長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ん~……いろいろあるのネ  ~「おないどし」30代を考える~

2012年06月26日 22時55分19秒 | 日記
 もがでぃしお~!! どうもこんばんは、そうだいでございます~。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!

 今日の関東はめずらしく丸一日の晴天でしたねぇ。しかも、そんなに暑くなかった。とっても過ごしやすい日になりましたよぉ。

 だもんで、また東京に出て散歩しちゃったよ……いちおう、今は試験勉強に全力をかたむけるべき時なのですが、だからこそ! 全力をかけて「だっる~ん」と休む日も必要なのだと……信じたい。信じさせてちょ~だい。

 だいたい最近東京に行く目的は、「散歩」と「映画・演劇鑑賞」、そして「友だちに会いに行く」。この3本柱で決まってきています。
 んで、今日もやっぱりこの流れ。

 お昼くらいに東急東横線の多摩川駅(東京都大田区田園調布)を出て渋谷へ歩いていき、2時過ぎから「ヒューマントラスト・シネマ渋谷」(ものすごい名前だ……)で上演されていたスペイン映画の『ブラック・ブラッド』(2010年 監督・アグスティー=ビジャロンガ)を鑑賞。そのあとまたちょっと歩いて、夕方から夜にかけては友だちの引越ししたての新居にお邪魔して楽しい話に花を咲かせました。

 う~ん、われながら充実。天気が良くて散歩が最高(しかも、日本有数のおしゃれ地帯)、映画も大いにおもしろくて最高、友だちとの語らいも楽しくて得るところもどっさりあって最高ときたもんだ。それらの幸せのぶりかえしをなるべく最小限におさえるためにも、明日からはつつましやかに勉強していきましょう。

 そう、良かったんですよ、『ブラック・ブレッド』!
 もともとこれ、先々週の15日に遊びに行った知り合い(私がアイリッシュコーヒーを誤飲した直後に会った方)にすすめられて、その存在を初めて知った映画だったんですけどね。本当に良かったぁ~、教えてもらって。

 この映画は第二次世界大戦直前のスペインのカタルーニャ地方が舞台になっている、なかなかジャンルをはっきりと言いづらい内容の作品になっています。しいて言うのならば……やっぱり「家族ドラマ めっちゃビター」かなぁ。

 第二次世界大戦の直前ではあるのですが、ご存知の通り、当時のスペインはすでに1936~39年に「スペイン内戦」というれっきとした戦争を経験しており、その結果、ファシズムを絵に書いたようなフランコ政権が樹立していました。なので、その暗黒時代を舞台にした『ブラック・ブレッド』も、戦闘描写こそどこにもないものの、「人間性のおさえつけられた世界」という意味では充分すぎるほどの戦争映画になっていると思います。
 また、この作品は冒頭からものすごい迫力の殺人事件が発生し(残酷というよりは……大迫力!)、物語の時間も「殺人事件の真犯人はだれなのか?」という関心をひきつつ進んでいくのですが、作品自体の魅力はそこらへんの「ミステリー」にはありません。そこもそこでいいんですけど、もっと重くて見ごたえのあるテーマがあるんです。

 それは、「親と子の複雑すぎる関係」!!

 ここ! ここが非常に緻密に、丁寧に描かれているんです。これがもんのすごいんだわ。

 タイトルに「ブラック」とあるとおり、この映画のビジュアルイメージは確かに「黒い」、「暗い」、「重苦しい」! そこはそうなんです。
 そうなんですが、そこのあなた、それで躊躇することなく、ぜひっともこの『ブラック・ブレッド』を観ていただきたい。

 この映画は明らかに、主人公であるアンドレウという名前の少年(演・フランセスク=クルメ 13歳)の成長の物語なのですが、冒頭にあんなに子どもっぽかった彼が、映画のラストシーンであんなに大人になるというか、複雑な表情をうかべる男になってしまうのかと、本当にしみじみ感じ入ってしまう「リアルに人が生きている映画」になっているんです。

