くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

よーそろ

2007年05月04日 | 日常あれこれ
「異常なし、このまままっすぐ進め」というんを船乗りの言葉ではこない言うねん。
よーそろ!
よーそろ!
わしもよーそろ!
あんたもよーそろ!
あんたの目の前の水平線は「終わり」のしるしと違うでえ!

自分で終わりを決めちゃいけない。
「ここまで」と思ったものは、本当は新しい世界の「ここから」だと…。

重松清氏を知ったのは先輩から借りた「ナイフ」という文庫本だった。その中でも特に「キャッチボール日和」という短編が印象に残っている。確かいじめの話だったと思う。ゲームのように行われる不可解な子ども社会のいじめがさらっとした文体で描かれる。それがとてもやるせない。どうしてこんなことになっちゃうの?どうして助けてあげられないの?まるでドラマを見てるように小説の世界に惹きこまれた。

その後、何作が読んでみたが、植木賞を受賞した「ビタミンF」をはじめ、彼の代表作といえる「エイジ」は今ひとつ入り込めなかった。ところが、たまたま本屋で見かけた短編集、「送り火」にはどっぷりはまってしまった。

リストラ、子どもを失った夫婦、公園デビュー、自殺、パンクロック、過労死、離婚、お墓同居…、それぞれの作品の中にあるテーマなりモチーフが、私にとっては実にタイムリーで、感情移入してしまった。

表題作の「送り火」なんか、家の近くにある、閉鎖された遊園地と近郊団地が舞台になっているではないか。重松さんどこで調べたんかい?どうもTVのドキュメンタリーで知ったそうだが、子どもの頃、遊んだ遊園地が閉鎖された時は実に悲しかった思い出がある。

あの頃の家族はみんな無理をしていたと。家族の幸せを見るのが楽しい。その中に自分は入っていない。遊園地の乗り物に乗らない父親、写真に入らない母親。家族のために自分は犠牲になろうとする。私の両親もそうだった。

今は、親は子どもに犠牲にならなくてもいい時代だ。子育てをしながら自分の人生も楽しむ。価値観はどんどん変っていく。それはそれでいいことだと思う。

重松氏と私はばっちり同世代。新人類、三無主義世代などと揶揄されながらも確固たるものが創り出せない、どこか中途半端で狭間な世代でもある。そんな私たちも40歳を超え、人生の荒波に揉まれている。挫折を味わいながらも、前にすすんでいかなくちゃいけない。

たぶん、自分を見つめなおす、絶好の時期にきているのかもしれないな。