あれはもう、30年以上前、当時の私は、大阪のとある総合病院で準看護師として働きながら、定時制の看護学校に通っておりました。
勤めていた病院には、男性看護師用の寮がなかったので、病院が用意してくれた、一般的なワンルームマンションなどに暮らしておりました。
ただ、家賃の安いところがあれば、そこに移動させられる日々でして(笑)、大坂に在住していた9年間に、なんと12回も引越しをするという、壮絶な日々でした。(笑)
当時、私の母親は、マジで心配していましたね。
「ばくは、夜逃げを繰り返しているんじゃないか。」ってね。(爆笑)
その中で一時期、大阪市内のとある場所に、住んでいた頃の話です。
ここは後で知ったのですが、日本一S会さんの住民率の高い地区だったらしいのです。
「随分と、元気のいい方が多いなぁ。」とは、思ってはいたのですけど。(笑)
ある時、たまたま故郷の実家にあった、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』を読み、「これは、今という時代は大変な時代なのだな・・・。」と思うに至りました。
そんな中、当時しょっちゅうカラオケスナックに通っていたのですけど、そのお店で知り合った、同じ年の青年がいたのです。
その辛坊君がある時に、私にお願いをしに来たんです。
辛坊くん
辛坊
ばく
辛坊
ばく
辛坊
ばく
辛坊
私は、何とも言えない心境ではありましたが、(笑)S会(当時は良く知らなかったのです)という宗教が、もしもタチの悪い所で、友人がそこに騙されているなら、助けてあげないといけないと思い、その『集会』とやらに出向いたのです。
場所は、私の住むワンルームマンションから、すぐ近くの一軒家でした。
玄関を開けると、広い応接間にビッシリと人が集まっていました。
地域の老若男女が30人、いやそれ以上いましたね。
私の感覚的には、50人ほどに見えました。
こうして若干21歳の若造の私は、単身、事前知識のほとんどない中、S会の地区集会に、足を踏み入れたのです。
今から思うと、若気の至り、顔から汗;ひたすら汗;の出来事なんですけど・・・。(^^;
息子がこんなことやったら、私は激怒するでしょうね。
「無茶するなよ~。この、ばか者!!」って・・・。アハハハハ。
さて、そんな感じで、、30人以上のS会の信者VS無知な青年一人のバトルが、静かに・・・本当に不思議なほど静かに・・・幕が切られたのでした。
まずは、一通りの挨拶を終え、自己紹介を致しました。
私は緊張していましたし、特に笑いを取るマインドでもありませんでしたが、これが、思いの他受けました。(笑)
まぁ、大阪での最大のほめ言葉は、「あんた、おもろいなぁ。」ですから(笑)、「つかみはOK!」っていうところでしょうかね。(爆笑)
さて、会合では、地区のS会信者さんたちが、私を囲むように扇形になって、次々に質問してきたのです。
質問の窓口になっていたのは、中年の男性、背広を着て眼鏡をかけてて、いかにも紳士然とした方でした。
そうですね。S会の地区長さんですから、Sさんとしましょうかね。
そのSさんが私に、こう問いかけました。
ばく
ばく
Sさん
ばく
Sさん
ばく
当時の私は、仏教というのは、葬式の儀式や呪文を教える宗教・・・と思っていました。(^^;
Sさん
ばく
Sさん
ばく
Sさんは、仏教用語を並び立て、説明していましたが、当時の私には、よく聞き取れませんでした。しかし、批判していることは理解できました。
ばく
Sさん
ばく
Sさん
ばく
「Sさんの話を伺って、僕に言えることは、S会は今以上広がるべきでないし、未来に残すべき宗教でもないと確信しました。」
この私の発言で、和やかな、静かな雰囲気で始まった、S会の地区集会が、一気にその場の空気が冷え、緊張感が高まったのは、言うまでもありませんよね。(笑)
破邪顕正
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奈良仏教は、大学院のような感じでしょうか。そのように、非常に難しい哲学を勉強するような感じでは、庶民が救われないのです。そういうニーズが時代背景として出てきたわけです。(中略)
その背景が出てきたのは、「源平の戦い」あたりです。
当時、日本国中が非常に悲惨な状況だったのだと思います。(中略)これは、今の人であるから、昔の歴史としてボーッと見ていますが、実際の目で見れば、屍累々で、あちらにもこちらにも死体の山だと思います。食糧はないし、死体がたくさんあったため、「これを救わなければいけない」というニーズが非常にあったのでしょう。
そのなかで、浄土宗系は、「この世はすでに救いようがないので、来世の極楽を説いて人の心を安らげよう」という気持ちが強かったでしょうし、他のいろいろな宗派も人々を救いたかったのでしょう。(中略)
したがって、彼らは、「学問的な正しさ」というよりは、「現実にいる人たちをどうすれば救えるか。それが救えなければ、宗教としての使命が果たせないではないか」というところを考えています。
要するに、戦場の看護師や医者のような気持ちだったのではないでしょうか。「難しい哲学や講釈は要らないので、よく効く薬をくれ。よく効く手術と、よく治る包帯や消毒薬が要るのだ」というような時代だったと思います。(中略)
例えば、法然は、ものすごく勉強をした人でした。仏教をたくさん勉強したのに、最後、全部を捨てて、念仏を教えたわけです。それは、現実の死体がゴロゴロと転がっていて、オロオロしている人たちを見れば、そんな難しいことは言えないからです。
ですから、密教の「陀羅尼」になったり、浄土宗の「南無阿弥陀仏」になったり、日蓮宗の「南無妙法蓮華経」になったりするということも分かります。何とか人々を救いたかったのでしょうし、それによって救われる部分は現実にあると思います。
それが嘘であれば、例えば、幸福の科学においてエル・カンターレ像に祈ったり、祈願したりすることも効かないはずです。しかし、それは嘘ではありませんので、それなりに救いはあるのです。(中略)
ですから、鎌倉仏教はそれなりの使命を果たしたのではないかと思いますし、現代まで続いているのを見れば、まだ使命としては続いているものもあるのでしょう。(中略)
いろいろな宗派がありますが、宗教の「地ならし」として続いてくれることはありがたいです。何だかんだ言っても、断絶したら「終わり」です。
続いているからこそ、「復興運動」や「新しい革新運動」ができますが、それがなければ難しいでしょう。そういう意味で、私は、いろいろな宗派が続いていることは、ありがたいことだと思っています。
『日蓮を語る』『黄金の法』講義(5)(幸福の科学出版)P122~132
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