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くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

♪歩こう、歩こう~♪

2006年09月16日 | 保育園
幼い頃、毎日のように母に連れられて近くの商店街へ買い物に行った。大人の足で30分くらいの距離を、母は私のペースに合わせて倍以上の時間を費やしてくれた。私は覚えていないのだけど、「よく排水溝の中に入っちゃってねえ~」と思い出話をしてくれる。未熟児だったから丈夫に育てなきゃという母の想いがあったらしい。お陰で頑丈に育った。そんな母に深く感謝している。

マイ・カーが今ほど普及していなかった昭和40年代は、歩く機会も多かった。それに比べると、今の子ども達は歩き慣れていない。毎日、車です~っと保育園に来て、おまけに抱っこで保育室に連れてこられる。傘も使わないし、冬はコートも必要ないような生活。

暑さも落ち着いて気持ちが良い気候なので子ども達を久しぶりに園外へ連れ出した。2歳児クラスの子ども達は、歩行も完全になり走ることも覚えてますます活発さを増している。だけど、お友達と手をつなぐのはまだ難しい。引率職員の都合や安全管理上、手をつながせてみたものの、これは明らかに発達段階には即していない。この年齢の子ども達は、自分のペースで歩いて、興味のある物があるとしゃがみこんで眺めたくなるのが当然だ。だいたい、前がどこかわかっていない。気がつくと道路の真ん中に向かっていたり、お友達にひっぱられてずっこけてみたり、靴が抜けたりと10メートル進むにもいろいろな出来事が起こる。車が来たときなんぞ、職員が声を張り上げて、ガバッと一抱えに…。なかなかスリル満点のお散歩になるのだ。

考えてみれば、歩き始めてまだ2年経っていないんだもんね。2歳児の散歩なんてこんなものだ。近くの畑をひとまわりして来た道を引き返し、おおよそ30分。良い運動になったようで、ご飯をもりもり食べてコテッとお昼寝をした。心地よい疲れって案外大事なのよね。

便利さを知ってしまうと育つべきものも育たなくなる。同じ道でも大人が見逃してしまっているものを子どもは見つけ出してくる。せわしない世の中、“子どもの視線”って大人にも必要なんじゃないかって思った。

のこぎり痛

2006年09月03日 | 保育園
自治会の長老達が、5,6人、保育園にやってきた 保育園のもみじの木が伸びて、街燈を覆ってしまっているので、道が暗くて困る。即刻、対処して欲しいということだ。保育園も地域とは仲良くしていかなくてはならいから、トラブルは困る。だけど、女手で、もみじの枝を切るのはなかなか大変だ~。そこへ、運良く、理事長(男性)が違う用事で来てくれたのでその旨を伝えると、すぐに枝を切り落としくれた。お陰で隠れていた街燈がすっきりと顔を出した。

そこまではよかったが、切り落とされたもみじの枝がドーンと玄関前にある… それを小さく切ってまとめなくてはならない 主任と二人でてんやわんや 植木バサミやらのこぎりやらを持ち出して格闘するものの、どこから切ってもなかなか小さくならないもみじさん 途中、いもむしくんやら蝶々さんたちに遭遇 おやおや、ここをすみかにしていたのね、ごめん、ごめん。とにかく、がむしゃらに枝を落とし、残った幹をのこぎりで小さくして、ゴミ袋、7,8個分にまとめた。

もう、エアロ+筋トレ分の汗がかけたよ そうしたら、見事に背中が筋肉痛。のこぎりって背中に効くのよね~。エアロでもRowingという、ボートを漕ぐ振りがあるもんね。脇を占めて、手をひくと背中が鍛えられます、ハイ!

紅葉を待たずして、切られてしまったもみじさん。今度は伸びていく方向をよ~く考えるんだよ~。


虫刺され

2006年07月29日 | 保育園
私はどちらかというと虫に好かれる体質みたい。母は「A型は血が甘いからよ~」なんて言うがホントかい?誰か、舐めたんかい?まるで根拠がない。血液型に関係なく刺されやすい人っているものだ。

初夏から初秋にかけて、何度か、“蚊”と格闘する夜がある。寝入りばな、耳元で「プ~ン」「プ~ン」しばらくすると、足や手がかゆくなってきて眠れなくなる。電気をつけて確認すると、さされた跡が数ヶ所…。そんな時は非常に頭にくるもんだ。だけど、明るくなると、奴はどこかへ消えてしまう。「もう寝ちゃえ!」って再び電気を消すと、今度は仲間を連れてまた枕元に「プ~ン」とやってくるもんだから、「私は眠いんだかねっ」と完全にぶちきれる。またまた電気をつけて布団の上に座って殺虫剤を片手に待機。しとめるまで寝るもんかっ!それが夜中の3時だったりすると哀しくなるよ。