 もちろん、それをメインで形作ったのはフランセスクくんの演技であるわけなのですが、どうしてあの子がこんな感じになっちゃったのか? というところにかかわっているのが、少年をとりまく世間と世情、そして両親の生き方なのだという「ごくごくまっとうな日常の真実」。これを他の役者さんがたや各スタッフが精巧に作り上げ、それを最終的にビジャロンガ監督がまるごとフィクションの世界にすくいあげているという見事な連係プレーが、この映画の最大の「すごみ」なのです。
 行ってみれば、これは「思春期」という人生の中で最も「めんどくせー」時期を、文化・性別・年代・環境をこえた世界中の人々にわかるように、でも単純化せずに映像化したということになるのです。とてつもないテクニックです。

 もちろん、おそらく2012年現在の日本では、親が思想犯として警察にマークされていたり、近所で凄惨な殺人事件が発生して友だちが殺されたり、貧しくて雑穀の混じった「黒いパン(タイトルの意味です)」しか食べられないという経験をしている子どもはそう多くはいないでしょう。
 しかし、スケールはだいぶ小さかったのだとしても、思春期の人間ならば、この映画の少年のように甚大なショックを受けてしまう出来事は必ずなにかあったはずで、それさえあるのならば、この映画のラストで、ただ両親を愛して尊敬するするだけではいられなくなってしまった主人公の姿や、そんな主人公のもとを去っていく母親の老いた後ろ姿に激しい感動をおぼえることは間違いないのです。

 この『ブラック・ブレッド』は、そりゃあ暗いです。結末もハッピーエンドとはいえないかもしれません。
 でも、最後の最後に主人公の少年がボソッとつぶやいたセリフには、おりゃあもうシビれちゃったねぇ。ものすごくきれいに「オチている」んですよ。単なる「重い映画」にも「感動のドラマ」にも落ちつけず、それでいて明確にこの作品をしめくくる素晴らしい一言なんです。

 いや~まさか、現代のスペインの映画監督が撮影した作品から、日本の『瞼の母』や『父帰る』に匹敵する感動をいただいちゃうとはねぇ。世界は広い! 試験勉強を休んで観に行ったんですが、これまた勉強になりました。

 そういえば、そのあと会った友だちにこの『ブラック・ブレッド』の話を興奮気味にしたら、この『ブラック・ブレッド』と「2012アカデミー賞・外国語部門」のスペイン代表の座をめぐってあらそったという(結果は『ブラック・ブレッド』が選ばれた)、あの巨匠ペドロ=アルモドバル監督の『私が、生きる肌』のほうを、その友だちにすすめられました。

「そうだいだったら、ぜったい好きだと思う。観てみてよ!」

 だもんで、家に帰ってからパソコンでいそいそと『私が、生きる肌』の予告編を観てみたら……

変態映画じゃねぇかァ!!!

 でも、確かに大好き♡  さすがマイフレンド、よくわかっていらっしゃる。なんかアレね。フランスのスリラー映画の古典『顔のない眼』(1959年)を江戸川乱歩ベースで作りなおして、アントニオ=バンデラスのあぶらで炒めたみたいな感じですね。必ず観に行きます。


 さてさて、例によって本題に行く前の話が長くなってしまったのですが、今回の題名は、以下にあげた2つのニュースから感じたことなんであります。

 それぞれ、性質も大きさも異なるまったく関係のない話題なんですが、どちらも私のどこかに火をつけてしまったものだったので、まとめて並べさせていただきました。
 まぁ、「怒る」ってほどのことでもないんですけど……呆れちゃったんですね。



鬼束ちひろ 問題発言を謝罪「和田さん、紳助さん本当にすみません」
 (サーチナ 2012年6月25日の記事より)

 歌手の鬼束ちひろ(31歳)がツイッターで問題発言し、波紋を呼んでいる。
 今月22日に開設したばかりのツイッタ―で鬼束が、大物芸能人の和田アキ子(62歳)と芸能界を引退した島田紳助さん(56歳)の両名を名指しして「殺してえ」と発言した。

 事態を重く見た所属事務所は翌23日に公式ホームページで「鬼束ちひろのTwitterでの発言につきまして、本人の大人げないいたずらな書き込みで波紋が広がり、問題の箇所は弊社にて即時削除致しましたが、関係各位に大変ご迷惑をおかけした事、世間をお騒がせした事に対し、深くお詫びを申し上げます。」と謝罪文を掲載。

