飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

忙中閑あり

2024年02月08日 14時21分44秒 | 人生論
人は忙しい時にも、静かにくつろぐような心を持たなくてはならないし、苦しみの中にあっても、そこに楽しみを見出す工夫をしなければならない。
         佐藤一斎・儒学者

この言葉が、「忙裏に間を占める」とか「忙中閑あり」とも言われる。
何か気になったり、心配事があったりするとそのことだけで頭がいっぱいになって余裕がなくなる。
また、仕事が次から次へ来て、追いまくられるような状態になるとこれも余裕がなくなる。
人は、そんな時には悪いことばかり考えて堂々巡りの思考になって、結局神経だけが疲弊していくこととなる。
人間的な余裕もなくなり、判断を誤ったり、人を許せなくなり、ちょっとしたことで言葉を荒らげたりする。

だが、忙中にあっても、のんびりする時間を作って、心を落ち着け、本を読んだり、気の合う人と談笑をするくらいの落ち着きが欲しい。
前に進めば、必ず障害や問題が起こるのが人生である。

言志四録に次のようにある。

人は須らく忙裏に閑を占め、苦中に楽を存する工夫を著(つ)くべし。

安岡正篤氏も同じことを言っている。
六中観

死中有活  絶対絶命の中にも活路はあり、死ぬ気でやれば道は開ける
苦中有楽  どんな苦しい中にも楽しみは見出せる
忙中有閑  凄まじい忙しさの中、一瞬の閑、これが一番ホッとする時間
壷中有天  狭い壺の中にひろびろとした天(空)がある
意中有人  心の中に尊敬する師を持ち、誰かに推薦できる人があること
腹中有書  自分の哲学や座右の銘、愛読書を持っていること

人は誰にも邪魔されない心休まる自分の別世界を持つことが必要だと言っている。

Saitani


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