子どものころ、蚊にさされてぷくっと腫れたところに爪で線をつけて「おとうふ」って作ってなかった?これって、かゆさを拡散させるためかなあ。でも、そんなことしてもかゆいことにはかわりがない。我慢できずに掻いて掻き壊してしまった痕が今でもかすかに残っていたりする。キャンプかなにかでアブに刺されたことがあったけど、あれは最強だ。刺された足首が象の足のように腫れた。腫れがひいた後も思い出したようにかゆくなる日がだいぶ長く続いたものだ。

私自身、たくさん虫に刺されてきたから、虫なんかどうってことないと思っていたけど、最近の若いママは虫刺されにとても敏感なのだ。小さい子ほど、虫に刺されると、患部が腫れる。ひどい子は水ぶくれになり、それがやがてトビヒになったりする。トビヒになると大変だ。皮膚科に言って、お薬を処方してもらわないと治らない。治るまで、時間もかかる。トビヒは伝染性のものだから、保育園も休まなくてはならない。ということはママも仕事に行かれないという悪循環が起こる。

されど、トビヒ、たかがトビヒ。トビヒと言えども侮れないのだ。だから、保育園で蚊にさされようものなら「うちの子は虫に弱いのでさされないようにしてくださいっ」と言ってくる人もいる。でも~、知らないうちに迷い込んで、知らないうちに刺されているのが蚊の常でして…刺されないようにするなんて不可能だ~ 窓をしめてクーラーを入れたり、蚊取り線香を炊いたりと努力はしてますよ。刺されたら、すぐにお薬もつけているし…。こればっかりはどうにもできないよ~

自然界のものをあんまりシャットアウトしすぎても、いけないと思う。ある程度、毒にも雑菌にも触れておかないと、抵抗力もつかないよ。乳幼児のママたちは子どもを全ての悪から守る正義の鉄火面になる。だって自分の分身だものねっ、子どもって。この間の研修でも言ってた。精神的へその緒がまだつながっている状態だと。だけど、子どもも一人の人格として成長し歩きはじめているのだから、鉄火面を少しずつ、どけてあげるのも保育士の役目なのかもなあ。

本日はパンツ日和なり~

2006年05月01日 | 保育園
ただいま、2歳児クラスではトイレットトレーニングの真っ最中!ロッカーの着替えの中に真新しいトレーニングパンツがたくさん並んでいる。

紙おむつが登場してからかれこれ15年以上になるだろうか。発売当初はオムツが外れるのが遅くなる等、いろいろ“紙おむつバッシング”があったが、今では布オムツの方がめずらしくなるほど、すっかり紙オムツの天下である。最近は品質もいろいろ改良されていてその子に合ったものを選べるようになっている。紙オムツのない育児なんて考えられない程だ。しかしその一方でオムツが外れる時期が遅くなってきたのも事実だ。一昔前は1歳児クラスでオムツを取って2歳児クラスに進級していた。保育園によって多少、方針の違いはあるだろうが、今はおおむね2歳児クラスの夏が目標になっている。それを逃すと3歳児クラス前半でもおむつの子が見られる。子どもの発達段階に即して無理をさせないというのが保育全般に流れになっているからだ。

さてさて、いろいろなことが少しずつわかってきて言葉も増えてきた2歳児というお年頃。新しいパンツが嬉しくてたまらない。たとえ、おしっこが出てしまってもパンツはきた~いって張り切る毎日。たまたま今日のような暑い日は、普通に生活していてもおしっこは汗になってしまう。当然、間隔も長いのでおむつが濡れずにほとんどトイレで成功ってことになる。陽気のせいとはわかっていながらもおむつが減るって嬉しいものだ。お母さんたちは子育ての度にこの嬉しさを味わえるんだなあ。おむつが外れないなんてあせらないで、一生に一度しかないこの時期を子どもと楽しまなくっちゃ。自分のおしっこをこんなにいとおしく思っている子どもたちと感動しなくっちゃ。

おむつは必ず取れる。だけど、放っておいてはダメなんだよね。だからと言ってしつこくトイレに誘いすぎると逆にトイレ嫌いになっちゃうし。なにごとも良いさじ加減というのが難しい…。でも子ども達は一瞬たりともとどまることはない。日々成長し続けるその力を信じてあげたいものだ。

