「山口県の方々には申し訳ないなあ」と思いながら「長州史観から日本を取り戻す」という連続記事を投稿し続けてきたところ、思わぬことに長州の方から暖かい激励のメッセージをいただきました。大変にうれしいことでしたので再掲させていただきます。
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長州より愛をこめて (明智)2015-07-23 21:51:17
初めまして。眞田丸關聯の檢索にて、このブログに偶到りました。壺屋忍頭目の悲報に接した故丹波翁の熱演には殊に鬼氣迫るものが有りましたね。
未だつぶさに閲覽してはゐませんが、「長州史觀から日本を取り戻す」と謂ふカテゴリーの論考には、一長州人たる余の立場から紐解いても首肯すべきものが多いです。アスペルガー松陰を過大評價し、21世紀の當今でもなほ明治維新の呪縛から脱却出來ないことは、實に大多數の山口縣人の宿痾にして日本人の惡弊であり、これからも舌鋒鋭く切り込んで下さいね。
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長州より暖かいエールを賜ったこと、望外の喜びであり、深謝申し上げます。私がこの一連の投稿を始めたのは、安倍首相が「日本を取り戻す」なんてスローガンを掲げるものですから、「えー、首相の言う『日本』って、長州藩閥政権時代の日本のことじゃない。それって本来の日本の姿じゃないですよ」と思ったことが動機です。
もとより当時日本を支配した維新官僚や長州軍閥の方々はいまや東京人となっています。安倍首相も東京生まれの東京育ちです。現在の山口県民の皆様にはご迷惑をおかけいたします。安倍政権が退陣まで、いやもしかすると、その後も日本の首相が靖国(長州)神社に参拝しなくなるまで、しばしご寛容のほどをお願いいたします。
「アスペルガー松陰」とは言い得て妙でした。たしかにそうかも知れません。
他人の言に耳を貸さず、自分の信じた道をとことん突き進むという傾向の強いアスペルガーの方々は研究者向きだとは思います。実際、他人から聞かされた「定説」など信じず、自分の信じた仮説をとことん究明しようとするような態度でないとなかなか新しい発見は生まれませんから。しかしながら、国民を主権者とする民主主義国の政治指導者が、憲法も国民もないがしろにしてでも我が道を行くというのは、完全にアウトだと思います。
昨日(2015年7月26日)の『東京新聞』(29面)において、安倍首相が、吉田松陰の愛した孟子の言葉「自ら省(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども、吾往かん」という言葉を繰り返し口にし、自己陶酔状態に陥っているようだと指摘する記事が掲載されていました。出所は、『フライデー』の8月7日号の「『平成の岸信介になる』安倍さんは官邸で自己陶酔中」という記事の紹介です。
民意や憲法の制約も無視してでも、他人の言に耳を貸すこともなく、「自分で省みてなお(自分で主観的に)正しいと思ったら、千万人を敵にしても、絶対に突き進むのだ」などと主張されたら、立憲民主主義国家の指導者としては、完全に不適格と申し上げざるを得ません。もしかしたらこれを正しいと信じる孟子も吉田松陰も安倍首相もみんなアスペルガー? しかし、孟子や吉田松陰は一国の政治指導者になることはなかったから、それでもいいのでしょう。安倍首相の場合は決定的にダメです。立憲民主主義国の指導者だからです。
吉田松陰の場合、その妄想の中の神国思想、征韓・征アジア思想が、やがて明治政府の指導者たちに受け継がれ、日本の国是になってしまったところに、その後の日本を暗く覆うことになる悲劇性の発端がありました。
しかし安倍さん、「平成の岸信介になる」と決意したということは、国会の周りを包囲したデモ隊など意にもかけず、参院で安保法制を強引に通して、そのまま退陣するということです。まさに歴史は繰り返す、です。
