けて、少しでも神さまの愛の思いを届け、神様の願いに沿うような社会を構築できるよう、「一日一生」残された日々を許された日々として、生きていけたら幸せです。

さて、私のつぶやきだけお聴きいただいたとしても、これっぽっちも、皆さまが悟ることはなかろうですから、本日は、大川隆法幸福の科学グループ総裁経典『永遠の生命の世界』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

       (ばく)

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映画『美しき誘惑―現代の「画皮」―』オリジナル・サウンドトラック試聴動画

新しき繁栄の時代へ』如是我聞レポート - 幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

 

永遠の生命の世界 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=139

第一原因論、「そもそも、なぜ世界ができて、なぜ人間がいるのか。なぜ生まれたのか」という第一原因についての理論を証明することは、科学にも、ほとんど不可能です。科学による説明を聞けば聞くほど、ほんとうに、昔の宗教と言うと語弊がありますが、迷信に聞こえるようなことが多いのです。

「偶然に、宇宙の一点が爆発して広がった」「宇宙のガスが集まって星ができた」「岩石がぶつかって星ができた」など、聞けば聞くほど、摩詞不思議で、眉に唾をつけたくなるような話がたくさん出てきます。「ほんとうに、そんなことがあるのですか」と言いたくなるような話に聞こえなくもないのです。

科学では、生命の起源を辿(たど)って、「昔、最初に小さなプランクトンや微生物が生まれ、それから植物が生まれ、さらに動物が生まれた。それが生命の起源である」という言い方もしています。

しかし、近代の、細菌等の研究によれば、煮沸して消毒したフラスコのなかからは生命は生まれないことが、実験で証明されています。
以前は、ハエでも何でも自然に発生したように思われていましたが、実は、きちんと大気中(対象物中)にその原因があって生物が生まれていることが分かったのです。「完全に煮沸してしまい、熱湯消毒をして、何も入らないようにしたら、生命は生まれてこない」ということは、ここ百年、二百年で証明されていることなのです。

そもそも、地球の歴史は四十六億年と言われていますが、地球が最初は灼熱の星であったことは、もう否定のしようがなく、誰もがそれを認めています。しかし、「その灼熱の星、ドロドロにとけ、火の塊となって燃えていたもののなかから、どうして生命が生まれたのか」という問いに答えられないのです。その状態であれば、完全に殺菌されているはずなので、その完全に殺菌されたものから生命が生まれてくるというのは、不思議は不思議です。

このように、科学でもって最初の原因論を語ると、結局のところ、むしろ、迷信、あるいは空想になってくるようなところがあるのです。
やはり、目に見える世界以外の力を認めざるをえないのです。「そういう大きな力が働いて、一定の方向性を与え、方向づけをし、それで、この世に力が及び、進化が起きている」と考えれば、非常によく分かります。
『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)P23~26

韓国語版『永遠の生命の世界』 中国語(繁体字)版『永遠の生命の世界』『霊界散歩』合本 

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト (utsukushiki-yuwaku.jp)

エンタメール】高知あたご劇場(高知市愛宕町) 

  高知あたご劇場 ★ 公式ページ ★ (neconote.jp)

・映画『美しき誘惑ー現代の画皮―』あたご劇場映画上映期間

〇5/14(金)~6/11(金)⭐火曜日はあたご劇場の休館日です。

上映時間 一日4回上映

①11時 ②13時20分 ③15時40分 ④18時30分

 

https://www.irhpress.co.jp/search/?transactionid=f2c877add8c4bb01314ba3db8b9b1ede35544802&keyword=%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C&search.x=6&search.y=7


自由と善悪と「幸福の原点」

2021-05-21 00:03:48 | ばくちゃんの独り言

屋久島天上界 – 屋久島トレッキングガイド アペルイ

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

本日は、自由をこよなく愛する高知県民らしく、自由という観点から、さまざまなものごとを見ていきたいと思います。

天国の自由は、他の人の自由を、決して侵害しないという不問律があり、それが故に、天国は自由自在なのです。

この、他の人の自由を侵害しないという概念は、神の属性のひとつではないかと私は推測します。

一方、地獄の自由・・・、これが果たして自由と呼べるものかは別の問題として(笑)、他の方の自由をも、我がものとしようとするのが地獄の自由だと思うのですね。

そのために彼らは、力を欲するわけですし、また人を騙し、たぶらかせるために、知恵をめぐらすわけです。

神様にも、自由があります。

いや、正確に言えば、神様には、無限の自由があり、神こそ、自由の根源であり、庇護者なのです。

だからこそ、中華人民共和国や北朝鮮といった、無神論という教義を持つ共産主義国家には、『自由』が存在しないと思うのです。

さて、宇宙や自然を観察して思うことは、神様は自由自在に創造し、生長させようとなさっていると思います。

神の自由とは、創造の自由であり、神の力とは、被創造物を生長させようとする力だと思いますし、神様は、生き物すべてに生きる環境を与え、食べ物を与え、はぐくみ続けていらっしゃるように思えます。

一方、神様の自由を制限したり、縮小させようとするのが、悪魔と言えると思います。

悪魔には、創造性がありません。

ですから、悪魔の所業は、常に神様の邪魔です。

その証拠に、『創造的な悪』というのは存在いたしません。

この世は、神様の創造の自由と、創造性を理解しない悪魔の邪魔立てとが、がっぷり四つで組み合っているように見える場所と言えましょう。

さて、悪魔の武器は、「この世でだけしか通用しない価値観」であり、「これまでの常識」であり、「今まで良いこととされてきた価値観」と言えます。

そのほとんどは、「死にたくない。」とか、「貧しくなりたくない。」とか、「病気になりたくない。」と言った、生きながらえる方向、生きやすく生きる方向の価値観です。

また、屈服でもたらされる平和や調和いう価値も、悪魔は利用します。

しかしこれらは、ある意味での、動物的属性なんですね。

そう、悪魔の武器とは、人間の”動物的属性”なのです。

しかし大事なことは、「この世を含んだ、我々が住む世界というのは、神の創造によって創り出されたものである。」ということです。

創った方には、創った方にしかない権限があるのです。

たとえば、マンションオーナーには、そのマンションの扱いに、最終的な責任と権限がありますけれども、神様と人間、神様と世界にも、同じようなことが言えるのです。

つまり、人生の借用者である人間には、この世を我がものにするような、また、この世を、自分だけが良かれとするような、根源的な権限そのものがないのです。

それが、「人として、身をわきまえる」ということであり、この、「人間としての、身のわきまえを否定すること」が『悪』だと思うのです。

そして、「人としての身のわきまえなどなく、そんなものに価値などない。」と、悪に積極的な力を与えているのが悪魔です。

その、身のわきまえを知っているのが、万物の霊長「人間」であり、それを知っていることが「理性」であり、それを信じることができることが「信仰心」だと思うのです。

外国では、無神論者を人間扱いしない文化が大半で、これは、欧米社会と言われる、先進地域でも同様です。

それは、「信仰を理解しないということは、理性を持ち得ない。」ということであり、「信仰を理解できない理性のない者のは、人間とは言えない。」という価値観があるからです。