天気予報によると明日は寒くなるらしい。おむつの量も元に戻ってどっと増えるかなあ…。ゆきつもどりつ、日々の積み重ねを大事にしていこうねっ。

Hello my friend

2006年04月08日 | 保育園
お隣の0歳児クラスに6ヶ月から10ヶ月の子が6名入園してきた。初めてお母さんと離れて不安な赤ちゃんたち。よりどころを求めて泣いている。でも日に日に、慣れてきているからスゴイ!いろいろなものをつぶらな瞳でじ~っと見ている。初めて子どもと別れるパパやママも同じように不安そう。ある女の子のパパは「20歳まで一緒にお風呂に入れますかね?」と聞いてきたらしい。「そんなことは当の娘本人に聞いてみないとわからないよねえ」と担任は困っていた。

まだ慣らし保育期間中なので、午前中で早く帰ってしまう子もいる。午後は男の子と女の子の赤ちゃんがひとりずつ残った。隣を見ると、自分と同じ大きさの見知らぬやつがいる。こいつは何だってお互い見詰め合っている。手で触ってみたりする。そのうち、女の子が四つん這いになって“威嚇”攻撃。鋭い視線に負けて?泣き始める男の子。やっぱ、今の世の中、女の方が強いのねえ…。初めて出会ったお友達。これから一緒にお歌を歌ったり、外で遊んだりしようねっ。

新年度が始まってやっと1週間目。最後の土曜日は仕事→エアロ→整体+足裏という贅沢なコースで締めくくった。これからGWまで子どもも大人も頑張りどころだ。



新年度

2006年04月07日 | 保育園
保育園には春休みがない。4月第1週から、いきなり新年度になる。だから3月最終週はてんやわんやだ。ロッカーや靴箱の名前をはりかえたり、片づけをしたり、荷物を運んだり…。卒園式の余韻に浸る間も、息つく間もないという感じだった。そんな慌ただしさ中、子ども達も環境の変化を敏感に感じている。お部屋が変り、担任が変り、新しいお友達が入ってくる。今まで出せなかった新たな面を出してはじけている子もいれば、萎縮している子もいる。年齢が小さい子ほど、不安定にもなっている。でも順応性が高い子どものことだから5月の連休明けには落ち着いてくるだろう。

職員もかなり疲れがたまってきた。子どもの把握、保護者への連絡、提出物の収集とばたばたしている。発達段階的にも、各年齢、1年もどった状態だから手もかかる。でもそんな4月の緊張感もいいものだ。子どもとともに、いろいろなことに一喜一憂している…。

今年度は、なんと18年ぶりに2歳児の担任なった。アノ頃は、恐ろしいくらい若かったなあ。だから内心、実はドキドキだった。でも、やってみたら楽しい~。子どもの本質は18年前と変わっていない。だって2歳児ってと~ってもかわいいし面白いんだもの。とにかくこの子たちの頭の中はまだまだ細胞分裂中な感じ。だって、飛行機雲を見つけて心の底から感動してるんだよ。そういうの見ると嬉しくなる。言葉がどんどこ出始めいるし、一丁前に自己主張もする。まぶしいくらいのパワーだ。いろんなことを吸収していく時期だから責任も重大だけど、瞬間瞬間に笑わせてもらっている。これではますますシワが増えていきそうだ。

この一年、子ども達が健やかに成長してきますように…。


トラブル

2006年03月19日 | 保育園
私が保育園に就職したころは、毎日のように子どもが取っ組み合いのけんかをしていた。けんかは危険のない限り見守れって教えられてきた。ぶつかり合いを通して子どもは、いろいろな考えがあること、我慢すること、譲り合うことを学んでいく。けんかは子どもにとって大切な育ちあいの場でもあるなのだ。喧嘩両成敗と昔から言われているごとく、子どものけんかに親が口を出すこともなかった。「今日はお友だちとけんかしましたよ」と伝えることはあっても、相手の子の名前を言うのはその頃の保育現場ではタブーだった。

