幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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S会とのラストディベート。「大川隆法総裁の教えの、どこがどう間違っているか、教えていただけますか?」

2019-04-05 00:28:00 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

 

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畏れ多くも(笑)、「幸福の科学の、大川隆法総裁(当時主宰)の揚げ足を取ってやる。」と、意気込む若き私は、当時出版されていた100冊を超える書籍を、次々と読破して参りました。

3ヶ月余りで、当時出版していた、全ての経典を読み終えたと記憶しております。

 結果は・・・。

皆様の予想通り、全く非の打ち所のない教えでございました。

そして、楽しかった。実に、実に楽しゅうございました。

 幸福の科学の書籍を読み始める前に、当時の私が抱いていた、現代に必要とされる正法の基準、即ち、

1・ 宗教融和の理論があること。

2・ 生死の意味が分かること。

3・普遍的な心の教えがあること。

これらは完全に、否、もう余裕のヨッチャンでクリア、というより、太陽の法の第1章で終わっておりました。(笑)

その遙か先を行き、なおかつ、政治・経済・歴史・科学・芸術・etc 精神分野のみならず、人類の全ての活動分野にまで、大川隆法幸福の科学グループ総裁総裁の見識は及んでおりました。

高橋信次本を読んだ時点では、「仏教の発足当時の様子がわかった。」という感じでしたが、大川隆法総裁の見解は、仏教を超えていると思いました。

まさしく、仏陀にして救世主、いや、これはもう、地球の経営者でなければ、ここまで感心が及ばないと私は思いました。

「もしも、O君が騙されていたら。」という心配は全くの杞憂であり、あくまで、O君の個人的な問題だということがはっきりいたしました。

教えにブレや矛盾が、全くなかったからです。

これだけ膨大な書籍があり、しかも全てが同じ内容はありません。

しかし、矛盾したり理論破綻していないのは、尋常ではありません。 もし嘘があれば、どこかでそれは出てくるはずです。

全巻を一通り読み終えた3月に、私は誌友会員になりました。 一般者として、幸福の科学の書籍などは、友人や知り合いに、貸し出したりしておりました。 外護信者のまねごとをしていたんですね。

結構、その方が本を読んでくれており、私の性格上、「このまま、外部からの応援者の方が、教団のお役に立つのではないか。」と考えていた時期が、結構ありました

しかし、二度読みし、市販されているテープで、大川隆法総裁のお声を聞くと、いてもたってもいられない心境になりました。

「お前なんか、教団の頭数だけだ!と言われてもいい。」 「もう、飛び込みたい。」

その気持ちが抑えられず、正会員の申込みをいたしました。

合格の知らせと、正心法語が届いたのは、1990年6月です。 私は25歳になっておりました。

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さあ、これからがS会とのラストディベートです。

終わりというのは、私の人生でS会とのご縁が、あと1回のみなんですね。
もっと続けたいのですが、事実ですので仕方ありません。 なぜだか、その後ないんですよ~。

S会という宗教に関しては、相当の反発心を抱いてはおりましたが、私は地区の、S会信者さんたちのことが好きでしたから、一応、義理立てだけはしておきたかったのです。

私が、現生の仏陀の教えに早く触れることができたのは、彼らの存在、そして出会いなしではあり得なかった訳ですので、そういった意味では、私は彼らに感謝していたのです。

1990年6月に、幸福の科学に入会した私は、それまで脱会しながらも、細々とではありますがお付き合いを続けていた、S会○○地区の集会に、ご挨拶に伺いました。

こんな感じで。。。


ばく

「え~皆様。僕はこの度、幸福の科学という宗教に入会しました。今までかわいがって頂いて、本当にありがとうございました。」

S会信者さん一同

「ポカ~ン・・・・・」

その集会には、例のS地区長さんは、ご不在でしたので、S会の地区信者さんに、「くれぐれもSさんによろしく。」と、私は言付けし、地区集会をあとにしました。

後日、Sさんが私の住まいを訪れました。

今回は、前回訪問時とは違い、4~5人ほど、地区の信者さんを連れての訪問でした。

Sさん

「ばくちゃん、幸福の科学・・・とやらに入ったんやて?」

ばく

「はい、入りました。仏陀が現れたのなら、駆けつけない訳にはいきません。」

Sさん

「これがその、幸福の科学に関する本なんやな・・・。」

そう言ってSさんは、幸福の科学書籍群を見つめました。 そしてこう言いました。

Sさん

「あかん、ばくちゃん。これはあかんで!!」

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ばく

「えっ? 何か気になるところがありましたか?」

Sさん

「気になるも何も、高橋信次が入っとるやないか!これはあかんで!!」

ばく

「高橋さんだけじゃないですよ。ほら日蓮聖人もいらっしゃいます。僕は幸福の科学に出会って、日蓮聖人の大ファンになりました。」

Sさん

「あかん、これは友人として言っているんや。この人(高橋信次)だけは、あかんのやー!!」

恐らくSさんは、GLAやその流れをくむ諸団体のことや、その信者さんたちのことをご存知だったのでしょうね。 彼はGLA→幸福の科学という図式を、執拗に反対しておりました。

Sさん

「ばくちゃんはまだ若く、人生経験も少ないから、知らんと思うけどな。でも僕は、君より一回り多く生きてて、知っていることもあるんや。」   

「これ(幸福の科学)だけはあかん。止めとけ!」

私はSさんが、心配して下さっていることは、心から理解できました。

 そして私は、Sさんにこう告げました。

ばく

「Sさん、ご心配はよくわかりました。」

「確かに僕はまだ若く、経験も深くはありません。そこで、Sさんにお願いがあります。」

「僕にはこの教えが、間違っているとはとても思えないのです。ですからお願いします。」  

「Sさん、どうかここにある本をお読みになって、その上で、どこがどう間違っているか、僕に教えていただけませんか?」

「その方法でしか、僕は理解できないし、納得できないんです。」

Sさんは、急にもごもごと、口ごもりました。 そして何やら、地区の信者さんたちと相談し始めました。 そして、

Sさん

「ばくちゃん、今日の所は帰るわ。時間取らせたな。ありがとうな。」

そう言って、私の住まいから立ち去りました。 それ以来、Sさんとはお会いしておりません。

関連画像
 
 
私は、少し悲しかったですね。
私は、友人である辛坊君がS会に入会したと聞き、見定めようとしました。 そして同僚が入っている幸福の科学も、同様に見定めようとしました。
 
もし彼らが騙されているなら、友人として、彼らを助けるつもりだったからです。
無自覚的ではありますが、その時の友人のため、私は全身全霊、命と魂を賭けました。
それだけは、神仏に胸を張って言えます。
しかしSさんは、私の信じる宗教を、見定めようとはしませんでした。
結局、彼らにとっての私は、その程度の存在だったんでしょうね。
これが、私のS会との戦いの全容です。
 
今まで長きに渡り、私の若い頃の格闘を綴って参りました。 お付き合いいただき、心から感謝いたします。
 

本日は、経典『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)より、大川隆法総裁が「人生の目的と使命』について語った一節をご紹介いたします。

        (ばく)

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「人生の意味とは」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「個性を輝かせよう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

人生の王道を語る https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=182

幸福の科学では、「人生の目的と使命」というものを教えています。

人生の目的とは、この地上に魂が生まれ変わることによって、さまざまな学習経験をすることです。そして、地上を去った世界にまた還っていきます。こういうプロセス、このような転生輪廻を繰り返しています。

そして、人生の使命とは、その魂を輝かし、地上にユートピアを創っていくことなのだ、という話をしています。(中略)  

ものごとは何でもそうですが、目標、目的があって、どういうふうにしていけばいいのかという筋道が立っている人にとっては、仕事というものは、いとも簡単に片づいていきますが、先が見えない人、どうしたらいいかがわからない人、自分がどっちに向かって行ったらいいかわからない人にとっては、試行錯誤の連続です。

そして無駄な時間がたくさんできてきます。  

ですから、人生の目的と使命をはっきり知っている人から見ると、そういう無駄な時間が出ないことになるのです。(中略)  

あの世は百パーセントあります。私は実体験しています。実体験している者にとっては、これは疑う余地がないことなのです。九十九パーセントということはありません。百パーセントなのです。(中略)  

すなわち、「死んで初めてあの世があるということを知った人は、そうとう無駄な時間を使っている。それまでの間に、無駄な生き方、人生の時間のロスがかなりある」ということを言っているのです。  

早いうちにその事実を知った人には、時間の無駄が少なくなります。つまり、自分の時間を管理することができます。(中略)  

時間というものはお金以上のものなのです。

お金を使うときには、予算を立てて使うでしょう。ですから、時間も予算化しなければいけないのです。(中略)

一日は二十四時間ですし、一生は八十年ぐらいのものです。それを無駄にしないで予算化していくこと、大事なところに使っていって、そして大きな時間を生み出していくこと――これがひじょうに大事なことなのです。(中略)  

私たちは、あの世に生きているのではなくて、現にこの世に生きている存在です。(中略)

ですから、霊的世界に興味を持ったとしても、出発点は、あくまでもこの世の自分の生命を、時間を、燃焼させるということです。それは一日一日から成り立っているのです。一日一日を黄金の時間に変えていくことこそ、私たちの人生の目的なのです。

あの世的なことを知ったからといって、それを逃避に使ってはなりません。一日一日を充実させ、光に満ちた黄金色に変えていくことこそ、大切なことです。  

仏法真理を知った人は、知れば知るほどに、時間を大切にしていただきたいのです。

毎日毎日を大切にしていただきたいのです。

一日を一生として生きていただきたいのです。そ

れが肝要なことなのです

 『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)P156~163

 

「自分の人生を愛する」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

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大川隆法VSばく 幸福の科学との格闘日記(笑)


大川隆法VSばく 幸福の科学との格闘日記(笑)

2019-04-02 00:27:34 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)
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皆様、ようこそ。
幸福の科学高知なかまのぶろぐ、代表管理人兼編集長の「ばく」でございます。

ど、どえらい演題を付けてしまいました。(爆笑)
 
 
畏れ多くもかしこくも、私を知る人、100人が100人に、「あいつは俗物だぜョ。」と言われる私ごときが、国師にして、再誕の仏陀、大川隆法総裁先生に対決を挑むのか!!(爆笑)

ハハハ。
ここ最近ご報告している、私が24歳の頃の話でございます。
どうか、若気の至りと、ご容赦くださいませ。m(_)m

さて、前々回の記事の続きですけれども、職場の同僚O君から現代の仏陀は、もう法を説いているとお聞きし、私がO君に、「その大川隆法さんとやらの本を貸してくれ!」とO君にお願いしたら、O君はあっさりと、「ああ、今から取ってくるわ~。」と、自宅に戻りました。
 
そしてすぐに、本を10冊以上(確か、12冊)持ってきたのには、さすがの私もびっくりしましたね。(笑)
そして彼とは、こんなやりとりがありました。

ばく
「えっ、こんなに読め!ってか~?」(笑)

O君
「そや。幸福の科学は、本10冊以上読まないと、入会できんのや(当時)。」
ばく
「なんじゃ、それはぁ。宗教らしくないな~。(^^;」
O君
「それだけやないでぇ~。入会願書書いて、審査があるんや。(当時)」
ばく
「えっ、入るのに試験があるんか?」
O君
「ああ。それでな、悪霊が一匹憑いていたら3ヶ月待機。2匹なら6ヶ月待機なんや。それ以上なら、却下や。入会お断りやー。」
ばく
「入会お断りする宗教なんて、聞いたことないでぇー。(爆笑)」
 
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ばく
「ところでO君は、どうやったんや?」
O君
「もちろん、一発で入会や。ホンデやな、ばくちゃんが入りたくなったらと思って持って、10冊以上持って来てあげたでぇ。」
そう言ってO君は、本を積み上げ、
 
O君
「この上から、順番に読んでいくんやでぇ~。」   と、ご親切に(笑)、本を読む順番まで指示して帰りました。(大笑)
 
私は、「あの男、どんだけ上から目線なんじゃ!」と思いましたが(笑)、「まぁ、仏陀なら、そうかも知らんなぁ。」とも思いましたね。

O君が指定した本を読む順番は、確か、生前の高橋信二氏の書籍、坂本龍馬の霊言⇒太陽の法⇒黄金の法⇒永遠の法、だったように記憶しています。
そして私は、O君から与えられた本を、2~3日で一気に読み上げました。 もちろん、彼が指示した通りの順番で。(笑)
そして私は、

ばく
 
「こ、これは・・・、これは間違いない。この方は、仏陀としか思えない。」
 
 
と、現生の仏陀の言霊に触れ、天にも昇る心境でした。
 
私は、入会条件の10冊以上はクリアしましたので、心情的には、そのまま入会したかったのです。
 
が! ただ心に引っ掛かるものがありました。 それは、他ならぬO君のキャラクターでした。(笑)
 
     愛は憎しみを超えて https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?roduct_id=2167                         
 
O君は、決して悪い人ではないのですけど、なんというか、浮世離れしているというか、遊離しているような人で、危なっかしい人でしたね。  
彼がまず、高橋信次氏の本を私に薦めたことで、もうお分かりかと思いますが、彼は、元GLA信者からの幸福の科学入会ですのでね、思考が霊能系に偏っているところがあったかと思いますね。
 
具体的に、詳しくは語れませんし、まあ、この私ごときが言うのもなんですけれど(笑)、全国有数の偏屈信者が集まる高知の幸福の科学において、最も偏屈と言われている私(爆笑)が言うのですから、よっぽど変わっているって言うか、その時既に、奇人変人クラスに達している人だったんですよ。(笑)
 
ですので、当時の私は迷いました。
 
ばく
「僕が読んだ限りにおいては、大川隆法という御仁が、仏陀であることは、ほぼ間違いないだろう。 しかし万が一、O君が騙されているとしたら・・・。」
 
そして、当時の私は決意したのです。
 
ばく
「この、大川隆法という方の本の全てを、揚げ足を取るように、隅から隅まで読んでやる。」
「そして全身全霊、今まで蓄積した知識を総動員して、この教えに間違いがないかを確かめる。」
 
