飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

運動会の危機管理2

2006年09月12日 00時00分11秒 | 体育科
運動会の練習はどこのクラスでも行われる。
勝ち負け以上のものを学ぶには、その過程においてベストを尽くさせることは不可欠なことだろう。
しかし、子どもたちは一生懸命なあまりに、不必要な人間間の軋轢を生むこともしばしばである。
これはこれで、人間関係をうまくやっていく勉強の場ではあるがほっておくと取りかえしのつかない状況になることも少なくない。

放課後クラスで練習をしようと言うことになった。
しかし、自分は塾がある。
道徳の教材にもこのような場面は多い。
少し疑問に思うのは、道徳の教材では全体を優先させる選択を選ぶ方を良い選択と考えられる結末で終わっていることが多い。
それは美しいことではあるが、現実的にはしっくりこない。
理想と現実にはギャップがあるのである。

練習に参加できる子と出来ない子がいる。
そして、問題が起きる。
帰ろうとする子を非協力的ととらえたり、自分勝手ととらえる子が多いからだ。
このような問題が起こる理由は二つあるように思う。
一つは、運動会への理取り組みに各個人に温度差があること。
もう一つは、人間関係を円滑に保つ配慮の仕方を子どもたちが知らないからである。

(saitani)