実話の映画である 主役は ヒラリー・スワンク
”ボーイズ・ドント・クライ ” ” ミリオンダラー・ベイビー ”で 二度 アカデミー主演女優賞を受賞した
そういう人が選ぶ脚本は どんな映画なのだろうと思って 観に行った
タイトルは ’60年代の公民権運動の 人種差別に反対した若者たちのグループ名に由来するという
もっと知りたくて パンフレットを衝動買いしてしまった もう一度 観たい映画である
あらすじ。。。
ロス暴動から2年後の1994年、 ロサンゼルス郡ロングビーチ。
様々な人種が通うウィルソン高校では 肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。
ここはかつて 中流白人子弟だけの進学校だったのである。
公民権運動の趣旨は あらゆる人種を一つの環境に混ぜ合わせることだった。
その結果 遠くのスラムから長時間のバス通学で有色人種の子弟が送り込まれ
悪化した教育環境をのがれて 白人子弟は私立校へ逃げ出した。
これは 1960~80年代 全米規模で起きた現象だった。
下層の黒人ピスパニック子弟の階層分化は なぜ起きたのか
1970年代以降の工場の海外逃避で ブルーカラー中流層だった彼らの親たちが失業した。
その結果 家族崩壊が深刻化し 子供たちは 麻薬取引か強盗で生計を立てる必要から 8歳くらいで
ギャング組織 ”フッド ”に入り、 兄貴分の下で子分として殺人訓練を受けた。
登校には 敵フッドの縄張りを通るので 拳銃携帯は当然だった。
203教室に 23歳の新米の国語教師エリン・グルーウェル(ヒラリー・スワンク)が赴任してくる。
テレビで暴動を見て、 法廷ではなく 教室で子供たちを救うべきだと 弁護士より教職を選んだ。
白人教師を拒絶する落ちこぼれの生徒を集めた教室での授業に エリンは詩の教材にラップを
取り入れたりして努力を重ねていく。
ある日の授業中、 ラティーノの生徒が黒人を馬鹿にした漫画を書き 生徒の手から手へ渡っていく。
エリンは 「こういう絵を博物館で見たことがあるわ ユダヤ人と黒人は人類で最も下等だとね 」と言い
第二次界大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明するが 生徒たちは ホロコーストも
”アンネの日記”も 知らなかった。
教室内でも同じ人種同士で固まり 校庭でも仲間同士で集まっていて 他グループを牽制している。
それを見たエリンは 机を後方に寄せて 教室の中央に一本の線を引き 全員を線の左右に立たせる。
「今から質問することに YESの人は一歩前へ出て NOの人は一歩下がって 」と次々に質問していく。
銃に触ったことがある人 親に暴力をふるわれた人 路上で眠ったことがある人 人の死をまじかで
見た人 覚せい剤 中毒 少年院のこと・・
さまざまな衝撃的な質問に そのたびに生徒たちが前進するし後退し ほとんどの生徒の日常が
貧困と犯罪と不安の中にあることがわかり お互いが似た境遇にあることを知る。
暗黙裡に 相手を認め 見直す場面は この映画の中のわたしの好きな場面である
エリンは 生徒たちに日記帳を用意する。
「今思うこと 未来や過去のこと なんでもいいから毎日書いて 読んでほしい時は この棚に入れて 」
日記帳を持ち帰る生徒が増え 棚の中には 日増しに生徒の書いた日記帳が積まれてくる。
エリンは生徒たちに”アンネの日記”を読ませたいと ベテランの国語教科長に申し出るが
「 あの子たちに知的興味を持たせるのは無理 」 と断られる。
エリンはパートで働きはじめ 得たお金で本を購入し ホロコースト博物館への見学も実行する。
夜 生徒たちをレストランのディナーの席へ招待して ホロコーストの生存者の話を聞く機会を設ける。
生徒たちは登下校の間に あるいは灯りのない家の中では懐中電灯を灯して 本を読み続ける。
戦争中に13歳のアンネが書くことで辛い日々を耐えた生き方は 人種間抗争の日常で生きる彼らに