「それでもし、尻尾を出すようなところがあれば、その時にはO君に、友人として意見してあげなければならない。」
「場合によっては、幸福の科学とやらに乗り込む。」
 
かつて友人の辛坊君に誘われ、S会の地区集会に出向いた時と、全く同じ動機で、私はこともあろうに、巨人大川隆法の教えに挑む決意をしてしまったのです。
 
ああぁ、なんとまた、ここで私の悪い癖がでてしまいました。(笑)
 
当ブログに来てくださった皆様、もう少しだけ、この一筋縄ではいかない私に、お付き合いくださいませ。(笑)
 
ということで本日は、経典『太陽の法』より、仏陀でなければ語れない、個と宇宙の悟り、そして、善悪の根源的意味合いについて、大川隆法幸福の科学グループ総裁書き下ろしの一節をご紹介いたします。
 
これは、空想や創作で書ける内容ではないのです。
 
        (ばく)
 
 
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「正しい思いの持続」幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

 
太陽の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

 

私は、第1章において、宇宙の創造と地球霊団の成立の歴史を語ってきました。その成立過程からもわかるように、いわゆる天地の創造とは、高次元のものが、下次元のものをつくってゆくという歴史だったのです。

つまり、超高次元の根本仏の意志により、各次元に、つぎつぎと高級大霊がつくられる。そして、恒星意識、惑星意識が誕生したあと、大宇宙大霊の内部にひとつの異変が起こり、それが、三次元宇宙のもととなる。

そこから、やがて三次元空間に星ができ、星団ができ、それぞれの星、あるいは、各太陽系において、九次元以下の人格霊の生活空間ができてきた。そういうことなのです。  

わが太陽系においても、地球を中心とする霊系団は、まず、九次元宇宙界層ができました。

そのあと、八次元如来界(金剛界)ができ、七次元菩薩界(聖天上界)、六次元光明界、五次元善人界、四次元幽界(精霊界および、地獄界)が完成したのです。  

各次元に対応するこの次元構造は、もちろん、ほかの宇宙空間にもあります。しかし、九次元世界は、各星団の霊界とつながっているけれども、八次元世界以下は、それぞれの星に固有の霊界として発達していることが特徴です。  

こうしてみると、通常、ひとことで、魂と呼んでいる各人の生命体は、はるか高次元の根本仏が、下位レベルで発現したものであることが明瞭となります。

つまり、根本仏とは、あなたがた以外の別のところにある他者ではなく、あなたがたを存在せしめているところのひとつの高次の意識体なのです。

ですから、あなたがた自身も、仏の意識体の一部であり、仏の自己表現のあらわれの一部だということができます。  

つまり、根本仏は、自己表現の一端として、大宇宙をつくり、大宇宙のなかに住む生命体をつくり出したのです。それは、根本仏の意識の反映です。

ですから、根本仏が大宇宙の存続を望まなくなれば、この無限にも思える三次元宇宙空間は、ある日、忽然とその姿を消してしまいます。

ましてや、あなたがた人間の生命体も、仏が自己表現の意志を放棄すれば、たちまちにして、あとかたもなく姿を消してしまう、はかない存在なのです。

しかし、このはかない存在でもあるあなたがた個人の生命体も、仏の意識体の一部であるという意味においては、非常に高度な存在だといえます。  

ですから、あなたがたは、自分自身が仏の一部であり、仏の自己表現の一端をになっていることに、誇りと自信をもつべきなのです。これこそが、魂の真実です。 (中略)

  
魂には、いくつかの特徴があります。その一番目の特徴とは、創造的性質です。魂は、自分の意志によって、自由自在に自分をつくりかえていく性質が与えられています。
つまり、どのような思いをもった意識体であるかを、自分自身で決定できるということです。  
 
たとえば、愛を最高度に発揮することもできるし、自由を最高度に発揮することもできる。心の思いによって、内在する光の量をコントロールすることも自由自在で、高次元的存在へと自分を高めてゆくこともできれば、光の量をおとして、下次元的存在にすることも可能です。  
それでは、悪を働いたり、悪を思ったり、堕落したりすることも、魂の性質なのでしょうか。地獄に堕ちたり、地獄をつくったりすることも、魂の創造性によるものなのでしょうか。  
 
然り、然り。否、否。というのが答えです。  
 
なぜ、「然り」なのか、つまり、魂には創造の自由が与えられており、自由が自由であるゆえんは、規制がないことと、妨げるものがないということだからです。もし、規制や妨げがあるならば、それは自由ではなく、不自由となります。
 
一方、なぜ、「否」かについては、魂そのものの本来目的は、悪を働いたり、地獄をつくったりするようにはできていないからです。悪とは、魂そのもののなかにひそむ性質ではありません。悪とは、お互いの魂の自由と自由が相剋するところに生まれたゆがみであり、ひずみなのです。  
 
人間は、そもそも、自分ひとりでは、いかなる悪も犯しえません。
つまり、悪とは、他人の存在、ほかの生命の存在、あるいはまた、ほかの物体の存在をもってはじめて、その姿をあらわしてくるものだからです。  
 
古来から、善悪二元論については、さまぎまなことがいわれてきました。その根本問題は、仏のつくられた世界に、なぜ、悪が存在するのか、悪とは、仏自らのなかにひそむ性質なのかということでした。
 
しかし、悪は、もちろんのことながら、仏自らの性質、すなわち仏性ではありません。
悪とは、仏の大願成就を阻害することです。
あるいは、仏から自由を与えられた者同士の相剋、お互いの自由と自由とがぶつかりあって、一定の時間、ゆがみなり、ひずみが、心の世界に、あるいは、現象世界にあらわれているものにすぎないのです。
 
つまり、根源的存在論としてではなく、機能論、行為論として悪はあるのです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P70~76      
                       
 

- 本仏降臨 -

 

 

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/          

          
                                              心の中の光と、大川隆法総裁との出会い。                      
 
 
 

心の中の光と、大川隆法総裁との出会い。

2019-03-30 19:18:13 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

 

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さて、ご好評いただいている、「S会潜入レポート(笑)」です。

そろそろ私の幸福の科学との出会いも近いのですけど、 その前に、どうしてもこの話を入れたくなりました。
当初は確かに、S会とのバトルでしたが、段々と自分自身との格闘記事となってきていますね。

私が24歳ごろ、仏陀やイエス・キリストが、日に日に偉大に思えた時期でした。

世界から戦争をなくすためには、宗教融和が必須であり、そのためには、仏陀やキリストなど、歴史上の巨人と相対峙しないといけなかったのですが、街の宗教オタクと化していた(笑)私は、日々自分の小ささを実感しておりました。

実はその時期、私が幸福の科学と出会う前に、ちょっとした神秘体験を経験いたしました。
まずはそのご報告から。


それは私が24歳の秋の夜、ふと自分の人生を振り返った時のことです。
その反省で、私はこれまでの人生の中で、少なくとも3回死にかけている体験をしていることに気付きました。

しかもその3回のいずれもが、私のわがままから起きた出来事であり、その度に、両親や肉親、そして他の方の助けがあって、そして今こうして、自分が生きながらえている事実に、生まれて始めて気付きました。


私は、

「ああ自分は、なんてわがままな人間なのだろう。心配してくれた大人たちの言うことを聞かず、自分のやりたいようにのみ生きてきた。」 「そんな愚かな自分を、人様は助けてくださった。なんとありがたく、そして僕は、なんと運のいいことだろう。」

愚かで、ちっぽけな自分と、両親を含めた出会った人たちへの感謝、 そして大きな神の導きの愛。それを強く感じ、涙が止めどなく流れました。
そして、「こんな愚かでちっぽけな自分ではあるけれども、今まで助けていただいたことに感謝し、これからはお返しの人生を生きよう。」
と思った後に、とても不思議な体験をしたのです。

 肉体から意識が飛び出た・・・というより、はみ出した・・・という感じでしょうか。 私はそう思い、少し怖くなったのを覚えています。
あきらかに、「肉体と、自分と認識している意識とは別のものだ。」 その時に、はっきりと自覚いたしました。

この不思議な感覚に、私はしばらくの間、うろたえていました。

そして見上げると、そこには、『光』があったのです。

 丸く柔らかな光 なんとも懐かしく、暖かい光。

私は思わず尋ねました。

すると、光が答えたので驚きました。

答えたのですけど、声が聞こえたのではありません。

しかし、その光が言おうとしていることが、自分にわかるのです。

実に、不思議な体験でした。

circle_72.jpg

 

ばく

「あなたは・・・、神さま・・・、ですか・・・?」

「いえいえ、違います。私は神ではありません。神は遥かに偉大です。」

ばく

「では、守護霊さま・・・、ですか・・・?」

 光 

「そのように、受けとっていただいて結構です。」

当時の私は、丹波哲郎氏の書籍などによって、守護霊と言われる存在への、言葉の知識だけはありました。

不思議な光は、なおもメッセージを続けました。

「しかし、今あたなたが言ったことは、半分は当たっています。」    

「神は、人の心の中に,いらっしゃるのです。」

「大宇宙の神と人とは、心と心で繋がっているのです。」

「人は心でしか、神を見ることはできないのです。」


そう言って、『光』は消えました。

暖かく、愛された感覚だけが残りました。

私は、

「神は、人の心の中にいらっしゃる。」「 神と人とは、心と心で繋がっている。」「 心」

「僕はまだ、心の探求ができていない。 そうか、宗教は心なんだ。」

「仏陀の言葉も、イエスの言葉も、心の教えなんだ。」「 そうか、心の教えか。」


と思い、生まれて初めて経験した、不思議な出来事と、初めて得た見解に、感謝の思いがあふれると同時に、 「何かが近づいている。」という感覚を、強く感じた出来事でした。

さぁ、皆様お待たせいたしました。

やっとやっと、私が幸福の科学に出会います。

その出会いは以外にも、とても身近にありました。

しかし、いったいどれだけの文字と、日にちをかければ気が済むのでしょうか? (爆笑)


これまでの私は、文献を中心に、真理探究を、ほぼ独学で行って参りましたが、神秘体験は、「それは単なる言語学であった。」と実感させられました。

つまりこれらは、文献では発見できなかったんですね。 これが言いたかったのです。
これらの学びは、当時の私にとっては、あくまでS会への反発心に使っていた、ツールであったと思います。

私はいつの間にか、S会信者さんとのお付き合いの中でも、「これからは宗教融和の思想が必要だし、仏教だったら生死の意味が解らないといけないし、世界を救うには、普遍的な心の教えが不可欠だ。」と言うようになって、彼らからも少し煙たがられる存在になっていました(笑)。


「偉そうに、正法を名乗るなら、これくらいは揃えとけよ!!」っていう感じですかね。 彼らS学会に、私はどんどんハードルを上げていっている訳ですね。 私は、とても意地悪ですね。(^@^)
でもこれは、現代に必要とされている宗教としては、至極当然でしょうし、知らず知らずとは言え、他の邪教と呼ばれる団体へのアプローチにも、使えるツールが手に入ったと私は考えています。

では、幸福の科学との出会いに移ります。

 

そのO君が、とある事情で、私の住処を訪問する機会がありました。 O君は、私の部屋の書棚を見て、こう言いました。

O君

「ばくちゃん、随分と宗教関係の本が多いんやね。意外やね。」

ばく

「ああ、ちょっと、期するところがあってね。」

O君は、私の本の演題を見て、こう言いました。

O君

「ふ~ん、ああ、結構いいセンスしてるじゃん。(笑)ちょっと見せてね。」

そう言って、彼は私の本を何冊かパラパラとめくり、そして、宗教用語を流暢に語り始めました。

ばく

「へえ~O君、君は宗教に詳しいんやね。」

O君

「まあね。多分、そこらへんの坊さんよりは知っとるで。(笑)」

この時私は、「自分以外にも、宗教を勉強しているに人間がいるのだ。」ということが嬉しかったのと、 「この男、結構知っているな。」と思い、彼に尋ねてみることにしました。

ばく

「なあO君。仏陀がまた生まれかわるという予言があるんだけど、君、そんなの知っとるか?」

そして、O君からあっさりと、ホントにあっさりと、(笑)とても思いがけない言葉を、私は聞いたのです。

O君

「仏陀? ああ、仏陀なら、もう法を説いといるよ。」

私は、びっくり!!!しました。

ばく

「え”~~~~~!!」

O君

「もう、3年位(当時)経つかな。」
 

私は、頭が真っ白になりました。そして、

ばく

「誰や!それは誰や!有名な人か!」

O君

「大川隆法・・・という方や。」

ばく

「オーカワ リューホー??? 知らんなぁ~???」

O君

「ここに、本があるやんかぁ~。アーッハハハハハ。ほれ、ここに。幸福になれない症候群・・・この人やでェ~。」

 

 私は確かに、大川隆法著『幸福になれない症候群』を持っていました。 とてもためになる、良いことが書いてあったので、友人の辛坊君たちにも貸していました。(笑)

ばく

「こ、この方が??ブ・・・仏陀???随分、おじいちゃんなんやろな?」
 

私はこの本の著者は、人生の酸いも甘いも知り尽くした、ご老人だと思っていました。(笑)

O君

「アーッハハハハ。ちゃうちゃう。33歳(当時)やでェ~。(大笑)」

ばく

「33歳? え”----! 僕たちと、そんなに変わらんやんかー!」

O君

「まあ、仏陀やからな。」

ばく

「もっと他にも、本、書いているんか?」

O君

「ああ、100冊くらい(当時)、あるんちゃうかなぁ?」

ばく

「ひゃ、ひゃくさつ~~!!たった3年で、100冊やて~!!」

O君

「ああ、1週間で4冊出た時もあったわー。最近は、ちょっとゆっくりやな。1ヶ月に1冊くらいかな。」

ばく

「なんという、早いペースで書きはんのや。貸せ!いや、O君頼む。貸してくれー!!m(_)m」

O君

「あ、ああ・・・、ええよ~。じゃあ、取ってくるわ~。」
 

私の、運命の歯車が回り始めました。 私は当時24歳、年の暮れも押し迫った、寒い夜の出来事でした。

 

お待たせいたしました。

やっとたどり着きました。(笑)

 

さてここから私は、すんなりと、天から示された、進むべき道に進むのでしょうか?