私は昨年12月に「安保法制の整備が終われば走狗煮らる」という記事を書いて、「宗主国からしてみたら、あなたの役割なんて安保法制の整備までで、それで用済みなんだから、法案成立させたらお払い箱になりますよ。長く首相を続けたかったら簡単に法案を成立させないことですよ」と忠告申し上げたのですが、まったく聞く耳持たないから・・・・・。言わんこっちゃない。
以下の記事。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/b7c031619f16d8c7b70cde2013eaf78a
しかし岸信介にあって安倍晋三にないものがあります。岸の後には、池田勇人さんが控えていて、所得倍増の経済優先主義で、政治闘争で分断された国民感情を修復して安定化させました。しかし、いまの自民党には池田さんに相当する人物は控えていない。そこが当時との決定的な違い。行く先はなお暗闇。
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長州より愛をこめて (明智)2015-07-23 21:51:17
初めまして。眞田丸關聯の檢索にて、このブログに偶到りました。壺屋忍頭目の悲報に接した故丹波翁の熱演には殊に鬼氣迫るものが有りましたね。
未だつぶさに閲覽してはゐませんが、「長州史觀から日本を取り戻す」と謂ふカテゴリーの論考には、一長州人たる余の立場から紐解いても首肯すべきものが多いです。アスペルガー松陰を過大評價し、21世紀の當今でもなほ明治維新の呪縛から脱却出來ないことは、實に大多數の山口縣人の宿痾にして日本人の惡弊であり、これからも舌鋒鋭く切り込んで下さいね。
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長州より暖かいエールを賜ったこと、望外の喜びであり、深謝申し上げます。私がこの一連の投稿を始めたのは、安倍首相が「日本を取り戻す」なんてスローガンを掲げるものですから、「えー、首相の言う『日本』って、長州藩閥政権時代の日本のことじゃない。それって本来の日本の姿じゃないですよ」と思ったことが動機です。
もとより当時日本を支配した維新官僚や長州軍閥の方々はいまや東京人となっています。安倍首相も東京生まれの東京育ちです。現在の山口県民の皆様にはご迷惑をおかけいたします。安倍政権が退陣まで、いやもしかすると、その後も日本の首相が靖国(長州)神社に参拝しなくなるまで、しばしご寛容のほどをお願いいたします。
「アスペルガー松陰」とは言い得て妙でした。たしかにそうかも知れません。
他人の言に耳を貸さず、自分の信じた道をとことん突き進むという傾向の強いアスペルガーの方々は研究者向きだとは思います。実際、他人から聞かされた「定説」など信じず、自分の信じた仮説をとことん究明しようとするような態度でないとなかなか新しい発見は生まれませんから。しかしながら、国民を主権者とする民主主義国の政治指導者が、憲法も国民もないがしろにしてでも我が道を行くというのは、完全にアウトだと思います。
昨日(2015年7月26日)の『東京新聞』(29面)において、安倍首相が、吉田松陰の愛した孟子の言葉「自ら省(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども、吾往かん」という言葉を繰り返し口にし、自己陶酔状態に陥っているようだと指摘する記事が掲載されていました。出所は、『フライデー』の8月7日号の「『平成の岸信介になる』安倍さんは官邸で自己陶酔中」という記事の紹介です。
民意や憲法の制約も無視してでも、他人の言に耳を貸すこともなく、「自分で省みてなお(自分で主観的に)正しいと思ったら、千万人を敵にしても、絶対に突き進むのだ」などと主張されたら、立憲民主主義国家の指導者としては、完全に不適格と申し上げざるを得ません。もしかしたらこれを正しいと信じる孟子も吉田松陰も安倍首相もみんなアスペルガー? しかし、孟子や吉田松陰は一国の政治指導者になることはなかったから、それでもいいのでしょう。安倍首相の場合は決定的にダメです。立憲民主主義国の指導者だからです。
