北京オリンピックもそろそろ閉幕ですね。
ご覧になった方も多いと思いますが、男子100m走&200m走で、
ジャマイカのボルトが金メダル2冠を達成しましたね。
どちらも世界記録を更新してのブッチギリでの金メダルでしたが。
皆さん、あれを観て何を思われましたか?
「スゲー!スゲー!スゲー!」って、ただただ感動しましたか?
それとも、
「100mを9秒台で走れる…って、それが現代社会で何の役に立つの?
普通に生きてたら、そんな速度が必要な場面なんて、まず無いよ。」
とか
「車に載った方が速いぜ!…ってジャマイカには車無いかも知れんが(笑)」
とか、そんな感じですか?
「思想の自由」って言うか、何を見て何を思っても、それは人それぞれ、
という側面も当然あるとは思うんですが、でもまぁ、上の例で言えば
後者のような発言は、正当な意見・批評でしょうかね…?
僕はそうは思いませんが、みなさん(の多く)もきっとそうですよね?
・・・って、この話が何につながるのかというと、驚異の動画、
「World Record Guitar Speed 2008」なわけですよ。
(ネタ元は、マイミクの「まる」の日記です。まるThanks!)
やっぱり、速弾きギネス記録のチャゴ・デラ・ヴェガなわけですが(笑)
で、この動画を観る際の我々の「観る姿勢」は、どうなのかな?と。
オリンピックと同じで、ただただ、その卓越した技能や、あるいは
人間の能力の限界に向けて絶えず努力する姿勢(あるいは、これまで
長年努力してきて獲得した結果)を、「ホント、スゲーよ、この人!」と
賞賛すれば、それで良いのではないのでしょうか?と。
この動画に対して
「こんなの音楽じゃない!」
みたいな批評をするのは、上記の100m走の例みたいな、ある意味
「的外れ」な視点での批評なのかな、と。
何か、そういうこと言う人とか多そうなので、とりあえずそんなことを
考えてみました。
まぁ、それはそれとして、チャゴは本当に凄いですよね!
僕自身、最初の部分のBPM=170のテンポでも、果たしてちゃんと弾けるか?
ってなレベルなんですが・・・チャゴはその約2倍・・・ orz
チャゴのオフィシャルバイオによれば、5歳でアコギ始めて翌年エレキに転向、
その後10年間いろいろやった末、毎日14時間×6年間の練習って・・・
南米の国って、義務教育制度は無いんでしたっけ?(爆)
まぁ、女子レスリングの吉田選手とかも確かそうでしたが、
オリンピックでメダル獲ったような選手のバイオとか見てると
3~5歳ぐらいから、元国体選手とか元オリンピック代表選手とかの
父親(or母親)の指導の下、競技人生をスタートして、以後
毎日数時間の練習を欠かさず20数年間の苦節の上、ようやく金メダル・・・
みたいなストーリーが多いような気がします。
才能があるとか無いとか言う以前に、それだけ常人離れした努力を
長年積み重ねれば、そりゃ常人離れした技能も身に付くでしょう、と
何よりもその努力の継続・積み重ねに敬服してしまいます。
逆に言えば、そういう継続能力自体が「才能」なのかも知れませんが。
僕がチャゴみたいに弾けないのも、チャゴみたいに努力してないから
なのかな、と思えば、そりゃ仕方ないな、とも思います。
同じだけ練習して同じように弾けないんなら、それはもう才能の差
でしょうが、そもそも同じだけの練習・努力をしていないし・・・。
まぁ、僕は僕なりに、今現在置かれた環境の中で、「現状のレベルは
過去の努力の結果である」と認めたうえで、「努力は裏切らない。
努力した分だけ成長できる」「世界レベルの実力の陰には、必ず
世界レベルの努力がある」と信じて、これからもできる限りの努力をして、
少しでも自分の技能を磨いていきたいな、と思います。
もっとも、チャゴのようなスピードには一生到達できないとは思いますが
せめてルカサーの速弾きぐらいには到達したいなぁ、と・・・。
何か、最後は、いい子ちゃんぶったようなこと書きましたが(爆)
そんなことを、オリンピック閉幕に際して考えてみました。
うーん、この話、オチのつけ方がよく分かりません(爆)
ご覧になった方も多いと思いますが、男子100m走&200m走で、
ジャマイカのボルトが金メダル2冠を達成しましたね。
どちらも世界記録を更新してのブッチギリでの金メダルでしたが。
皆さん、あれを観て何を思われましたか?