それは次回からのお楽しみ・・・。(笑)

ということで本日は、話題に上った経典『幸福になれない症候群』(幸福の科学出版)より、家族の進行の不一致について、大川隆法総裁が語った一説をご紹介いたします。

       (ばく)

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「人生の意味とは」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

 「幸福になれない」症候群 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=149

 

どうしても相手の納得が得られず、信仰の不一致が続いている場合には、相手を無理に改宗させる必要はありません。

そうしたことをすると、家庭のなかが地獄になっていく場合が多いからです。  

たとえば、奥さんが新しい信仰に目覚め、それが素晴らしい教えだとしても、ご主人が反対することに、まったく理由がないわけではありません。

多くの人は宗教的なものに対して警戒心を持つのが常であり、その教えの効果を見てみなければ、なかなか信じることができないものなのです。  

そこで、大切な点は、相手の信条をすぐに変えてしまおうとするのではなく、まず自分自身が、新しい信仰にふれて心を変え、心境を向上させ、素晴らしい人間になることです。そうした状態が二年、三年と続いていけば、人は必ず認めてくれるものです。

あなたの職場の人や友人も認めてくれるでしょうし、ましてや、最も身近にいる妻や夫が認めてくれないはずはありません。  

クリスチャンたちは「教会に登録しなければ救われない」という言い方をよくします。それも伝道方法の一つではあるかもしれませんが、「教会に登録する」ということと、「その人の魂が浄化され、向上する」ということとは、イコールではないはずです。

これが分からないほど愚かになってはいけません。

名前を登録することは一つのきっかけにすぎないのです。  

「単に教団に名前を登録すれば救われる。入会さえすれば救われる」という考えは間違っています。

その教団がほんとうによい教えを説いているとしても、入会しただけで何も努力しなければ、救いにはならないでしょう。

その教えを真剣に学び、自分のものとして身につけなくてはならないのです。  

まず、自分が変わることが必要です。ご主人を説得したければ、奥さん自身がまず変わってみせなくてはなりません。

その教団に入って、どれだけ立派になったかが大事なのです。「おまえがこれほど素晴らしくなる教えなら、おれも少し学んでみようか」という気持ちを、ご主人に起こさせるように頑張るべきです。  

要するに、「自分がこう思うから、他の人もこう思うべきだ」という考えを持ちすぎないことが大切なのです。

ここが宗教的寛容性の試されるところです。  

宗教がきらわれる場合、寛容さが失われているところに原因があります。

「特定の宗派に属さなければ救われない」「この教え以外では救われない」という考え方は、地上の人間に特有のものであり、高級霊の世界、仏の世界は、そうした不寛容なものではないのです。

「他の教えにもよいところがあれば、それを取り入れ、人生に役立てる」ということでよいではありませんか。  

いま必要なことは、宗教的寛容性、寛容の心だと思います。

これは、実は非常に根源的な考え方でもあるのです。

『幸福になれない症候群』(幸福の科学出版)P282~284

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 

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母曰く。「人生の目的と使命が分かるのは、お釈迦様だけじゃ!」


母曰く。「人生の目的と使命が分かるのは、お釈迦様だけじゃ!」

2019-03-29 00:33:17 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

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今週末3月30日(土)13時開演で、大川隆法幸福の科学グループ総裁と、釈量子幸福実現党党首当時のお対談が「夢は尽きない」 という演題で行われます。

本会場は東京正心館で全国の支部や精舎に衛星中継されますが、これまでの対談と違うところは、報道陣を招いて行われるところ。

この対談までに、日蓮正宗系で日本最大の宗教S会潜入レポートを終わらすつもりでしたが、思いがけず終わりません。(爆笑)

前説の長いのが、私の悪い癖ですね。(苦笑)

では早速、本題に入りましょう。
 
前回記事で書いたやりとりで、若かりし頃の私は、無事S会から脱会するに至りましたが、その後も彼らとは、細々したお付き合いは続きます。
何せ、ものすごく信者さんが多い地区に住んでいたので、どこに行っても出会ってしまい、逃れられないのですね。(苦笑)

一方、私の方の研究、つまり「世界の大宗教は、根源は同じではないか?」という仮説の立証は、なかなか進展しませんでした。【夢の光】のような、新発見はなかなかなく、焦り気味でした。

仏典の中で、唯一法華経のみが、人は仏の子という概念を強く打ち出し、そして久遠実情の仏陀(くおんじつじょうのぶっだ)という概念が現れ、信仰としての仏教がこの時に出来たというくらいしか、認識は進みませんでしたね。
 
つまり、法華経なしでは、仏教は宗教になりえなかったのは事実だと思います。
 
さてある年末に、私は彼らから忘年会に誘われました。 場所は、例のバトルが開かれたお家です。 その日がちょうど12月24日だったので、私は、こう挨拶してお家に入りました。
 
 
ばく
「メリークリスマ~ス!!」

Sさん
「ば、ばくちゃん、それを言ったらアカン!!」「少しは僕たちにも、配慮してくれんかなぁ~。」

ばく
「えっ、でも今日は、クリスマスイブですよー?僕はてっきり、クリスマスパーティーかと・・・(^^;」

Sさん
「忘年会なんや!!僕たちに、クリスマスパーティーはない!君の持論は、宗教融和なんやろ?だったら、頼むから、逆なでしないでくれるかぁ。」

ばく
「あっ、これは失礼しました。ハハハハ。ごめんごめん。(^^;」

こんな調子でしたが、その後の二次会でのカラオケで、私たちは、賛美歌『諸人こぞりて』を、一同肩を組んで大合唱しました。(爆笑)
 もちろん、私がリクエストしたんですけどね。v(^^)
 

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「モーロビトー コゾーリーテー ♪・・・・・ シュワキマセリー シュワキマセリー シュワーシュワー キマーセーリー♪」
 
 

キリスト教文化に疎い彼ら、S会の信者さんにとって、きっとこの歌は、「聞いたことのある、ロシア民謡」か何かにしか、聞き取れなかったに違いありません。(大爆笑!!)

さて、脱会から一年くらい経過した年の暮れに、私の叔父が、若くして病気で亡くなりました。 私にとっては、生まれて初めて、肉親の死を経験しました。

当時の私には、とてもショックな出来事でした。
それは私がその時、既に宗教を研究していたのも関わらず、死の意味がわからなかったからです。
 
文献研究のみの限界を、その時に激しく悟りました
そして、看護師として働き、糧を得ている立場としても、死の意味を知らないことは、とても恥ずかしいことだと思いました。
当時の私は、職業柄、人の死に、あまりにも慣れ過ぎていたと思います。 肉親の死は、それを私に痛感させました。

私は慟哭の通夜の後、母に訊ねました。

ばく
「なあ、お母ちゃん。人間はなぜ死ぬんやろなぁ~。」

「そりゃぁ、心臓が止まるからよねぇー。」

ばく
「ガクッ、そうじゃぁないちや、意味の方じゃぁ。なんで人は、死なんとあかんのじゃぁ?」
「つまりぃ、なぜ人は生きているのか・・・ということじゃぁ。」

「はあ、そっちの方かねぇ。それがわかれば、お釈迦様よねぇー。」

ばく
「えっ、お母ちゃんは・・・、知らんがかぁ?」

当時の私は、年上の人は、当然そういうことは知っていると思っていました。(笑)

「私は、お釈迦様じゃぁないから、そんなことはわからん。わからんなりに、一生懸命生きちょる。皆そうじゃ。」

ばく
「じゃあ、お釈迦様なら、それがわかるがかぁ?」

「ああ、それがわかるのが、お釈迦様じゃ。お釈迦様しか、それ(生死の意味)はわからん。」
 
私はこの母の言葉で、一気に仏陀への尊崇の念が高まりました。

そして、 「俺の母ちゃんって、スッゲー!!」と、生まれて初めて(笑)、強く母をリスペクト(尊敬)したのでありました。(爆笑)
 
 
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さて、生まれて初めて経験した、肉親の死を契機に、私は生死の意味を、考えるようになっていました。
そして母が教えてくれた、「生死の意味は、仏陀ならわかる。」という言葉が、私の菩提心を掻き立てました。

そしてその後は、定時制の看護学校を卒業し、少し時間的余裕もできたので、仏教書やそれまでは敬遠していた霊界ものまで、情報の収集の幅を拡げました。
しかし、これからがある意味大変でした。

丹波哲郎氏の著作など、霊界探求ものをかなり拝見したのですけど、「 死後の世界、つまり霊界が存在すること。」「 人間が、霊であること。」「 霊は、転生輪廻していること。」などはわかるのですが、肝心の、「 なぜ転生輪廻しているか?」がわかりません。

 丹波氏は、「転生輪廻をしながら、修行しているのだ。」と、 仮説を提示しているのですけど、結局のところ、「なぜ、修行しているのか?」は、いくら読んでも分からずじまいでした。

そして、その他の多くの宗教関係や、高名な方の、人生を向上させる系の書籍も数多く読みました。 しかし、「どう生きたらいいか。」は、たくさん書いてあるのですが、どうしても、「なぜ、生きているのか?」には、触れられていないのです。

仏陀は、確かに歴史上存在し、人生の意味を人類に語ったはずなのに、なぜだか、現代はその仏陀の語った知恵が失われている・・・。

この不思議な現実に、若い私は、目まいを覚える心境でした。

「これが、S会の人たちが言った、末法ということか・・・。」と、無力感に支配されそうになりました。 そうして、母が語った言葉を、証明するが如き期間が、2年以上続いたことになります。

また当時までは、先入観で嫌っておりましたが、オカルト系雑誌は、読むと面白かったです。 既成概念が緩み、自由に発想できるようになりました。

当時の私は、予言系を中心に関心領域を拡げていきましたが、その中で、目が釘付けになるフレーズを見つけました。

「末法の世に、仏陀が再び下生する。」

これは、仏陀最後の説法、涅槃経に書かれている一説として、予言コーナーで紹介されていました。
仏陀ご自身が、再び生まれ変わるという、お言葉を残している事実に、「ああ、仏陀が生まれるなら、お会いしたいものだ。」と、私は考えました。
 

「仏陀、もしくはイエス・キリスト級の方がいないと、もう世界は収まらない。」
この思いは、日に日に強くなるばかりでした。
 

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物理学者、アルバート・アインシュタイン博士が残した言葉や、思想信条の自由があり、全世界の思想宗教を自由に探求できる、唯一の国である日本の国際的な立場から言って、それ、つまり「仏陀再誕の地は、現代日本なのではないか?」私は、そう考えていました。

「仏陀にお会いするまでは、意地でも研究を止めない。」「仏陀は、いつお生まれになるかわからない。否、もう既に、亡くなっているかも知れない。」
「でも、下生した仏陀の教えが、少なくとも理解できるようにしておかなくてはならない。」「たとえ、海外にお生まれになっていても、僕は下生した仏陀にお会いしたい。」
 

仏陀再誕の予言に触れ、私は更に勉強を続けました。
それは私が、幸福の科学に出会う、半年ほど前の話です。

おおっと、いよいよ運命のときがくるのかな?(笑)

ああしかし、今回も、幸福の科学との出会いには、辿りつけませんでした。 (^^;
筆力不足です。 

本日は、経典『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)より、『仏陀再誕』という演題で語られた一節をご紹介いたします。

 

       (ばく)

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「死への不安」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

仏陀再誕 

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=175&utm_source=IRHweb&utm_medium=POPLINK&utm_campaign=id175

 

釈迦が生まれたときのインドに、 同じく生を享けた者は多かろうが、 その事実を知らずに去った者の哀れなることよ。

イエス生まれしイスラエルに 生命を持った者は多かったであろうが、 その事実に気づかずに 泡沫(うたかた)のごとき生命を終えた者の哀れなることよ。

いやむしろ、気づかぬままではなく、 あざ笑い、嘲笑し、 批判し、非難し、 地上を去った者の悲しさよ。

その悲しさは、決してとり返しのつくものではない。 どれほど反省してもとり去ることができない 魂の賂印となっているのだ。

今、あなた方の前に、 イエス以上の者が現われているのだ。

今あなた方の前に、 二千六百年前にインドで ゴーダマ・ブツダとして呼ばれた者以上の者が 現われているのだ。

 その事実を知るか知らぬかは、 認めるか認めぬかは、 一人ひとりの魂の賭(かけ)でもあろうが、 しかしその賭は、外れた場合に 大いなる後悔をともなうものであることだけは言っておく。

我が声、今回発されてすでに久しい。

しかし、世界五十四億の民のうち、 多くの者は、まだその事実を知らずにいる。

救世の法が説かれるということは、 すべてのものを投げ捨ててでも集わねばならぬということなのだ。

幾転生をくり返し、幾十転生をくり返し、 幾百転生をくり返し、幾千転生をくり返し、 まだそのことがわからぬか。

まだ、そのささやかなる真実がわからないのか。

 『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)P139~142

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 

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法華経と聖書の中にある「宗教戦争をなくす夢の光」と、奇妙な友情。

2019-03-28 00:20:10 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

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今回も引き続き、私の青春時代の、真理獲得の格闘記事を書かせていただきます。

皆様にご愛顧いただいたこのコーナーも、残すところ、あとわずかになって参りました。

前半戦が、ド派手なディベート合戦でしたので(笑)、その方面で超超~~盛り上がっていましたが、青年ばくの「S会潜入レポート」も、ここに来て、少し落ち着きを取り戻しつつあります。

カテゴリーが違っているかも知れませんね。 正確には、景山民雄さんみたいに、『我は何ゆえに、幸福の科学信徒になりしか。」でしょうね。

でも、私の真理への旅路には、彼らS会の人々との関わりが、避けて通れないのです。 彼らとの論戦を通して感じた疑問、そして感じた必要性が、私を幸福の科学に導いたのは、間違いありません。