そして神が、この世において、自由性を担保し、自由性を拡大しようとすれば、自前の組織を創るでしょう。

それが、宗教組織です。

また神ならば、今だけ勝てば良いという価値ではだめです。

それだけでは、本当の神とは言い切れないのです。

なぜならば、仏陀・救世主・預言者がこの世を去った後でも、神の子人間の自由性を確保し、拡大させなければ、文明ができないからです。

古今東西、文明には、そのもとになる「宗教」が必ず存在します。

その文明の元になる宗教が、後の世まで説得力を持つために、神は、神の啓示が降りる際には、かなりドラマティックな時代演出をなさっていると思います。

なぜならば、さもありなむな環境下で神の道を説いたとて、肉の目から見た人の目で見れば、それは当たり前の風景であるがゆえに、歴史の中では淘汰されてしまうからです。

ということは、何千年もの期間、人類に影響を与え、正しさの方向性を示し続ける人生というのは、裏を返せば、とても大変な人生だということです。

そのドラマティックな演出ゆえに、仏陀や救世主や預言者を支援する人たちは苦労します。

しかしその苦労は、神の自由性と力、つまり創造と生長のお役にたつことで、神と一体になれる幸福でもあるのです。

天上界においては、悪魔の邪魔立てなどありません。

波長同通の法則により、ステージが違っているからです。

しかしこの世の世界は、波長が同通しなくても、出会うことができます。

悪魔の邪魔立ては必ずあります。

それは彼らが、創造を理解せず、また他のものの生長に関心がないからです。

ゆえに、「どちらが正しいか。」「どちらが幸福か。」という、対立が発生します。

これが、智慧を磨くこととなり、人は飛躍的に賢くなるのです。

本日は経典『幸福の原点』より、「人生における、神仏との出会い」について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。

           (ばく)

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現代の武士道・私たちが戦う理由~だから翼をください~

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=143

みなさんは、幼いころより、釈尊の仏像を見たり、十字架上のイエスの姿を描いた絵などを見たりして、いろいろと宗教的なものに接したことはあっても、それらはすべて、自分の外にあるもの、窓の外、カーテンの外にあるものといった感じが強かったであろうと思います。

しかし、人間は、ある時点で仏神と出会うように仕組まれているのです。

仏神との出会いの契機として、一つには、この世で人間として成長していく途中における、大きな失敗、挫折ということがあるでしょう。

大きな病、受験や就職の失敗、恋愛や結婚の失敗など、さまざまなかたちでの失敗、挫折が、人間を仏神のほうへと深く深く向き直らせる契機となっているのです。

苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。

「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。

世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。

しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。

苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。

仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の方便であると言うこともあります。

いろいろな試練と見えるもの、砥石(といし)と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。
『幸福の原点』(幸福の科学出版)P115~117

新しき繁栄の時代へ』如是我聞レポート - 幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト (utsukushiki-yuwaku.jp)

エンタメール】高知あたご劇場(高知市愛宕町) 

  高知あたご劇場 ★ 公式ページ ★ (neconote.jp)

・映画『美しき誘惑ー現代の画皮―』あたご劇場映画上映期間

〇5/14(金)~6/11(金)

上映時間 一日4回上映

①11時 ②13時20分 ③15時40分 ④18時30分

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』予告編|2021年5月14日(金)ロードショー【世界11カ国64冠】


世界の宗教融和を願い綴る、無神論撲滅日記

2021-04-25 22:39:17 | ばくちゃんの独り言

大川隆法総裁 2017年10月の法話・霊言のご紹介 | 大川隆法 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者兼総裁 

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて悲しいかな、世界は今、歴史上最も「神仏への信頼感が薄れている時代」と言えると思います。

その要因は、戦後の日本においては、無神論的価値観に基づいた公教育が行われ、宗教を「個々人の趣味の領域」に追いやったごとき、不遜な文明実験が行われました。

また、現代日本より遥かに宗教的価値観が根付いていると言われている海外においても、日進月歩の科学の進歩によって、古い宗教的価値は揺らいでいると共に、ユダヤ・キリスト・イスラム教など「一神教」が中心となった宗教紛争の出口は、全く見えてはいません。

そして、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国のような、共産主義=無神論を国是とする国家組織の横暴の背景には、「宗教はアヘン」としたカール・マルクスの思想があり、その根源には、やはり、マルクス以前の中世ヨーロッパ社会における、魔女狩りなどの歴史による「神仏への信頼感の低下」があったと思われるのです。

確かに、「神の存在証明」は不可能と思われますし、神は「信じる」以外に、そのご存在を知る方法論はないとも思われます。

その「神仏を知る方法」を教えて来たのが歴史上の宗教ですが、現存する世界宗教が世に出たのは、今から1500年~3000年も前のことであり、残念ながら、現代的な世界の諸問題を解決できないのです。

しかし、重要なことは、確かに神仏の存在証明はできませんが、同時に、「神がいないということの証明もできない」という、厳然とした事実があることなのです。

 

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そして大切なことは、無神論というものは、「何も信じていない」という思想的にフリーな状況ではなく、「神はいない」という教義を持った「信仰」であると同時に、「宗教を持った人物を粛清するテロ思想」なのです。

何が言いたいかと申しますと、要するに、「神仏を信じる」という立場も、「神などいない」とする立場も、両者は同じく「信仰論」であるということです。

ならば、「どちらの信仰が、より多くの人を、そしてより高度な幸福を提示できるのか。」という「幸福論的観点」から論じることが、必要なのではないかと私は思うのです。

歴史を紐解けば、有史以来、人類は数多くの戦乱を起こして参りました。

そしてその多くは、「宗教戦争であった。」という歴史的事実があります。

そしてその結果亡くなった方は、有史5000年の歴史の中で、1000万人に及ぶそうです。

では、100数十年の歴史を持つ、共産主義(無神論・唯物論)国家において、為政者の都合の悪い人物らが粛清された人数は、少なくとも1億人以上にのぼるのですね。

データで見る限り、「無神論・唯物論的価値観の方が、戦争よりもはるかに非人道的である」と言えるのです。

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これは現代において、世界を見渡した時、民主主義的自由主義国家には「信教の自由」がありますが、中華人民共和国や北朝鮮など、無神論・唯物論的価値観の国家には「人権という概念が欠如している」という事実があります。

「神仏を信じる」という宗教的価値観があれば、人は無意識に「正しさ」を求め、なおかつ「死後の罰」を怖れるようになります。

一方「神などいない」という無神論的価値観であれば、「生き残ることが正義」であり、「この世的な勝利こそがすべて」という、弱肉強食の世の中が展開してまいります。

そして人は、神の息吹を魂に宿した尊い神の子から、自らが生き残るためなら手段を選ばない、「獣(けだもの)と化してしまうのです。

つまり「神などいない」という、「証明できない教義」を持つ無神論は、人を獣に変えてしまう最低・最悪・最凶の邪教で、中国や北朝鮮などにおいて、その最低・最悪・最凶の邪教に、世界77億人の人々のうち、15億人もの人たちが支配されていて、なおかつ、その地域が、経済的にも軍事的にも力をつけ、着々と信教の自由を宗とする自由主義社会の価値観を、戦略的に切り崩そうとしているのです。

そのような国際情勢の元、もしも救世主がご降臨なさるならば、戦争の要因となっている一神論的世界宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム教)を体系的に融和させ、なおかつ、無神論を論理的に破邪し瓦解させる教義を提示するはずです。

その価値観を、世界の一般常識化することが、現代文明の全ての自由の根源である「信教の自由」を守り、人々を救い、人々が共に手を取り合って、平和な未来社会を構築する上で、絶対必須条件であると確信しております。

