飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

災害ボランティア2「1日目」

2012年04月01日 11時37分23秒 | 教育論
「くりこま高原駅」を出発したバスは1時間ちょっとで登米市を通過し、南三陸町へと入った。
峠を越えて、海が見えるところまで来ると風景は一変した。
我々がこれまで見てきた映像や写真にはない、無惨な風景がそこには広がっていた。
これまでに私たちがみてきたものは狭い範囲の切り取られた様子であり、こうして今、全体をみわたせる場所にたつと全く異なったものに見えた。

確かにここには1年前までは、ふつうののどかな漁村の暮らしがあった。
それが一瞬にして、見渡す限り何もない景色になってしまった。
前日に降った雪でほとんどは地表は白く覆われているものの、地面は建物の土台を残してまったくない。
かろうじて残っているのは、鉄筋のコンクリートづくりの建物だけである。
その鉄筋の建物の周りを、ボードなどで囲ったもものについては、骨組みしか残っていない。
信号機はついているものの、人の姿はまったくない。
この二日間を通じて子どもの姿は一度も見なかった。
ここまでひどいとは、少なからずショックを受けた。
見える部分の瓦礫に関しては、きれいに撤去されているので、この程度だが、震災直後の惨状は想像を絶するでだろう。

バスは、町の中心街をぬけて高台にある災害ボランティアセンターに着いた。
休日と言うこともあり、駐車場には駐車できないほどの車が止まっていた。
バスも多く、遠くは長崎の島原から見えている集団もあった。

この横にあるベイサイドアリーナは、震災直後は、泊まりがけのボランティアもいたそうだ。
受付をすませたあと、午後の活動場所へと向かった。

saitani

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災害ボランティア1「東北へ」

2012年04月01日 10時48分25秒 | 教育論
今日から、4月。
昨日は春の嵐と言うべき、雨風の強い日だった。
今日は、うってかわってやや風はあるものの晴天である。

ちょうど1週間前の、3月24日・3月25日の二日間、東北のボランティアに行かせてもらった。
大手旅行会社の新幹線を使用したツアーである。
なぜか、ツアーと呼ぶには違和感がある。
旅行会社が企画しているのだから、ツアーに違いないのだが、ボランティアにいくのだからという思いがある。

東日本大震災から、1年以上が過ぎた。
今は、ほとんど当時の様子をテレビでみることはない。
被災された方の心情を考えれば当然である。
深く心に刻まれた傷跡を思い出すのもつらい。
その記憶を呼び起こすような、映像は流すべきではないとも思う。

現在も、行方不明者の安否を報告する内容が新聞の片隅に載っている。
人数は、少なくなったものの、今も家族や知人を捜し求め、やっとの思いで再会を果たす方々もいるのである。

3月24日、東京駅に8時に集合した。
添乗員さんから、東北新幹線の切符を受け取る。
今回は、新幹線ツアーを選択した。
職場の若い同僚が、これまでに2回ボランティアツアーに参加し、バスは体力的にきついものがあるとのことこで自分の年齢、そして、時間的な制約を考えての選択である。
そして、大学生の息子も、私が誘って同行した。

ツアーの参加者は、年齢も自分の息子が最年少であり、最高齢は65歳の男性だった。
男女比は、3分の2が女性といった感じだろうか。

東北新幹線に乗車し、一路宮城を目指す。
途中、福島や郡山では雪景色となった。
東北地方も海の近くはあまり雪はふらないときいていたが。

新幹線は、3時間ほどで目指す駅へと到着した。
ここからは、1時間ちょっとで、バスで南三陸町に着く。

途中、登米市内をバスは走ったが、震災の影響はまったく感じなかった。
これで本当に東日本大震災があったのかと思えるほどの穏やかな町中をバスは走っていった。

saitani

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