深遠なる神仕組みに、心より感謝申し上げます。m(_)m


さて、初めて法華経(入門書ですけどね)を読んだ私は、ハッキリ言って驚愕いたしました。

何に驚愕したかと言うと、法華経の内容に、それ以前に読んだ、聖書にとてもよく似た箇所があったからです。

それは具体的に言うと、【化城の喩】(けじょうのゆ)という、たとえ話にです。
法華経は【法華七喩】と言って、たとえ話が数多く出てくる経文なのですけど、 その中の化城の喩が、私には旧約聖書の【出エジプト記】に、大変よく似た内容に思えたのです。

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出エジプト記は、有名なモーセが、奴隷となっていたヘブライ人(現在のユダヤ人の先祖)を解放し、イスラエルに向かう物語ですね。
都合40年間に渡り、成人男性だけで40万人もの難民が、シナイ半島をさまよいました。
その間に、モーセは神から啓示をを受け、困窮するヘブライ人を奇跡によって救い続けました。
 
一方、インドの仏陀が晩年期に説いたのが、法華経です。
法華経には、法華七喩(ほっけしちゆ)となど、たとえ話がたくさん出てきます。
 
では、法華経の化城の喩を、簡単にご紹介いたします。

あるところに、砂漠を旅するキャラバン隊がいました。 もう長いこと旅を続けて来た彼らは、すっかり疲れきっていました。
「これでは、旅を続けることはできない・・・。」 そう判断したキャラバン隊の隊長は、彼の持つ神通力で、幻のお城を隊員たちに創ってみせました。
 
「さあみんな、城があったぞ。みんな、ここで休もう。」
 
そう言って、隊長は隊員たちを、神通力で創ったお城で休ませました。
そして、神通力で食べ物や飲み物も創り出し、隊員たちに、たっぷりを休養を取らせました。
 
 
「みんな、元気になったようだね。」「それではまた、目的達成にために、旅を再開しようじゃないか。」 と、隊員たちを励まし、お城を出て、再び旅に出ました。
 
お城は、隊員たちが出たあと、忽然と消えてしまいました。
隊員たちは、不思議がりました。 「隊長。今まで私たちが休んでいた、お城がありません。」
隊員たちが、隊長に問いかけました。
 
隊長は、みんなにこう告げました。
「あれは私が、神通力を使って創り出したものだったのだよ。」
 
これが法華経法華七喩の中の、化城の喩です。
 
このたとえ話の真意は、仏教解釈的には諸説あろうかと思います。 しかし当時の私にはこのたとえ話が、「出エジプトをなした、モーゼの姿を仏陀が見ており、それを弟子たちに語ったのではないか?」と思えたのです。
いや、その時の私には、そうとしか思えませんでした。
 
「だとすれば・・・。」
 
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色々な思惑が、私の脳裏を駆け巡りました。
そして当時の私は、
 
「仏陀・モーゼ・イエス、そしてマホメットに至るまで、彼ら巨大宗教家は、同じものを見、そしてそれを人々に語ったのではないか?」
 
 
インドで見る太陽も、エジプトで見る太陽も、イスラエルで見る太陽も、サウジアラビアで見る太陽も、 存在は一つです。 たとえ、人がそれぞれ太陽のことを語ったとしても、人の数だけ太陽があるわけではありません。
今も昔も、太陽は一つです。
「正しい宗教は、同じ光を見て創られたのではないか? それが証明できれば、世界を救える。」
「かつて、法華経至上主義であった日蓮聖人の真意も、もしかしたら、そこにあるのかも知れない。」
 
生まれて初めて法華経に触れた私は、そう思うに至ったのです。
 
ここから、ただのヤンチャな若者だったばく青年は、少しずつ、大人の階段を昇ってまいります。

さて、S価学会地区集会に参加して、3ヶ月が経過した頃、例の地区長Sさんが、私の住まいを訪れました。
 
私はまた、「数人で取り囲まれるのでは。」と思っていたのですが、意外にもSさん一人での訪問でした。
また当初の約束通り、この期間に私とS会とはコンタクトを取ることもなく、私は自由に研究できました。

では、続きを。

Sさん
「ばくちゃん、お久しぶり。どう、勤行(ごんぎょう)はやったかい?」

ばく
「法華経は、読みましたよ。素晴らしい教えですね。色々発見があって、目が覚めた気分です。」

Sさんは、私のこの言葉を聞いて、とても喜びました。(笑)

Sさん
「そうかぁ、よかったぁ。なあ、我々の言っていることは正しいやろぉ?」「そうなんやぁ、やってみないとわからんのやぁ。」

そこで私は、「法華経と聖書が、とてもよく似ている。」「大宗教家は、同じものを見たのではないか?」という内容を、Sさんに話しました。 Sさんは本当に、びっくり!!していました。(笑)

Sさん
「え‘‘っ、何々??? ばくちゃん、仏教とキリスト教が一緒やてェ?」
「そんなこと、ありえんわぁ~~~。」   
「ホンマ、ばくちゃんには、いつもビックリさせられるわぁー。」

ばく
「そんな話、聞いたことないですかぁ?」

Sさん
「ないない、初めて聞いたわぁー。誰も考えたこともないよー。きっとぉ。」

ばく
「そうですか。じゃあ・・・、こんなことを考えているのは、世界で、僕一人だけかも知れないんですね。」

Sさん
「うん、恐らく・・・、そうやろなぁ、きっと。」 

ばく
「わかりました。僕はこれから、この方面を、もっと深く探求してみます。」
 

Sさん
「ど、どういうことや?」

 
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ばく
「世界の大宗教が、根源が同じならば、世界から戦争をなくせるんです。」
「今は、宗教の違いが戦争の原因ですけど、宗教が本質的に違いがないとなれば、もう戦争はできません。
「本当の平和が、可能になるんですよ。少なくとも、宗教を戦争の原因にすることは、それで出来なくなります。」
 
「僕が感じた夢の光が真実ならば、ほとんどの宗教は、皆兄弟です。」
「兄弟げんかならまだ許せますけど、兄弟同士で殺しあうのはいかんでしょう?」
「Sさん、それを見なきゃいけない、親(神様)の立場に立ってください。もしも僕が親なら、そんな光景には耐えられません。」

Sさん
「でも、そんなこと、ホンマに証明できるんか?」

ばく
「わかりません。」
「でも太陽を説明するのに、恐らく誰もが違う説明をすると思うんです。」
「ある人は眩しさを、ある人は温かさを、ある人は有用性を、という風にね。」
 
「しかし、宗教ができた時代も、地域もぜんぜん違いますし、それに、残っている経典は、ほとんどは弟子が書いています。」  
「弟子は開祖が言ったことが全てですし、理解にも限界がありますよね。」
「光源は同じでも、記録には残っていない可能性は高いと思います。」
 
「でも僕は、大宗教家たちが見た光は、同じだと証明してみたい。」
「他に誰もやってくれていないなら、今は僕がやるしかありません。」

Sさんは、しばらく沈黙しておりました。
そして私に、こう告げました。

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Sさん
「わかった。ばくちゃん。」
「これから僕は、友人として君に協力する。」
「力になれることがあれば、何でも言ってくれ。」
「僕は法華経のことなら、わかるからね。」

このSさんの思いがけない言葉に、私は感動しました。

ばく
「ありがとう、Sさん。僕は本当に、本当に、嬉しいです!!」

そう言って、二人は固く握手を交わしました。
そして、S会の熱血信者と、町の若き真理探求者との奇妙な友情関係は、その後、しばらくの期間続くのでした。

おお、そうなんですョ。

実は私、S会のバリバリの信者さんと、共同研究してた時期があるんです。(^^;

しかし私は、いったいいつになったら、幸福の科学に出会えるのでしょうねぇ。(爆笑)

ということで本日は、経典『幸福の原点』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁の、神仏の愛の視点から見た歴史や人生を垣間見れる一節をご紹介いたします。

     (ばく)

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「友情を築く」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

幸福の原点 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=143

 

みなさんは、幼いころより、釈尊の仏像を見たり、十字架上のイエスの姿を描いた絵などを見たりして、いろいろと宗教的なものに接したことはあっても、それらはすべて、自分の外にあるもの、窓の外、カーテンの外にあるものといった感じが強かったであろうと思います。

しかし、人間は、ある時点で仏神と出会うように仕組まれているのです。

仏神との出会いの契機として、一つには、この世で人間として成長していく途中における、大きな失敗、挫折ということがあるでしょう。大きな病、受験や就職の失敗、恋愛や結婚の失敗など、さまざまなかたちでの失敗、挫折が、人間を仏神のほうへと深く深く向き直らせる契機となっているのです。

苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。

「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。

世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。

しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。

仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の方便であると言うこともあります。いろいろな試練と見えるもの、砥石(といし)と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。

『幸福の原点』(幸福の科学出版)P115~117

幸福実現党 主要政策(2017年)

 

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 

 

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S会潜入レポートシリーズ第2部 「大巨人仏陀と、夢の光。」


S会潜入レポートシリーズ第2部 「大巨人仏陀と、夢の光。」

2019-03-27 00:09:12 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

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大変ご好評いただいている日蓮宗系の日本最大の宗教S会の地区会潜入レポートですが、まだ、私が幸福の科学にたどり着いたいきさつまで、たどり着きません。(笑) 当初より、長くなるだろうとは予想しておりましたが、やっと後半戦です。 (^^;

この企画を思いついたときには、「記事発表即炎上か?」と予想しておりましたが、皆様、暖かく見守ってくださっているようで、足を運んで下さった方、コメントいただいた方、皆様の応援が、これほどありがたいと思ったことはございません。心より感謝申し上げます。m(_)m

では、前回の続きを。
大泣きというより、半狂乱になった友人、辛坊君を見るに見かねて、私は「条件付きで、入信してもよい。」と、S会信者さんの前で言いました。
辛坊君は、このことがトラウマとなり、その後布教できなくなったそうです。(笑) まあ、それだけでも、集会に行った甲斐がありましたね。(爆笑)

さて私が彼ら、S会○○地区に突きつけた、3つの条件とは何か。 それは、

 1、仏教、そして法華経の研究は、自分流でやらせてもらう。

 2、S会の布教、折伏、伝道活動には一切参加しない。

3、3ヶ月たったら、S会は脱会する。

この3つです。

まあ、はっきり言えば、期限付きの名前だけ会員ですな。(笑) この条件を、彼らに飲ませました。
彼らにとって、それは屈辱であろうけれども、当時の私とS会とは、理想とする思想信条が、あまりにも違いすぎましたので、私としてはあくまで、友人である辛坊君の顔を立てての、最大限の妥協案を、その時は示したつもりだったのす。

その時の私の本音は、「トホホ、俺って、ホント、損な性分じゃわ。」でした。(爆笑)

その時の私は、きっと、「そんな、入会はお断りよ!!」と、例のウナギおばさん(笑)あたりが言うのじゃないかと期待していたのですが、「あれれ???」っていう感じで(笑)、会場は、「いやぁ、良かった。」「雨降って、地固まるじゃ!」と言い出したりして、急にウエルカムな雰囲気になりましたね。

 ホント、節操がないですね。(笑)正直、「この人たちには、誇りはないのか?」と私は思いました。(大笑)

 で、早速、地区長のSさんが、私の教育係を買って出ました。 Sさん、私にコテンパンに負けたのにね。アーッハハハハハハ。 今思い出しても、大笑いです。(爆笑)

そしてその地区会の後に、もっと大きな会合ということで、地域のお寺に連れて行かれたのですけど、 その会合で、当時の私より少し年上の青年から、 「大阪の青年部長が、すぐにできる逸材が入信したっていうのは、君かい?」って、声をかけられました。

Sさんが血相を変え、急いでその青年を、外に連れ出しました。 きっと、「要らぬことを言わないでくれ!」って、言ってたに違いありません。(笑)

私は今、高知県内のとある地方都市で、もう何年もの万年地区長ですけど、S会では、ルーキーでデビュー即、大坂府青年部長だそうす。(大爆笑!!)

