幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

幸福の科学への道 「残すべき教えと、広げるべき教え」

2019-03-19 00:30:06 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

「日蓮 後光」の画像検索結果

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高知では先週金曜日に上映の終わった映画、『僕の彼女は魔法使い』のファーストランの帰り道、最寄りの駅の近くで、数人、とある日蓮正宗系の宗教団体の信者女性が、その教団の機関新聞の配布をしていました。
 
その中の年配の女性の一人が、「どうぞ読んでください。」と私の前に新聞を持ってきたので、私は「K会の方ですよね?」と答えると、女性は乗って話をし始めました。
私は申しわけなく思って、「僕は幸福の科学だから、布教にならないですけど・・・。」とお答えすると、「幸福の科学?それは地獄じゃ!」と仰いましたので、私は「えっ、幸福の科学の教えをご存じなのですか?」と伺うと、どうやら彼女は、幸福の科学の教えの内容を知っているわけではないらしい。(笑)
 
私は、「わぁこの感覚、なんか懐かしいなぁ。」と、心の中で、何かのスイッチが入った感じがしまして(笑)、その年配女性は、延々とその教団の機関新聞の内容を読んでいらっしゃったのですが、私はあることを思い出して、物思いにふけっていました。
そうそれはもう、かれこれ30年以上前のこと、私が20歳か、21歳になったばかりのころのことです。
 
「ああ、あのときの強烈な体験が、僕を幸福の科学に導いたんだなぁ。」と考えていると、随分と時間をたってしまってて、「お姉さん、ゴメン。」「僕、やらなきゃならんことがあるから、ご縁があったら、またお会いしましょうね。」とその場を立ち去りました。
 
そう、私は、幸福の科学布教ブログの記事を書かなければならなかったので、『僕の彼女は魔法使い』の余韻を忘れないうちに、家に帰って、用事を済まさないといけなかったからです。
 
その20歳ごろの強烈な体験というのは何かと申しますと、日蓮正宗系の、日本最大と言われる某教団との関わりです。
ここは布教ブログなので、「個人的なことは、あんまり書かない方がいいかな?」と思っていましたが、K会の方との出会いにも、偶然はないと思えますので、生涯反省の一環も兼ねて、少し語らせていただければと存じます。
 
「日蓮正宗系の、日本最大と言われる某教団」というのは長いので、「S会」と言わせていただきますが、実は私の幸福の科学との出会いは、S会さんとの絡みがあってのことなのですね。
そう、S会さんの信者さんとの出会いがなければ、私の幸福の科学との出会いは、もっとずっと遅れていたと思います。
 
ですから私は、S会さんを嫌っていませんし、むしろ感謝しているんです。
 
ではご報告、第1弾の発表開始です。(^^)
なお、これはノンフィクションですし、決して「夢落ち」でもありませんので。(大爆笑)

あれはもう、30年以上前、当時の私は、大阪のとある総合病院で準看護師として働きながら、定時制の看護学校に通っておりました。
勤めていた病院には、男性看護師用の寮がなかったので、病院が用意してくれた、一般的なワンルームマンションなどに暮らしておりました。

ただ、家賃の安いところがあれば、そこに移動させられる日々でして(笑)、大坂に在住していた9年間に、なんと12回も引越しをするという、壮絶な日々でした。(笑)

当時、私の母親は、マジで心配していましたね。
「ばくは、夜逃げを繰り返しているんじゃないか。」ってね。(爆笑)

その中で一時期、大阪市内のとある場所に、住んでいた頃の話です。
ここは後で知ったのですが、日本一S会さんの住民率の高い地区だったらしいのです。

「随分と、元気のいい方が多いなぁ。」とは、思ってはいたのですけど。(笑)
 
当時私は神様的なものは信じていましたし、世界の紛争の原因が、宗教の違いによるものだということは気づいていました。
ある時、たまたま故郷の実家にあった、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』を読み、「これは、今という時代は大変な時代なのだな・・・。」と思うに至りました。
そして「宗教問題を解決しなければ、次の時代は訪れない。」「とにかく、聖書を読まないと。」と、聖書全編、そしてコーランの解説書を読み終えた時期でした。