吉田松陰の場合、その妄想の中の神国思想、征韓・征アジア思想が、やがて明治政府の指導者たちに受け継がれ、日本の国是になってしまったところに、その後の日本を暗く覆うことになる悲劇性の発端がありました。
しかし安倍さん、「平成の岸信介になる」と決意したということは、国会の周りを包囲したデモ隊など意にもかけず、参院で安保法制を強引に通して、そのまま退陣するということです。まさに歴史は繰り返す、です。
私は昨年12月に「安保法制の整備が終われば走狗煮らる」という記事を書いて、「宗主国からしてみたら、あなたの役割なんて安保法制の整備までで、それで用済みなんだから、法案成立させたらお払い箱になりますよ。長く首相を続けたかったら簡単に法案を成立させないことですよ」と忠告申し上げたのですが、まったく聞く耳持たないから・・・・・。言わんこっちゃない。
以下の記事。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/b7c031619f16d8c7b70cde2013eaf78a
しかし岸信介にあって安倍晋三にないものがあります。岸の後には、池田勇人さんが控えていて、所得倍増の経済優先主義で、政治闘争で分断された国民感情を修復して安定化させました。しかし、いまの自民党には池田さんに相当する人物は控えていない。そこが当時との決定的な違い。行く先はなお暗闇。
コンピューターには自分が正しく作動しているかどうか判断できないので、監視のために別な機械または人間を配置し、それらが誤作動しないように別の機械が必要になって、ということを無限に繰り返さなければならない、そのために創造的な仕事もできるはずの人間を機械に張りつけてうんぬん、という話だったのですが、人も成熟したからといって自分が正しく行動できているか知ることは難しいようです。対策の一つが「フィードバック」ですが、人体など複数のフィードバックがあると望ましくない対応をしてしまう例が健康番組などで時折紹介されます。
「自分で省みてなお(自分で主観的に)正しいと思ったら、千万人を敵にしても、絶対に突き進むのだ」
こういう姿勢は必要な場合もあるでしょうが、様子を見て中断したり引き返したりできないのは困りますね。
安富歩氏が『ジャパン・イズ・バック』で「安倍首相は死に魅入られているから、普通に生きている人間のエネルギーを実感できない。故に核や強大な軍事力を好む」と述べてから1年と3か月が過ぎました。なるほど、だから非武装で非暴力の市民10万人がが官邸を取り巻いても平気なんですね。町工場は軍需工場の下請けでないと存在意義がないと思っているし、芸術家が政府に物申すのも許せない。なんでも国単位で考えるからか、安保反対デモは中韓の手先だと当たり前に考えてしまう。日本を愛する故に反対する人間がいることを認めない(「日本」は同じものでしょうか)。
吉田松陰も、仮想敵が強大であるゆえに死に魅入られていったのでしょうか。
右翼の皆さんは「草莽崛起」を掲げるのが好きですが、「日本を守る」以外で草莽が崛起するのは困る、と松陰先生も思っていたはずです。
もし吉田松陰が萩の乱まで生きていたら諸隊をどう始末するだろう、と変な考えにはまっております。
ところで今の自民党には池田さんに相当する人材が見当たらないというのは同感ですが、たまたま見ていた25日のEテレの「貧困」をテーマにした番組では、「高度成長期」に生活保護受給者が増えたと言っていました。エネルギー転換によって炭鉱が閉山になり、炭鉱労働者が東京や大阪に流れ込ませることで公共工事の人手をまかないました。過酷だが永続的な職場だと思われた炭鉱がなくなって、都会に出てきたら日雇い仕事しかなかった、あるいは就職に失敗して日雇い生活に追い込まれていきます。都会に元から住んでいる人は「便利になった」とは思っても、その陰で使い捨て同然の扱いを受けた人間がいることを知りません。
「所得倍増計画」とは、炭鉱や農村の労働力を使って都市部インフラと重工業を成長させる、一度限りのマジックであった、と言えそうです。炭鉱はもうないし、農村部は過疎と機械化によってすかすかになってしまいました。歴史人口学的にもっと注目されていいと思いますが。