やっぱり、人材の層の、厚みが違うのかなぁ。(爆笑)

ともあれ、このSさんとは、これからしばらくの間、お付き合いが続くことになります。

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その会合の後、Sさんは私の住むマンションを訪ね、S会のご本尊と、法華経経文を置いていきました。

もちろん私は、「要らない。」と言ったのですけど、「これだけは、言うことを聞いてもらう。」と、Sさんは譲りませんでした。

当時の私は、「まあどうせ、すぐに辞めるのだから。」と思い、それらを押入れにしまっておきました。
ほどよく、私の地元から、「どうやら、ばくが危機のようだ。」と、私を心配した遠い親戚の霊能系の宗教家が、私の母親を連れ添って、突如、「大阪の私の住まいを訪れました。

 私は彼に、今回の件を話しました。そして、

「信仰するつもりもないのに、入信するとは何事か!!」 「相手方にも、失礼千万である!!」と、こっぴどく彼に叱られました。(苦笑)

そして本尊と経文は、親戚の宗教家が、「ワシが責任を持って、地元のS会に届ける。」と、持ち帰りました。 そして、「S会脱会云々の手立ては、お前の修行として、自分で尻拭いせよ。」と、彼に言われました。

後日、この件に関しては、温厚なSさんも立腹しておりました。 「大切な法具を、勝手に扱われては困る。」と。 
 私はその件に関しては、Sさんに平謝りをしましたが、よくよく考えてみれば、そんなに大事なら、ポイっと置いてきちゃダメですよね。(爆笑)

さあ、これからが大変です。

今回は何とか彼らに、論戦で勝つことができました。
しかし問題は、当時の私が、仏教の知識が全くなかったことです。

3ヶ月後は、確実にやってきます。
次回勝てる保障は、どこにもありませんし、次はきっと彼らも、対策を講じているでしょう。 

しかも、当時の私の住んでいる地域は、日本一S会信者率の高いと言われる地域です。

もう逃れることはできません。
私は、今まで全くのノーマークであった、仏教と言う巨大な教えに、たった3ヶ月で挑まざるを得なくなったのです。

当時、病院で仕事をしながら、定時制学校に通っていた私にとって、それはあまりにもあまりにも、過酷なスケジュールを予感させる、充分過ぎる条件でした。 

「きっついなぁ・・・。」

そうつぶやきながらも、神様からの宿題に、果敢に挑んだ若かりし頃の私、その心意気だけは「偉かったな。」と、今は少しだけ褒めてあげたいなぁと、つい最近になって、やっと思えるようになりました。

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さて、たった3ヶ月でS会との再戦するかも知れない状況になり、当時、仏教を全く知らない私は、一体どこから手を付けていいか、考えあぐねておりました。

当時までの私は、ノストラダムスや、エドガー・ケーシーなどの予言書、聖書全編、コーラン入門書そして、世界の歴史書関係、ローマや、ユダヤ人など、民族関係書籍を、既に結構読んでおりました。

また当時から、無神論である共産主義も、私は宗教の一つと認識しておりましたので、共産主義にも、当然関心は持っておりました。
しかしそれはあくまで、戦争と宗教に関係する分野に関しての知識でした。

それらは、「これからの未来は、宗教融和なくして平和は来ない。」という思いからでした。

ですから、 歴史的に仏教に関係する紛争は、ほとんどありませんので、平和勢力である仏教は、それまでの私にとっては関心領域外、そう、全くのノーマークだったのです。

実際には、2・26事件など、北一輝ら日蓮宗徒が関係する、歴史的な軍事行動は存在します。 しかし、当時の私の時間的余裕の関係で、後回しというか、まずは、聖書関係国家や、民族に関する情報を収集する段階でした。

病院で働きながら、定時制の学校に通っていた当時の私には、時間的余裕は全くなかったので、これ以上、興味関心領域を広げるわけにはいかなかったのです。

今から思えば、S会地区集会に参加するまでは、まだそれらは、おぼろげなものであったと思います。 しかし、彼らとのディベートを繰り返すことで、私の心の中に、それはしっかりとした確信に到ることができました。

しかし、これからの問題は『仏教』です。 再誕の仏陀、大川隆法先生には誠に申し訳ないのですが、私はS会から身を守るためのツールとして、仏教を勉強し始めたのです。(苦笑)

仏教と言えば、8万4千の法門と言われるほど、膨大な教えのある宗教です。

「この中のどれを使えば、彼らに太刀打ちできるか?」「それも、たった3ヶ月で。」 ホント、途方にくれて、「ああ、なんてこったい。」っていう感じ、本当にそんな心境でしたね。

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仏典や経文を、逐一分析しているヒマは、全くありません。

「まずは、全体像をつかむために、釈尊の人物伝を読み、法華経の解説書を読んでから、傾向と対策を考えよう。」と、この巨大な教えに、私は挑み始めました。

釈迦伝を読んでの感想は、恥ずかしながらですけれども、仏典や仏教経文が、仏陀釈尊のお言葉の、漢文形態であることを、私はその時、初めて知りました。(苦笑)

「な~んや、アホくさ。」 「日本語で唱えれば、いいじゃんかぁ~。」
畏れ多くも、かしこくも、わざと難しいスタイルにしているとしか思えない仏教文化に、当時の私は、疑問を感じざるを得ませんでしたね。(笑) あっ、それは、今でも感じていますけど・・・。(笑)

さて、(えっ、釈迦伝感想は、これだけ?って。はい、これだけです。^^;)続いて、法華経入門書紐解きました。 そこで、法華経に初めて触れた私に、衝撃!!が走りました。

 「こ、これは!!」

その時私は、「僕は、人類にとっての【夢の光】を、発見したのかも知れない。」そういう希望が見え、喜びに包まれたのです。

そして、この時に抱いた希望の想いが、私のそれ以後の信仰の土台、信条の基盤になっていくのです。

ということで、これまでとがらっと違って(笑)、何だか落ち着いた雰囲気で始まった第2クール、その時私は、法華経の何に、「夢の光」を見出したのでしょうか?

続きは、またいつの日にか。

ということで本日は、経典『心の挑戦』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁説法の一節をご紹介いたします。

       (ばく)

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「心の平静の大切さ」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

 

心の挑戦 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=176

釈迦が四十五年にわたって説いてきた教えというものは、人間の心のあり方を、いかにして鍛練し、素晴らしい境地にまで引き上げるかということであったのです。

そのプロセス、あるいは教えの内容というものを、まったく取り去ってしまって、「とにかく、これだけをすれば救われる」というような安易な思想が、この世紀末の日本には跋扈(ばっこ)しています。まことにまことに情けないことであると私は思っております。  

そして、その結果、幸福の科学のような正しい団体が出てきて、人類救済の理想のもとに、人々の一人ひとりの機根に合わせた優れた教えを数多く出していっても、そのことの意味がわからない人がいるのです。

そして、「そんなことを言っても、いったい何の教えかわからないから、何を拝んだら救われるのか、それを教えてくれ」──こういうことを言ってくるのです。  

「他の宗教では、たとえば阿弥陀様を拝むとか、観音様を拝むとか、これを唱えたら救われるとか、いろいろなことを言う。お線香をあげればいいとか、先祖に手を合わせて法華経をあげればいいとか、これをすればいいのだということがある。幸福の科学はいったい何をすればよいのか、それをひと言で言ってくれ」というようなことを言われます。

そして、それに対して明確な答えがなければ、「これはおかしな宗教だ」「宗教になっていない」「教義がわからない」──このような批判をなさる方がいますが、「それは、そのように言うほうが間違っている」と私は思うのです。  

そもそも、釈迦の教え、仏陀の教えというものは、万人の一人ひとりにさまざまな機根があるということを前提として、いろいろな人にいろいろな教えを説いて、どんな方でも悟りに到れるように、豊富な教えを説いたものなのです。

その結果が、弟子たちによってお経として編纂されて、八万四千ともいわれるような、経蔵、お経の蔵に入れるような豊富なお経、無尽蔵のお経になったわけです。  

お経の量だけをみますと、仏教はキリスト教の何百倍、何千倍、いや、それ以上の教えがあります。教えとしての厚みがまったく違うものなのです。

そして、そのすべては、一つのこと、すなわち、「この地上に生きている、ありとしあらゆる人を、悟りの彼岸に渡したい」という念いから始まっているのです。  

ところが、(中略)現代人のなかには、心というものについて理解できない人間が数多くいるのです。

心というものがどうしてもわからず、「心というのは神経作用の一種だ」というように思っている方もいます。あるいは、「脳が心なのだ。つまり、脳にある皺(しわ)、それから、いろいろな反応に対して現われる化学的、あるいは電気的な作用、これが心なのだ。要するに、人間というのは、コンピューターのような、反応する機械なのだ」と、人間を機械として捉えている方もいます。  

そうすると、心の教えを説いた仏陀の、その心の教えそのものが、抽象的な空理空論であって、霊的世界についての教えなども、単なるたとえ話や比喩と捉える方が出てくるわけです。

心というものが、わからなくなってしまったら、そういうことになってしまいます。これが唯物論の結果でもありましょうし、あるいはカント以降の、あまりにもゆきすぎた理性主義の結末でもあるのかもしれません。  

やはり、私たちは原点に帰らなければならないと思います。仏陀が教えたことを、もう一度、謙虚に学び直すことです。

『心の挑戦』(幸福の科学出版)P53~57

幸福実現党党首・釈量子が命を懸ける理由ー夢のある国をつくろうー

 

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 

 

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S会潜入レポートシリーズ、第1部終了。


S会潜入レポートシリーズ、第1部終了。

2019-03-26 00:23:28 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)
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私の若かりし頃に体験した、日蓮正宗系の日本最大の宗教S会の地区会での出来事を綴ったご報告ですが、やっと後半戦に突入しました。 そう、結構長い戦いなのです。 (笑)
もうしばらく、お付き合い願えたらと思います。m(_)m
 
この記事で私の若かりし頃の、S会さんとのやり取りを振り返っておりますが、これは今見ると、完全なビギナーズラック(素人の幸運)ですね。 当時の私が、事前に仏教やS会の知識を持っていなかったことが、多分に幸いしております。 つまり、仏教やS会情報は、彼らが述べる説以外、私は知らないのですから、疑問に思ったり、つじつまが合わない点があれば、それを私は質問していただけなのです。
 
先入観も何もないのですから、それ以外方法がなかったのです。 ですから、今回ディベートしたと思われる点は、あくまで彼らS会が、本質的に抱える自己矛盾であり、それを彼ら信者さんたちは、卓越し訓練された弁論術で煙に巻いていただけなのです。
 
そしてこの時彼らからは、心に関する情報は、一切ありませんでした。 「だから、自分たち(だけが)正しい。」彼らの話は、これ一本でした。 そして私は、当時には既に、宗教と戦争に関する研究を、この半年余り前から始めておりました。 ですからその点が、彼らの真骨頂である、他宗批判と激しくぶつかったわけです。

 私の方も、それ以外の知識はまだ、ほとんどありませんので、これまで書いてきた文言でしか、返答のしようがなかったのですね。 ただ、私の論説の方が、新しい社会情報で、皆が知っている内容であり、現実的な側面から出てきたものだったために、彼らのカルト的な論説より、説得力は遙かにあったとは思います。 さて、お待たせしました。続きを書いていきますね。(^^)


前回記事は、婦人部長らしき女性が、私に言い放った言葉を伏せ字にしました。
随分と長文になってしまい、それを書いてしまうと、また長引きそうなので、ああいった形にしました。
 
もったいぶってすみません。m(_)m
女性がポロッといった言葉、それは、「はぁ~、あ~あ、魔が入った。」です。

この時私は、恥ずかしながら、カチン!と来てしまいました。
実は、この言葉の意味がわかってカチン!と来たのではありません。
5時間余り議論を、この短いフレーズで、一まとめにされたことに、カチン!と来てしまったのです。
 いやはや今思えば、若気の至り、汗顔の至りです。(^^;

それまで、畳の部屋であぐらをかいて座り、話していた私でしたが、 その言葉を聞いて、いつの間にか立ち上がり、彼女を見下し、指差していました。
その後しばらくの間、彼女を睨み付け、指差したままで、私はしゃべっていたようです。 後で、二の腕が痛かったです。(^^;
 
お待たせしました。では、続きを。
 
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ばく
「あんた、今なんて言った!!」

 女性 
「魔が入った、って、言ったのよ。」

ばく
「それは、どういうことですか?」

 女性 
「正法を言う時には、魔が競い立つのよ。だから今、あなたには、魔が入ったわ。」

ばく
「魔でも何でもいいや。」
「Sさんは、僕に言いましたよね。宗教は大事なんだ。しっかり自分で決めなきゃいけないって。」
「一生がかかっているし、死後の行き先も決めちゃうんだって。」  
「だから僕も、皆さんから一所懸命情報を収集し、分析しています。こっちも命がけなんですよ。一所懸命なんですよ。」 
 
「そして、誠心誠意、自論をお話しました。」
「それをなんですか?そんな短いフレーズで、一まとめにしてほしくはありませんね!」
 
「姉さん、あんたはなんですか?文句ばっかり・・・とか、生意気言うな・・・とか。そんなこと、わかってますよ。言いたくないけど言っているんです。」  
 
「全く、そんなことしか言えないんですか。情けない。」

 女性
「・・・・・・。」

女性は、プイッと斜め上を向き、唇をかみ締めていました。 そして目には薄っすらと、涙が溜まっていました。

ばく
「僕はうれしかったですよ。こんな話をしたのは、生まれて初めてです。誰にも今まで言っていません。」
「聞いてもらえて、皆さんには感謝しています。」
「辛坊君、ゴメンネ。君は僕が、こんなことを考えているって、知らなかったんだよね。」  
「本当にゴメンネ。」

その時に、少し離れた所に座っていた、別の中年女性(感じのよさそうな方でした)が、微笑みながら、私にこう言いました。
 
 婦人
「お釈迦様が、悟りを開こうと修行なさっている時にね、修行を妨害した者のことを、邪魔って言うんですって。」
 
ばく
「ああ、そうなんですか。知りませんでした。勉強になりました。姉さん、ありがとう。」
「ところで、そのお話も、法華経に載ってるお話なんですよね?」

その感じのいいご婦人は、ハッとした表情になり、その後うつむきましたました。 顔面蒼白となり、少し、震えているようにも見えました。
当時の私は知らなかったんですが、法華経は釈尊晩年のお経ですから、初期の悟りを開いた頃のお話は、載っていないはずなんですね。
 
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 恐らく、彼女は私に、
「さっき、法華経のみが正しくて、他は間違っているって、言いましたよね!」 と、突っ込まれると思ったのでしょうね。

 彼女には、本当に可哀相なことをしました。
ともあれ、この私の一言で完全に、「この青年には、恐ろしくて何も言えない。」という雰囲気に、会場内は包まれました。
場の空気は重く、最悪でした。
その重い空気の中、私をこの会に連れてきた友人、辛坊君の全く予想外の行動が、事態を一変させてしまうのです。
 
実は、泣き出したのです。

それも生半可な泣き方ではありません。半狂乱状態でした。

大の男が、そう、子供がパニックになって、泣き狂っているが如く、大きな声で泣き出したのです。

無理もありません。 彼は当時の私が、戦争と宗教の関係を研究していることは知りませんでした。 彼にとってはただの、気さくで陽気な飲み友達だったのです。(^^;

S会に入信した直後の彼は、仲間から、「私たちが折伏してあげるから、誰でもいいから連れてきなさ~い。」と言われ、かる~い気持ちで僕を誘っただけなのです。(笑)

それが、それが、仲間である地区集会が、自分が連れてきた友人のために、壊滅状態になってしまったのですから、パニックになるなと言う方が無理というものでしょう。

辛坊くんは、よりによって、最も連れて来てはいけない人物を、連れて来ちゃったのです。(^^;