その現代、そして近未来文明における絶対必須条件を、30年以上提示し続けているのが、大川隆法幸福の科学グループ総裁なのです。

私は高知在住の看護師に過ぎませんが、多くの方に、幸福の科学大川隆法総裁の教えに触れていただく、ご縁を付けさせていただきたいと思っております。

そして、まるで岩盤の如き「神仏への不信感」に陥った現代日本において、少しでもその心のハードルを下げることができたらと願っております。

と言うことで本日は、経典『神秘の法』そして『逆境の中の希望』(共に幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。

それでは、またのお越しを。

           (ばく)

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世界は美しい ~霊的人生観への目覚め~天使のモーニングコール 第1530回(2021/1/23,24)

 

神秘の法

神秘の法 / 幸福の科学出版公式サイト (irhpress.co.jp)

信仰とは、この世とあの世の壁を超えるための力であり、この世とあの世の壁を超えるための武器です。
信じるということによって、次元の壁が破れるのです。信じる力によって、次元の壁を超え、いろいろなものが行き来するようになるのです。いろいろなパワーがよみがえってくるのです。この世とあの世が一体化するのです。

強い信仰心のなかに生きているとき、みなさんは、三次元世界に生きていながら、多次元世界に生きているのと同じなのです。強い信仰心のなかにいるとき、みなさんは、如来界、菩薩界、光明界、善人界など、天国の世界にいるのです。

また、強い想念の下に、悪しきことをずっと考えつづけている人は、生きながらにして地獄の世界に心が通じています。そういう人は、心の世界では、地獄の世界に通じていて、地獄とは行き来も自由なのです。そのような悪しき信仰も、現に数多くあります。

そのため、いま大切なことは次のようなことです。
この世において、正しいものが成功し、正しさが確認されることは、もちろん大事なことであり、そうなることを望みたいと思います。しかし、それは百パーセント実現するものではないのです。

この世においては、正しいものが敗れ、正しくないものが勝つこともあります。この世は、もともと、そういうものなのです。この世は、正しいものがなかなか分からないような実験場として創られている面があり、試練の場でもあるのです。

したがって、「この世での勝ち負けだけでもって宗教の正邪は決まらない」ということを、片時も忘れてはいけません。

思いというものは実現します。それは必ず実現していきます。
しかし、その実現までには一定の時間がかかりますし、その手段、方法は、最初に思ったものとは違ったかたちになることがあります。それは受け入れなければなりません。

この世においては、自分が最善と思ったかたちではなく、次善、あるいは、その次と思っていたようなかたちで現れる場合もあります。

この世的には、お金も土地も建物も、その他のいろいろなものも、必ずしも思うとおりにはなりません。思ったものとは違ったかたちで現れてくることがあります。

しかしながら、強く長く思っていることは、しだいに必ず実現していきます。手段や方法はさまざまですが、やがて実現していくのです。

そのときに、信じている側の者にとって、いちばん大切なことは、耐え忍ぶ力です。耐え忍ばなければならないのです。耐え忍びの力によって、思いは実現していきます。
そして、「信仰というものは、最後は、この世において完結しなくともよいものなのだ」ということを知らなければなりません。

この世においては、「目先の成功が実現しなければ信じられない」と言うことは簡単なことです。しかしながら、何百年後、何千年後の成功を夢見て生きている人もいるのです。それが狂気であるか、それとも正気であるかは、時代が証明するのみです。
『神秘の法』(幸福の科学出版 P325~329)

 

逆境の中の希望

逆境の中の希望 / 幸福の科学出版公式サイト (irhpress.co.jp)

魂の救済に関して、幸福の科学は、宗派を問わず、すべての人々を救済することを目指しています。
実際、インドに巡錫したときには、ジャイナ教徒やヒンズー教徒、仏教徒など、いろいろな人々が集まってきましたし、キリスト教国に巡錫したときにも、クリスチャンたちが集まってきて、真理にきちんと耳を傾けてくれました。

宗派など関係がないのです。

そういうものは、この世の人間がつくった一種の組織の違いにしかすぎず、言ってみれば、会社の違いのようなものなのです。つまり、「どの会社が正しくて、どの会社が間違っている」というようなものではないのです。

宗派の違いは、あくまでも地上の人間の住み分けの問題にすぎないため、幸福の科学は、すべての人々を救済の対象にしています。

したがって、今まで信仰していた宗教等で救われない人がいたら、亡くなったあとからでも構わないので、どうぞ、幸福の科学に救いを求めてください。

そして、大川隆法の名を呼んでください。あるいは、エル・カンターレの名を呼んでくださっても結構です。それが、現代においては阿弥陀如来の代わりになるものです。

その名を呼んでいただければ、救済の光は必ず降りてくるはずです。
『逆境の中の希望』(幸福の科学出版 P94~96)

ARI Production株式会社

本年5月14日(金)より全国劇場上映映画『美しき誘惑』     https://utsukushiki-yuwaku.jp/#videos

エンタメール】高知あたご劇場(高知市愛宕町) 

 高知あたご劇場 ★ 公式ページ ★ (neconote.jp)

・映画『美しき誘惑ー現代の画皮―』あたご劇場映画上映期間

〇5/14(金)~6/11(金)

・上映時間

〇5/14(金)~ 5/28(金) 4回上映

①11時 ②13時20分 ③15時40分 ④18時30分

〇5/29(土)~ 6/11(金) 2回上映 

①14時 ②18時30分 


仏教では、「自己卑下」も、「慢心」なんですって⁉(更新)

2021-04-10 23:39:34 | ばくちゃんの独り言

 自転車をこぐ人  

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

毎度毎度、大した悟りもないくせに、皆さまのご愛顧と、温かいはげましのおかげをもちまして、今日も記事をお届けでき、感謝の思いで一杯でございます。

私はこうして布教ブログの編集長をしてはおりますが、実は宗教のことには苦手意識があります。(笑)

たとえば、歴史や地理や、自動車を始めとする産業関係など、宗教や政治の周辺記事なら何本も書けるのに、「愛について書け。」と言われたら、1本書くのに、もだえ苦しみます。(爆笑)

ここに、私の悟りの限界があります。

そう私は、特に「愛」は苦手なんです。

看護師の仕事をしているのに、職業訓練が身についていなくて申し訳ないのですが、家庭や職業を通して、「愛とは何か」を学んでいるのだと思っております。 

で、苦手な愛は、また今度書くとして(笑)、仏教では慢心を戒めますが、この慢心について、これまた私の偏狭な、偏りきった私見を述べさせていただきたいと思います。 

仏教には、有名な『増上慢・ぞうじょうまん』という言葉があります。

そしてお釈迦様は、同時に、自己卑下にも名前を付けていらっやるようです。
それを仏教用語で、『卑下慢・ひげまん』というそうです。

謙虚さをなくし、驕り高ぶって人を見下す慢心が『増上慢』です。
そして、一見謙虚で謙(へりくだ)ったイメージの自己卑下が、卑下慢なんですね。
悟りたるお方からは、両者は同じに見えるのでしょうね。

Nara 

自己卑下も慢心???
まあ、増上慢も卑下慢も、『向上する意欲がない』そして、『学ぶ姿勢なし』という意識においては同じなのだろうと、推測いたします。

増上慢も卑下慢も、人間関係の中での現象であることに間違いはありません。
たった一人で慢心したり、自己卑下に陥ることは、余程の妄想体質でなければ(笑)、不可能だろうと私は思います。

そして増上慢と卑下慢、そのどちらも共通するキーワードは、『私だけは特別』ということではないでしょうか。 

「自分は他の人とは違って、特別に優れているから、傲慢になってよい。」とか、逆に、「自分は他の人とは違って、まったく無能であるから、そんな大それたことはできない。」など、そういう思いが「増上慢」や「卑下慢」など、「慢心」の原因ではないでしょうか?
 
