飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

理念型における学級統率

2017年08月16日 12時11分49秒 | 学級経営
ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーは、「社会はどうしたら認識できるか」という観点から、理念型という考え方を唱えた。

この理念型をもとに学級の統率形態を分析してみる。

学級経営もこの分類に属すると思われるが、歴史や社会構造はそのままだと複雑すぎて、様々な要素が絡み合って本質をとらえるのが難しい。
そこで理念型を考えることによって、現実や実態を見やすくする。

一般的に、自然現象は実験によって実証できる側面があるが、人や人間関係に関する社会現象は実験によってとらえることは難しい。

例えば、学級集団、これも学級と言う1つの社会構造であり統率の原理で成り立っている。
 
集団を統率するには、どうしても支配という観点も強い言い方ではあるが、否定できない。
自主性や主体性も、前段階として統率された集団の中に、非言語的なルールが認知されて状態を指している。

一般的に支配とは簡単に言えば「人に言うことを聞かせる」ことだが、ウェ-バーは支配者の命令の正当性の根拠がなであるかによって、3つの理念型に切り分けている。

1 伝統的支配=伝統的な権威によって支配するパターン。
2 正統的支配(合理的支配)=法律的な根拠に基づいて支配するパターン。
3 カリスマ的支配=超人的な魅力や力があると思われることによって支配するパターン。

1の根拠は、現代では薄れ欠けている。
社会全体の学歴や文化水準があがっていくにつれて、教員に対する絶対的な権威は失われているのが現状である。
絶対的に先生は教養面においても高い人であり、学校というところが文化の発信元という時代ではなくなった。

2の根拠は、今でも重要な根拠となっている。
校則や学級における様々なルールに基づいて、子どもたちは生活しており、規範意識はこのルールに基づいて傾向は強い。

3の根拠は、人間力であり、人間的な魅力があるかないかに左右される。
教師が尊敬の対象となるのか、また、憧れの存在になっているか、それなによってカリスマ性の度合いも変わってくる。


3つの理念型がどの程度の割合になっているかを冷静に考えてみることも学級経営を見直す視点として面白いと思う。

saitani
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