「移民を導入する」政策は、外国人をその代替にしようとするものと思われますが、貧乏人もネットをする世界ではわざわざ山谷や釜ヶ崎の住人になりに来る外国人がいるとは思えません。
いま国会で佐藤〈ヒゲ隊長〉が質問していますが、
自衛隊の精鋭がどこかへ遠征する→兵力が足りない→中国(?)との軍事衝突発生→自衛官・予備自衛官の大量募集(「広義の強制」で招集?)→貧困女性を慰安婦として募集→ますます少子化、産業力の低下。
あるいは貧困女性はどこかに集められて「産む機械」にされるのかもしれません。
ございます。
素より予も明治維新を全て否定してゐる譯で
はないのですが、それをめぐる言説では、
あたかもほぼ100%完全で成功した歴史的偉
業のやうに屢屢語られることに頗る違和感
を覺え、斷じて淺薄な維新馬鹿にはなるまじ
と自戒するのです。
扨も標記の二人ですが、ご指摘の岸にあつて
安倍に見當たらないものが少なくとももうひ
とつ擧げられます。
岸信介は評價や好惡は分かれる人物ですが、
「昭和の妖怪」と稱される如く、端倪すべ
からざる知性の持ち主であつたのは衆目の
一致するところでせう。しかし殘念ながら、
その拔きんでた知性は、相位を襲つた孫に
は、あはれ隔世遺傳しなかつたやうです。
安倍首相の官僚作文による原稿の臆面も
ない讀み上げの模樣や國會質疑にて正面か
ら應じず論點が噛み合はない答辯に接する
につけ、思ひなかばに過ぎます。
この知性の不足の根源的理由を尋ねれば、
おそらくは彼が身につけてしかるべき教養
=文化資本が、實際には決定的に缺如して
ゐることに歸せられるのではないでせうか。
昨今、グローバル競争とやらをお題目に、
經濟界からの要請を丸呑みした效率一邊倒
の大方針で、國立大學の人文・社會科學系
學部の廢止や再編を主導する我が政府の要
路を眼にすると、つくづく爲政者に無教養
な愚者を据ゑてはいけないと痛感する次第
であります。
適格なコメントまことにありがとうございました。
>「所得倍増計画」とは、一度限りのマジックであった、と言えそうです。炭鉱はもうないし、農村部は過疎と機械化によってすかすかになってしまいました。
確かに。岸内閣と安倍内閣当時の歴史人口学的な情勢の差異は決定的ですね。
池田マジックは、人口が急増する中で徹底的な一極集中を図ることによって達成されたのであれば、人口減少時代には地方分散型の分権化マジックが必要になろうと思われます。
その方向に行くためには、まだまだ乗り越えねばならない障害は大きいですが・・・・・。
>岸首相が「サイレント・マジョリティ」論を展開して甲子園球場で野球を観戦したり、銀座でショッピングしたりしている人々を岸首相は勝手に味方とみなしましたが・・・・
前回のこのりくにすさんのコメントに関して。
先日、お亡くなりになった鶴見俊輔さんの発言の中にに、これと関連する議論がありました。鶴見さんは、昔懐かしい漫画の「がきデカ」を高く評価して、「自分の欲望に従って生きようというがきデカが増えたことがファシズムの防波堤になる、と思う。簡単に、命令一下の体制に追い込むわけにはいかないですよ」と。
以下のサイト参照。
http://withnews.jp/article/f0150724004qq000000000000000G0010401qq000012291A
岸信介さんと鶴見俊輔さんは、違う立場から、「国家に縛られない自由な個人」に期待していたわけです。
これは興味深いかも。
しかし戦中だって、国家には縛られない欲望大好き個人はたくさんいたと思いますが、赤紙が来れば否応なく「陛下の赤子」になって戦場で死んでいったわけで・・・・。所詮、自由な個人も強大な国家権力の前には無力だと思うと、この問題では岸信介の洞察の方に分がありそうに思えます。
>國立大學の人文・社會科學系學部の廢止や再編を主導する我が政府の要路を眼にすると、つくづく爲政者に無教養な愚者を据ゑてはいけないと痛感する次第であります。