そんな中、当時しょっちゅうカラオケスナックに通っていたのですけど、そのお店で知り合った、同じ年の青年がいたのです。
今から思えば、そんなヒマ、よくありましたね。
私、いつ勉強してたのだろう。(爆笑)
その同じ年の青年の顔立ちは、TV・たかじんのそこまでいって委員会の司会、辛坊さんに似ていて、キャラクターは、ちょっと頭の悪い系、頼りない系、お友達少ない系ですけど、人柄の良い青年でしたので、よく遊んでおりました。

その辛坊君がある時に、私にお願いをしに来たんです。
こんな感じで・・・。
「辛坊治郎」の画像検索結果

辛坊くん
「ばくちゃん、今から一緒に来てくれんかぁ?」
 
ばく
 「どこに?」

辛坊
「俺、最近、S会に入ったんやぁ。」

ばく
「えっ、どうして?」

辛坊
「う~ん、いいことがあるから・・・って言われて~(^^;。」

ばく
「そんな動機で、宗教を選んでいいの?」

辛坊
「でも、みんなといると、とても楽しいんやぁ(^O^)。」

ばく
「それで、どこに行けばいいの?」

辛坊
「誰でもいいから、友達連れてきなさい・・・て言われたんやぁ。」「な、ばくちゃん、来てくれんかぁ~、頼むわぁ~。」

私は、何とも言えない心境ではありましたが、(笑)S会(当時は良く知らなかったのです)という宗教が、もしもタチの悪い所で、友人がそこに騙されているなら、助けてあげないといけないと思い、その『集会』とやらに出向いたのです。

場所は、私の住むワンルームマンションから、すぐ近くの一軒家でした。
玄関を開けると、広い応接間にビッシリと人が集まっていました。

地域の老若男女が30人、いやそれ以上いましたね。
私の感覚的には、50人ほどに見えました。

こうして若干21歳の若造の私は、単身、事前知識のほとんどない中、S会の地区集会に、足を踏み入れたのです。
当時、宗教と言えば、聖書だけの知識を元に、友人が入会した宗教を見極めに出向いたわけです。
 
「昭和の家」の画像検索結果


今から思うと、若気の至り、顔から汗;ひたすら汗;の出来事なんですけど・・・。(^^;

息子がこんなことやったら、私は激怒するでしょうね。
「無茶するなよ~。この、ばか者!!」って・・・。アハハハハ。

さて、そんな感じで、、30人以上のS会の信者VS無知な青年一人のバトルが、静かに・・・本当に不思議なほど静かに・・・幕が切られたのでした。

まずは、一通りの挨拶を終え、自己紹介を致しました。
私は緊張していましたし、特に笑いを取るマインドでもありませんでしたが、これが、思いの他受けました。(笑)

まぁ、大阪での最大のほめ言葉は、「あんた、おもろいなぁ。」ですから(笑)、「つかみはOK!」っていうところでしょうかね。(爆笑)

さて、会合では、地区のS会信者さんたちが、私を囲むように扇形になって、次々に質問してきたのです。

質問の窓口になっていたのは、中年の男性、背広を着て眼鏡をかけてて、いかにも紳士然とした方でした。
恐らく、この地区の地区長さんだったと思います。

そうですね。S会の地区長さんですから、Sさんとしましょうかね。
そのSさんが私に、こう問いかけました。
 
Sさん 
「ばくちゃんの、ご実家の宗教は何ですか?」

ばく
「真言宗です。」
 

「空海」の画像検索結果
Sさん
「真言宗は、真言亡国・・・と言って、国を滅ぼす宗教なんやで。」

ばく
「へぇ、そうなんですか。どういう理屈で?」

Sさん 
「理屈も何も、男が早死にする宗教なんやって!!」

ばく
「内はまだ、みんな生きていますけどー。」(会場内爆笑)

Sさん 
「男が早死にしたり、病気したりして、国が滅ぶんや。」「あと、禅天魔いうてな、禅宗は悪魔を呼ぶんや。」

ばく
「禅宗とか、仏教のことは、よくわかんないです。」

当時の私は、仏教というのは、葬式の儀式や呪文を教える宗教・・・と思っていました。(^^;

