埼玉医大で飛び乗ったバスは、JR八高線高麗川駅が終点だった。
坂の途中にあるわが家に帰るには、西武飯能駅前行きに乗り換えなければならないが、次のバスが来るまで1時間もある。
バスが戻っていった駅前には、巨大な日韓友好記念碑が立ち尽くしているだけで、誰もいなくなった。
宝籤協会から1億円頂いて建設した記念碑。巾着田や五常の滝を映す正面の大きな動画掲示盤は取り外され、ただの看板に代わっていた。
中央に並んだ2本の太い蛸足の側面2か所ににあるはずの電光掲示板は、消えたままだった。
建設当時、森生が予想したとおりの結果になったのである。再び使われることはないだろう。それどころか数年後は取り壊しかな?
市役所や議員先生は、維持管理費なぞ眼中に無いからね。
メインストリートの突き当りに林立する看板の後ろには、日和田山や秩父の青い山並みが見える。
陽光はサンサンと降り注ぎ、風は爽やかだった。
紫外線有害説は、どうせ化粧品業界のでっち上げである。少なくともじじぃには、どうってことない。
駅広場の先にあるファミリーまるひろで、早い昼食を済ませ、普通に歩いて1時間余りはかかる道を、歩いて帰ることにした。
(中央の小さな赤い屋根が駅舎です。以下、続きます)
140429
この駅前にそのようないきさつがあったこと、全く存じませんでした。
森生様、歩いて帰られたのですか!かなり距離がありますが、、健脚ですね。私もなんとか足を鍛えなくては。。
実は ジグザグに2時間半も 歩きました
以前は平気だったんですが 最近はへとへとです
日高市のことは 原住民の人々が詳しいです
文化新聞を購読してるからでしょうし 地元に関心があるからでしょう
団地の人は 東京都民ですね