いくら無教養な指導者の下とはいえ、嬉々としてそれに取り組んでいる文科省官僚たちを見ると、国のトップエリートにも決定的に教養が欠落しているようです。やはり公務員試験の問題のあり方にも根本的な欠陥があると思います。
財界人もしかり。一昔前の教養ある財界人だったら、いまのような愚劣な教育「改革」などかえって国際競争力が落ちるであろうことは分かったでしょう。最近の経団連トップも、堕ちるところまで堕ちましたね。
実現できるといいですが、水や木材や食料の供給が途絶えたりして都市が崩壊し人々が散り散りになる、という図しか思い浮かびません。たまに「石器時代から変わらない生活」をしている人々が紹介されますが、崩壊した文明の末裔だった、ということがあるそうです。
鶴見俊輔と岸信介の違いは、「欲望」のなかに「政治」が含まれると思っているかどうかだと思います。
「国家に縛られない欲望」の中に国家に物申すことが
含まれるというのはアメリカ的だ、と思いますが、この国では政治が何とも特殊な事柄になっているのです。
SEALDsの集会に行こうとする若者向けの「デモに行くと就職がなくなる」といった物言いなどにそれが現れます。
つまり、大人たちが気に入らない事柄に口を出すと「わがまま」「生意気」と言われ、「政治に口を出すな」と言われてしまうのです。庶民には「政治は汚いものだ」と教えておきながら、自分たちは欲望で国や企業を好き勝手に動かしたりしている。そうやって抑圧的に育てられているから、普通の人はよほどのことがないと政治に物申すなど思いつきもしないでしょう。
りくにすさま、この投稿をりくにすさま宛てにはいたしませんのでご安心ください。
戦争と戦争法案に反対することが意味するものについて考えております。気がせくあまりの雑駁冗長な投稿をお許しください。
戦争と戦争法案に反対するもうひとつの重大な理由は、CSIS 戦略国際問題研究所( http://www.csis-nikkei.com/about-csis.html )2012年8月のアーミテージ&ナイ報告「アジア安定の錨となる米日同盟( http://csis.org/files/publication/120810_Armitage_USJapanAlliance_Web.pdf )」にあります。
幸いにしてインターネットで提供されている報告全文和訳がありますので( http://iwj.co.jp/wj/open/archives/56226 )感謝しつつそこから抜粋引用します。
項番と <項番タイトル> は当方が勝手に付したものです。
01 <中国と北朝鮮の脅威に対処するため、日米同盟による日本の役割の強化が求められる>
日米双方は、中国の再台頭とそれに伴う不安定要素、核能力と敵対的意図をもつ北朝鮮、そしてアジアのダイナミズムの兆しに直面している。・・・今日の大問題に適切に対処するには、より強力でより平等な同盟が必要である。
02 <すなわち。日本の軍事力が米国のために前面に出ることが求められる>
日本の自衛隊は、現在の日本で最も信頼されている機関であるが、時代錯誤の制約を軽減できれば、日本の安全保障と評判の向上により大きな役割を果たせる態勢にある。・・・米国は強い日本を必要とする。
03 <原子力の軍事的意義にもとづき原発を再稼働すべきである>
・・・原子力発電を慎重に再開することは責任ある正しい措置である。3.11の悲劇のために、経済と環境をこれ以上大きく衰退させてはならない。・・・原子力は日本の包括的な安全保障に欠かせない要素を構成する。
04 <日米軍事同盟は天然エネルギー資源の同盟を含む>
安全保障体制の一環として、米国と日本は、軍事上の同盟だけでなく、天然資源に関しても同盟すべきである。・・・米議会は、LNG輸出では、日本をFTA締結国の1つと見なして、他の潜在顧客国と対等な立場に置くべきである。・・・日米が費用効果の高い、環境に責任をもつメタン・ハイドレート生産の研究開発を加速するように推奨する。米国と日本は、代替エネルギー技術の研究開発に全力を傾けるべきである。
05 <ペルシャ湾のシーレーンの確保とイランの核脅威除去のために日本は戦うべきである>