Sさん 
「仏教のことをよく知らない?ではS会で、正しい仏法を学びなはれ。」

ばく
「実家の宗教に関して、僕は何の不満もいだいていません。」「今のままで充分です。」

Sさん
「ばくちゃん、それはアカンでェ。」「宗教は大事なんや。」「自分の意思で、しっかり決めなアカン!」

ばく
「仏教のことは、ひとまずいいです。」「S会では、キリスト教はどうなんですか?」
 
「最後の晩餐」の画像検索結果

Sさん
「キリスト教?あんなの○×△※・・・・・や!」

Sさんは、仏教用語を並び立て、説明していましたが、当時の私には、よく聞き取れませんでした。しかし、批判していることは理解できました。

ばく
「要するにぃ、キリスト教は、良くないんですね?」

Sさん
「そうや!」

ばく
「では、イスラム教は、どういう位置付けなんですか?」

Sさん
「イスラム教?あんなの問題外やで。ハハハ。」

ばく
「そうですか。よくわかりました。」「僕は、S会のことをよく知らないで、ここに来ました。そのことを皆さんに、まずお詫びいたします。」  
「Sさんの話を伺って、僕に言えることは、S会は今以上広がるべきでないし、未来に残すべき宗教でもないと確信しました。」

この私の発言で、和やかな、静かな雰囲気で始まった、S会の地区集会が、一気にその場の空気が冷え、緊張感が高まったのは、言うまでもありませんよね。(笑)
 
あら、つらつらと書き綴ってたら、随分と時間が経ってしまって。
この続きはまた今度。
 
ご安心ください。
今回は、夢落ちはありませんから。(爆笑)
 
本日は大川隆法総裁経典 、『日蓮を語る』『黄金の法』講義(5)(幸福の科学出版)より、抜粋をご紹介いたします。
 
             (ばく)

破邪顕正

 

日蓮を語る https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1242

奈良仏教は、大学院のような感じでしょうか。そのように、非常に難しい哲学を勉強するような感じでは、庶民が救われないのです。そういうニーズが時代背景として出てきたわけです。(中略)
その背景が出てきたのは、「源平の戦い」あたりです。

当時、日本国中が非常に悲惨な状況だったのだと思います。(中略)これは、今の人であるから、昔の歴史としてボーッと見ていますが、実際の目で見れば、屍累々で、あちらにもこちらにも死体の山だと思います。食糧はないし、死体がたくさんあったため、「これを救わなければいけない」というニーズが非常にあったのでしょう。

そのなかで、浄土宗系は、「この世はすでに救いようがないので、来世の極楽を説いて人の心を安らげよう」という気持ちが強かったでしょうし、他のいろいろな宗派も人々を救いたかったのでしょう。(中略)

したがって、彼らは、「学問的な正しさ」というよりは、「現実にいる人たちをどうすれば救えるか。それが救えなければ、宗教としての使命が果たせないではないか」というところを考えています。

要するに、戦場の看護師や医者のような気持ちだったのではないでしょうか。「難しい哲学や講釈は要らないので、よく効く薬をくれ。よく効く手術と、よく治る包帯や消毒薬が要るのだ」というような時代だったと思います。(中略)

例えば、法然は、ものすごく勉強をした人でした。仏教をたくさん勉強したのに、最後、全部を捨てて、念仏を教えたわけです。それは、現実の死体がゴロゴロと転がっていて、オロオロしている人たちを見れば、そんな難しいことは言えないからです。

ですから、密教の「陀羅尼」になったり、浄土宗の「南無阿弥陀仏」になったり、日蓮宗の「南無妙法蓮華経」になったりするということも分かります。何とか人々を救いたかったのでしょうし、それによって救われる部分は現実にあると思います。

それが嘘であれば、例えば、幸福の科学においてエル・カンターレ像に祈ったり、祈願したりすることも効かないはずです。しかし、それは嘘ではありませんので、それなりに救いはあるのです。(中略)

