山城国 槇島城 とは
槇島城(まきしまじょう)は、現在の京都府宇治市槇島町大幡に存在した城。
かつて山城国南部の宇治地域には巨椋池という巨大な池沼が存在し、槇島はそこに浮かぶ島であった。この地には真木島(槇島)家という豪族が根を張り、槇島城を築いていた。
元亀四(1573)年七月三日、当時の室町幕府第15代将軍・足利義昭は織田信長に対して挙兵し、幕府奉公衆であった真木島昭光を頼り、昭光の居城・槇島城へ籠城した。信長は即座に入洛、槇島城を包囲して義昭を降伏させた(槇島城合戦)。
その後、義昭は河内国若江城へ退去させられ、室町幕府は滅んだ。義昭の退去後、織田家家臣の細川昭元、塙直政、井戸良弘らが城将となったが、文禄二(1593)年八月に、太閤・豊臣秀吉が同じ巨椋池畔の指月に築城した伏見城に入城した後はその戦略的価値を低下させ、廃城となった。
現在、遺構は完全に失われており、石碑を残すのみである。
最寄り駅 …… JR宇治駅
槇島城(まきしまじょう)は、現在の京都府宇治市槇島町大幡に存在した城。
かつて山城国南部の宇治地域には巨椋池という巨大な池沼が存在し、槇島はそこに浮かぶ島であった。この地には真木島(槇島)家という豪族が根を張り、槇島城を築いていた。
元亀四(1573)年七月三日、当時の室町幕府第15代将軍・足利義昭は織田信長に対して挙兵し、幕府奉公衆であった真木島昭光を頼り、昭光の居城・槇島城へ籠城した。信長は即座に入洛、槇島城を包囲して義昭を降伏させた(槇島城合戦)。
その後、義昭は河内国若江城へ退去させられ、室町幕府は滅んだ。義昭の退去後、織田家家臣の細川昭元、塙直政、井戸良弘らが城将となったが、文禄二(1593)年八月に、太閤・豊臣秀吉が同じ巨椋池畔の指月に築城した伏見城に入城した後はその戦略的価値を低下させ、廃城となった。
現在、遺構は完全に失われており、石碑を残すのみである。
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