ペルシャ湾からの出荷の保護、・・・現在のイラン原子力プログラムによる脅威などを除去するための戦闘を行い、シーレーンの確保などにおいては、東京日本政府は多国籍軍との協力を強化する必要があるだろうし、それは歓迎されるであろう。
06 <日本のTPP参加は日米軍事同盟の一環で遅滞は許されない。多国間FTAに進むべきである>
日本のTPP加入への歩みは遅い。・・・交渉への参加を遅らせないことが、日本の経済安全保障上の利益になる。また、日本が最も重要な同盟国とFTA締結していないことは不条理であり、日本が交渉に参加することを我々は強く奨励する。・・・我々は、米日経済関係を強化し、確固たるものとするためにTPP討議に加え、骨太で革新的な多国間自由貿易協定を提案する。
07 <中国の南シナ海、東シナ海進出は脅威であり、尖閣を含めて中国の野心に警戒が必要である>
特に心配な分野のひとつは、中国が中核とする権益の範囲を拡張する可能性があることである。新疆、チベットおよび台湾という公式に言及される3地域に加えて、南シナ海および尖閣諸島が新たな権益として言及されるようになった。後者については非公式であり、宣言されているわけではないが、人民解放軍海軍が南シナ海および東シナ海で存在感を強めているため、我々の推論はあらぬ方向に導かれる。さらに、主権という共通するテーマから、尖閣諸島および南シナ海における中国政府の意図に疑問が提起される。
08 <中国が国内矛盾を対外戦争によって解決しようとすることに対処する準備が必要である>
中国が大きくつまずいた場合、・・・深刻な国内の分裂に立ち向かう場合には、・・・外的脅威を利用して、ナショナリズムに逃避しようとすることが考えられる。・・・ひとつだけ確実なことは、同盟国側は、中国の軌道変更と幅広い将来の可能性に適応できるような能力と政策を開発しなければならないということである。
09 <日本は軍事行動を全世界に拡げるべきである>
日本の防衛戦略は第一に南北に拡張した。1980年代の見直しでは地理的範囲を拡大し東アジアでの協調能力を向上させ、90年代の見直しでは日本の防衛協力の空白部分に関する機能を明確なものとした。今日では、利害地域は遠く南へ、さらには遥か西の中東まで拡大している。我々は戦略を十分に再定義し実行手段の調整を行うべきである。
10 <日本の軍事行動は防衛省・外務省・米国防省によって遂行されるべきものであり、軍事行動を国会が制約してはならない>
米国海軍と海上自衛隊が歴史的に2国間の相互運用性を牽引してきた一方で、新たな環境はより強大な連帯と両国における部局横断的な相互運用性及び両国間の相互運用性を明確に必要としている。この挑戦は・・・日本の防衛省及び外務省と共に米国国防省の指導により十分に統合され前進するものでなければならない。
予算の制約がある中で、・・・「役割・任務・能力」は断片的に処理されたり、下級議員によって処理されたりしてはならない。
11 <ペルシャ湾の掃海と南シナ海の警戒が日本の対米軍事支援活動の中心となる>
同盟防衛協力の潜在力が増加した2つの追加地域は、ペルシャ湾での掃海作業と南シナ海の共同監視である。
・・・ホルムズ海峡を閉鎖するというイランの言葉巧みな意思表示に対して、日本は・・・単独で掃海艇をこの地域に派遣すべきである。
南シナ海における・・・安定と航行の自由を確保する為に米国と協力して監視を増強することは日本が関心を示すところである。
・・・ホルムズ海峡の封鎖や南シナ海での軍事的緊急事態は、日本の安全と安定に深刻な影響を及ぼすものと考えられる。
・・・作戦の遂行能力と今後起り得る在日米軍と自衛隊の合同機動部隊の軍事力を考慮して、米国は在日米軍により大きな責任と使命感を与えるべきである。
予算削減や財政引締めがワシントンでも東京でも起りそうな状況の中では、軍事力を維持する為のより効果的な資源の使用が不可欠である。
・・・米国空軍、海軍は自衛隊と連携して民間空港を循環した訓練を毎年行うべきである。・・・米国と日本はグアムと北マリアナ諸島における新たな訓練領域を十分に活用すべきであり、それはオーストラリアのダーウィンにおける新たな共有設備についても同様である。