私は別に、道場破りをするつもりでもなく、また、当時の自分の知識をひけらかすつもりでもなく、ただただ、友人が最近入信したという宗教を、見定めに来ただけだったのです。

「友人のため。」と思って、力一杯やった結果、こういうことになってしまいました。 

地区のリーダーであるSさんは、下を向き、自信喪失状態に。

また婦人部長と思われる、ウナギおばさんは、歯を食いしばり、上を向いて、涙がこぼれないようにしています。

もう一人の、感じの良いご婦人は、顔面蒼白で恐怖に震えています。

他の30人以上の地区メンバーはも、硬く口を閉ざしたままです。

辛坊君は、「あ”~~~~~。○×※△&~~~~~~!!」と、発狂状態で、仲間に肩をなでられていました。
 私は何だか辛坊くんに、ものすごく申し訳ない気持ちになり、つい、口走ってしまったのです。

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ばく

「辛坊くん泣くな!みっともない。」「あ~あ、わかったわかった。入っちゃる!それでええんやろ!」「名前だけだけど、入っちゃるよ。だから、もう泣くな!」

 会場の空気が、どよめきました。
皆、「なぜ?」「どういうこと?」「彼、今なんて言った?」と、会場をザワメキが、しばらく支配しました。
そして私は続けました。

ばく

「名前だけなら、入ってもええよ。」   

「だけど、条件がある。その条件は、3つだ。それで良ければ、入ってもええよ。」

このかる~い決断は、それ以降の私にとって、本当の戦いの始まりを告げると共に、辛く淋しくそして、おも~い日々の始まりを意味するものになろうとは(笑)、その時点では、神仏以外に誰も、知るよしはありませんでした。

さあ、これから私は、どうなるのでしょうか。

こんなことで私は、無事に、幸福の科学にまで、たどり着けるのでしょうか。(笑)

本日は『日蓮が語る 現代の「立正安国論」』(幸福の科学出版)より、日蓮聖人の霊言を紹介します。

       (ばく)

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日蓮が語る 現代の「立正安国論」        

 

 

日蓮宗を標榜している「創価学会」が、公明党という政党をつくっているわけですが、日蓮の本心から見れば、外国からの侵略に対しては、「徹底抗戦」や「防戦」を言わねばならんはずです。  

ところが、自分たちは、「日中国交回復に対して、歴史的な成果をあげた」ということが自慢であるわけです。(中略)  

もし、中国が敵になるようであれば、彼らの教団史自体を書き換えなければいけなくなります。つまり、評価が逆になり、「弱っていた中国を復活させ、日本を占領させるための手引きをした。実

は、日本侵略の橋頭堡になっていて、中国が日本を侵略するための、非常によい密偵役をしていた」ということになってしまうわけです。  だから、公明党は、国防なるものがほとんど説けません。  

日蓮から見れば、こんなもの(創価学会)は、軟弱で、日蓮宗には当たりません。  

外国の占領軍と戦う代わりに、本山(大石寺)と戦って、日蓮宗が内部割れするほうにエネルギーを注いだような感じですかね。

つまり、「日蓮宗の内部割れにエネルギーを注ぎ、信仰ある者を混乱させた。そして、怪しげな信仰を立ててしまった」ということです。  

「結局、利益団体にすぎなかったのではないか」ということが、あなたがた(幸福の科学)の勢力が拡大するにつれて、照らし出され、あぶり出されてきたわけですね。  

だから、あなたがたが、日蓮による「現代の立正安国論」を説いて堂々と戦えば、その姿を見た創価学会の信者や公明党の支持層等に、「幸福の科学あるいは幸福実現党でなければ、国を救えない」という考えのスイッチが入る可能性はあると思います。  

彼らも、(日蓮宗の)経典を読んでいるので、「(国防を説かないのは)おかしい」という感じを持っているだろうと思うのです。  

自分たちの歴史を否定することは残念でしょうけれども、彼らには、やはり、“踏み絵”が来るでしょうね。

『日蓮が語る 現代の「立正安国論」』(幸福の科学出版)P103~104

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 


他宗教批判と平和活動は、絶対に!両立しないです。

2019-03-23 19:28:02 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

 43-Preview

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好評い評いた  高知県のランキングに参加中。クリック応援お願いします!だいている、21歳の私が、当時の友人が入信した日蓮宗系の日本最大の某教団の地区会に、見極めにいったシリーズです。

ご好評いただいている、21歳の時の私が経験した、日蓮正宗系の日本最大の某宗教の地区会での出来事レポートです。

詳しくは、前3作の関連記事をお読みください。

さて、前回記事の最後に登場した年配の女性、恐らく、地区婦人部長さんなのだろうと思いますが、この方は、本当に手強かったです。
何せ、論理的な説明や、たとえ話が通用しません。(笑)

ある意味で、私の最も苦手とするタイプでしょうね。

さて、「宗教間、そして宗教の信者さん同士の和平なしで、平和などあり得ない。」という私の文言で、S学会地区会に集った方々は、言葉を失いました。

宗教が戦争の要因となっている現実を、私は皆さんにお話したのですが、S会の大きな特徴である『他の宗教批判と、平和活動』との矛盾に、S会の地区会の皆さんに、気づいてくださったのだと思います。

今まで、窓口として説明役をしていたS地区長さんは、顔面蒼白になり、一言もしゃべれなくなりました。
私を地区会に誘った辛坊君も、下を向いたまま、何もしゃべりません。

なぜ彼らが戦意を喪失したのか?当時の私には、それはわかりませんでした。

ただ一人、婦人部長らしき、初老の女性だけが、私に語りかけていました。
女性の信仰心は、やはり凄いですね。

この機会、私にとっては、始めての宗教論争でしたので、以降の伝道の参考になりました。
始めてと言っても、まだ幸福の科学入会前ですけど。(笑)

では続きを。

女性

「あなたは、物事を深刻に考え過ぎよ。」
「あなたは若いのだから、もっとハツラツとした、若者らしい生き方をするべきよ。」

ばく

「ご心配いただき、ありがとうございます。」
「僕だって、やりたいことは一杯あるのですよ。」
「でもね、会社が倒産しかけの時に、のんきにハツラツとできる社員なんかいますか?」

「ちゃんと、現実を見てくださいよ。」
「僕だって、自分より年上の人たちに、こんなこと言うのは嫌ですよ。」

女性

「あなたは、頭でっかちになっているわ。」
「考え過ぎて、飛び込む勇気を失っている・・・。私はそう思う。まずはあなた自身が、幸せになることよ。」
   
「難しく考えないで。」
「ここに仲間がいるわ。一緒にやろうよ。」
「何でも、実践してみないと、わからないものなのよ。」

ばく

「僕はね、人間は努力した以上に幸せになっちゃいけないと思うんです。」
「それ以上は、欲だと思っているんですよ。」
「だから僕は、宗教で幸せになろうなんて、これっぽっちも思っていないです。」
「ですからね、僕のことはいいんですから、どうか、ほっといてくださいな。」
   
「でもね。皆さんですよ。僕に、理証が大事だ、と教えたのは。」
「仏教は奥が深いな、と思いましたよ。」
「この人たちなら、わかってくれるかも知れないと思ってしゃべっています。」
 
「でも、その理証が大事だと言った人たちが、理屈に合わないではありませんか!」
「もし、肺ガン患者にタバコを勧める医者がいたとしたら、もしそんな医者がいたら、姉さん信じられますか?」 

「他宗批判しながら、平和活動・・・これは、そういうことなんですよ。」

女性

「それが、難しく考えているというの!」
「そんなこと、あなたが考えることじゃないわ。もっと、大人が考えることよ。」

ばく

「もっと大人が考えること・・・?」

女性

「そうよ。あなたはあなたの、夢を追うべきよ。」

ばく

「僕は言いましたよね・・・。他に誰もやってくれないから、仕方なくやっているんだ・・・と。」
「一体、どこのどなたが、そのやるべきことをやっているんですか!」
「いるなら、今すぐここに連れて来てくださいよ! そしたら、僕だってやりたいことがやれるんです。」
   
「あなただって、考えてはいなかったじゃないですか!」
「無責任なこと、言うんじゃないよ!」

「いいですか。今の戦争はね、最悪、ボタンひとつで終わるんです。」
「そんな中で、日本がもし、他宗教批判の宗教を国教にでもしたら、日本は四方八方敵だらけ、孤立無援になるんですよ!」

 「太平洋戦争と同じ構造だ。そうなったら姉さん、さあどうする。」

女性

「ならない!!」

ばく

「どうして!!」

女性

「絶対にならない!!」

ばく

「まったく、もう、理証はどこにいったんですかぁ?」

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という感じで。。。

もっと多くの対話を、このご婦人とは交わしたのですが、あまりにも文言が多いので忘れてしまいましたし、書ききれないですね。

そして、「それは、へ理屈です。」「あなたは、何もやってないじゃない。」

すべてこの言葉で、切り返してきて、ほんの少しだけ話題をかすめて、別の話題に切り替えます。

「にゅるにゅると、話がすり抜けていって、まるでウナギと話ているみたいだ。」と、その時の私は考えていました。

とにかく、このご婦人は、ある意味、とても手強かったです。

では続きを。

ばく

「いいですか?」
「僕たちが自分たちの愚かさで滅ぶのは、ある意味で、仕方ないことだと思うんですよ。もうそれは、時間切れかも知れません。」
「けどね、地球には既に50億人(当時)います。全ての人類が、滅んでしまうようなことは、恐らくないでしょう。」

「問題は、その生き残った人たちです。」
「生き残った子や孫たちが、宗教や民族の違いで永遠に憎しみ、お互いを理解しようともせず、戦い続ける社会を、あなたは許せますか!」
  
「皆さんはそんな社会に、子や孫が住むことに、耐えられますか?」

「僕は耐えられない!」

「今を生きる人たちが何もしなかったら、訪れる未来はそういう未来です。あと10年、20年先の話ですよ。」

「今は、そしてこれからは、宗教間の和平、違う宗教の信者さんたちが融和し、尊敬し会える社会を、作り出す考えを探さなければならないし、なければ、作らなければならないんですよ!」

「それしか、方法論がないんです!!」

女性

「宗教間の和平?違う宗教信者同志の融和?」
「そんなこと、できるわけないじゃない。無理よ無理。」

「そして、あなた一人で、一体何ができると言うの?」
「私たちは、現実的に、平和のための活動をしています!」

ばく
「僕から見たら、他宗教批判をしながらの平和活動の方が無理だし、非現実的ですよ。」
「効かない薬、いくら飲んでても、効果はないし、副作用ばっかり蓄積されるんですよ。」
「どだい、宗教の融和が無理なら、本当の平和も無理なんですー。」

「相手から見て御覧なさいよ。宿敵ですよ。やるかやられるか、の間柄ですよ。」
   
「S会がこれ以上大きくなって、国教にでもなれば、いつかあなたたちが原因で、日本は戦争を仕掛けられます。いや、あなたたちが起こすかも知れない。」

「そのときに起こる紛争は、決して憎しみが消えないものになる。」

女性
「ならない!って言っているでしょう!しつこいわねぇ。」
「正法が定着し、法華経の世になれば、平和が来るのよ!」
   
「四の五の言わずに、やってごらんなさいよ!」   
「私たちは、実践を重んじるのよ。へ理屈ばっかり言ってるんじゃないわよ!」

ばく
「理証・文証・現証が正法ですよね。理屈に合わないことは、正法にあらずでしょうがー。」
「これは、あなた方の教えですよ。」  

「僕は病院に勤めているけど、治療も一緒だ。理屈に合わない治療なんて、そりゃダメでしょう?」

女性
「病院だって緊急の時には、無理やり注射したりするでしょうー?。」

ばく
「だったらね、四の五の言わずに薬を飲め!っていうならね、まずは、信頼されるあなた方であるべきだ。」
「僕は、S会を信用できていません!!」

「平和活動をするなら、他宗教批判は止めるべきです。」
「他宗教批判を続けるなら、平和活動は止めるべきです。」
「どちらかに、うわべだけのもの・・・があります。」
 
「どちらか、一方にしなさいよ。だったら信用はできる。少なくとも。」

「せめて、聖書なりの原典を研究してから、問題点を出すのがスジです。最初から、邪教だ!!というなど、世界的には言語道断ですし、あまりにも無責任すぎる!」

「背景に、それぞれの民族の歴史があるんですよ。宗教にはね。」
「それを検討もせず、頭ごなしに、邪教だ!というのは、間違っています。」

「他宗教批判と平和活動、この二つは絶対に両立しません。」
「なぜなら、戦争の原因は、宗教の不和だからです。」
「何度でも言いますよ。これが現実なんですから・・・。」
 
女性
「・・・・・。」
 
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ばく
   
「ですから僕は、S会を信用することはできません!」

外は、すっかり暗くなっていました。時間は午後7時になっていました。
ここに来たのは、午後2時頃でしたから、かれこれ5時間も議論していたのですね。

当時の私は、平行線を続ける議論に、これ以上時間を費やしても無駄だと判断し、話を聞いてくれた皆さんに、お礼を言って引き上げることを考えていました。

しかし、この女性の、ため息交じりにポロッといった一言が、まだ若かった私を、激怒させることになったのです。

女性 
「はぁ~、○×・・・・・。」

ばく
「ちょっと、お姉さん。あんた今、なんて言ったぁー!!」
「もう一度言ってみろ!!」

さて、このご婦人は、何て言ったのでしょうか?
この続きは、また次回に・・・(^^)/
 
ということで本日は、経典『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)より、宗教対立への神仏の視点を垣間見れる一節をご紹介いたします。
 
       (ばく)
 

 宗教選択の時代 

人間は本来、霊的な存在であり、天上界においては、仏の考えを、何らかのかたちで常に学んでいます。しかし、肉体に宿ると盲目となってしまいます。
そのため、一定の周期を保って、天上界から地上に、光の指導霊といわれる方がたを送り込んでいます。どの民族にも、どの地域にも、必ず出ています。時代を隔てて光の指導霊が出て、宗教を中心として人類の啓蒙活動を必ずしています。そして、人々に魂の目覚めを与えようとしています。(中略)