 更に、鬼束本人が直筆で「皆様にご迷惑をかける発言をして本当にすみません。アーティストとして、若いFanのお手本となるよう言葉を頂きました。今後二度としないよう気を付けます。和田アキ子さん、紳助さん本当にすみませんでした。深く反省しています。」と謝罪した。



NHK が講談社を提訴 辻村深月さんの小説ドラマ化でトラブル 東京地裁
 (産経 Biz 2012年6月21日の記事より)

 テレビドラマ化を予定していた小説の使用許諾を一方的に撤回され、損害を受けたとして、NHK は21日、出版元の講談社を相手取り、既に支出した制作費など約6千万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。

 問題となったのは、辻村深月さん(32歳)の小説で直木賞候補作となった『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(2009年)。
 訴状によると、NHK は2011年8月以降、BSプレミアムチャンネルで同作品のドラマ化を企画し、講談社と交渉。出演者も決定し、撮影準備が進められていた。
 しかし、脚本内容について辻村さんの同意を得られず、講談社は今年2月、撮影開始予定日の当日にドラマ化許諾の撤回をNHK に伝えたという。

 両社間で契約書は作成されていなかったが、テレビドラマの制作では番組完成後に契約書を作成する慣行があると指摘し、「担当者間の口頭の了承があり、契約は成立している。」と主張。「撮影開始直前の制作中止は過去になく、NHK のドラマ制作の信用は確実に低下した。」と訴えている。

 講談社広報室は「原作の改変が著者の意向に大きく反し、話し合いを続けたが合意に至らなかった。このような事態になり、大変残念。」とコメントした。



 まずは一言。辻村先生、くだらない話題といっしょに並べちゃってすみません!!

 最初の話題は、もうホンットにしょうもないことなので、ちゃっちゃとすませちゃいましょう。
 この『長岡京エイリアン』も、幸せなことに多くの方々に読んでいただいているブログなので、誤解を招くようなことは言いたくないのですが、それでもあえて言わせていただきます。

あやまんな!! 殺したいなら殺せばいいじゃねぇか、あんたの「歌」で!!

 鬼束ちひろという人物は、毀誉褒貶はあっても「プロの歌手」であるはずなんです。しかも、「プロの作詞家」でもあります。
 そんな彼女が、商売道具である「言葉」をふるって、同業の「プロの歌手」を名指しで殺すと宣言しているんです。これに興奮しない音楽ファンはいないでしょう。

 しかし、実態はまるでふにゃちんなもので、「頭のおかしなふりをするのが大好きな30すぎの女性」がツイッターを「他人に迷惑がかかる無責任なことでも言い放題な場所」だとナメてかかって、しかもたちの悪いことに「あたしが頭のおかしなことを言うことを世間が期待している」と勝手に思い込んだ末に、「とりあえず TVに出てて多めの人に嫌われてる有名人をディスっちゃえ。」という思いつきでつぶやいたというだけのことだったのです。和田さんと島田紳助さんの名前がならんでいるあたりに、「歌手としての和田アキ子」を相手にしているわけではないらしい、彼女の小者っぷりが見て取れます。

 こんな人の書く日本語でかたちづくられた歌を聴いて、だれが感動したりお金を払ったりするのでしょうか。

 「ツイッターはツイッターで、公式発言のつもりで言わないところがいいんだからいいじゃないか。」という方もおられるかもしれませんが、小説家でも歌手でも俳優でもお笑い芸人でも、少なくとも自分の仕事でプロフェッショナルとしての責任を持って日本語を使っている人ならば、「完全に仕事 OFF」の状態になってツイッターやブログを公開している人は1人もいないはずです。自分以外に読む人がいたのだとしたらそれはもう、喜んだり元気をもらったりする人も、心を傷つけられたり迷惑する人もいるかもしれないということなのです。

 私はもう本当に鬼束ちひろさんのことが大好きで、カラオケに行くときには彼女の『Sign 』という歌を必ず唄うことにしています。曲もいいし歌詞もいいし、何よりも本人映像の中から観る人に訴えかけてくる彼女の表情やたたずまいに、鬼束ちひろ以外の誰にもできない「闘い方」があるようで、いつもそれを観ては、自分にそんな闘い方ができる勇気はあるのかと、想いをあらためることにしているんです。私はしがない無名のオッサンですけど、鬼束さんとはほぼ同い年ですし。