自分の経験や感情 苦難を綴ることが 自分を知り 他者を認め 理解することを教える。
ある日 マーカスが アンネを匿ったオランダのヒースさんに手紙を書くことを提案する。
さらに生徒たちは ヒースさんをウィルソン高校に招待したいと 募金コンサートを開き お金を貯める。
高齢のヒースさんが高校へ来てくれて ヒースさんへ「あなたはヒーローだ」と生徒が言った時
ヒースさんは 「 わたしはヒーローでない。 正しいことだから したの。
あなたたちこそ ヒーローよ 」と言う。
以下 略
***********
最初はエリンの教師としての熱意に協力的だった夫が エリンが生徒たちのことに一生懸命になると
家庭で夫と過ごす時間が少なくなり 夫は 離婚したいと言い出す
「 子どもたちの生き甲斐を探す手伝いは わたしの生き甲斐を探すことでもあるのよ 」
エリンのこの言葉は 夫にはわかってもらえなかった
この台詞の言葉を入れ替えて いつも思うことがある
人に優しくすることは 自分が優しくされること 人を励ますことは 自分が励まされること
人は わたし自身 と思うときがある
エリンの生徒のためにと思う発想 試みが 生徒の心の側に沿っていく
荒れてた生徒たちが エリンの提案に関心を持ち 素直に心のガードをはずしていく
ささくれ立って 戦闘的 懐疑的な生徒たちが 悪友の誘いを断ってまで 課題の本を熱心に読みふける
眼差しが和らぎ 服装や雰囲気が こざっぱりと落ち着いた様子に変わっていく
落ちこぼれと見捨てられた生徒たちが 過酷な環境の中で変わっていき 自分で事の善悪を判断し
クラスの中がまとまり 大きな夢と希望を持ち 自分たちで行動を起こしていく
エリンの生徒を信じる気持ち 生徒のエリンへの信頼が 大きな勇気になっているように思う
こののち ほとんどの生徒が 大学や短大へ進学したという
人を信じること 人との繋がり 希望 可能性 生きる喜びを知っていくこと
たくさんのことを考えさせられる映画だった
”ボーイズ・ドント・クライ ” ” ミリオンダラー・ベイビー ”で 二度 アカデミー主演女優賞を受賞した
そういう人が選ぶ脚本は どんな映画なのだろうと思って 観に行った
タイトルは ’60年代の公民権運動の 人種差別に反対した若者たちのグループ名に由来するという
もっと知りたくて パンフレットを衝動買いしてしまった もう一度 観たい映画である
あらすじ。。。
ロス暴動から2年後の1994年、 ロサンゼルス郡ロングビーチ。
様々な人種が通うウィルソン高校では 肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。
ここはかつて 中流白人子弟だけの進学校だったのである。
公民権運動の趣旨は あらゆる人種を一つの環境に混ぜ合わせることだった。
その結果 遠くのスラムから長時間のバス通学で有色人種の子弟が送り込まれ
悪化した教育環境をのがれて 白人子弟は私立校へ逃げ出した。
これは 1960~80年代 全米規模で起きた現象だった。
下層の黒人ピスパニック子弟の階層分化は なぜ起きたのか
1970年代以降の工場の海外逃避で ブルーカラー中流層だった彼らの親たちが失業した。
その結果 家族崩壊が深刻化し 子供たちは 麻薬取引か強盗で生計を立てる必要から 8歳くらいで
ギャング組織 ”フッド ”に入り、 兄貴分の下で子分として殺人訓練を受けた。
登校には 敵フッドの縄張りを通るので 拳銃携帯は当然だった。
203教室に 23歳の新米の国語教師エリン・グルーウェル(ヒラリー・スワンク)が赴任してくる。
テレビで暴動を見て、 法廷ではなく 教室で子供たちを救うべきだと 弁護士より教職を選んだ。
白人教師を拒絶する落ちこぼれの生徒を集めた教室での授業に エリンは詩の教材にラップを
取り入れたりして努力を重ねていく。
ある日の授業中、 ラティーノの生徒が黒人を馬鹿にした漫画を書き 生徒の手から手へ渡っていく。
