あけび棚が庇になっている玄関を入ると、早くも上がり框から吃驚仰天、唖然呆然である。
太い梁が天井に何本もある広い部屋は、黒ずんだ古民具で溢れ返っていた。
煤けて黒光りする古民具の間には、ご主人の描いた抽象画が何枚も立てかけてあった。
そう、嘉手川氏は「嘉手川画伯」だったのである。
ここは博物館ではないので説明カードは一切ない。古民具はよく管理されて埃なぞ見当たらない。
単なる好事家が集めた雑多な古民具ではなく、どれもが端正でさえある。
そして嘉手川画伯の抽象画の強い色彩と造形が異彩を放っていた。
奥様は画伯のアトリエを除き都合5部屋を案内して下さった。
南側を白壁で塞いだ仄暗い部屋のどこもかしこもが、古民具と画伯の抽象画と立体作品で埋まっていた。
ご家族は一体どこで暮らしているのやら。
撮影許可は頂いた。
しかし森生如きの腕前では、パソコンで確認すると殆ど全てがペケだった。
嘉手川夫妻は沖縄出身で、凡そ20年前に吾野に越してきて.........、と奥様からお聞きしたが、森生は探偵じゃない。
奥様は尋ねたことには丁寧に答えて下さるが、余計なことは一切仰らない。
お二人の歴史に大いに関心はあったけれど、失礼に当ると思い、あまり詳しくは尋ねなかった。
画伯の作品は小島喜八郎先生とは真逆の画風である。しかし人生の先輩としてお付き合い願いたい。
奥様は尚家の末裔のように臈たけている。
お二人が集めた古民具はお二人の眼力の確かさを証明し、駒場の「日本民藝館」に負けていない。
しっかり心の準備をして、再訪したい嘉手川家だった。ところが.......。
人さまの記事ですが、「海邦小国」嘉手川繁夫の世界と「丸木美術館学芸員日誌」吾野・嘉手川繁夫さん訪問をどうぞ。
「チョウケン泡瀬通信」嘉手川繁夫展閉幕には画伯とマイクを手にした奥様が載っております。
そして「飯能むすび」という地元ボランティアのウェブが参考になりますのでご覧下さい。
作品では箪笥の奥にある作品に異様な迫力があり気に入りました。
絵は沖縄の陶芸品のようにも見えます。古民具にも通じる立体抽象作品が面白く、好きですね。
作品や古民具についてのここだけの話は、グーブログの操作性が今日も悪いので、敢えて割愛します。
記事はまだまだ続きますが。
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