街を歩いてるとき 大勢の人とすれ違う 無言で前方を見つめ 自分の目的へ歩いて行く人たち
すれ違ったとき その人は何を考えているのだろう
眼を覗きこめば 楽しそうか くたびれてるか くらいは わかるかもしれないけれど
ちょっと見かけただけ すこし話しただけでは 他人は理解しがたいものだと思う
わたしにも わたしを形作ってる自分量が 把握できていない
自分らしさは 本人にはわからぬもので 他人にこそ くっきりと見えるものなのだろうか
この本は 小説なのだけれど 著者が ナルコレプシー という奇病を患っていたせいか
まるで 著者の出来事を記した日記のように読めてしまう
ナルコレプシー ( 突然激しい眠気を催し、眠ってしまう発作を主な症状とする病気。
入眠時に鮮明な幻覚を見たり、金縛り状態に陥ったりする症状を伴うこともある。 病因は不明。)
主人公の50代の男性は 自分の意思で 精神病院へ入院してくる
「 自分は、自分の頭がこわれているという実感を大事にしている。 ・・・
そうであるからには病院に入って、(休むことができれば)休むのが適当と思う。」
「 大体自分は人前で我を忘れるということがめったにないから、ただ会話していだけでは
なんの判断も生じるまい 」 医師との面談のときに こんなふうに思う主人公である
「 ふと気がつくと、遠くの方で和太鼓が鳴りだしている。 はじまりはいつもそうだ。 」
「 身体のすぐ横に、猿が来ている。 じっとみつめると、横すべりして壁の中へ入ってしまう。」
「 狂人とは、意識が健康でない者の総称であって、千差万別、度合の差あり、また間歇的に一定時間のみ狂う者あり、部分的に一つの神経のみ病んでいる者あり、完全に正常な意識を失っている者などごくわずかだ。 」
病院の中庭で何度か見かけた20代の女性が
「わたしは間もなく退院するから 一緒に暮らして看護婦になって あなたの世話をする」 と言う
ほどなく アパートで二人で暮らしはじめる
夜具の端に横坐りになり、自分は口を半開きにしていた。 何かが終わったという感じ。 まだその反響が口の中に残っているようだった。 しかし具体的には何も覚えていない。 闇の中で、自分は圭子の寝ている方をすかし見た。
「今、 俺は何をしていた」 自分はそう訊いた
「唸ってたか」
「ええー」
「吠えてたか」
「ーええ」
「大声でか」 喉にそれらしき残滓がこびりついている。
「長い時間か」
「それほどでもないわ」
「寝られなかったろう」
「ーもう慣れたわ」
・・
自分はずっと眼を開いていたつもりだった。 失神しているに近い時間が自分にはあるのだ。
突然やってくる幻視 幻覚 幻像 幻聴が記される
主人公の居る部屋の中で 亡くなった父親や幼い日の弟妹が歩きまわっている
その姿が寒天のように揺らいで薄れて消えていくのを 主人公は黙って見ている
高齢の母が訪ねてきたり 成人した弟と語ったり あるいは どこかへ出かけて他人と楽しく
話して過ごした様子などが記されると 夢なのか現実なのか 読んでいても分からなくなってしまう
他人に向かって暴力をふるうわけでもなく 外見は穏かで 頭の中では人と会話している
いろいろな症状の人がいるだろうが 世間の健常の人たちより よほど 自分の心の動きに冷静で
自身をよくみつめているように思ってしまう
健常の人とそうではない主人公のような人の線引きは どこなのだろう
「 もともとどこまでが正常でどこからが狂疾か、 度合の問題がほとんどである以上・・」
人の誰もの中に芽がある狂気 この本を読みながら しみじみ実感共感し 癒される感覚もあった
自分の中に失神するような時があり 太鼓の音が近づいてくる恐れは 辛いだろうな
すれ違ったとき その人は何を考えているのだろう
眼を覗きこめば 楽しそうか くたびれてるか くらいは わかるかもしれないけれど
ちょっと見かけただけ すこし話しただけでは 他人は理解しがたいものだと思う
わたしにも わたしを形作ってる自分量が 把握できていない
自分らしさは 本人にはわからぬもので 他人にこそ くっきりと見えるものなのだろうか
この本は 小説なのだけれど 著者が ナルコレプシー という奇病を患っていたせいか
まるで 著者の出来事を記した日記のように読めてしまう
ナルコレプシー ( 突然激しい眠気を催し、眠ってしまう発作を主な症状とする病気。
入眠時に鮮明な幻覚を見たり、金縛り状態に陥ったりする症状を伴うこともある。 病因は不明。)
主人公の50代の男性は 自分の意思で 精神病院へ入院してくる
「 自分は、自分の頭がこわれているという実感を大事にしている。 ・・・
そうであるからには病院に入って、(休むことができれば)休むのが適当と思う。」
「 大体自分は人前で我を忘れるということがめったにないから、ただ会話していだけでは
なんの判断も生じるまい 」 医師との面談のときに こんなふうに思う主人公である
「 ふと気がつくと、遠くの方で和太鼓が鳴りだしている。 はじまりはいつもそうだ。 」
「 身体のすぐ横に、猿が来ている。 じっとみつめると、横すべりして壁の中へ入ってしまう。」
「 狂人とは、意識が健康でない者の総称であって、千差万別、度合の差あり、また間歇的に一定時間のみ狂う者あり、部分的に一つの神経のみ病んでいる者あり、完全に正常な意識を失っている者などごくわずかだ。 」
病院の中庭で何度か見かけた20代の女性が
「わたしは間もなく退院するから 一緒に暮らして看護婦になって あなたの世話をする」 と言う
ほどなく アパートで二人で暮らしはじめる
夜具の端に横坐りになり、自分は口を半開きにしていた。 何かが終わったという感じ。 まだその反響が口の中に残っているようだった。 しかし具体的には何も覚えていない。 闇の中で、自分は圭子の寝ている方をすかし見た。
「今、 俺は何をしていた」 自分はそう訊いた
「唸ってたか」
「ええー」
「吠えてたか」
「ーええ」
「大声でか」 喉にそれらしき残滓がこびりついている。
「長い時間か」
「それほどでもないわ」
「寝られなかったろう」
「ーもう慣れたわ」
・・
自分はずっと眼を開いていたつもりだった。 失神しているに近い時間が自分にはあるのだ。
突然やってくる幻視 幻覚 幻像 幻聴が記される
主人公の居る部屋の中で 亡くなった父親や幼い日の弟妹が歩きまわっている
その姿が寒天のように揺らいで薄れて消えていくのを 主人公は黙って見ている
高齢の母が訪ねてきたり 成人した弟と語ったり あるいは どこかへ出かけて他人と楽しく
話して過ごした様子などが記されると 夢なのか現実なのか 読んでいても分からなくなってしまう
他人に向かって暴力をふるうわけでもなく 外見は穏かで 頭の中では人と会話している
いろいろな症状の人がいるだろうが 世間の健常の人たちより よほど 自分の心の動きに冷静で
自身をよくみつめているように思ってしまう
健常の人とそうではない主人公のような人の線引きは どこなのだろう
「 もともとどこまでが正常でどこからが狂疾か、 度合の問題がほとんどである以上・・」
人の誰もの中に芽がある狂気 この本を読みながら しみじみ実感共感し 癒される感覚もあった
自分の中に失神するような時があり 太鼓の音が近づいてくる恐れは 辛いだろうな