12 <防衛省の諜報能力の米国レベルへの向上が必要であり、特殊作戦能力を持つべきである>
東京は双方とそれぞれの防衛上の秘密と秘密情報を保護する為に防衛省の法的能力を向上させるべきである。秘密保持の点からすれば、現在の法管理体制は米国標準と同等のレベルではない。
政策と厳格な防衛訓練の組合せが、日本の初期の特殊作戦部隊の能力を加速させ相互運用性を向上させるだろう。
13 <日本は武器・軍事関連技術の輸出を促進し、米国のミサイル防衛システムの導入をおこなうべきである>
米国と日本の経済事情と防衛予算の増大が非現実的であることを考慮すれば、防衛産業のより密接な連携が必要である。日本の「武器輸出三原則」の変更が武器輸出と技術協力に関する政策の窓を押し広げている。・・・米国は日本の方針転換を利用して日本の防衛産業に技術を輸出するよう働きかけるべきである。・・・米国は電子、ナノテク、合成、そして他の高価値部品を輸入すべきである(日本はそれらを自由に輸出すべきである)。・・・規制緩和が洗練した将来の武器と他の安全システムの共同開発の機会を促進させる。この点においてはミサイル防衛が素晴らしいモデルとなっている。
14 <日本の集団的自衛権の禁止はただちに解除されるべきであり、平和憲法の改正と軍国主義への転換に進むことが求められる>
・・・日本の利害の保護を必要とする最も深刻な条件の下で、我々の軍隊は日本の集団的防衛を法的に禁じられている。日本の集団的防衛の禁止に関する改変は、その矛盾をはっきりと示すことになるだろう。
政策の変更は、統一した指揮ではなく、軍事的により積極的な日本を、もしくは平和憲法の改正を求めるべきである。集団的自衛の禁止は同盟の障害である。
15 <韓国との歴史問題軋轢を米日韓軍事同盟の障害にしてはならない>
日本は韓国との関係を複雑にし続けている歴史問題を直視する必要がある。東京は、両国間の関係における長期的な戦略的見通しを考察し、根拠のない政治的発言をさけるべきである。三国間の防衛協力を強化するためには、東京とソウルは未決の防衛協定を締結し、三国間軍事協約を継続していく必要がある。
16 <米軍と一体化して世界で軍事行動をするために日本国内の常時戦時体制の確立が必要である>
新しい役割と任務の見直しにおいては、日本は地域の有事における自国の防衛と米国との共同防衛を含めることで責任の範囲を拡大する必要がある。同盟国には、日本の領域をはるかに超えて拡張した、より堅牢で、共有され、相互運用の可能な情報・監視・偵察の能力と運用が必要である。
平時から緊張、危機、戦争状態まで、安全保障上のあらゆる事態において、米軍と自衛隊が日本国内で全面協力できるための法制化を、日本側の権限において責任もって行うべき。
・・・・と、いうことが、戦争法案にかかわる主要点かと思います。
アベ・シン官邸と与党自民党まわりの風雲急を告げる動静と、アベ・シン総統の言動、「千万人といえども」の三人の憲法学者、百地、淺野、長尾、三教授の集団的自衛権論」( http://news.livedoor.com/article/detail/10407338/ )が、このCSISアーミテージ・ナイ報告の提起を,オウム返しと言えるほどそのまま吹聴しているのが、きわめて印象的です。
「三人の憲法学者」の発言を、野尻民夫氏による2015年7月29日リテラ記事から抜粋引用します。
浅野氏「・・・自衛隊が違憲運用される可能性を言い出したら、キリがありません」
百地氏「国民はやはり、中国の軍事的脅威を感じていると思います。東シナ海では尖閣諸島の領有権を主張し、周辺海域で連日のように領海侵犯を繰り返しており、ガス田では勝手な開発に加えてレーダー基地の設置も進めているという。南シナ海では岩礁を埋め立てて軍事拠点を築き、日本のシーレーンも脅かされています。・・・これこそが、集団的自衛権の行使を背景にした安保関連法案の成立を急がねばならない最大の理由です」