ですから、鎌倉仏教はそれなりの使命を果たしたのではないかと思いますし、現代まで続いているのを見れば、まだ使命としては続いているものもあるのでしょう。(中略)

いろいろな宗派がありますが、宗教の「地ならし」として続いてくれることはありがたいです。何だかんだ言っても、断絶したら「終わり」です。

続いているからこそ、「復興運動」や「新しい革新運動」ができますが、それがなければ難しいでしょう。そういう意味で、私は、いろいろな宗派が続いていることは、ありがたいことだと思っています。
『日蓮を語る』『黄金の法』講義(5)(幸福の科学出版)P122~132

「釈量子」の画像検索結果

釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/

★3月23日(土)13時 釈党首(幸福実現党)参加費1000円。

場所:高知コミュニティスクエア(旧:共済会館)

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宗教は、好きや嫌いで考えてはいけないと思うのですが。(ばくちゃんの独り言)

2018-09-10 00:09:00 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

神の正義を世界に示し、「信じられる世界」へ - 大川隆法大講演会 全国・全世界3500カ所に同時中継

大川隆法幸福の科学グループ総裁

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先日、「いやいや姐さん、私は、逃げも隠れもいたしません!」というのを書きまして、編集長の思惑を超えて、大変な反響をいただきまして、本日は、その続編でございます。

関連記事として後ほど貼布させていただきますが、かいつまんで言うと、近所の信者さん宅に行こうとして道に迷った先のお宅で、ポストに入っていた幸福の科学の月刊誌のことで、そこのお宅の方4人さんと問答になり、その中の高齢のご婦人3人は、何とか私を信頼してくれるようになったところで「それではまた。」という感じで終わってしまいました。

今日は、ちょっと書くのが怖いのですが・・・、というのも、結末が結末でして・・・。(笑)

さて、私と同年配の男性、おそらく最年長のご婦人の息子さん、Y男さんとのやりとりをご報告いたします。

Y男さんは、声を荒げて私に言いました。

「縁起でもない。年寄りの前で、宗教の話らぁするな!」と。

私は答えました。

「縁起でもないとは、どういうことですか?」と。

 「里山 高知」の画像検索結果

するとY男さんは、私の答えに戸惑いながら、「縁起でもないとは・・・、そのものや。縁起が悪いということはせられん(してはいけない)し、言われんがじゃ!」「それが常識じゃろが!」と言いました。

私は、「すみません。僕の言い方が悪かったです。縁起って、何だかご存じですか?ということです。」と問い直しました。

Y男さんは、「えっ⁉ 縁起って何か?じゃとぉ? さぁ、そう言われたら、なんじゃろうなぁ?」 と、ちょっと困った様子でしたので、私はこうお答えいたしました。

 「縁起って、仏教用語なんですよぉ。」「因縁果報(いんねんがほう)と言いましてね。それをまとめて縁起の理法と言います。」「要するに、幸不幸には、原因があるよ・・・っていうことです。」「お兄さんは、宗教の話をするな!と言われましたけれども、縁起が良い悪いというなら、それは、宗教の話ですよぉ。」と申しましたら、

Y男さんは、「へ理屈を言うな!」「わしゃぁ、へ理屈は嫌いじゃぁ!」と仰いました。

私は「へ理屈ではないですよ。私はただ、筋を通していただきたいんですよ。」「言わせていただきますけれどもね、私らぁは宗教活動ですけれどもね、もしもこれが正しい宗教だったら、そりゃぁまさしく神さま仏さまのお仕事のお手伝いなわけですから、場合によっちゃぁ、お兄さん、神さま仏さまのお仕事を邪魔することになりかねないですよね。」「神さま仏さまっていったら、全てを創って、すべての命の源ですのでね、好き嫌いで論じちゃぁいけません。」「ちゃぁんと、筋を通して、批判するなら批判する、受け入れるなら受け入れる。」「それが、古今東西、そう、国際基準ちゅうもんですよ。」

画像:里山風景01 

 Y男さん、さらに声を荒げて曰く。 「ウルサイわぁ!わしらは真言宗の檀家じゃき、おまんらぁに言われんでも、宗教は間に合うちょるんじゃ!」「じゃから、さっさとイね!(帰れの土佐弁)」