しかし、いつもいつも成功したわけではありません。なかには、自分たちを救いに来た人をも殺してしまうような人々が、過去の時代に数多くいたことは事実です。イエス・キリストにしても十字架にかかりました。(中略)

そうしたことは、歴史には数限りなくあります。(中略)それも、ただ「わからない」というだけではありません。何百年か時代を分けて、いろいろな時代に、地域を変えて、民族を変えて、仏が光の指導霊を通して教えを下ろした時に、その教えが広がっていく途中で、次の新しい教えが、違った地域に、違った時に下ろされると、この二つが憎しみ合い、戦い合うということが、数限りなく行なわれています。

本(もと)なる心は一つなのに、なぜ人間にはそれがわからないのだろうか──。先にあるものは、あとから来るものを、なかなか認めようとはしません。

二千年前にイスラエルに生まれたイエスは、天上界から救世主として送られた方です。そして、二千年経った今、世界のなかの何割かの人は、それを真実だとして認めているでしょう。
しかし、そのイエスが生まれた当のイスラエルの国においては、どうでしょうか。イエスは、預言者の一人としては、ようやく認められつつはありますが、イスラエルの人たちは、イエスを救世主とは認めていません。イエス以前の、モーセの時代の律法を守っていて、いまだに「いつメシアが来るのか」と待ち望んでいるのです。(中略)

その後、紀元六世紀、西暦五七〇年頃、マホメット(ムハンマド)という人を中東の地に降ろしました。この人は、すでにあるユダヤ教やキリスト教も正しい教えであり、そうした宗教をつくった人たちも、神から出された預言者であるということを認めたうえで、自分を最終にして最大の預言者として位置づけて、アッラーの言葉を伝えたわけです。

しかし、(中略)モーセの教えを信ずる者、イエスの教えを信ずる者は、マホメットを嘲り、嘲笑って、その教えを認めようとはしませんでした。(中略)

いろいろな地域に、いろいろな民族が住んでいるから、それぞれの人たちに合った、彼らを救える教えを下ろして、導いていきたいという気持ちを、仏は持っています。その愛が深いから、その愛が広いから、数多くの光の指導霊たちを地上に降ろしているのです。

しかし、やがてそれぞれの教えが個性化してきて、一定のかたちをつくってくると、他のものと違いが出てきます。すると、人は、その共通のところを認めるよりも、違いのところに目がいって、そこを排撃するようになってきます。悲しいことです。
『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)P189~194

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2019-03-21 00:43:39 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

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皆さま、幸福の科学高知なかまのぶろぐにようこそ。ブログ代表管理人のばくでございます。

今ちょっと個人的な思い付きで、私の若かりし頃の、幸福の科学との出会いのきっかけになった出来事を、生涯反省を兼ねてご報告しております。

思い出しながら書いておりますので、当初の予想をはるかに超えて、時間がかかっておりますが、「ばくちゃん、Facebookで見たよ。」というお声もかけていただいたり、結構楽しんでいただいているようでございます。

読み返すと、結構面白くて(笑)、再現ドラマの台本のような構成になっちょりますので、「幸福の科学で、梅崎快人さん主演で、映画、やってくれんかなぁ。」と思ったりしちょります。(笑)

冗談です。(爆笑)

こんな感じで、毎回出だしに寄り道しちょりますので、ちっともストーリーが進みませんね。(苦笑)

さて前回の終わりに、21歳当時の私から、「S会は、日蓮教と名を改めるべきだ!」と言われた、S会のS地区長さんは、「もう、何がなんだか???」という感じでしたね。 

後で知ったのですが、S会には、折伏(しゃくぶく)マニュアルというものがあるらしくて、様々な状況に対応できるディベート対策をしているらしいのですが、「お宅ら、日蓮教に改名しないとダメだよ。」と言われた時の対応は、恐らくマニュアル化されてはいなかったのでしょうね。(笑)

しかしSさんには、たくさんの地元信者さんの前で、恥をかかせてしまって申し訳なかったです。(^^;

でもSさん、彼も筋金入りの信仰者、すぐ立ち直りました。偉い!!(爆笑)

他の30人以上の地区の信者さんたちは・・・、皆、下を向いてしまいました。一人の女性を除いて。

では続きを。

「光」の画像検索結果

Sさん

「ばくちゃんは、凄いこと言うね。」「初めやでー。日蓮教じゃないとダメだ!って、そんな話。」

ばく

「でもそうでしょ?正論でしょ?」「やりましょうよ。どうせなら。その方が、スッキリしてて、ずっといいや。」
「どちらかですよ。日蓮教にして、堂々とお釈迦様より日蓮さんが偉い!と言うか、やっぱり仏教と名乗るなら、お釈迦様の方が偉い!と言うか、のね。」

「仏教は、お釈迦様が作ったぐらいは、僕でも知っていますよ。」
「松下電器は、松下幸之助さんが作った・・・。トヨタ自動車は、豊田佐吉が作った・・・。」
「ね。そんなの当たり前のことです。」

「名前が仏教だったら、仏陀・・・お釈迦様が上です。」
「松下の製品より優れていると、ナショナルの販売店が信じて売るなら、ナショナルのノレンは返すべきです。」「でなければ、乗っ取り屋です。」
「皆さんが、日蓮さんの教えがお釈迦様より優れた教えと信じるならば、堂々と、日蓮教と名乗るべきですよ。」

Sさん

「でもばくちゃんは、なぜそんなに宗教に詳しいの?」

ばく

「全然、詳しくなんてないですよ~。宗教は、まだ勉強し始めたところです。」
「別に救われたくて、勉強しているんじゃありませんよ。他にやってくれる人がいないので、仕方なく勉強し始めたんです。」

Sさん

「何を・・・やってくれない・・・って?」

ばく

「僕は、世界から、戦争をなくしたいんですよ。だから、とりあえず聖書を読みました。」

私のこの一言で、Sさんは、俄然元気を取り戻しました。(笑)

Sさん

「やっぱり、ばくちゃんは偉い!見所のある青年だと、僕は思っていたんやぁ。」
「僕らは同志やね。志は同じや!僕は嬉しいわぁー。」

ばく

「どういうことですか?」

Sさん

「S会は、平和活動が、世界での主な活動なんやー。マスコミは、どこも扱わんから、君が知らないのも無理はないわぁ。」
「ほな、ビデオを見よか。」

と、I田D作氏の、世界要人との会談の様子のダイジェストビデオの上映が始まって、私は地区の皆さんと一緒に見ました。

そしてS地区長さんは、誇らしげに(笑)、私にこう言いました。

Sさん

「どや。凄いやろ。」「I田名誉会長は、世界中の要人から、先生と呼ばれているんやでぇ!」

ばく

「I田さんがお会いした方々は、世界の政治家の方々ですよね?」

Sさん

「おお、そうや! 皆、大統領とか首相クラスばっかりやで!!」

Sさんは、鼻息荒かったです。(笑)

ばく

「で、I田先生は、世界の要人に、何とおっしゃったのですか?」

Sさん

「争いを止め、平和を築こう・・・とおしゃって、こうやって、握手なさったんや。」

と、I田氏が、某国の大統領と握手を交わしている、大きな写真を私に見せました。

ばく

「それだけですか?」

Sさん

「それだけ?・・・って、それって凄いことやと思わんのか?」

ばく

「本当にそれだけなら、はっきり言って無駄です。」

S地区長さんは、魂がぶっ飛んだような表情をしました。
その魂が、絵画 『ムンクの叫び』 のように見え、「ぎょゑ~~~~」と言ったように聞こえたのは、私の錯覚でしょうか。(爆笑)

「ムンク 叫び」の画像検索結果

あの~、読者の皆様、私は決して、S癖のある人間ではありませんからね。(笑)
当ブログにご来店の皆さん、誤解なさらないで下さい。私は自分で言うのもなんですが、と~ってもいい人なんですから。(爆笑)

ところでこの「そりゃ無駄だ!」と私が言い放った時の、S地区長さんの驚きの表情っていったら、そりゃなかったですね。(^w^)
「この青年は、何を言い出すかわからない。」という、恐怖すら感じているような表情でした。

Sさん

「無駄・・・って、そんなことはないでしょう?」
「他に、誰が出来るっていうのかなぁ~。」

ばく

「だって、相手は政治家でしょ?」

Sさん

「ばくちゃん、君は若いから、わからないかも知れないけどね、戦争は国同士で起こるんですよ。」
「戦争を起こす国のトップに、平和が大事だ・・・って言って、そして納得を得ることの、一体どこが無駄なんやぁ。意味わからんわぁ~。」

ばく

「みんなね、平和が良いに決まっているんです!!」

Sさん

「そうだろ?でも誰も実行しようとしないじゃないか!」
「I田名誉会長だけやで~。世界中で。」

ばく

「じゃあ、お聞きしますけど、中東では最近4回戦争していますよね。」(※33年前の最近です。)

Sさん

「うん、そうや。」
   
ばく

「そのたびに、和平交渉が成立していますよね。そしてまた、すぐに戦争になっちゃいました。」


Sさん

「うんうん、そうや・・・。なぁ、ばくちゃん、何が言いたいわけ~?」

ばく

「では、伺います。」
「短期間に同じ相手に4回戦争をやって、4回和平が成立している・・・。」
「この歴史的事実が現している現実は、一体なんなのでしょうか?」

「中東戦争」の画像検索結果

Sさん

「?????」

ばく

「Sさん、お答えいただけないですか。では、皆さんにもお伺いします。これは一体どういう事なんでしょうか?」

地区会の皆さん 「??????」

ばく

「皆さんにも、答えていただけない・・・そうですか。」
「では、僕がお答えいたします。この事実が現している真実、それは、

政治的バランスで保たれた平和は、政治的バランスが崩れた時には、一瞬にして消えてなくなる!!ということなんですよ!! 

ですからぁー、政治家にいくら平和を訴えても、いくら同意を得てもダメなんです!」

「また、すぐ始まっちゃうんですよ。時間の無駄なんです。そんなのは、せいぜい、時間稼ぎにしかならないんです!!」

地区会に参加の皆様一同、しばらく沈黙しておりました。

そして、しばらくの沈黙を破って、S地区長さんの隣に座っていた、初老のご婦人が話し始めました。
恐らく、地区の婦人部長さんだと思います。

女性

「じゃあ、どうすれば言い訳?」
「あなたは、文句ばっかりいているけど、何もしようとしていないじゃないの?」

ばく

「僕も、つい最近、そのことに気付いたんです。ですから、研究を始めた所なんですよ。」

女性

「じゃあ、あなたの考えを、聞かせてくれるかな?」

ばく

「はい。では・・・、歴史を紐解くと、ほぼ全ての近代戦争は、宗教が原因で起こっています。」
「否、戦争の大義名分に宗教が使われている・・・という方が正しいでしょう。」
  
「先程の中東戦争も、ユダヤ+キリスト教と、イスラム教の争いです。」
「4回だけではありません。小競り合いはしょっちゅう起こっています。」
   
「他にもユーゴスラビアや、インドVSパキスタンなど、紛争という紛争は、全て宗教紛争です。」
「皆さんには悪いですけど、宗教が戦争を起こしているんですよ!!」

「ですから、宗教間の和平、違う宗教の信者さん同志の和平。これが実現しない限り、絶対に、絶対に、平和など来ないのです!!」
  
「皆さんが平和と思っているもの、それは、”戦争の合間”でしかないんだよ!!」

一同 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


さあ、盛り上がってきましたね~。(笑)
書いている自分でも、ワクワク ドキドキしますね~。(大笑)

でも今日はここで時間切れです。

本日は経典、『神理文明の流転』(幸福の科学出版)より、世界の恒久平和に向けて必要な哲学について、大川隆法幸福の科学総裁が獅子吼した一節をご紹介いたします。

       (ばく)

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今日からできる!「未来開拓法」 天使のモーニングコール 1428回 (2019/2/9・10)

 

神理文明の流転 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=192

戦争が起きる原因は、経済的な飢えということでもって攻めてゆかざるを得ない、ということだけではないのです。もっと根源的なる理由として、相互の理解ができないということが原因となっています。

理解できない原因は、文化に共通項がないことが多いからです。共通の言語、共通の文化、共通の行動様式を持たないところに不信が生まれます。そして、相手の考えが理解できないところから憎しみが生まれ、争いが生まれてきます。これも戦争の大きな大きな原因のひとつです。

これをなくしてゆくためには、人類共通の文化とでも言うべき価値基準が、どうしても必要になるのです。今までのキリスト教文化圏だけでは世界を包摂できません。それは二千年の歴史が証明しています。(中略)

儒教、キリスト教、仏教、イスラム教といった諸宗教を超えた全地球的な価値観をつくって、世界中に浸透させるということです。この価値観、文化が共通の言語の代わりになるのです。これをつくらない限り、どうしても世界はひとつにはならないのです。(中略)

目先の一年や二年、五年や十年先に起きる小さな戦争は、今の私たちの力ではどうすることもできません。しかしながら、戦争が泥沼化して人類が堕落してゆく方向から、全世界をひとつにして新たな繁栄をつくり出してゆく方向へと転換するための力となることが可能であると、私は思うのです。

そのためには、一見遠回りなようにも見えますが、世界の多様なる価値観について、歴史を超え、文化を超え、民族を超え、言語を超えて、唯一なる神の理念から降りているところのその多様性を説明しきり、それをさらに統合する努力こそが必要なのです。

それができるところは、全世界に幸福の科学以外に絶対にありません。これ以外にないのです。これのみが人類の希望なのです。

それ以外にも、もちろんよいものはいくつもあるでしょう。よい考えもあるでしょう。道徳もあるでしょう。そのような団体もあるでしょう。それを私は認めます。

しかし、彼らが今、この地球時代の人類を救う力は持っていないということも、私はまた認めるものであります。

今、世界をひとつの価値観のもとに統合できるのは、幸福の科学の思想をおいて他にありません。

我らはすべての統合を目指しています。すべての価値観を統合して共通の言語、共通の文化を築くこと、このようなすべての統合こそが、人びとが多様なるままにお互いを理解し、永遠の神に向かって向上してゆくための唯一の可能性なのです。

