幼い頃、毎日のように母に連れられて近くの商店街へ買い物に行った。大人の足で30分くらいの距離を、母は私のペースに合わせて倍以上の時間を費やしてくれた。私は覚えていないのだけど、「よく排水溝の中に入っちゃってねえ~」と思い出話をしてくれる。未熟児だったから丈夫に育てなきゃという母の想いがあったらしい。お陰で頑丈に育った。そんな母に深く感謝している。
マイ・カーが今ほど普及していなかった昭和40年代は、歩く機会も多かった。それに比べると、今の子ども達は歩き慣れていない。毎日、車です~っと保育園に来て、おまけに抱っこで保育室に連れてこられる。傘も使わないし、冬はコートも必要ないような生活。
暑さも落ち着いて気持ちが良い気候なので子ども達を久しぶりに園外へ連れ出した。2歳児クラスの子ども達は、歩行も完全になり走ることも覚えてますます活発さを増している。だけど、お友達と手をつなぐのはまだ難しい。引率職員の都合や安全管理上、手をつながせてみたものの、これは明らかに発達段階には即していない。この年齢の子ども達は、自分のペースで歩いて、興味のある物があるとしゃがみこんで眺めたくなるのが当然だ。だいたい、前がどこかわかっていない。気がつくと道路の真ん中に向かっていたり、お友達にひっぱられてずっこけてみたり、靴が抜けたりと10メートル進むにもいろいろな出来事が起こる。車が来たときなんぞ、職員が声を張り上げて、ガバッと一抱えに…。なかなかスリル満点のお散歩になるのだ。
考えてみれば、歩き始めてまだ2年経っていないんだもんね。2歳児の散歩なんてこんなものだ。近くの畑をひとまわりして来た道を引き返し、おおよそ30分。良い運動になったようで、ご飯をもりもり食べてコテッとお昼寝をした。心地よい疲れって案外大事なのよね。
便利さを知ってしまうと育つべきものも育たなくなる。同じ道でも大人が見逃してしまっているものを子どもは見つけ出してくる。せわしない世の中、“子どもの視線”って大人にも必要なんじゃないかって思った。
マイ・カーが今ほど普及していなかった昭和40年代は、歩く機会も多かった。それに比べると、今の子ども達は歩き慣れていない。毎日、車です~っと保育園に来て、おまけに抱っこで保育室に連れてこられる。傘も使わないし、冬はコートも必要ないような生活。
暑さも落ち着いて気持ちが良い気候なので子ども達を久しぶりに園外へ連れ出した。2歳児クラスの子ども達は、歩行も完全になり走ることも覚えてますます活発さを増している。だけど、お友達と手をつなぐのはまだ難しい。引率職員の都合や安全管理上、手をつながせてみたものの、これは明らかに発達段階には即していない。この年齢の子ども達は、自分のペースで歩いて、興味のある物があるとしゃがみこんで眺めたくなるのが当然だ。だいたい、前がどこかわかっていない。気がつくと道路の真ん中に向かっていたり、お友達にひっぱられてずっこけてみたり、靴が抜けたりと10メートル進むにもいろいろな出来事が起こる。車が来たときなんぞ、職員が声を張り上げて、ガバッと一抱えに…。なかなかスリル満点のお散歩になるのだ。
考えてみれば、歩き始めてまだ2年経っていないんだもんね。2歳児の散歩なんてこんなものだ。近くの畑をひとまわりして来た道を引き返し、おおよそ30分。良い運動になったようで、ご飯をもりもり食べてコテッとお昼寝をした。心地よい疲れって案外大事なのよね。
便利さを知ってしまうと育つべきものも育たなくなる。同じ道でも大人が見逃してしまっているものを子どもは見つけ出してくる。せわしない世の中、“子どもの視線”って大人にも必要なんじゃないかって思った。