エリンは 「こういう絵を博物館で見たことがあるわ ユダヤ人と黒人は人類で最も下等だとね 」と言い
第二次界大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明するが 生徒たちは ホロコーストも
”アンネの日記”も 知らなかった。
教室内でも同じ人種同士で固まり 校庭でも仲間同士で集まっていて 他グループを牽制している。
それを見たエリンは 机を後方に寄せて 教室の中央に一本の線を引き 全員を線の左右に立たせる。
「今から質問することに YESの人は一歩前へ出て NOの人は一歩下がって 」と次々に質問していく。
銃に触ったことがある人 親に暴力をふるわれた人 路上で眠ったことがある人 人の死をまじかで
見た人 覚せい剤 中毒 少年院のこと・・
さまざまな衝撃的な質問に そのたびに生徒たちが前進するし後退し ほとんどの生徒の日常が
貧困と犯罪と不安の中にあることがわかり お互いが似た境遇にあることを知る。
暗黙裡に 相手を認め 見直す場面は この映画の中のわたしの好きな場面である
エリンは 生徒たちに日記帳を用意する。
「今思うこと 未来や過去のこと なんでもいいから毎日書いて 読んでほしい時は この棚に入れて 」
日記帳を持ち帰る生徒が増え 棚の中には 日増しに生徒の書いた日記帳が積まれてくる。
エリンは生徒たちに”アンネの日記”を読ませたいと ベテランの国語教科長に申し出るが
「 あの子たちに知的興味を持たせるのは無理 」 と断られる。
エリンはパートで働きはじめ 得たお金で本を購入し ホロコースト博物館への見学も実行する。
夜 生徒たちをレストランのディナーの席へ招待して ホロコーストの生存者の話を聞く機会を設ける。
生徒たちは登下校の間に あるいは灯りのない家の中では懐中電灯を灯して 本を読み続ける。
戦争中に13歳のアンネが書くことで辛い日々を耐えた生き方は 人種間抗争の日常で生きる彼らに
自分の経験や感情 苦難を綴ることが 自分を知り 他者を認め 理解することを教える。
ある日 マーカスが アンネを匿ったオランダのヒースさんに手紙を書くことを提案する。
さらに生徒たちは ヒースさんをウィルソン高校に招待したいと 募金コンサートを開き お金を貯める。
高齢のヒースさんが高校へ来てくれて ヒースさんへ「あなたはヒーローだ」と生徒が言った時
ヒースさんは 「 わたしはヒーローでない。 正しいことだから したの。
あなたたちこそ ヒーローよ 」と言う。
以下 略
***********
最初はエリンの教師としての熱意に協力的だった夫が エリンが生徒たちのことに一生懸命になると
家庭で夫と過ごす時間が少なくなり 夫は 離婚したいと言い出す
「 子どもたちの生き甲斐を探す手伝いは わたしの生き甲斐を探すことでもあるのよ 」
エリンのこの言葉は 夫にはわかってもらえなかった
この台詞の言葉を入れ替えて いつも思うことがある
人に優しくすることは 自分が優しくされること 人を励ますことは 自分が励まされること
人は わたし自身 と思うときがある
エリンの生徒のためにと思う発想 試みが 生徒の心の側に沿っていく
荒れてた生徒たちが エリンの提案に関心を持ち 素直に心のガードをはずしていく
ささくれ立って 戦闘的 懐疑的な生徒たちが 悪友の誘いを断ってまで 課題の本を熱心に読みふける
眼差しが和らぎ 服装や雰囲気が こざっぱりと落ち着いた様子に変わっていく
落ちこぼれと見捨てられた生徒たちが 過酷な環境の中で変わっていき 自分で事の善悪を判断し
クラスの中がまとまり 大きな夢と希望を持ち 自分たちで行動を起こしていく
エリンの生徒を信じる気持ち 生徒のエリンへの信頼が 大きな勇気になっているように思う
こののち ほとんどの生徒が 大学や短大へ進学したという
人を信じること 人との繋がり 希望 可能性 生きる喜びを知っていくこと
たくさんのことを考えさせられる映画だった