別に私はムキになっていたわけではないのですが、「そうですか。私の実家も真言宗の檀家です。」「では、最後にひとつ教えていただきたいんです。」「お兄さん、あの世はある!って、言いきれますか?」と問いかけていました。

するとY男さんは、「・・・・・・・。」と、黙ってしまいました。

私は、「そうですよね。信仰をお持ちでも、あの世はあるか?と問いかけられたら、自信を持って、ある!とは言い切れないですよね?」「お釈迦様の時代とか、お大師さん(弘法大師空海)の時代とかだと、そんなの当たり前だったんでしょうけど、もう教えが古くなって、私らぁを納得させれんのじゃぁないがですろうか?」

「古い地図やったら、目的地にちゃんといけるかどうかはわからんので、不安ですよね。」「まぁ今日の私は迷子じゃけんど。(爆笑)」「だから今、現代的な形で、あの世とか神さまとか、人生の目的とかを説く必要があるがじゃないですかねぇ?」「違いますろうかぁ?」

「里山 軽トラ」の画像検索結果

するとY男さんは、「宗教は古いもんはええ(良い)。」「じゃが、おまんらぁみたいな新興宗教は好かん。」「新興宗教は、信用ならんのじゃ!」と仰いました。

私は、「お兄さん、好き嫌いで言わないでくださいよぉ。」「それにね、世界中誰でも知ってるお釈迦様だって、イエス・キリストだって、始まりは新興宗教ですよね。」「要は中身。そう、正しいか、そうでないかですよぉ。」

すると、私とY男さんとのやり取りを、固唾を飲んで見守っていた、Y男さんのお母さまと思われるご高齢のご婦人曰く。

「Y男よ、お前の負けじゃ。」「この兄さんの言うことは、まっこと筋が通っちょって、勉強になることばっかりじゃ。」「信者さんですら、これだけ筋の通ったことが言えるがやき、この兄さんの先生は、よほど筋の通った方なんじゃろう。」「Y男よ、どうぜ(どうだい)。この幸福の科学とやらの雑誌を、一度読んでみようじゃないかぇ。」

と仰いました。

そこで私は・・・・、

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私は、目が醒めました。

そう、これまでの一連の騒動は、全部夢!だったのです。

「な~にぃ、夢落ちか!」と怒らないでください。わたしもそう思いましたから。(苦笑)

そう、「驚愕の結末」というのは、夢落ちだったのです。(爆笑)

私の夢物語をお聞きになっても、皆様の1mmだって悟りの向上はありませんので、本日は経典『仏陀再誕』そして『神理文明の流転』(共に幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

大川隆法幸福の科学グループ総裁の本心を垣間見ること間違いなしです。

        (ばく) 

関連記事:「いやいや姐さん、私は、逃げも隠れもいたしません!」(ばくちゃんの独り言)

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「三宝帰依」ってなぁに? 天使のモーニングコール 1382回(2018.03.24.25)

映画『宇宙の法ー黎明編ー』 予告編

 

「仏陀再誕」の画像検索結果 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=175

諸々(もろもろ)の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ。
私の声を憶えているか。
あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。
幾万年、幾十万年、幾百万年の歳月のなかで、
あなたがたは、私とともに地上に生まれ、
実在界にあって、また我が弟子として、道を学んできたはずである。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我(われ)はここに再誕す。
我(わ)が再誕を喜べ。
我が再誕に気づけ。
我が再誕に、その事実に、そのときに、気づけ。

あなたがたは、かつてあのインドの地で、
私の話を聞いたはずである。
あのインドの地で、我が教えを聞きたる、
幾千、幾万の、縁生(えんしょう)の弟子たちよ。
あなたがたは、目覚めなくてはならない。
あなたがたは、まだ深い眠りをむさぼっているのではないのか。
あなたがたが眠っていては、私は本来の仕事ができないではないか。
我(われ)が目覚めた時、すべての弟子たちは目覚めなくてはならない。
我が声を発した時、
すべての弟子たちは我(わ)がもとに集い来(きた)らねばならない。
『仏陀再誕』(幸福の科学出版)P16~17