この二つとも、「私は別格」「私は他の人と比べて」という点では、同じだと思うのです。

卑下慢の事例で言えば、「いやいや、私なんか、滅相もございません。」という語り口で、そう、PTA役員を辞退する時の口調ですね。(笑)
 
「私は周りの方々より、ずっと劣った人間です。」「優れた方々を差し置いて、そんな大それたことはできません。」みたいな感じでしょうか。
ちなみに、私は慢心傾向があるので、今は想像で書いています。(爆笑)

J465

確かに、増上慢・卑下慢に陥るには、それなりの背景や、過去の経歴があったと思うんです。

自分が他の人より優れていたこと。そしてその逆で、自分は他の人より劣っていたことなどです。
それは事実かも知れません。

ですが、しかしそれにはある言葉を、前振りとして付け加える必要があると僕は思います。
それは、「特定のある分野においては。」という言葉が抜かっていると思うんです。

増上慢・卑下慢に陥いるだけの経験をなさっていたとしても、それは全人類を対象としたものではないはずですし、歴史的検証をした訳でもないはずです。

もし検証済みであったなら、増上慢にも卑下慢にもなれないはずなんです。

たとえば、登板すれば全て勝利する、絶対的な野球のエースピッチャーであっても、その方は食べ物一つ作れません。
また、石油一滴、輸入できません。
怪我をしたって、自分で治せません。
かっこいい自動車に乗っていても、それはその方が作ったわけでも、その方が、外国から仕入れた訳でもないんです。

またたとえば、たとえ一時期、他人との比較で自己卑下に陥っていたとしても、それは、「今現在のその環境下において。」という前提があると思います。
 
外の組織においてはどうなのか。
世界規模で見た時どうなのか。
後々評価されるものではないのか。
そういったことは、全く未知数であるはずです。

少なくとも、増上慢も卑下慢も、この世の特定の、狭い範囲においての人間関係の中における比較でしかないので、その比較に追われている限り、人は決して悟れないはずです。

なぜなら、人間は一人では生きては行けないからです。
少なくとも、この世においては。

その事実すら、その方の考察には、入ってすらいないということなんです。

そこではなはだ僭越(せんえつ)ではありますが、『増上慢と卑下慢の中道』という考えが、あり得るのではないか。

そう、提案させていただきたく存じます。

つまり、増上慢と、卑下慢の否定であり、中道です。

「自分より優れた方がいたら、素直に学んで行こう。」と思うこと。
そして、「自分が人より優れているところがあったなら、その才能で、神仏や人さまのお役にたって行こう。」と思うことですね。

増上慢と卑下慢の中道であったなら、以前なら慢心していたシーンでは、むしろ身を引き締めにかかり、更なる努力を自らに課しているはずです。

そして、以前なら自己卑下に陥っていたシーンでは、優れた素晴らしい方々に、囲まれて生きていく幸福を味わっているはずです。

どちらも幸福であるはずです。
そしてそれは同時に、狭い人間関係の枠組みから、ある意味での自由になり、とても平和的な心境に、なれるんじゃないかと私は思うのです。
 
本日は、経典『仏陀再誕』(幸福の科学出版)より、釈尊が現代人に語った、中道に関する説法をご紹介いたします。
 
           (ばく)
 
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映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』予告編【2021年5月14日(金)ロードショー】

仏陀再誕

仏陀再誕 / 幸福の科学出版公式サイト (irhpress.co.jp)

私は、あなたがたに、よくよく言っておきたいと思う。
人は、ともすれば成功とともに階段を上ってゆくが、
その時に、同時に自分は失敗への階段を下りているということも、
忘れてはならない。

成功への道と、失敗への道は、
その傾斜が急であればあるほど、
また明らかに、くっきりと、
表裏一体のごとく現われてくるものであるのだ。

成功することのない人は、失敗をすることも少ないであろう。
しかし、多く成功する者は、多く失敗することもあるであろう。

人生は、このように、
常に、右と左、上と下とが、
あざなえる縄のごとく、現われてくるのだ。(中略)

しかし、私はその時にあなたがたに言っておきたい。
自らの心に誠実になり、常に中道を旨とせよと。(中略)

人生の王道がここにあるということを知りなさい。
すなわち、成功の時には、得意の時には、また上げ潮時には、
常に、自らを戒め、謙虚に生きるように心がけなさい。

謙虚であると同時に、
他の人びとや仏に対する感謝を忘れてはならない。

成功の時に、順調の時に、謙虚さと感謝を忘れない人間であるならば、
さらに、その成功は大きく続いてゆくであろう。

その成功がいくら大きくなったところで、
それを中道から外れたとは言わないのだ。

中道から外れない成功とは、
謙虚さと感謝をともなうものなのだ。
謙虚さと感謝をともなう成功は、
これは常に中道のなかにある。

それは、すべてのものを生かしてゆく道であるからだ。

自らが成功することが、
他の者の失敗を呼びこむようであってはならない。

自らの成功が、他の者を傷つけることであってはならない。
自らの成功が、他の者を不幸にすることであってはならない。
成功への道は、万人を生かす道でなくてはならない。
『仏陀再誕』(幸福の科学出版)P63~67

言葉を磨いて、幸福になる。

 

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/


無神論の本質と『死んでから困らない生き方』

2021-04-07 23:13:31 | ばくちゃんの独り言


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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

私は、信仰者でございます。
でも無神論者も、「神様なんていない。」という教義を持つ、堂々とした信仰だと思っています。
私は、共産主義(無神論)を唱えた、カール・マルクスの資本論も、「神は死んだ。」と言った、ニーチェの著作も読んではおりません。
ただ彼らは、「自身の論説の中心である無神論を、”確認”したわけではない。」という真実は理解できます。

なぜなら、神がいらっしゃらないということを、確認する術はないからです。
同様に、「あの世なんてなかったよ。」と、あの世に行って(笑)確認した人もいないのです。
でもまぁ、彼らとて悪気があってそんなことを唱えたかどうか。
恐らく、そうではないだろうと推測いたします。

彼らは彼らなりに、人々に幸福をもたらそうとはしていたとは思います。
共産主義の創始者カール・マルクスは、ユダヤ人です。


共産主義のユートピア思想も、労働者が指導するという彼なりの理想社会も、旧約聖書から来ているのですね。
つまり、体系化された無神論である共産主義というのは、『ユダヤ教マルクス派』というのが、一番しっくり来る分類ではないかと思いますね。

つまり、「カール・マルクスは、ユダヤの神を、信じることができなかった。」ということではないかと思います。

映画『夜明けを信じて。』予告編 - YouTube

映画『夜明けを信じて』より https://yoake-shinjite.jp/

人はみな、死というものを怖れます。
童謡で、♪♪ オバケなんてないさ、オバケなんて嘘さ ♪♪  っていう歌が、あるじゃないですか。

ああいうノリが、無神論や唯物論にはあると思うのですよね。

ユダヤ教の経典、旧約聖書には、キャラクターの違う神さまが出てきますが、有名なのはヤハゥエという神さまです。

このユダヤの神さまは、裁きの神ですし、妬む神で「我が名を唱えてもいけない。」と書かれています。

この神さま、羊飼いのような存在で、人を生かしているのか、家畜(食料)と見て、峻別しているのか、さっぱりわからん存在ですよね。

そういう宗教思想のもとでは、死後にどんなイチャモンを、神からつけられるか、全くわからんですよね。

ただでさえ、死は怖ろしく、忌むべきものであるし、誰もが逃れられない、必ず通らなければならない現実なのに、それを仕切っている”神”なる存在が、羊飼いのような神であり、妬み、裁き、罰を与える、ドSキャラの神であるならば、人は結局のところ、救われないのですよ。

そんな神、信じられるか!
そんなの、あってたまるか!
だから、神などいない!
死後の世界もないから、何も怖れるものなどない!