ところが、最近は事情が変ってきた。親御さんは、小さなことでも子どものことは、こと細かく知りたがる。子どもの口からや、周囲から伝わってくることに敏感で、報告がない謝罪がないと訴えてくる。他愛のない理由でも、その場を見ていない親御さんはたいそう、不安なのだ。少しのひっかき傷でも「うちの子はいじめられている」っていたたまれなくなる。状況を細かく説明し、お医者さんにも連れて行って謝罪をしても、納得してくれない人はしてくれない…。親が子を思う気持ちの深さって大きいものだし、知りたいと思うのは最もだけど、けんかしたのは親じゃない。親の都合のいいように子どものけんかを解決するのは間違っている気がする。

私もかつて幼稚園で怪我をしたことがある。小学生がすべりだいで転がしていたレンガが、おでこにあたったのだ。その瞬間、痛みとともに生暖かいものが流れてきた。“サリーちゃん”のハンカチがたちまち真っ赤になる。大泣きをしながら先生のところにいったら即、抱きかかえられて机の上に寝かされた。血だらけで泣いてきた私を見て担任の先生はさぞかしびっくりしたことだろう。そのままタクシーで近くの外科まで行って3針縫った。

頭に包帯を巻いて帰ってきた私を見て、母はただひたすら「どうしたの?何があったの?」って心配をしていた。それから1週間ほど幼稚園を休んだ。その間、担任の先生と園長先生が謝りにきた。でも、母は責めなかった。「親が見ていても、子どもって怪我をするときはするんだから」って。保育士をしている私に今でも思い出したように母は言う。「怪我だけはさせるんじゃないよ」って。時々、「嫁にいけないのはその傷のせいかしらね」とも言うけど。

母親にとって子どもは自分の分身みたいなもの。命をかけても守れるもの。だけど、その子にとって大切なものを取り違えないで欲しいなあと願う。親御さんを納得させるために子どもの成長を阻むようなことはしたくない。若いお母さんたちとのお付き合いが難しくなってきたこの頃…。何年やっても、答えがみつからない仕事だ。それどころか新たな課題が山積だ。だからこそ、やりがいがあるんだけどね。

卒園式

2006年03月18日 | 保育園
保育園には入園式がない。生後5ヶ月で入ってくる子もいれば、3歳、4歳、5歳になってくる子もいる。年度始めだけでなく、中途でも必要であれば随時、措置される。様々な年齢で様々な季節に出会った子ども達が、一緒に年長になり卒園の時を迎えた。

舞台に並んだ主役の卒園児。この並び順だけは保育歴順になる。前列のメンバーほど、保育園に古くからいる子ども達だ。子ども達の顔を見ていると入園当初のことが思い出され、あんなに小さい赤ちゃんで毎日泣いていたのが、大きくなったものだなあと感慨深くなる。

卒園式はいささか堅苦しい。発表会のようにに劇や遊戯をするわけではない。ひたすら、動かないで椅子に座り、名前を呼ばれたら立って順番に証書をもらい歌を歌う。子どもにとっては退屈に違いないがこれもけじめとして大切なことであることを繰りかえし話した。ここまで大きくなるために、助けてもらったたくさんの人達に感謝することも忘れないようにと。お家の人にみんなの立派な姿を見せてあげようって。

でも一番がんばったのは子ども達自身。私は幼稚園出身だったから早く家へ帰って母親と過ごす時間も多かった。だから、なかなか自立できなくて、あまったれでお留守番もできないような子どもだった。保育園の子は毎日がお留守番。お留守番するのって思った以上に大変だし、淋しい。その中で友だちと過ごし、育ち合う。本当に本当に偉いことだと思う。世の中、まだ幼稚園信仰を持っているお母さんたちが多くいて、保育園は幼稚園より劣るイメージがなきしもあらずだけど、現場に身を置いてみて、保育園は、生きる力や人を思いやる心が絶対に身につくところだということがわかった。多少、落ち着きがなくて乱暴な子もいるけれど、みんな心根は優しくて素直でいいやつなんだよなあ。これから小学校という広い世界で、もっと多くの人と出会うだろう。当然、上手くいかないこといやなこともあるだろうけど、それを乗り越えていけるたくましさを持った子になって欲しい。

練習の時はおしゃべりばかりでふらふらぼうずの子ども達だったけど、本番はいつもと全然違った表情で、びっくりした。一人一人の中に自覚が芽生えていたんだね。その成長が嬉しくもあり、淋しくもありと少し、複雑だったけど、これで自分の足で一歩が踏み出していかれるなあと安心もした。

子ども達のパワーに負けないように、私もまた新年度に向かって歩き出そう。

おひなさま

2006年03月03日 | 保育園
♪あかりをつけましょぼんぼりに~♪
今日は、桃の節句、おひなさまだ。ここのところまた寒くなってしまったけど、朝夕の明るさや風の中に、冬の凍てつく寒さとは違った“春”を感じる。

