くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

新年度あれこれ

2012年04月07日 | 保育園

疲れた~~~
心をこめて叫びたい。

怒濤の新年度がスタートした。今年は、2歳児担当で、現職場では“初”乳児になる。子どもたちも可愛くて申し分ないのだけど…、諸事情が重なり前年度の担任がほとんど退職してしまったクラスなので、子どもとはもちろんのこと保護者との信頼関係づくりから始めているところだ。いつの間にか、保護者世代よりはるか年上になってしまった。子どもからはおばあちゃんと思われているかも。ご飯を食べさせていたら、「きれいな先生がいい~」って人見知りされた~

保護者の側からすると持ち上がりが少ないってやっぱり不安だよね。保育士としても、持ち上がりは確かにやりやすい面がある。一年間、担当すれば子どもたちにも愛着が湧くし、出来るなら持ち上がりたいなあって思うのが常だ。それが、一年目の子どもたちだったりすると持ちあがり願望が特に強くなる。

かれこれ、20数年前、初めて担当したクラスは3歳児で、1歳から3年間持ちあがった先輩と組んでいた。当時、持ちあがりは3年までという風潮があり先輩から、次は先生が頑張ってねと言われてその気になっていた。がっ、蓋を開けたら、4大卒の新卒と組んだ先輩が4年持ち上がることになった。かなりショックで、最終日、帰りの会が終わった頃、隠れて泣いた。はあ、私にもこんな純な保育士時代があったのよね。それから経験を積み、1歳から4歳まで4年持ち上がりを経験した。この時も、5歳まで見届けたいと思ったし、直前までそんなことを園長から言われていたけど、またまた蓋を開けたら、違うクラスだった。

持ち上がりにこだわったのはここまでかなあ。何故、持上がりたいか。一つには楽さがある。子どもや保護者ともやりやすいし、布団やパジャマ袋だって新しく覚える必要がない。何年も持ちあがると信頼感が強くなり、一声で子どもが動いたりする。それが快感になり、このクラスは自分が動かしているという錯覚が起こる。ある日、はたと気付いた。それは傲慢なことなんだと。子どもは自分がいなくても確実に育っていく。一声で動くということはいつも同じ一面しか出していないことだ。持ちあがりがいないことで今まで出せなかった面を出せる子もいるし、新たな関係も生まれることもある。

要は、最初は居心地が悪いかもしれないけど、たくさんの人と関わることが大切だから、持ちあがりはあまり関係ないのじゃないかって最近は思う。子どもの順応力は早いから、最初は泣いていたとしても、数か月後には笑って楽しく遊んでいるもんだ。だから、心のどこかで絶対大丈夫と思ってはいるものの、若いお母さんたちとの対応にてんやわんやしている。今は、一日一日、積み重ねていくしかない。

一緒に組んでいる担任の中に、新しい派遣保育士がいる。若くて美人な彼女は仕事も出来る。企業立、病院、法人立と3園目になるそうだ。「いろいろな保育園を見てみたかった」と彼女は言う。今の若者は、職場に合わせるのではなく自分にあったところをどんどん探して突き進んでいくのだなあ…。それも、一つの道だ。じっくり根を下ろして行きたいタイプの私は、もう古い世代なんだなあって感じた。

新年度開始から一週間、去年とは違った刺激がたくさんあって結構楽しい。一年後には、皆で子どもの成長を喜べるといいな…。