マルクス的に言うと、こういう感じではなかったかと、私は推測しますね。
こういう流れが、共産主義や無神論には流れているんじゃないかなと、私は思っているのです。

まぁかなり、善意の眼で見てはいるのですが、逆の意味で、マルクスは「神は愛である」ということを、本質的には感じ取っていたかも知れませんね。

結局、死を怖れる人間の本能からの逃避と、旧約聖書に記載されているような、超ドSな神観からの脱却が、無神論の本質ではないでしょうかね?

奇跡との出会い。-心に寄り添う。3- - シネマトゥデイ

映画『心に寄り添う 3 奇跡との出会い』より https://aripro.co.jp/products/kiseki/


これは私の素朴な疑問ですけど、旧約聖書の神は、「妬む神」ですけど、この神様は、誰に妬んで、そして、どうして妬んでいるんでしょうね?

自分より格下の存在に、妬む必要はありませんよね。
自分より、評価の低い存在に、妬む必要もありません。

この「妬む神」という表記には、このユダヤ神よりも上の存在、つまり「この神が、妬まざるを得ない存在が、実在する。」という意味が、知ってか知らずか、込められているはずなんですね。

つまり、「旧約の神というのは、唯一の神でもなければ、トップの神でもない。」ということです。

ですから、現代の無神論者を辿って行けば、カール・マルクスという教祖が唱えた、立派な宗教なんですけど、生前のカール・マルクスの、見抜けなかった聖書知識があるわけです。

当時からすれば学問も科学が進み、技術が進歩し、新たな評価する母数が変わってきています。

ですから今一度その、無神論の教義自体を、見直さなければならない時期が、来ていると私は思うんですね。

それこそが、科学的思想を自負する、彼らの心情に沿うのではないかと、私は考える次第です。

つまり、「無神論者が本能的に忌み嫌っている神なる存在が、実はもう、実像が違ってきているんじゃないでしょうか?」ということです。

さあ、神様を信じられない方、そして死後の世界とか、霊の存在とかを信じられない方。

今こそ、ほんのちょっとの勇気を出して、神の世界とか、死後の世界などに、目を開いてみてはいかがでしょうか。

新たな、否、真実の、そして海外の方も未来の方も納得のいく「これぞ地球神のお考え」という神観が、幸福の科学にはあります。

ということで本日は、経典『死んでから困らない生き方』(大川隆法著 幸福の科学出版)の一節のご紹介ですが、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、死後の世界のことについて語ったのに、「なぜだか全世界が調和してしまう話をしてしまうところが、仏陀であり救世主じゃ!」と思ってしまう一節です。

              (ばく)

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「あの世の真実について」書籍『悟りに到る道』より

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当会の世界観で他の宗教と異なっているのは、霊的な存在について、段階の違いがありながら、同時に、多様な存在があることを認めているところです。

このことは「神」にも当てはまるのです。

ところが、世界の各宗教を見ると、今、主流というか、メジャーであるのは、一神教といわれるものです。

これは、「神は一人であり、それ以外の神は偽物である」という考え方です。

キリスト教やイスラム教は一神教ですし、ユダヤ教もそうです。

こうした一神教が、たまたま、今、先進国に広がっているため、「宗教としては一神教のほうが進んでいる」と考えられています。

そして、「多神教的な宗教を持っているところ、例えば、インドのように神がたくさんいるところは遅れている。

また、『古事記』『日本書紀』等を読むと、日本にも神は大勢いるが、そういう八百万の神々がいるようなところは遅れている」と見るわけです。

このように、「一神教がすごく進んでいる」と捉えがちです。

しかし、当会の霊界観は、そういうものではありません。

やはり、「神」と呼んでもいいような、霊格の高い高級存在がいます。

それを、「神」ではなく、「天使」や「大天使」と呼ぶこともあれば、「菩薩」や「如来」と呼ぶこともありますが、いずれにせよ、霊界には、地上の人間から見ると、遙かに神に近い高級存在として、いろいろな種類の霊人が現実に大勢いるのです。

「われらの神こそ本物だ」と言う宗教は、あちこちにあるのですが、数多くいる天使、あるいは如来や菩薩たちのうちの誰かが、その宗教の教祖を指導していて、「われが神だ」と言っている場合、教祖のほうは、「その人しか神はいない」と思ってしまいます。

それで一神教になっているのです。

そのため、小さな新宗教にも一神教はたくさんあります。だいたい、それが普通のスタイルです。

したがって、「一つの宗教だけが正しく、ほかの宗教は、全部、間違っている」というわけではありません。宗教の違いの多くは、「誰が指導しているか」ということの違いにすぎないのです。

宗教が一神教になりがちなのは、そうしないと、教義や教団の行動方針が混乱しやすいからです。

複数の霊人たちが、それぞれ違うことを言うと、話の内容が、あっちに行ったり、こっちに来たりして、今風に言うと、ブレやすいのです。
 宗教では、よく、「神同士が喧嘩をする」という言い方をするのですが、そうならないようにするため、神を一人に絞ることが多いわけです。

それが一神教の発生原因です。

宗教は、たとえ今は大きくなっていたとしても、発生当時を見ると、ほんとうに小さなものです。(中略)

それが、何千年かたつうちに大きくなり、各地に広がって、世界的な宗教になったときには、その小さなところに降りた神が、世界的な神のように言われ、他の神を排除するような状態になるわけです。

それが、宗教的な紛争などの原因にもなっているのです。
『死んでから困らない生き方』(大川隆法著 幸福の科学出版)P112~118

 

大川隆法総裁 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

ARI Production株式会社

本年5月14日(金)より全国劇場上映映画『美しき誘惑』     https://utsukushiki-yuwaku.jp/#videos

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』本編映像一部公開! 【2021年5月14日(金)ロードショー】


神さまの自由と、富への祝福と、『与える愛』

2021-04-03 00:09:49 | ばくちゃんの独り言

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて、当ブログ代表管理人私(ばく)は、神は自由であると思っています。

宇宙を創り、人間を含めたすべての生命体を創ったと言われる神。

その創造の力、そして神秘と智恵と、全てを進化発展しつつも、発展と調和の美を、私は神から感じざるを得ないのです。

なぜ我々は、神を認識できないのでしょうか?

それは、我々人間が、神の中で生きているからではないでしょうか?

もしも私たちが、私たち自身や、私たちが暮らす世界を、外から見ることが可能ならば、そのことは、ひょっとすれば、一目瞭然なのかも知れません。

しかし、その中でどっぷりと生きているならば、それはもはや当たり前であり、認識できる保障はどこにもありません。

たとえば、人間の肉体の細胞にとっては、細胞の周囲のできごとが全てです。

ひとつの細胞に、親元である人間が、どのように生き、どのような苦労や心配事を持っているかなどは、想像することすらできないでありましょう。

よく無神論者の方が言う言葉に、「神がいると言うならば、神がいる証拠を示せ。」というものがあります。

私は、そういう方にはまず、「神がいないことを示す、決定的な証拠を出してください。」と言いたい。

「それがかないのなら、お互い信仰論ですから、その前提で議論を始めましょう。」と私は言いたいのです。

それこそが、科学的な真理の、実証の精神ではないでしょうか?