保育園では「おひなまつりかい」と称して、簡単な発表会をした。「来られる方はご自由にどうぞ」と声をかけると、ほとんど参観行事と変らないくらい保護者が見えられた… みなさん、平日なのにお仕事の都合をつけてきたらしい。祖父母の方もいらっしゃる~。日頃、保育園の様子をみれない、おかあさんたちはやっぱり観たいんだよね。もうカメラ片手に大撮影会だ。親心、ジジババ心がひしひしと感じられた。

5歳児はピアニカ・歌+αを発表。この+αは劇・あやとり・ダンスのグループに分かれてほとんど子ども達にまかせて進めてもらった。劇なんか凄い悩んでいたよ。「先生がいないと上手くいかな~い」なんてありがたいことを言ってくれる子もいて。配役決めも案の定もめていたが、いつの間にか、全員が納得して決まっている。どこでどういう“裏取引き”があったのやら。今度、こっそり聞いてみよう。最終段階になってやはり黙って見ていられなくなった私は、ついに口を出してしまったけど、決められた台詞や動きではない、自然なアドリブがたくさん入っていて、楽しいものができていた。こういうのが本当の劇遊びなのかも。

あやとりでも、自分さえ出来るようになってしまえばどうでもよかった子がグループ全員ができるように教えてあげたりと子どもなりに責任感を感じたみたいだ。ダンスはヒップホップを習っている子にまかせてみたが、皆とレベルが違いすぎて上手くいかない。そこでごく簡単な動きだけを取り入れる。本人は不服そうだったけど、ソロで側転が決められて満足していた。

またね

金子政路/作詞・勝誠二/作曲

さくらのはなびらみんなで集めて
さよなら言えたらお祝いしましょう
はしゃいだときも泣き虫のときも
ひとりぼっちじゃなかったから

またね会えるよね いつか大人になって
またね 花束 夢にかえて

またね会えるよね 今日のさようならは
きっと あしたの宝物

春の風車 くるくるまわるよ
新しい風を待ちきれなくて

またね会えるよね ずっと友達だよね
またね 約束 指切りして

またね会えるよね 今日のさようならは
きっと あしたの宝物
(ひらけ!ポンキッキより)


6歳を過ぎると、自分たちで考える力がこんなにも身についてくるんだなあ。もっともっと大きくなりたいってひたすら願っている。子ども達にとって一日、一年ってとても長いんだろうな。子どもの頃ってかけがいのない宝物。大人になると一歩一歩を大切にしていくことを忘れてしまう。適当にやればなんとかなるさって。私もしっかり足元を見つめて前に進んでいかなくっちゃ。

ひなまつりが終わると、間もなく別れの時がやってくる。

花粉記念日

2006年02月24日 | 保育園
もう何年前のことになるだろう。春めいてきた2月下旬のある日、子どもと園庭遊びをしていたら、突然、鼻の中に“チクチクッ”と何かが刺さった…。その瞬間からくしゃみが連発、鼻水も噴出した ついに、花粉症発症の時が来てしまったのだ。それまでは、毎年春になるとなみだ目になって鼻をぐずぐずしている同僚を見て、「気の毒だなあ」と思っていたのに、自分がいざなってみると、うっとおしいのなんのって。花粉と自分の鼻が科学反応を起こすと、頭は痛くなるし、目はかゆくなるし、こんなに大変だなんて思わなかった…

そんな季節が、今年もついに始まった。このうっとおしさにもだいぶ慣れてきたけど、忙しい時はやはり辛い。集中力が途切れて思考能力が低下してしまう。鬼ごっこをやる気もおこらなくなる。最近は子どもの中でも発症している子がいて、なみだ目で砂遊びをしていたりする。花が咲くと春を感じるものだが、これからは鼻がつまると春ってことになってしまうかもしれない

一つだけ後悔したことがある。花粉症発症直前に鼻毛を切ったのだ。だって、子どもから鼻毛チェックが入るんだもん。そんなにじろじろ見ないでよ~。鼻の穴がすっきりしてすーすーしたところに、花粉が飛び込んできた!しみじみ、バイキンの進入を防ぐために、鼻毛は必要だったんだって思った。それからは、「先生、鼻毛出てる~」って言われても、むやみに切るのはやめている。

今年は、去年より飛散量が少ないそうなので、少しは楽に過ごせることを期待している。