 だからこそはっきりと言わせていただきますが、ことここにいたって、鬼束ちひろの自己プロデュースは、「歌手・鬼束ちひろ」という根幹さえをも蝕む最低最悪の事態にいたったと解釈いたしました。
 ということで、もちろんそれまでの彼女の作品はこれからもずっと愛していきますが、「リアルタイムに活動している歌手」としての鬼束ちひろさんの魂はいったん「亡くなったもの」として、私はいっさい興味を持たないことにします。

 ど~せさぁ、私みたいなオッサンが1人いなくなっても、そういう「頭のおかしいふりをする女」が大好きな方々はいくらでもいらっしゃるんでしょ? 殺せもしない相手に「殺してえ」とほえるのを見ておもしろがってくれるような人を相手に生きていけばいいんじゃないですか。私はそんな極寒ショーにつきあうのは真っ平御免です。そんな彼女を心配してさらに応援するような人なんて、いるんですかね? いるとしたら、そんな人たちにこう言いたいです。「それ、やさしさじゃないよ~!!」
 
 鬼束ちひろさん、今まで本当にありがとう。そして、さようなら。


 さぁさぁ、そんなことはどうでもいいんだ、私が今回、いちばん話したいことはこっちのほう! 2番目の、NHK が講談社を訴えたっていうニュースの方なんでございますよ。

 これは腹が立ちますねぇ! なにがそんなに腹が立つのかといいますと、

勝てるわけがない訴訟を起こして「わが社は毅然とした態度で訴えました。」という体裁だけつくろおうとしてるNHK

 ここ! ここがおかしいんだ!!

 はなっから勝つ気もねぇ戦いに忙しい講談社を引きずり込んで、もっと大事な案件が山ほどある裁判所の貴重な時間をうばってバカな三文芝居うって、おまけに裁判費用は大切な視聴者様の受信料から出すんだってんだ、この会社! もう6千万円もムダにしてるっていうのに! こんなもん会社じゃねぇよ!! 高校の文化祭の焼きそば屋台の方が、明朗会計で人に迷惑かけないぶん1億倍優良企業じゃ! まずいけど安いし。

 勝てるわけありませんよね? だって「口約束」。だって「『過去にない』だけが根拠」。そしてなによりも「原作者の了解を得ていない」。

 もしよ、もしかりにこの裁判で NHKが勝つようなことがあったのだとしたら、「『映像化して良し。』という口約束をした瞬間から、どんな作品になろうが映像化する側のやることに原作者は口出しができない。」ってことになっちゃうでしょ。
 どんだけ~!? NHK、どんだけ上から目線!? 原作者は涙をのんで「天下のNHK 様がお作りなすったおドラマ様」をつつしんで拝領しなきゃいけないっていうのが、現代の日本社会なの? 封建制は時代劇だけにしろィ!!

 つまり今回の提訴は、「まさか、いっつも儲けさせてやってる出版社にこんなに食い下がられるとは思わなかったからビックリしてさぁ……こっちがわざわざドラマにしてやるって言ってんのに、なにが気にいらないんだかさっぱりわかんねぇわ。まぁ、世間体もあるからいちおう怒っとくか。」って、こんなくっだらねぇ理由から始めてることなんですよ。

 しかもこの態度の裏には、NHK がなるべく目立たせないようにわざと隠していることが2つあります。

 ひとつは、「講談社が食い下がったそもそもの理由は NHKの方がまっとうな台本を用意してくれなかったからだ」ってこと。別に講談社はわざとドラマ撮影のクランクイン直前にドタキャンをふっかけていやがらせしたんじゃありません。むしろこれは、NHK の「まっとうな大人としての対応」として、原作者の意図をくんだ修正台本が必ず提出されるものだと信じて、ギリギリまで待っていたということなんです。これは誰がどう見ても、相手の要求にこたえるという当たり前のことさえやらなかった NHKの自業自得ですよね。
 それに加えて、私はここに「なんだかんだゴネても、『もう撮影始まっちゃうんですよ!』って言ったら黙るだろ。」というおごりの感情しかくみとれません。
 人のものを拝借しておきながら、貸す人のお願いには聞く耳を持たない。大長編のときに優しくなるだけ、ジャイアンのほうが1億倍おとなじゃ!