神は自由です。

私は、そう信じます。

宇宙を創り、生命体を創り、生命体が進化発展する法則を創った神ならば、おそらくこの地上や、地上に生きる人間の心などその御心次第で、いかようにもなることでありましょう。

しかし神は、君臨しようとは、思っていないのではないでしょうか?

それは神が、自由の庇護者だからだと思うのです。

神は、自由をこよなく愛していらっしゃるからこそ、自らの子である人間にも、自由であって欲しいと思っていらっしゃるのではないでしょうか?

「神の子人間が、自らの自由意志でもって、親である神に近づいてきて欲しい。」「それでこそ、真の自由を、体得したのである。」

そう思っていらっしゃるのではないでしょうか?

であるからこそ、仏教修行の目的のひとつが、解脱(自由)であると思うのです。

 

その解脱(自由)は、即、涅槃(平和)をもたらすものという教えとともに、仏陀はその本質をお説きになったのではないでしょうか。

一方、悪魔は君臨しようとします。

なぜならば、君臨こそが、彼らの身の安全を保障するからです。

悪魔は創造をせず、いつも、神のおっしゃる創造の事業に、反対をしているだけです。

何の対案もなく、違った国家観の提示もなく、ただただ「反対。」と言っているだけの、野党のようなものと言えば語弊があるでしょうか。

「ここは、こっちの方が良い。」とか、「将来の日本は、こうあるべきだ。」とか言ってくれるならまだしも、ただ政府の論を待ち、後出しジャンケンのように、それに反対だけを言い、その反対意見を理論武装したり、民衆を恐怖で扇いだりするだけなら、野党など要りません。

それは批判とは言えず、揚げ足取りにしか過ぎません。

そしてその実情は、北朝鮮や中華人民共和国の政治のようなものです。

自らより強い者が出れば、一発で亡き者にされてしまう社会に生きているのです。

「まこと哀れな。」としか表現できません。

神の世界では、もちろん切磋琢磨というものはありますが、自分より優れた方が出ることを喜びます。

なぜならば、それは全体の富の増加をもたらすからであり、永遠の生命の元では、富の総量の増加は、いつか必ず、自分自身への富の還元が期待できるからです。

 

自分の息子と猫たちの心が通う瞬間をとらえた幻想的な作品集を女流写真家が発表 : 〓 ねこメモ 〓 | Kittens, Heartwarming  photos, Cats

 

神の子は、本来自由です。

神は自由だからです。

その自由は、天上界においては100%の自由です。

その100%の自由が、幸福をもたらす社会こそが天国なのです。

人間は神の子ですから、そういう社会を創造する力があるのです。

その原理は、「他の方の自由を侵害しない」ということと、他の方が発揮した自由性に基づいた富を、心から祝福し合う精神が根底にあればできると信じます。

本日は、幸福の科学の基本経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、基本教義「愛を与えることで、人は幸福になれる」ということについて、大川隆法幸福の科学グループ総裁の言葉をご紹介いたします。

           (ばく)

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“コレ”で閉塞感を打ち破れ! 天使のモーニングコール (2021/3/27,28)

 

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愛の本質とは、やはり与えることなのです。

愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。

神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。

愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。

愛に苦しむ人々よ、よく開きなさい。

なぜあなたがたは、苦しむのですか。なぜ愛において苦しむのですか。愛を与えることによって苦しむのですか。

みかえりを求めてはいけません。みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。

ほんとうの愛とは、与える愛です。

与える愛とは、すなわち、無償の愛です。

あなたが与える愛は、本来、あなたのものではないのです。あなたの愛は、神から与えられた愛なのです。

その愛を神にかえしてゆくために、私たちは、ほかの人々を愛すべきなのです。

苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。

いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないと思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの苦悩におちいってゆくのです。

愛のみかえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです。

神からくるみかえりとは、なんでしょう。

それは、すなわち、愛を与えれば与えるほどに、あなた自身が神近き人間となってゆくということです。それが、神のみかえりなのです。

 神の本質を見てごらんなさい。

神は、燦々(さんさん)とふりそそぐ太陽の光のごとく、無所得のままに、無限の愛と慈悲を万物に与えているのではありませんか。

あなたたち、ひとりひとりの生命でさえも、神に対して、一文の支払いをすることなく与えられたエネルギーではありませんか。

さすればまず、与えることからはじめてごらんなさい。

与えるとは、どうすればひとりでも多くの人々がしあわせに生きられるかを考えながら、日々生きるということです。

与えるとは、ひとりでも多くの迷える人々の心に、愛の光を投げかけてゆくということです。また、ひとりでも多くの人々を、困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせるかということです。(中略)

愛に敵はありません。愛は無敵です。

なぜならば、ほんとうの愛とは、与える愛であり、無償の愛であり、あらがうことを許さない無限の力だからです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P148~152

ARI Production株式会社

本年5月14日(金)より全国劇場上映映画『美しき誘惑』     https://utsukushiki-yuwaku.jp/#videos


無神論は、『神はいないという信仰』で、唯物論は、『あの世はないという信仰』です。

2021-03-25 23:48:18 | ばくちゃんの独り言

大川隆法幸福の科学グループ総裁 https://happy-science.jp/

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

私には、常々思っていることがあります。

それは、「無神論・唯物論は信仰である」というものです。
つまり、「無神論は、神はいないという信仰」であり、「唯物論は、あの世はないという信仰」ということです。

なぜならば、「神がいない」ということも、「あの世などない」ということも、共に証明できないからです。

また、真実というものは、それがあることで、他の事柄が見えてくるという特徴があります。
この世は重々無尽であり、真実と真実とが密接につながって出来上がっているからです。
ですから、一つの真実は、他の真実を必ず導き出します。

ですから科学や医学界などで、一つ新発見があると、その後芋づる式に、それに関連した、新たな事実が発表されたりします。

また、真実でないものは、たとえその時点では、それ単独ではホントのことのように見えたとしても、他の真実とつながってはおりませんので、必ずどこかで行き詰まります。

ですから、ダーウィンの進化論などは、近い将来、否定されると思っています。

話を戻し、さらにもう一つ踏み込むとするならば、「人間は必ず、何かを信じているもの」だとも、私は言い切って良いと思うのです。

「私は何も信じない。」「私は何も信じられない。」「信じられるものなどない。」こう仰る方もいらっしゃると思いますけれども、それはその人が、ただただそう信じているだけです。

自らの人生経験を通して、そういう人生哲学の結論に、その方が、今現在達しているのは事実でありましょう。
しかし、それが人類全体の基本ベースになる、スタンダードな思想形態である保証は、どこにもありません。

それが現実です。



そう、無神論・唯物論然り、何も信じられないという人然り、人というものは、まるで心に埋め込まれたかのように、何かを信じていないといられない生き物だということです。

そうなんです。
人とは、必ず何かを信じている生き物なのです。

私はこれこそ、人間が本質的に持つ、『信仰の本能』の一面なのではないかと推測いたします。
幸福の科学では、「人間には信仰の本能がある。」とお教えいただいておりますが、それはこの、「人は必ず、何かを信じている」という事実に、起因しているの教えではないでしょうか。

では信仰の本能がある人間は、最終的に一体、何を信じれば良いのでしょうか?

