「くりこま高原駅」を出発したバスは1時間ちょっとで登米市を通過し、南三陸町へと入った。
峠を越えて、海が見えるところまで来ると風景は一変した。
我々がこれまで見てきた映像や写真にはない、無惨な風景がそこには広がっていた。
これまでに私たちがみてきたものは狭い範囲の切り取られた様子であり、こうして今、全体をみわたせる場所にたつと全く異なったものに見えた。
確かにここには1年前までは、ふつうののどかな漁村の暮らしがあった。
それが一瞬にして、見渡す限り何もない景色になってしまった。
前日に降った雪でほとんどは地表は白く覆われているものの、地面は建物の土台を残してまったくない。
かろうじて残っているのは、鉄筋のコンクリートづくりの建物だけである。
その鉄筋の建物の周りを、ボードなどで囲ったもものについては、骨組みしか残っていない。
信号機はついているものの、人の姿はまったくない。
この二日間を通じて子どもの姿は一度も見なかった。
ここまでひどいとは、少なからずショックを受けた。
見える部分の瓦礫に関しては、きれいに撤去されているので、この程度だが、震災直後の惨状は想像を絶するでだろう。
バスは、町の中心街をぬけて高台にある災害ボランティアセンターに着いた。
休日と言うこともあり、駐車場には駐車できないほどの車が止まっていた。
バスも多く、遠くは長崎の島原から見えている集団もあった。
この横にあるベイサイドアリーナは、震災直後は、泊まりがけのボランティアもいたそうだ。
受付をすませたあと、午後の活動場所へと向かった。
saitani
峠を越えて、海が見えるところまで来ると風景は一変した。
我々がこれまで見てきた映像や写真にはない、無惨な風景がそこには広がっていた。
これまでに私たちがみてきたものは狭い範囲の切り取られた様子であり、こうして今、全体をみわたせる場所にたつと全く異なったものに見えた。
確かにここには1年前までは、ふつうののどかな漁村の暮らしがあった。
それが一瞬にして、見渡す限り何もない景色になってしまった。
前日に降った雪でほとんどは地表は白く覆われているものの、地面は建物の土台を残してまったくない。
かろうじて残っているのは、鉄筋のコンクリートづくりの建物だけである。
その鉄筋の建物の周りを、ボードなどで囲ったもものについては、骨組みしか残っていない。
信号機はついているものの、人の姿はまったくない。
この二日間を通じて子どもの姿は一度も見なかった。
ここまでひどいとは、少なからずショックを受けた。
見える部分の瓦礫に関しては、きれいに撤去されているので、この程度だが、震災直後の惨状は想像を絶するでだろう。
バスは、町の中心街をぬけて高台にある災害ボランティアセンターに着いた。
休日と言うこともあり、駐車場には駐車できないほどの車が止まっていた。
バスも多く、遠くは長崎の島原から見えている集団もあった。
この横にあるベイサイドアリーナは、震災直後は、泊まりがけのボランティアもいたそうだ。
受付をすませたあと、午後の活動場所へと向かった。
saitani