幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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神さまの自由と、富への祝福と、『与える愛』

2018-04-18 00:16:08 | ばくちゃんの独り言

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当ブログ代表管理人私(ばく)は、神は自由であると思っています。

宇宙を創り、人間を含めたすべての生命体を創ったと言われる神。

その創造の力、そして神秘と智恵と、全てを進化発展しつつも、発展と調和の美を、私は神から感じざるを得ないのです。

なぜ我々は、神を認識できないか?

それは、我々人間が、神の中で生きているからではないでしょうか?

外から見ることが可能ならば、そのことは一目瞭然なのかも知れません。

しかし、その中でどっぷりと生きているならば、それはもはや当たり前であり、認識できる保障はどこにもありません。

たとえば、人間の肉体の細胞にとっては、細胞の周囲のできごとが全てです。

ひとつの細胞に、親元である人間が、どのように生き、どのような苦労や心配事を持っているかなどは、想像することすらできないでありましょう。

よく無神論者の方が言う言葉に、「神がいると言うならば、神がいる証拠を示せ。」というものがあります。

私は、そういう方にはまず、「神がいないことを示す、決定的な証拠を出してください。」と言いたい。

「それがかないのなら、お互い信仰論ですから、その前提で議論を始めましょう。」と私は言いたいのです。

それこそが、科学的な真理の、実証の精神ではないでしょうか?

神は自由です。

宇宙を創り、生命体を創り、生命体が進化発展する法則を創った神ならば、おそらくこの地上や、地上に生きる人間の心などその御心次第で、いかようにもなることでありましょう。

しかし神は、君臨しようとは、思っていないのではないでしょうか?

それは神が、自由の庇護者だからだと思うのです。

神は、自由をこよなく愛していらっしゃるからこそ、自らの子である人間にも、自由であって欲しいと思っていらっしゃるのではないでしょうか?

「神の子人間が、自らの自由意志でもって、親である神に近づいてきて欲しい。」「それでこそ、真の自由を、体得したのである。」

そう思っていらっしゃるのではないでしょうか?

であるからこそ、仏教修行の目的のひとつが、解脱(自由)であると思うのです。

 

その解脱(自由)は、即、涅槃(平和)をもたらすものという教えとともに、仏陀はその本質をお説きになったのではないでしょうか。

一方、悪魔は君臨しようとします。

なぜならば、君臨こそが、彼らの身の安全を保障するからです。

悪魔は創造をせず、いつも、神のおっしゃる創造の事業に、反対をしているだけです。

何の対案もなく、違った国家観の提示もなく、ただただ「反対。」と言っているだけの、野党のようなものと言えば語弊があるでしょうか。

「ここは、こっちの方が良い。」とか、「将来の日本は、こうあるべきだ。」とか言ってくれるならまだしも、ただ政府の論を待ち、後出しジャンケンのように、それに反対だけを言い、その反対意見を理論武装したり、民衆を恐怖で扇いだりするだけなら、野党など要りません。

それは批判とは言えず、揚げ足取りにしか過ぎません。

そしてその実情は、北朝鮮や中華人民共和国の政治のようなものです。

自らより強い者が出れば、一発で亡き者にされてしまう社会に生きているのです。

「まこと哀れな。」としか表現できません。

神の世界では、もちろん切磋琢磨というものはありますが、自分より優れた方が出ることを喜びます。

なぜならば、それは全体の富の増加をもたらすからであり、永遠の生命の元では、富の総量の増加は、いつか必ず、自分自身への富の還元が期待できるからです。

神の子は、本来自由です。

神は自由だからです。

その自由は、天上界においては100%の自由です。

その100%の自由が、幸福をもたらす社会こそが天国なのです。

人間は神の子ですから、そういう社会を創造する力があるのです。

その原理は、「他の方の自由を侵害しない」ということと、他の方が発揮した自由性に基づいた富を、心から祝福し合う精神が根底にあればできると信じます。

本日は、幸福の科学の基本経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、基本教義「愛を与えることで、人は幸福になれる」ということについて、大川隆法幸福の科学グループ総裁の言葉をご紹介いたします。

           (ばく)

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神の温もりを伝えたい 天使のモーニングコール 1385回(2018.4.14,15)

 

 

【MV】千眼美子(清水富美加)「眠れぬ夜を超えて」(Short ver.)

 

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愛の本質とは、やはり与えることなのです。

愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。

神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。

愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。

愛に苦しむ人々よ、よく開きなさい。

なぜあなたがたは、苦しむのですか。なぜ愛において苦しむのですか。愛を与えることによって苦しむのですか。

みかえりを求めてはいけません。みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。

ほんとうの愛とは、与える愛です。

与える愛とは、すなわち、無償の愛です。

あなたが与える愛は、本来、あなたのものではないのです。あなたの愛は、神から与えられた愛なのです。

その愛を神にかえしてゆくために、私たちは、ほかの人々を愛すべきなのです。

苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。

いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないと思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの苦悩におちいってゆくのです。

愛のみかえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです。

神からくるみかえりとは、なんでしょう。

それは、すなわち、愛を与えれば与えるほどに、あなた自身が神近き人間となってゆくということです。それが、神のみかえりなのです。

 神の本質を見てごらんなさい。

神は、燦々(さんさん)とふりそそぐ太陽の光のごとく、無所得のままに、無限の愛と慈悲を万物に与えているのではありませんか。

あなたたち、ひとりひとりの生命でさえも、神に対して、一文の支払いをすることなく与えられたエネルギーではありませんか。

さすればまず、与えることからはじめてごらんなさい。

与えるとは、どうすればひとりでも多くの人々がしあわせに生きられるかを考えながら、日々生きるということです。

与えるとは、ひとりでも多くの迷える人々の心に、愛の光を投げかけてゆくということです。また、ひとりでも多くの人々を、困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせるかということです。(中略)

愛に敵はありません。愛は無敵です。

なぜならば、ほんとうの愛とは、与える愛であり、無償の愛であり、あらがうことを許さない無限の力だからです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P148~152

 

映画「心に寄り添う。」

 

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