飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

1学期 83日間のできごと 討論

2024年09月24日 05時31分39秒 | 国語科
1993年7月21日 6年1組学級通信より。

昨日の朝、朝の打ち合わせが終わり、印刷物があったので少し教室へ遅れて行った。
いつならざわざわしているところだが、そのときは違っていた。
子どもたちは討論をしていた。
私が教室に入ってきたことも気づかないくらい集中していた。
まあ、無視をされていたということも言えるが。
私は教室の隅で、黙ってしばらく子どもたちの討論に耳を傾けていた。

それは国語の教科書教材である「ロシアパン」に関する討論だった。
挿絵が、本文と合致するかしないかということが論点になっていた。
「果物を子どもたちにあげた」と本文ではなっているのに、挿絵では母親同士が手渡している。
これが矛盾しているのではないかという主張である。
両派の言い分は、それなりに妥当性があり、決着がつかない。
でも、はっきりしたいと主張する子もいた。

私は素晴らしいと思った。
見方によっては屁理屈つけていると考える人もいるかもしれない。
しかし、この疑問は国語教育の根幹に関わる重要なことだと思ったからだ。
国語は言葉の教育である。
したがって言葉から離れてしまったら国語教育の目標から逸脱する。
しかし、彼らは本文を詳細に検討して、読解した。
全体の脈略もきちんと踏まえて読むこともできていた。
何より、誰に指示されることもなく、チャイムと同時に子どもたちだけで学習を進めていた。
子どもたちには確認しなかった、学習部が中心となってテーマを決めたのだと推測した。

また、昨年の3年生の担任をしたときにも同様のことがあった。
ある子が突然、「百羽のつる」の挿絵が間違っているというのである。
私が意識的に投げかけたわけでもないのに突然である。
本文中には、「空の彼方へ消えていきました。」とあるのに、つるたちのすぐ下に目指す湖が描かれている。
この場面では、湖は見えない位置になければおかしいとその子は言った。
他の子どもたちも、その子の意見はもっともだと感心した。

前回同様、今回も非常に嬉しかった。
こだわりをもってくれたからだ。
勉強にこだわりをもつことは成長にとっては大切な要素になる。
こだわりをもつからこそ疑問も生まれる。
そして、そのこだわりをクラスの子供たちに広げてくれた。
一部の子どもたちだけかもしれないが。
そのことが私にとっては、この上なく嬉しかった。
こんなところにも意味のある83日間を過ごした1組の子どもたちの成長が見られる。

saitani


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