私たちは、そのような大きな視野のもとに、今、戦いを開始しているのです。
『神理文明の流転』(幸福の科学出版)P164~172

 

「釈量子」の画像検索結果

 

釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/

 

★3月23日(土)13時 釈党首(幸福実現党)参加費1000円。

場所:高知コミュニティスクエア(旧:共済会館)

 

「高知コミュニティスクエア 地図」の画像検索結果

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2019-03-20 00:00:27 | 幸福の科学への道(ばく編集長の体験談)

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前回記事から、私の生涯反省の意味を込めて、私の21歳のころからの、日本最大の宗教団体S会との関わりについて、語らせていただいております。

非公開がご希望なのでオープンにできませんけれども、早速多くの方からコメントをいただいておりまして、この場をお借りして感謝御礼申し上げます。

そう、実は、私が幸福の科学に入ったきっかけは、S会さんとの出会いからなんです。これは直接的な幸福の科学の布教にはならないのですが、「何らかの伝道のきっかけになれば・・・」という、自身の心の疼きに従います。

で、私の若かりし頃の、S会の地区会でのバトル話の続きです。まだ前作をお読みでいない方は、ぜひ読んでくださいね。

しかしまあ、なんとも怖いもの知らずですね。(笑)
今思い出しながら、ヒヤ汗流しております。(爆笑)

「よくあんなことが言えたなぁ~。」と、今更ながら思いますね。
そりゃあ、普通怒りますよー。あんなこと言われたら・・・。

「あんなこと」というのはSさん(S会の地区長)の話を伺って、僕に言えることは、S会は、今以上広がるべきでないし、未来に残すべき宗教でもないと確信しました。」という言葉です。
S会の方は、意外に我慢強いのかも知れませんね。

その時の様子を振り返ると、地区会にいた皆一同、瞳孔は開き、口も開き、この若僧(ばく)が言った言葉が、あまりにも予想外なのでビックリした・・・。
そんな感じでしたね。(笑)

まず、当時の私は仏教用語を全く知らなかったので、仏教用語連発のSさんに、実際は何度も聞き返しておりますが、そのまま文章にすると、何がなんだかわからなくなりますし、文字数がいくらあっても足りませんので、読みやすいレベルにまで、すっきりさせていただきます。

では、お待たせしました。「ばくの幸福の科学への道 リアルドキュメント編(笑)」の続きをば・・・。

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Sさん 

「ん?ばくちゃん、何?今なんて言った?」

ばく

「ですからぁ、S会の教えがこれ以上広がってもいけないし、これから先、残ってもいけないと言いました。」

Sさん

「でもね、ばくちゃん、正法(正しい教え)は、広がらなきゃーあかんのよ。」

ばく

「正法・・・? その証拠はあるのですか?」

Sさん

「正しい仏法には、理証・文証・現証が伴うんや。」「理証(りしょう)は、つじつまが合っていること。文証(もんしょう)というのは、文章で書いたものがあること。現証(げんしょう)ちゅうのは、良い結果が現れることやな。」 
「日蓮大聖人の教えは、この三証が揃ってるんや!!」

ここで三証について、Sさんは、詳しく私に教えてくださいました。
そう、Sさんは親切で、とてもいい人なんです。

今から思うと、可愛そうなことをしましたね~。
あっ、ネタばれしちゃう。内緒内緒・・・エヘヘ。(^^)

つづきです。

ばく

「だったら、キリスト教も正法ですね。」

「最後の審判 高画質」の画像検索結果
  
Sさん 

「なんでや~!あんなインチキ宗教!」

ばく

「でも聖書という経典がありますし、筋道通った理屈もあります。それに奇跡も、一杯起きていますよ。」
「イエス・キリストの人生は、奇跡の連続でした。」「ユダヤ教の開祖モーセは、紅海を割りましたしね。」
「日蓮大聖人さまは、海を割りましたか?」「イエス・キリストのように、死人を蘇らせていますか?」
「キリスト教は、ぜ~んぜん、インチキなんかじゃありませんよ。」

「それにね、宇宙の始まり、ビッグバン説は、聖書の創世記が元になっていますけど、Sさんは、ビッグバン説がインチキだとおっしゃるのですか?」「それとも、いや、本当はこうなんじゃ!っていう、S会の見解でもあるのですか?」

「正しい宗教の証拠が、理証・文証・現証の三証ならば、キリスト教を批判する際には、経典である聖書の内容を、三証でもって批判することこそが筋道でしょう?」
「Sさんは、言っていることと、言っていることが違っています。」「ところで、Sさんは聖書は読んでいますよね?」

Sさん

「読むわけないでしょう~。あんな邪教の経典なんか!」

ばく

「え”っ!! これは聞き捨てならないですね~。Sさん、聖書も読まずに、キリスト教を批判なさっていたんですか?」
「Sさんは、読まずに内容を理解できる、超能力なんかをお持ちなのですか?」

Sさん

「超能力?僕はそんなものはありませんし、必要もありません。」
「でもね、ばくちゃんね。間違いを破邪することで、正しさは現れるんよ。これを、破邪顕正(はじゃけんしょう)と言う。僕らは、これをやっているんやぁ!」

ばく

「Sさん、お言葉ですけれどもね、正しいものはね、それはね、どこから見ても、誰が見ても、いつ見ても正しいんですよ。」「そりゃ、一時的に誤解されることは、あるかも知れませんよ。ガリレオの地動説みたいにね。」

「ただ正しいことなら、いずれは証明されるんですよ。他を批判しなけりゃ証明できない正しさなんて、大した正しさじゃないです。」

Sさん

「なんだとぉ!もう一度言ってみろ!」
「ガリレオもビッグバンも、どっちも科学の世界やないか!僕たちは、宗教の正しさを言っているんや!」

ばく

「何度でも言いますよ。」
「それはね、相対的な正しさ・・・と言うんだよ。」
「そっちよりも、こっちの方が、少し正解に近い・・・って感じですかね。」

「絶対的な正しさはね、他の者を批判する必要なんてないんだ。」
「見りゃ、わかるんよ。誰でもね。」

「それは、宗教だろうと科学であろうと、推理小説であろうと同じなんですよ。」
「これを、”真理”と呼ぶんです。」

「一言で言えば、Sさんは、正しさを追求する姿勢が甘いです。」
「甘い甘い!!チャンチャラ甘いね!!」

【食べ物以外】これ甘いんじゃないの?と思うこと

ああ、こんなこと言っちゃって、本当に当時の私、大丈夫だったんでしょうかね。(^^;

当時弱冠21歳の若輩者が言うのは、大変申し訳なかったのですけど、つい(笑)、ホントについ、口走ってしまいました。 (^^;

そのS地区長さんの反論からです。

Sさん

「君だって、S会のことを、何も知らないのに批判しているじゃないか!」

ばく

「僕は、S会を批判しているんじゃありません。Sさん、あなたの他宗教批判の、その姿勢を批判しています。」
「S会の事は、僕は全然知りませんから、批判しようがありませんから、この状況で、S会の批判をすれば、僕はあなたと同じです。」

「あなたは、聖書を読んでいないのに、キリスト教らを批判しましたね。」
「これが、自らを正しいと言った、S会にとっては問題だ!と言ったのです。」
   
「それとも、S会の教えは、他宗教批判しかないとでも言うのですか?」
「だったら、話は違ってきますけどー。」

Sさん

「もちろん、そんなことはありません。では・・・」

と言って、SさんはS会の教義の説明をし始めました。
結構な長時間、彼は論説を述べていましたが、私はずっとそれを聞いていました。

そして気になった部分を、Sさんに訊ねました。

ばく

「S会は・・・、仏教・・・ですよね・・・?」

Sさん

「はい、仏教ですよ。これが、本当の仏法です。」

ばく

「でも日蓮大聖人様は、お釈迦様より、偉いんでしょ?」

Sさん

「そうです。日蓮大聖人こそ、末法に現れた本仏です。」

ばく

「日蓮様は、お釈迦様の経典の中から、法華経のみが正しいとおっしゃった・・・のですよね?」

Sさん

「そうです。」

ばく

「たとえば・・・数多い、ナショナル(現パナソニック)の製品の中から、このテレビこそが、創始者松下幸之助さんが作りたかった理想のテレビだ!という感じですか?」

Sさん

「あーはははは、ばくちゃんは、面白いこと言うねぇ。ハハハ。まあ、そんな感じやな。」

ばく

「でもそれじゃあ、日蓮大聖人は、お釈迦様の教えの体現者・・・であるけれども、お釈迦様より偉い・・・ということにはなりませんけどー???」

Sさん

「違うんです、違うんです。」
「末法の世は、正しい見解がうせて、そのように誤解されるんよー。」

ばく

「イエね、僕は日蓮様がお釈迦様より偉くても、別にいいんですよ。」
「それが事実ならばね。でも・・・、」

「だったら皆さん方、 日蓮教” じゃないといけないですよ。」

Sさん

「え”っ、そっ、そんなことは、できませんよー!」

ばく

「いや、そうじゃないと、筋が通らないんですよ。」

「モーゼ 海」の画像検索結果

ばく
「また聖書のことで、誠に申し訳ないんですけど・・・。僕は今の所、聖書しか知識がないから、皆さんゴメンネ。」

「3000年前の今のエジプトで、十戒で有名なモ-ゼに、神様が啓示を降ろしました。これが旧約聖書の始まりで、そこからユダヤ教ができていますね。」

「そして2000年前の今のイスラエルで、イエス・キリストがね、これは新しい福音じゃ!って言ってね、古い教えを超えたということで、新約聖書ができてました。」
「これが、キリスト教ね。」

「そして、ユダヤ教・キリスト教を土台に、更にそれを超えた・・・ということで、1500年前のアラビアで、マホメットが作ったのがイスラム教です。」
「経典は、旧約聖書と新約聖書に、コーランが追加されました。」

「つまり、越えた・・・ということはぁ、もう新しい教えですから、S会の皆さん、仏教・・・という枠組みに入ってたら、いけないんですよー。」

「たとえば・・・、ナショナルの販売店でね、自分たちでテレビ作ってたとしてね、これはナショナルの製品より優れています!って言えばね、その時点もう、ナショナルの看板を、掲げている訳にはいかんでしょう?」

「皆さん、今からでも遅くありません。S会を ”日蓮教” にしてしまいましょう!」

Sさん

「ばくちゃん、それは破和合僧(はわごうそう)の罪といって、絶対にやっちゃいかんのやで。」
「重罪として、阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)に行くんやで。」

ばく

「Sさん!何を言っているんですか!!お釈迦様より、日蓮大聖人は偉いんでしょう?」
「そう信じているなら、Sさん、地獄に行くことを恐れてちゃいけません!」

「でないと、なんだかすっきりしなくて、そう・・・・、な~んだかなぁ・・・、日蓮さんが乗っ取り屋みたいで、ヤな感じなんですけどーぉ。」

今日はここまで。まだまだ続きますよ~~~!!(笑)

ということで本日は、大川隆法総裁経典『大悟の法』(幸福の科学出版)より、仏陀の説いた仏教と、鎌倉仏教の大きな大きな違いが分かる一節をご紹介いたします。

      (ばく)

愛は憎しみを超えて~大川隆法総裁台湾講演リポート~ 天使のモーニングコール 1433回 (2019/3/16・17)

大悟の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=142

仏教は、一つには、非常に自由な教えであり、決して不自由なものではありません。それは教義においても当てはまります。
釈尊の没後二千五百年のあいだに、仏教教団にはいろいろな教派が数多く出ましたが、そのなかには、仏陀が説いた教えとは正反対のことを唱えているものもあります。それを許容するほど、仏教は器が大きいのです。

仏陀が説いた教えのなかから一部分のみを取り出して、それを宣べ伝える人が、あちこちに出たのですが、それを許容するものが、仏教にはもともとあったのです。

たとえば、日本の鎌倉期には、「坐禅こそが仏教だ」と説いた人(道元〔1200―1253〕)もいます。確かに、釈迦仏教にも坐禅はありましたが、仏陀の教えは坐禅しかなかったわけではなく、心の教えもあり、さまざまなものを含んでいました。

また、「念仏こそが仏教の本質である」(「仏教は念仏である」とも)と説いた人(法然〔1133―1212〕・親鸞〔1173―1262〕)もいます。その念仏とは、「南無阿弥陀仏」と口で称えることを指すようですが、もともとの念仏の意味は、そういうことではありませんでした。

本来の念仏とは、本章の2節で述べたように、「仏の姿を心に思い浮かべ、仏と一体になっていく。仏を念じて仏と一体化する」ということであり、「南無阿弥陀仏」と称えることではなかったのです。
ただ、これも、「南無阿弥陀仏」と言葉で表す過程において、仏と一体化していくことはありうるので、完全に否定することはできません。

あるいは、日蓮宗系の一部の教団では、「『法華経』こそが正しい教えである」と言って、それを行動の原理、折伏の原理としています。確かに、釈迦教団においても、間違ったものに対して厳しく破折した面があったことは事実です。

そういう意味で、仏教はさまざまな面を持っていました。仏教には、さまざまな面についての寛容さがあったのです。

それが、仏教の二千数百年の流れのなかで、多様な教えや新しい宗祖が数多く出てきたことの理由です。そのすべてをのみ込み、ガンジスの河のように滔々と流れてきたのが、仏教の教えなのです。

なかには、仏陀の説いた教えとは逆様のことを説いている場合もあり、川が逆流することまで許しているようにも見えます。
『大悟の法』(幸福の科学出版)P248~250
 

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釈量子 幸福実現党党首 https://hr-party.jp/ 

★3月23日(土)13時 釈党首(幸福実現党)参加費1000円。

場所:高知コミュニティスクエア(旧:共済会館)「高知コミュニティスクエア 地図」の画像検索結果 

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