最も簡単な方法は、「誰もが幸福になる思想を信じれば良い。」そして、「できるだけ多くの人が、できるだけ多く、できるだけ長く、幸福になる思想を信じれば良い。」という結論になるのは、当然ではないでしょうか。

それが合目的、最も単純で、誰もが喜び、自分も他人も、今生きている人も、未来に生まれる人も、近くにいる人々も、遠くで暮らす人々も、きっと幸福であると私は思うのです。



「そんな思想が、果たして存在するのか?」
そう言う人がいるかも知れませんね。

それが、存在するのです!!
そうそれが、『幸福の科学』(Happy ScIence)なのです。

幸福の科学の教えは、人生の目的と使命を明らかにし、人間が神に創られた存在であることを証明しつつ、無神論・唯物論を論理的に批判し、世界の宗教を緩やかな統合へと向かわせるものです。
 
幸福の科学は、未来社会の常識であり、未来への希望なのです。
 
本日は経典『希望の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。
 
それでは、またのお越しを。
 
             (ばく)
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あなたは知ってる?正しい先祖供養

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=134

太陽のエネルギーは、すごいものです。しかし、そうであっても、帽子一つで、あるいは段ボール紙一枚で、その光を遮ることができるでしょう。

太陽の光そのものは決して弱いエネルギーではありません。ものすごいエネルギーです。宇宙のあらゆる所に届き、明るい昼をつくり、動植物を育んでいるエネルギーです。それは大変な力です。ところが、帽子や段ボール紙という簡単なものでも、太陽の光を遮り、陰をつくることができるのです。

あなたがたがいま体験している苦難や困難、人生の邪魔物は、帽子や段ボール紙、厚紙のようなものなのです。そのようなものでも日陰をつくることはできます。それが、いま、あなたがたが置かれている苦しみの状態であり、あなたがたがつくっている地獄なのです。

しかし、それは、本来、太陽の光のエネルギーに対抗できるようなものではなく、まったく取るに足りないものです。一時期、光を遮っているように見えるだけのものであり、本来のものではないのです。

あなたがたは、光を遮っているものが何であるかを、努力して見極めなければなりません。
それは、実にたわいのない、簡単なものです。あなたが右手一本を動かせば取り除くことができる、筒単な障害物なのです。それが、あの太陽に対抗するほどの巨大な敵であるかのように見えているのです。愚かなことです。

その障害物は、たいていの場合、自分自身の心のなかにできています。光を遮るものは自分自身がつくっているのです。
それは、あなた自身の力で取り除くことができるものです。それほど難しいものではありません。

それほど巨大な闇でも障害物でも困難でもないのです。
まず、そうしようと欲することです。意欲することです。

光の使命を果たそうとすることです。そう思ったときに第一歩が始まります。
『希望の法』(幸福の科学出版)P300~302

ヘルメスエンジェルスの世界」のブログ記事一覧-幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学出版公式サイト (irhpress.co.jp)

 

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/


すべては、世界への愛のために。そして『釈迦の本心』

2021-03-10 23:30:46 | ばくちゃんの独り言

ビッグローブ光の料金は高い?評判・速度・キャッシュバックを徹底比較した結論 | iPhone格安SIM通信

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて私はいつも、「神とは何か」そして、「心とは何か」を、内なる観察によって、知り得たいと思っています。

それが結局のところ、神の創られたこの世界、そして人間を知る、最も近道なのではないかと、常々思っている者でございます。

なぜならば、神はどこか天空のどこかにいらっしゃるのではなく、我々の心の中にいらっしゃるからです。

神と人とは、心と心でつながっているのです。 

大宇宙を統べる神は、また一人一人の心に中という、極小の宇宙も、同時に統べていらっしゃるのです。

だから人は、神の子だと思うのです。

一人一人の心の中に、神がいらっしゃるからです。

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人にはそれぞれ、長所があり短所があります。
そして、得意と不得意がございます。

そしてそれぞれ、興味関心領域に、そうとうな違いがあります。

それらを一様に見、そして、共に暮らす経験をすることができるのが、3次元現象界(この世)の大きな特徴ではあります。

それらの意味は、お互いの当たり前を知り、お互いの特徴を知り、お互いの得意と不得意を知ることで、「そこに刻まれた、神の願いを知る」ことだと、私は思うのです。

突出した個性、突出した発想、突出した得意不得意には、実はその部分には、「大いなる創造主としての神の願い」が隠されていると、私は考えるのです。

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ですから私は、人生を通して、観察力によって神を証明し、無明、闇を斬り裂き、光満てる世界に変えたいと願っていますし、そしてもっと、私を含め、多くの方々の心に込められた光を強めたいと願っております。

それが、我らの魂に課せられた、使命であると信ずるからです。
今世、仏陀救世主と、光満てる法友の皆様との出会いに、心より感謝いたします。

本日は経典『釈迦の本心』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

私の心を変えた一冊です。

       (ばく)

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天使の幸福-Crystal Version 音楽:水澤有一

 

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第一の方法は、修行を重ねつつ智慧を得、ある場合は、心の窓を開いて霊的現象を実体験しながら、認識力を拡大していくという道です。プロの修行者、プロの宗教家の道と言ってよいでしょう。(中略)

第二の方法は、在家の修行です。

これは、「この世に立脚点を持ち、三次元的な生活を送りながらも、心は仏法真理の世界に遊び、自分の余暇のすべてをつぎ込んで、自分なりに仏法真理の探究・学習・伝道に励む」という考え方であり、仏法真理の流布のためには、非常に大切な考え方だと思います。

多くの人たちは、プロの宗教家になるところまではいきません。そのため、在家の修行というものも大事です。

もちろん、在家の修行は出家の修行とは異なりますが、ある意味では、出家の修行よりも難しいところがあるのです。

なぜなら、在家においては、仏法真理とかけ離れた日常生活が展開するからです。

プロの修行者たちが修行に専念できるのに比べると、在家の修行者にはハンディがあると言わざるをえません。それは、砂地の上を走る状態、あるいは鉄の下駄をはいて走る状態と同じだと言えるでしょう。

しかし、仏法真理とかけ離れた難しい世界のなかで、心を常に仏法真理に向け、修行者として生きていくのは、それだけの力がつくことでもあり、ある意味では非常に有利な立場にあるとも言えます。それだけ魂を磨く機会が与えられているということです。

第三の方法は、悟りというものを多様なかたちに変化させながら、世の中に浸透させていくことです。

第二の方法としてあげた在家の修行は、「職業は職業、仏道修行は仏道修行」と二分化して考えているのに対して、この第三の道は、悟りを宗教の世界から一般の世界に解き放つことを意味しています。

すなわち、悟りそのものを求めるだけではなく、みずからが得た悟りを他のかたちに変形させながら、世の中に広げていくという手法をとるのです。

みずからが学んだ仏法真理を、芸術や文学、思想、あるいは、ビジネス社会や家庭などの現実問題に応用して、多角展開していくということです。

これは悟りの本道とは異なりますが、みずからの分を知った人間が、その範囲のなかで、みずからの悟りを実践していこうという生き方です。

プロの修行者の道ではありませんが、多角展開としての、悟りの応用という道もあるのです。

現実生活のなかに仏法真理を生かしていく実践を中心として、その経験を悟りとして身につけていくやり方です。
『釈迦の本心』(幸福の科学出版)P228~232

大川隆法総裁 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

 

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/


大川隆法総裁曰く「現代的知識人の宗教観の素朴さに驚いた。」

2021-02-09 00:00:29 | ばくちゃんの独り言

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

さて、私は神様を信じています。

私は、「宇宙や、地球などの星々や、そこに暮らす生命をお創りになった、創造主としての神が絶対にいる」と確信しております。

ちなみに、このブログは、幸福の科学の信者さん向けだけにあるのではありません。

世界中の「神様、仏様を信じる方々の、勇気の源泉になれば。」と思って、日々更新を目指ししております。 

また、現時点では神様を信じていらっしゃらない方々が、「神様って、本当にいるのかなぁ。」と思っていただければ幸いです。 

ではなぜ人は、神を認識し得ないのでしょうか?

