飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

チームのために1

2006年09月02日 17時25分57秒 | バスケットボール
多くの学校でこの9月の中旬に運動会が行われる。
おそらく来週あたりから、朝の時間帯にクラス毎の自主練習がみられることだろう。
指導しているミニバスも来月には秋のカップ戦が始まる。
この大会をめざしてどこのチームも夏の厳しい練習に耐えてきた。
厳しい練習に耐えられるのは、心通じる仲間がいるからだ。
一人ではとても苦しくてつい逃げたくなるような練習も仲間とならがんばれるから不思議だ。
もう一つ厳しさに耐えられる要因は個人レベルできちんとした目的意識をもっているかということだ。
目的が明確でない選手は常に受け身で、やらされているという感覚から脱却できない。
受動的な練習は効果は薄く、身に付くものも少ない。

この目的意識や精神的な方向性を形作るのもリーダーの仕事である。
ただ、ここで問題になるのは現実のチームでおこるできごとは教科書にでてくるような決まったことではなく、変化にとみ、その都度臨機応変な対応が必要になってくることである。
指導が一貫性をもち、臨機応変な対応をしていくには指導者の哲学が必要である。
いったん迷いや方向性を間違えるとチームや集団はまとまりを欠き、急速にモチベーションを下げていく。
いったん方向性やまとまりを失った集団をもとに戻すことは簡単ではない。
学級崩壊したクラスを立て直すのには莫大な労力を必要とするのと同じである。

担任だったときいつも子どもたちに話していたことがある。
それは、チームとは何かと言うことだ。
ミニバスの子どもたちにも話す。
このことを話すことによって自分のすべき事が分かり、仲間が一つにまとまっていくのある。

(saitani)