代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第37回「信之」感想

2016年09月19日 | 真田戦記 その深層
 
 今回は観るのがつらい回でした。
 大谷吉継は涙を浮かべながらも「治部楽しかったぞ」。石田三成は無言のまま笑みを浮かべる。二人ともやり切った、悔いはないという表情であの世に旅立っていきました。合掌。
 あなた方が治めた近江も越前敦賀も、あなた方の志を受け継いで、今日も立派に発展しております。 

★真田軍最後の抵抗について

 冒頭、関ケ原の敗報が伝わっているにもかかわらず、徳川に降伏するのを拒否し、上田城を包囲して残留している徳川軍に切り込みをかけるパパ昌幸の最後の闘志が見られました。このシーンを描いてくれたのはよかったです。高梨内記の殺陣シーンが見られたのは、ドラマ全編を通してこれが初めてだったような・・・・・。
 大坂城が徳川の手に落ちたという報告を受けて、抗戦をあきらめざるを得なくなったときの昌幸の悔しがり方、迫真でした。実際、今から416年前の真田昌幸の悔しがり方もあのようではなかったのかと・・・・。

 今回が見納めの昌幸着用の鎧は、若き日の武藤喜兵衛が信玄公より授かったと伝わる「昇梯子の鎧」です。草刈昌幸が、この鎧を身につけて殺陣を行うシーンは、「真田丸」全編中でも、最初で最後になりました。昌幸がこれを着用して戦う姿を見れただけでも、私は満足です。

 昇梯子の鎧、現物は松代の真田宝物館にあります。無用な装飾のない、いかにも戦国風の実戦本位のシンプルなつくりに感動します。(ちなみに上田よりも松代の方が観光資源としては、はるかに見るものは多いので、真田丸ファンの皆さま、上田のみならずぜひ松代にも足を延ばしていただきたく存じます。)

 史実では、9月15日に関ケ原の本戦があり、それから一週間後の9月23日に真田信繁が葛尾城を朝駆けで攻撃したという記録があります。ドラマでは信繁は父を抑えていましたが、実際には信繁が先頭に立って戦っています。(ちなみに私は、敗戦を認めたくなくてヤケになって奇襲したというわけではなく、上杉との連携のもとでの綿密な作戦計画に従った攻撃だと考えています)。

★信之の改名について

 今回の三谷脚本で斬新だったのが、信幸が信之へと改名するのは家康の命令であったという解釈。家康は「幸」の字を捨てるように指示したが、信幸は最後の意地で、字は変えても読みは変えなかったと。私は徳川の目をはばかって、自発的に改名したものだとばかり思っていましたが、斬新な解釈だと思います。

 ドラマ開始当初の小心でかわいい家康から、貫禄たっぷりのラスボスへの変貌ぶりも見事です。一年のドラマの中で、一人の人間が変化していく様子を、ここまで描ける脚本も、また演じる役者もすごい。
 (地位が人間を変えると言いますが、研究者業界でも、権力に迎合して御用学者に変化し、尊大になって、Sっ気が出てくる人、いますからね~)

 最近NHKで発表されたところによると、なんと信繁は大坂入城後、実際に「幸村」と名乗るとのことです。私も、実際に改名したと考えている一人ですので、この決定はうれしい。
 三谷さんも、脚本を書き進めるにしたがって、信繁の感情とシンクロするに、やはり改名したはずだという考えに至ったのではないでしょうか。
 信之は、徳川への忠誠の証として祖父と父の通字であった「幸」の字を捨て、「信」を通字として徳川に仕えた。それと同様、信繁も豊臣への忠誠の証として、徳川方の真田の通字である「信」の字を捨て、信幸が捨てた父譲りの「幸」の字を拾って、それを徳川に抵抗するシンボルとしたと思います。信繁の心境になってみれば、改名しなければ不自然です。

★秀忠はハマり役

 それから星野源さんの秀忠、これまでに描かれたどの秀忠よりも、いちばん本当の秀忠に近いような気がしてきました。最初、秀忠はコメディ路線で行くのかと思っていましたが、そうではなかった。あの融通が利かない一本気なところ、本当にそうだったのでは・・・と思えてきます。
 秀忠と正純の二代目コンビの描き方、なかなか見事だと思います。
 上田城の明け渡しを倅の信幸にやらせようという家康に、本多正純は「内通しないとも限りませぬ」と釘をさす。絵に描いたような官僚主義的対応・・・・。

 この後、秀忠は、外様の福島正則から、一門の松平忠輝や松平忠直から、最後の仕上げは腹心の本多正純・・・・と、法度に背けば、情を挟まず即改易と、淡々と政務をこなしていきます。「おめぇには情ってものがねえんだよ~」と叫びたくなってくるような官僚主義です。あの融通の利かない星野秀忠でしたら、実際にそういうことをしそうなので、納得できます。

 葵・徳川三代のときの西田秀忠は、とてもそんなことはしそうもない人物に描かれていたために、その辺の史実とはギャップがありました。

★夫と次男と別れた母上の嘆き様

 ドラマの中で夫と次男と別れる母上の姿が、現実世界で苦悩する姿と重なってしまい、見るのが辛かった。あのシーンが事件の前に収録されたのだとは、にわかに信じがたいほどのやつれ様でした。


P.S.
それから本日いちばんのサプライズは、堺雅人の公約実現でした。本年正月のブラタモリの真田丸特番で、上田城を歩いていた堺雅人が、「烏帽子岳が三回冠雪すると、里にも雪が降る」という話を聞いて、「あ、それドラマの中でアドリブで使っちゃおうかな~」と言っていた冗談話。これが冗談にならず、ドラマの中で、信繁が小山田茂誠に向かって、実際にこのセリフを発するのですから・・・。これは驚いた。
 このウラ話、堺さんから聞いてみたいですね。堺さんの提案か、それともブラタモリを見ていた三谷さんが脚本に組み込んだのか・・・。どっちでしょう?



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