それは「私たちの生命は、神様の中で生きているからだ」と、私は思うのです。

すべてが、神様の神秘の中で生きているがゆえに、かえって神様のことがわからないのではないでしょうか。

空気だって、健康を害して息をするのが辛かったり、水に溺れて息が苦しくなれば、「空気があるのはありがたいことだ。」と思えます。

しかし健康体で、ちゃんと空気のあるところでは、眼に見えない空気のことを、認識することは余りないと思いますが、現実的には、空気なしでは、人は生きていくことなどできないです。

神さまや仏さまというご存在も、同じなのではないでしょうか?

さて「神様が存在する」というのが本当であるならば、どうしても、無神論・唯物論は間違いになります。

何度も拙ブログ記事で書いておりますけれども、これら無神論・唯物論を標榜している方々の、宗教への一般的な見解というものは、実は他愛もない、ただのイメージにしか過ぎません。

無神論的価値の方の語る批判というのは、実は何の根拠もないのです。
なぜそう言えるのか?

それは私自身が、かつてはそうであったからです。(爆笑)

しかし、事実はそうではありません。
本物の信仰者というのは、実に本質を見抜く見識を持ちえているのです。
特に、無神論・唯物論全盛で、宗教教育をしていない、現代日本においては。

日本の一般的な、科学的知識を持つ人々は、僕たちが住む、この宇宙をどう見ているのでしょうか。
答えは、『ただの偶然の産物』としてしか、彼らは認識できていないのです。

とても悲しく、淋しい宇宙観であると、私は思います。
いや、とても悲しい信仰をお持ちだと思います。

それは、「偶然という神」を信じていると思うからです。

宇宙の始まりがビッグバンであることは、多くの人々が知り得ています。
しかし、ビッグバン以前は何だったのでしょうか。
そうです、「無」ですよね。

では一体、「無」とは何なのでしょうか?
「無」の前には、一体何があったのでしょうか?
なぜ、「無」から大宇宙という、「存在」が生まれたのでしょうか?
そもそも、「宇宙」とは、何なのでしょうか?

「宇宙」は、何ゆえに存在しているのでしょうか?

これらの問いかけに、多くの科学者は、また、自らを科学的人間であると証する人々は、絶対に答えることはできないのです。

なぜなら、これらは全て「神の領域」だからです。

そもそも、現代人が誰でも知り得るビッグバン説は、明らかに、聖書の創世記が元になっております。
これを、「クリスチャンサイエンス」と言います。
聖書になじみの薄い日本人は、このことを知らない方は多いと思われます。



話は変わりますが、私たちが生きる地球は、太陽の周りを回っております。
1年に一周という、規則性を持って。
そして太陽も、銀河系を、約2億年かけて一周しております。

銀河系は、アンドロメダ銀河や、大小マゼラン銀河など、近くの銀河と、「銀河団」を形成しております。

更に銀河団は、近くの銀河団たちと「銀河群」を形成し、銀河群は、他の銀河群と結びつき、ひも状に連なっております。

その宇宙ひもは、宇宙が急速に広がり過ぎないように、拡大しようとする宇宙を、内側から引力で引っ張っています。

そうやって、星々は自らの存在(重力)で、宇宙全体のバランスを取っているのですね。
これが、ニュートン力学の基本原理です。

無から生まれ、ただ拡大するにとどまらず、このように、見事な調和の中にある宇宙。

それが果たして、偶然の産物と言えるのでしょうか?
そう思える人の方が、私にはよっぽど、ある意味で信心深いと思えます。
これは、「偶然という神への、篤き信奉」です。

偶然に起こりうるのは、絶対に不可能です。
少なくとも、私には信じられません。

この不可能を可能に変え、我ら生命たちを生かさんとする、大いなる宇宙の導きの意思こそ、「神」ではないでしょうか。

それでも、神など信じられないという方は、少なくとも、この記事以上の見解を、何らかの形で示していただきたいと私は思うのです。

本日は経典『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)より、多様なる宗教観を大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った、ある意味で、とても過激な一節(笑)をご紹介いたします。

それでは、またのお越しを。

           (ばく)

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大川咲也加「女の悟り」MV Short ver.|映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』キャンペーン・ソング

 

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知識人と言われる人たちの宗教論は、そもそもが非常に素朴なものです。宗教が素朴なのではなく、むしろ彼らの考え方や発想のほうが素朴なのです。

宗教というと、すぐに大昔の原始時代の呪術信仰、アニミズムのようなものを考え、「そんなものはすでに歴史の彼方に去ったものであり、科学文明が発達した現代にはもはや通用しないのだ」という、恐るべき素朴で単純な信仰観を持っている方が数多いのです。

あるいはマルクス主義者でもないのに、「宗教はアへンだ」と一蹴してしまう方も少なくありません。

これに対して、私は率直な驚きを感じるのです。

そのレベルの議論、そのレベルの知的関心で満足できる人が世の中にいるということ自体が、大きな驚きです。

「それで片づくのですか? それで納得されるのですか? それでは、あなたは探究心がまったく無いのですね」、私ならそう言いたくなります。

確かに地方には、恐山(青森県)のイタコや沖縄のユタのように、「霊降ろし」をして話をするところもあります。(中略)

ただ、そうした土着信仰と、たとえばイエス・キリストのような大救世主の運動、あるいは知性的で哲学的な内容をも含んでいた釈迦の大衆啓蒙運動等を、まったく同一視することはできないはずです。

すなわち、宗教という言葉によって、すべてを十把ひとからげにするのは無理だということです。宗教には時代性、地域性がありますが、そのなかにはやはり発展の違いがあるのです。

ですから、知識人と言われる方の間違った宗教理解とは、たとえるならば、定款に「利益の追求」を掲げている株式会社に対して、「それが株式会社の本質であるから、会社というのは全部金儲けをするところなのだ。金儲けはいけないことなのだ。だから、会社はいけないところなのだ」と短絡的に考えるようなものです。

このような素朴な議論に極めて近い宗教論を立てているのではないでしょうか。

全社にもいろいろあります。業界にも違いがあります。

また、大会社、中規模会社、弱小会社まで大きさの違いがあります。日本国内の企業もあれば、国際的な企業もあります。社会に対して非常に役に立っている企業もあれば、公害企業もあります。このように、いろいろな違いがあります。

まったく同じことが宗教にも言えます。

宗教にも大・中・小があります。国内的な宗教もあれば、国際的な宗教もあります。本当に人びとを救っている宗教もあれば、害毒を流している宗教もあります。この違いというのは、会社に違いがあることとまったく同じ理屈なのです。

人間の活動は一定のように見えても、そのなかにはいろいろな違いがあります。

私どもがいま主張している新宗教の運動は、やはり「違いを知っていただきたい」という主張でもあるわけです。
「違いを知る」ということは、文明の始まりなのです。
『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)P19~22

 

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