 

神理文明の流転 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=192

 

戦争が起きる原因は、経済的な飢えということでもって攻めてゆかざるを得ない、ということだけではないのです。もっと根源的なる理由として、相互の理解ができないということが原因となっています。
理解できない原因は、文化に共通項がないことが多いからです。共通の言語、共通の文化、共通の行動様式を持たないところに不信が生まれます。そして、相手の考えが理解できないところから憎しみが生まれ、争いが生まれてきます。これも戦争の大きな大きな原因のひとつです。

これをなくしてゆくためには、人類共通の文化とでも言うべき価値基準が、どうしても必要になるのです。今までのキリスト教文化圏だけでは世界を包摂できません。それは二千年の歴史が証明しています。(中略)

儒教、キリスト教、仏教、イスラム教といった諸宗教を超えた全地球的な価値観をつくって、世界中に浸透させるということです。この価値観、文化が共通の言語の代わりになるのです。これをつくらない限り、どうしても世界はひとつにはならないのです。(中略)

目先の一年や二年、五年や十年先に起きる小さな戦争は、今の私たちの力ではどうすることもできません。しかしながら、戦争が泥沼化して人類が堕落してゆく方向から、全世界をひとつにして新たな繁栄をつくり出してゆく方向へと転換するための力となることが可能であると、私は思うのです。

そのためには、一見遠回りなようにも見えますが、世界の多様なる価値観について、歴史を超え、文化を超え、民族を超え、言語を超えて、唯一なる神の理念から降りているところのその多様性を説明しきり、それをさらに統合する努力こそが必要なのです。
それができるところは、全世界に幸福の科学以外に絶対にありません。これ以外にないのです。これのみが人類の希望なのです。

それ以外にも、もちろんよいものはいくつもあるでしょう。よい考えもあるでしょう。道徳もあるでしょう。そのような団体もあるでしょう。それを私は認めます。
しかし、彼らが今、この地球時代の人類を救う力は持っていないということも、私はまた認めるものであります。

今、世界をひとつの価値観のもとに統合できるのは、幸福の科学の思想をおいて他にありません。我らはすべての統合を目指しています。すべての価値観を統合して共通の言語、共通の文化を築くこと、このようなすべての統合こそが、人びとが多様なるままにお互いを理解し、永遠の神に向かって向上してゆくための唯一の可能性なのです。

私たちは、そのような大きな視野のもとに、今、戦いを開始しているのです。
『神理文明の流転』(幸福の科学出版)p164~172

あなたは死んだらどうなるか? https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2079 

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065     

$ココぶれすゆぅ  

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「いやいや姐さん、私は、逃げも隠れもいたしません!」(ばくちゃんの独り言)

2018-09-01 23:46:31 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

大川隆法幸福の科学グループ総裁

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

このブログの代表管理人である私の悟りが浅くて、いつもいつも、「この布教ブログ、どこに宗教の話題があるんじゃ!」と思われる記事しか書けておりませんが(爆笑)、多くの読者の皆皆様の、「与える愛」や「生かす愛」、そして「許す愛」のお陰様を持ちまして、細々とではありますが、日々布教の真似事をさせていただけていることに、心より感謝申し上げます。

さて本日は、とある良く晴れた日、いつもお宅に伺っている、少し郊外の地域にお住いのKさん宅に、幸福の科学の月刊誌の新刊をお届けしたときのことを、拙いながら・・・「えっ、拙いのは、もう十分すぎるくらいわかっちょるから、早う話せ!」とな?(笑)

おお、そうでありました(爆笑)。では、お話させていただきます。

先日、もう20年来の信者仲間である、Kさん宅の家の門からお庭に入り、「こんにちはぁー!」と、いつもの調子でご挨拶をすると、なんだか見慣れぬ人たちが集まって、何やら騒いでおりました。

私は「あれ、Kさんがいないなぁ。」と思いつつ、KさんやKさんのご家族を探してみたのですが、どうやらこの家、いつもの風景とも違っていて・・・。

私は、「あっ、どうやら道を間違えたようだ!」と慌ててしまいました。(笑)