百地氏「本質的な解決は、憲法9条第2項を改正して軍隊を持つことでしょう」
長尾氏「その通りです」浅野氏「同感です」
ここで性急な結論をこころみますと・・・CSIS(それなりに知名度はあると思いますので、どのような存在なのかいついての言及はパスします)の2012年8月15日の「第3次アーミテージ・ナイ報告」( http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/061100016/?P=1 )が、アベ・シン官邸と与党にとっての至高の政治綱領であり、察しますに、問答無用の与えられた下命であると思います。
2014年7月1日の「集団的自衛権の行使容認の閣議決定」に始まる政治過程をクーデターと認識する石川健治氏の所論をつまびらかに見て、いまの同時代クーデターと小御所会議以降の明治維新クーデターとを対比してみてはと、雑誌『世界』2015年8月号をもとめました。
手にとって見まして、同号所収の寺島実郎氏による「戦後70年の夏、日本外交の貧困 ー 安保法制を超えた視界へ」に共鳴し、とりわけ以下の指摘に注目しました:
「・・・安保法制を取り巻く人々との議論で改めて発見したことだが、頼りにならぬアメリカ、とりわけオバマへの失望感が『日本による補完・肩代わり』という心理を芽生えさせ、新次元の日米協力を持ち出させているのだ。
・・・米国の世界を制御する力が・・・『動かないし、動けない』状況を踏まえ、日本が「価値を同じくする同盟国」として米国の後退を補い、場合によっては肩代わりしようとする役割意識の肥大化が芽生えている」(同誌2915年8月号;p36)
エリート官僚の姿が彷彿とするこの叙述 ↑ に時代の闇を見るような気がして暗澹とします。
しかし、彼らは滑稽にして惨めに、CSISが背後にしている米国勢力、すなわち、米ネオコン、米情報機関、米軍産複合体、米エネルギー資源資本が、米国の経済と財政の危機、世界覇権の貫徹力の破れ障子化に苛立って、オバマ政権を「失望視」する眼を真似ているにすぎません。
この「アジア安定の錨となる米日同盟( 「The U.S - Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA」 )」を見ますと、アーミテージ&ナイ@CSISが、いったいなんの権利と道理があって、これほどまでに日本の国民をいたぶることができるのか、といきどおりが沸きたちます。
いえ、考えてみれば、彼らは米国の99.9%の国民、そしてイラク、アフガニスタン、ウクライナ、ギリシャをはじめとして世界の99.9%の人々に対して同様の視線を向けているのでしょう。
彼らは彼らなりに追い詰められての焦慮に駆られており、それゆえに見境なく凶暴になっているようです。
戦争直後にGHQのニューディラーたちが掲げた理想と、軍国ファシズムに蹂躙された日本の人民民衆が抱いた願いとが結晶となった民主主義と平和主義の日本国憲法は彼らにとって単なる障害にすぎません。
彼らが苦しいがゆえに戦争という魔神、あくなき殺戮と破壊、を擦りだそうとするアラジンの魔法のランプを持ち出す邪魔をするものなのですから。
いま、戦争と戦争法案に反対すること、そしてこれからいかなることがあろうとたゆむことなく平和と自由と民主主義を訴え求めること、それは、
魔神を吐き出す魔法のランプを世界のどこにおいてもけっして擦らせないこと、世界の99.9%の人々と力をあわせて、そのランプを割り砕くこと、それにつながると思います。
それに、昨年11月の最高裁判決における5人の最高裁裁判官の補足意見で「違憲状態の選挙で選ばれた国会議員は国会の活動をする正統性がない」と断言された議員たち( http://blogos.com/article/125566/ )彼らによる文字どおりのクーデターを、いま立ち上がった若者たちを先頭にして国民の手によって阻止すること、そのものを意味しているのです。
最後に・・・、CSISがかような存在であるとは、かってまったく存じませんでした。赤面汗顔の至りで、自分の無知蒙昧に両手がワナワナとふるえます。