「スゲー!スゲー!スゲー!」って、ただただ感動しましたか?
それとも、
「100mを9秒台で走れる…って、それが現代社会で何の役に立つの?
普通に生きてたら、そんな速度が必要な場面なんて、まず無いよ。」
とか
「車に載った方が速いぜ!…ってジャマイカには車無いかも知れんが(笑)」
とか、そんな感じですか?
「思想の自由」って言うか、何を見て何を思っても、それは人それぞれ、
という側面も当然あるとは思うんですが、でもまぁ、上の例で言えば
後者のような発言は、正当な意見・批評でしょうかね…?
僕はそうは思いませんが、みなさん(の多く)もきっとそうですよね?
・・・って、この話が何につながるのかというと、驚異の動画、
「World Record Guitar Speed 2008」なわけですよ。
(ネタ元は、マイミクの「まる」の日記です。まるThanks!)
やっぱり、速弾きギネス記録のチャゴ・デラ・ヴェガなわけですが(笑)
で、この動画を観る際の我々の「観る姿勢」は、どうなのかな?と。
オリンピックと同じで、ただただ、その卓越した技能や、あるいは
人間の能力の限界に向けて絶えず努力する姿勢(あるいは、これまで
長年努力してきて獲得した結果)を、「ホント、スゲーよ、この人!」と
賞賛すれば、それで良いのではないのでしょうか?と。
この動画に対して
「こんなの音楽じゃない!」
みたいな批評をするのは、上記の100m走の例みたいな、ある意味
「的外れ」な視点での批評なのかな、と。
何か、そういうこと言う人とか多そうなので、とりあえずそんなことを
考えてみました。
まぁ、それはそれとして、チャゴは本当に凄いですよね!
僕自身、最初の部分のBPM=170のテンポでも、果たしてちゃんと弾けるか?
ってなレベルなんですが・・・チャゴはその約2倍・・・ orz
チャゴのオフィシャルバイオによれば、5歳でアコギ始めて翌年エレキに転向、
その後10年間いろいろやった末、毎日14時間×6年間の練習って・・・
南米の国って、義務教育制度は無いんでしたっけ?(爆)
まぁ、女子レスリングの吉田選手とかも確かそうでしたが、
オリンピックでメダル獲ったような選手のバイオとか見てると
3~5歳ぐらいから、元国体選手とか元オリンピック代表選手とかの
父親(or母親)の指導の下、競技人生をスタートして、以後
毎日数時間の練習を欠かさず20数年間の苦節の上、ようやく金メダル・・・
みたいなストーリーが多いような気がします。
才能があるとか無いとか言う以前に、それだけ常人離れした努力を
長年積み重ねれば、そりゃ常人離れした技能も身に付くでしょう、と
何よりもその努力の継続・積み重ねに敬服してしまいます。
逆に言えば、そういう継続能力自体が「才能」なのかも知れませんが。
僕がチャゴみたいに弾けないのも、チャゴみたいに努力してないから
なのかな、と思えば、そりゃ仕方ないな、とも思います。
同じだけ練習して同じように弾けないんなら、それはもう才能の差
でしょうが、そもそも同じだけの練習・努力をしていないし・・・。
まぁ、僕は僕なりに、今現在置かれた環境の中で、「現状のレベルは
過去の努力の結果である」と認めたうえで、「努力は裏切らない。
努力した分だけ成長できる」「世界レベルの実力の陰には、必ず
世界レベルの努力がある」と信じて、これからもできる限りの努力をして、
少しでも自分の技能を磨いていきたいな、と思います。
もっとも、チャゴのようなスピードには一生到達できないとは思いますが
せめてルカサーの速弾きぐらいには到達したいなぁ、と・・・。
何か、最後は、いい子ちゃんぶったようなこと書きましたが(爆)
そんなことを、オリンピック閉幕に際して考えてみました。
うーん、この話、オチのつけ方がよく分かりません(爆)