飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

適応行動

2022年05月31日 16時26分12秒 | 教育論
人間の行動には目的がある。
以前に書いた内容である。

アドラー心理学では目的論と言われる。
一見思いつきのような子どもの行動にも必ず目的がある。
あっても、言葉に表現できないときもあるが。

しかし、子どもの教師における目的のほとんどは次の一点である。
教室に自分の居場所を確保すること。」
そして、この居場所の確保を、ネガティブな方法で手に入れようとするか、ポジティブな方法で手に入れようとするかの違いだけである。
学級内の秩序が保たれていれば、それは正常な行為によって居場所の確保が行われる。
しかし、いったん勇気がくじかれると謝った四つの目標に向かって行動するようになる。

1 関心を引く
何かと目立とうとする。
はじめのうちは、人の役に立つようなことをして、誰かを喜ばすこともある。
授業中に、はい!はい!と元気よく発言をして、やる気があるように見える。
しかし、それは自分が目立つためであり、誰かを助けたり、授業に協力したりするという意図が希薄である。
彼らの行動原理は、他者の関心を自分に向けること。
だから、無視されるくらいなら不適切な行動もする。
たち歩く、おしゃべりする、不要な物をもってくるなど、人と違うことをして目立とうとする。
しかし、こうした行動によっても子どもたちは満足できない場合がある。
そのときには次の段階に移行する。

2 権力争いをする
教師に反抗的な行動をしたり、教師の言うことを無視したりする。
教師よりも自分が上であることを示そうとする。
しかし、それでも教師に勝てないと判断すると子どもたちは次の段階の行動を展開する。

3 復習する
この段階の子どもたちは、自分たちは傷つけられたと感じている。
だから、今度は教師を傷つけようとする。
相手を傷つけることで自分の存在価値を感じる。
相手から嫌われることで、存在を示そうとする。
それでも満足できない子どもたちは、次の段階に移行する。

4 無気力を誇示する
この段階になると、子どもたちは教室でほぼ何もしない。
口を開けば不平不満を言い、怠惰な態度を見せる。
「どうせ自分は何をやってもだめ」と思っている。
自分が無能であるように振る舞い、人が自分に期待しないようにする。

段階的に子どもたちも行動を示しているが、必ずしもこのような段階をとるとは限らない。
子どもたちの集団の質が関わってきたり、担任の指導方法がそれぞれ違ったりするからである。

こういったときにも、「目的論」にたどりつく。
人間の行動には目的がある。
教室で子どもたちがとる様々な行動には必ず目的があるのである。
 
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