20年来通っているお宅を間違えるなんざぁ、「私もちょっと、ボケが来たかいなぁ?」と思いつつ。(苦笑)

その家には、三人のご高齢のご婦人と、そして私より少し年配のご婦人がお一人、そして私と同年配くらいの、いかつい男性がおりまして、そのいかつい男性が私に近づき、「なんじゃぁ、お前はぁ!」に、大きな土佐弁で言われてしまいました。

今思えば、向こうさんも、知らない男が馴れ馴れしく挨拶するものだから(笑)、ちょっと警戒されたのかも知れませんね。

私は、「すみません。道を間違えたようで。ごめんなさいね。」と謝って、Kさん宅に向かうのに、急ぎそのお宅を出ようとすると、「ばくちゃん、助けてぇ!」と、女性の叫ぶ声がするではありませんか。

「何事?」とその人だかりをよく見ると、高知いちばんの伝道上手信者さんのMさんがいました。私よりちょっと年配の女性は、Mさんだったのです。

私なんぞ、到底足元にも及ばないツワモノ信者のMさんが、看護師でもある私に「助けて!」と言うのですから、私はてっきり、「この家のどこかに、病人でもいるのかな?」と思って、「こりゃぁ、Mさんじゃぁないかぇ。どうしたぞね。」と、人だかりの中に入って行ったところ、この家の人たちは、何と、幸福の科学の月刊誌のことについて、大騒ぎになっていたのです。

家中の人たちの言い分を聞いていると、どうやら「この前、幸福の科学とやらの雑誌が、家のポストに入っちょったが、誰がこんなもん入れたんじゃ!」ということで、Mさんはクレーム対応に追われているようだったのですね。

いつもお世話になっちょるMさんです。

「ここで引けば男が廃る。土佐の仏弟子の名折れじゃ!」と、助太刀をしようと私は思いました。

「幸福の科学の月刊誌9月号」の画像検索結果 「幸福の科学の月刊誌9月号」の画像検索結果

私は、「この雑誌で、何か、問題でもありましたか?」と言い返すと、強面の男性曰く、「勝手にポストに入れよって、けしからん!」と憤慨しておりました。

私は男性に、「お留守だったとか、お声をかけても、どなたもお出にならなかったとか、そういうことだと思いますが。」と言いますと、男性は、

「ところで、お前は誰じゃぁ!」と、さらに不機嫌になってしまいました。

私は、「ああ、まだ名を名乗っておりませんでしたか。それは失礼しました。」とまずは詫び、「私は、ばくと申します。」と名を名乗った上、家族の中で一番年上のご婦人の手を取り、家から見える勤務先を指さして、「お姐さん、あそこに大きな病院が見えるますろう。あそこで私は、看護師をしよるがです。」と言いましたら、その老婦人曰く、

「まぁあんた、あの〇〇病院の看護師さんかぇ。」と、少し場が和みました。

「そうそう私は、あそこの病院の手術室で、看護師をしよるものですわぁ。」「私の家も、あそこからすぐ近くですきに。私は、逃げも隠れも致しません。」と言いますと、年長のご婦人は、

「まぁ、立派なお仕事やねぇ。」「いつか、お世話になるやも知れんねぇ。」と仰るものだから、私は、

「いやぁ、仕事場では逢いとうないですなぁ(笑)。」「それに私は男ですのでね、白衣のペ天使と呼ばれちょりますきに、自分の健康は、御自身で守っていただかないと・・・。あーはははははは。」と言いますと、これが一同皆さまに、結構受けました。(爆笑)

私は、「お姉さん、今の手術は、大きな創を体につけないことが多いですよ。」「例えば、ちょっちょっと、お腹に何か所か創を作ってぇ、そこから長が~い器具を入れてぇ、身体に負担の少ない手術が増えちょるがですわぁ。」「お姐さん方、長生きするでぇ。」と、またまた、女性陣の大笑いを誘ってしまいました。(笑)