 ここは本件の全体イメージにかかわることなので、繰り返し確認します。
 講談社と辻村先生がいじわるをしたんじゃ決してありません。相手の要求にみあう答えを提出するつもりのなかったNHK がすべての元凶なんです。提出しなくても時間が解決してくれるとナメてかかっていたのです。

 そして、もうひとつの隠しているポイントは、「ちゃんとした台本もできてない企画に6千万つかいこんでる」ってこと。
 えっ、 BSプレミアムって、そんなどんぶり勘定がまかり通ってる枠だったんだ……そんな金銭感覚で『ハゲタカ』とかやってたんだ……こんなもん、ハゲタカどころかハイエナでも食欲をなくすド腐れっぷりですよね。

 おそらく6千万円のうち、そうとう高い割合は「スケジュールを押さえたのに話がフイになった俳優の芸能事務所へのキャンセル料」ってことなんじゃないかとは思います。
 でも、それは契約した時点でのNHK の想定内の出費なんですよ。それを回避するために、NHK はもう一方の講談社側との折衝に全力をそそがなければいけなかったんです。それが、話が最もスムースに進む当たり前の第一歩だったのに……

 段取りがおかしすぎるんです。まず最初にやらなければならない「まっとうな台本を提出する」というおおもとをぜんぜん押さえていないくせに、撮影スケジュールやキャスティングだけはしっかり大金はたいて押さえてるんです。は? 俳優さんの準備期間をふまえれば、撮影初日に使う台本は「原作者の許可していないバージョン」でいくつもりだったとしか考えられませんよね。見切り発車もいいところですよ。

 もうおわかりですよね。これはつまり、「原作者の代理人である出版社とドラマ脚本家とのあいだを行き来して調整する部門」と「ドラマの撮影を直接担当する現場部門」とか完っ全に分断されているから発生するズレなんですよ。「台本作りはよそに任せてるから知りません。」というバカみたいな分業体制のために準備がぜんぶムダになったんです。

 こんなことさぁ、自分の身銭と信用とプロ根性をかけて作品を作っている集団だったら、できないことなんじゃないかと思うんだけどな……だって、最終的には関わった人たちみんなの食い扶持に影響する作品なんですよ。その作品の大事な大事な脚本なんですよ。
 それってつまりは「ぶっちゃけ台本とか原作はどうでもいいよ。人気のある役者が1~2時間くらい、それらしく日本語しゃべってればオッケー♪」ってことになんねぇか。
 映画やドラマの制作に取り組む他の会社がそんなことになってるとは私は信じたくないです。NHK の BSプレミアムだけのプレミアムなバカっぷりであってほしい。

 だから、NHK があつかましくも公言している「6千万円の損害をこうむった」という言葉じたいが真っ赤なウソなんです。
 だって、事務所へのキャンセル料を含めた6千万円はぜ~んぶ、「原作者の意向をくみ取らないアホンダラが、その代わりに支払わなければならない当然の代価」なんですから。
 こんなものを他人からむしりとろうとして司法に訴えでてるんですよ? とんだ「どのつらボーイ」だぜ、コンチクショウメーイ!!

 とどのつまり、訴状にあった「NHK のドラマ制作の信用は確実に低下した。」という文言は、正確には「NHK のドラマ制作の信用はそれ相応の低さで良いということが確認されることになった。」ということなんです。どんどん低下していいんですよ~、その程度の最低さなんですから。まずは身のほどを知りましょう。

 とにかく、今回のことでいちばん可哀想なのは訴えられた講談社であり、「意に沿わないことに疑義を呈する」というプロとして当たり前すぎることをしただけなのに渦中の人のようにされてしまった辻村先生であるとは思うのですが……
 おんなじとは言わないけど、それまで数多くの良作ドラマを制作してきたNHK の歴代のスタッフさんや、ドラマじゃない教養番組や全国の地方局、ラジオ局の運営にたずさわっている圧倒的多数のまじめに働いている方々。そんな方面に関する信用にさえ影響する可能性があるわけなんですから、こちらも哀れといえば哀れですよね。「NHK 」という大看板は、そういうふうに極端に一蓮托生なものなんだと思います。