「腹腔鏡手術」の画像検索結果

ひと笑いした後、件の年長の女性が、

「でもぉ、あんまり長生きしても、私ら年寄りには、やることはないぞねぇ。」と仰るものだから、私は、「いやいやいやいや、お姐さん方、今ならいいことがありますぞね。」「それは何かと言うとやねぇ、あの世の勉強ですがねぇ。」と申しました。

ご婦人は、「いややぁ、あの世らぁ、行きとうない。」と仰るので、私は、

「いやいやいやいや、その気持ちは、わからんでもないが(笑)、ちょっと待ってよお姐さん。誰でも、あの世に行きますきに。」「私も行きます。順番通りなら、皆さまの後、ちょっとしたら行きますきに。」「誰でもどうせ行くんじゃから、しっかり勉強しちょいた方が、ええに決まっちょりますろう?」と言いますと、ご婦人曰く、

「でも私は、この歳になるまで、あの世の勉強なんぞ、聞いたことないぞねぇ。」と仰るので、私は、

「いやいやいやいや、ここにありますやんかぁ(笑)。それができるのが、幸福の科学ですがねぇ。」「この雑誌は、それを皆さんに紹介しに、ここのお宅のポストに、入っちょったがですよ♡」と。

おおっと、土佐弁でつらつらと書き綴っていたら、時間も文字数も押しております。(笑)

実は、このご婦人の子どもさんだと思われるコワモテの男性とのやり取り・・・、というか、はっきり言えば、論戦もあったのですが、それはまたの機会にでも。

驚愕の結末(笑)も踏まえ、いつか続編をお届けしたいと思います。

ということで本日は、経典『復活の法』(幸福の科学出版)より、科学技術の進んだ現代と宗教について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った説法をお届けいたします。

        (ばく)

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映画『宇宙の法ー黎明編ー』 予告編

人は死んだらどうなるの?~スピリチュアル・ツアー☆霊界編~ 天使のモーニングコール1328回 (2017.03.11,12)  

「『復活の法』(幸福の科学出版)」の画像検索結果 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=131

二千五百年前の釈迦仏教は、「この世への執着を去り、この世に還ってこなくなることが幸福だ」ということを説いたと捉えられます。しかし、この世が発展し、環境がよくなったため、この世に生まれ変わってくる人が増えています。時代は釈尊の教説とは反対の方向に動いているようです。

この部分については思想的な戦いの決着がついていません。むしろ、インドでは、仏教が滅びて、現世肯定的なヒンズー教が広がり、人口が増えているので、釈尊の教えの反対になっているように見えなくもないのです。

このように、「宗教的思想は現代において検証し直されているのではないか」と思います。
ここで、私が基本的な立場として言っておかなければならないと思うことは、「新しい宗教としては、これからも日進月歩するであろう科学技術文明そのものを否定するかたちの宗教にはしたくない。世の中が便利になるのは結構なことである」ということです。

かつては東海道を徒歩で移動していましたが、やがて、移動手段が、馬になり、鉄道になり、飛行機になり、リニアモーターカーになっていくこと自体は、それはそれでよいでしょう。それだけ密度の高い人生経験を積めるようになるので、それを宗教的に否定しようとは思いません。

また、魂としてでなければ宇宙空間に行くことはできなかったのに、スペースシャトルなどの宇宙船によって、肉体を持ったままで宇宙に行ける時代が来たことも、宗教的に否定しようとは思いません。

ただ、その高度な科学技術文明に釣り合うだけの霊性、霊的なバランス感覚は必要であると思います。

「この世が進歩し、住みやすくなるにつれて、あの世的なもの、霊的なものを忘れていく」ということであるならば、この世に生まれ変わった人の多くが地獄人口へと転化していく可能性は、極めて高いと言わざるをえません。

そういう時代であるからこそ、霊的な思想を信じる人々の裾野を広げていかなければならないのです。

「霊的な思想は、決して古代だけのものではなく、現代にも必要なものなのだ」ということを伝えていく使命が、幸福の科学に課せられているのです。
『復活の法』(幸福の科学出版)P293~296
 

 あなたは死んだらどうなるか? https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2079

 

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065   

 

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