 っていうか、NHK って辻村先生の『本日は大安なり』のドラマ化をまず今年の初めにやってたでしょ?
 それ自体はちゃんと完成して放送されたのに、なんか今回の一件で「いわくつき」みたいなヘンな感じになっちゃいましたね。そこらへんNHK は、『本日は大安なり』をがんばって制作したスタッフさんや、出演した俳優さんがたの立場をどう思ってるんでしょうか。どうせなんにも思っちゃいねぇんだろうけど。

 でも、「鎖は最も弱い輪の部分がその鎖全体の実力になる」と言います。
 そこをひた隠しにせずに自分から提訴というかたちでさらけ出し、昨今の「誰も得しない映像化」という風潮に一石を投じることになったのは、「原作と映像化作品」との正しい関係を確認する上でも、NHK に「お金の大事さを知り他人に敬意を払う当たり前の会社」になってもらう上でも、起こるべくして起こった必然なのかもしれません。

 にしても、辻村先生はえらいとばっちりを食っちゃいましたね……

 私はもちろん、具体的に辻村先生が『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化台本のどの部分に難色を示したのかはわかりません。
 でも、私は今回の辻村先生の「当たり前のプロ意識」を全面的に信頼して、今回のドラマ化が実現しなかったことを大いにうれしく思います。

 原作者が納得しない出来のドラマが世に出ることを期待する原作ファンなんてファンじゃねぇし、「NHK がドラマにするって言ってんだからゴネずにさせてやれよぉ~。」って言う人がもしいるのだとしたら、その人はいったいそのドラマ化に何を期待してるんですかね? え? NHK のドラマクオリティ? じゃあ別に辻村先生の原作じゃなくてもいいじゃねぇか。ドラマだったらなんでもいいなんて、ずいぶんとお気楽な審美眼ですなぁ~。

 話を戻します。

 作家・辻村深月は、つまり私とほぼ同い年の彼女は、「私も本当は嫌だったんだけど、もう遅いって言われたからしかたなく許しちゃった。」という日本語は絶対に使わないプロフェッショナルだということがわかったのです。こんなに頼もしい事実があるでしょうか。

 同じ年代の人が時代の第一線に立ち、ゆるぎない信念を持って理不尽なものと対峙している。

 まぁ、今回は辻村先生ご本人が果敢に巨悪に立ち向かっているということではなく、あくまでも通りすがったおかしな人が勝手に足をもつらせてすっころび、「おまえのせいで骨折したぁ~。」とわめきちらすといういいがかりの現場近くにいたというだけのことなので、特に「辻村先生、ガンバレ!」と言うのは的外れかと思います。訴えられてるのは講談社なんですからね。辻村先生は別に一社の専属作家じゃないし。

 いろいろ言いましたけど、私の年代、「30代前半」についてのつれづれを考えてみると、まだ大人になれてない人もいれば、充分すぎるほどに大人として自立している人もいるということがわかった今日このごろでした。

 それと同時に、「上の年代にだって、私たち以上に始末のおえない人や腐りきった慣習はある」ということも見えたわけですね。

 私だって、この日本で生きてきたからには、NHK に大いにお世話になって育ってきたし、多くのことを学ばせてもらってきたわけです。NHK だけではなく、先にこの日本社会に飛び込んでいった年上の方々全員に恩があると言っても大げさではないのかも知れません。
 でも、悪いことは悪い、おかしいことはおかしいと言わなければならない。変えることは変えなければならない。そういう年代になってきたということなんですな。

 そのために私も、まずは自分の芯をつくる勉強、勉強っと!


 ……今回も長くなっちゃったなぁ。

 うむむ、つい先月に言ったのに、またしてもこの言葉を吐くことになろうとは……それでも、あえてこの一言でシメさせていただきます。

いや~、NHK の受信契約を解除してて、ホンッッッットに!! よかったわぁ~。

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