青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

京今新在家西町むぉおん七-十一

1533年12月13日 00時00分00秒 | 投稿

鶺鴒~seki-ray~ (instrumental strings arrange)


ねおの経営への付随悪貨の識別役、是館長の専従秘書と自認。
“歴史に深き禍根を残す大口論”の詳細と全貌を知悉し続けし五十名以下のこの一人は“憤慨を増幅する執刀に使役され続けし医学業人生が、信仰する理念からの逸脱を罰する形で、頭を、操作せしめられたが、その人数は一人であった”と起点を断定。
異界属性濃度、十。
庵は堀川御池、押堀町おしぼりちょう、や堀川御池から烏丸丸太町にかけて。
風の声を聴いていたならば、人間は頭部外殻の観念を断続的に忘却していく、との恐れを抱かなくなり始める。
人間とは、周囲の大気の囁き声との、頭部への、主語が透明なる、いかがわしい刺激、これを以ってして、自己の苦闘人生にとっての下駄の鼻緒を間抜けに緩めゆく。
これらの指摘への無知可能性を、恐れ続けず。
成る。
自己を、風と誤認しても是なる、人生の軍師従いが。
風とは、大気とは、囁き声とは、頭部外殻とは、捉え、観念への巧妙創傷の在り様とは。
これら、自己の苦闘人生への、堂々なる大挑戦者、との素性を、まだ捉えるに至らずのままの、囁き声耽りとは。
人が物事を捉える、及び遂に捉えし、捉え、これら二者との、人間の人生、瞑目苦悩への救いの明かりへの、真冬の隙間風、年中顕現力とは。
如何様なる、隙間を見付けては、遮二無二顕現す、が素性。
風とは、大気とは、囁き声とは、頭部外殻とは、捉え、観念への巧妙創傷の在り様とは、これらをまだ捉えず、との論難可能性を、隙間風の口と捉える。
一連とは、隙間風の口の偏在性の根を、人が物事を捉える、そして捉えし、捉え、二者との、外界、内界万象へ視野の明瞭が為の塵払いの風と、丁寧に疑いいく機に至らざる者が、すべからく至る、隙間風の口文章。
人が物事を捉える、と、至りし捉えの間。
ここが、隙間風が吹く真の口也。
かくなる、見抜きを、自己の捉えとして、両手で遊ぶ、お手玉の内に籠める小豆として、味わいいくとする。
この選択の選ぶとなれば、人間人生、瞑目苦悩からの脱却が畳の材なる、茶を呑む佇みのみが生き甲斐の筈の公家からの脱却が不可避となる。
隙間風の根源は、公言はならず。
人間の身分、公家の上、下それぞれを、固定化しゆく力を、政経動態への乱雑な掌握段階が発揮しゆく世の至る先は難波への接近あるのみ。
隙間風の根源は、公言は、ならず。
難波政経を、遠方に昇る恵比寿柄の凧と見なし、目を雑多に愉しませる京が、・・・そうと捉える力の堕落を選ばず、が為には。
人が物事を捉える、との動態の大部分は望む、と似る。
至りし捉えは、今回の望みに付随せし疲弊、給仕女子、全員の平均顔相を遂に穿ちし、一実験彫刻像。
望みと、偶然彫刻の像、幼年期を克明想起すが為の、引き出し隠れのアイスの当たり棒、これらの間は、真冬の隙間風を吹かせる。
給仕女子、無根拠ながら、毎秒使役法源気取りの、政治家の罵声たる、情念が、二者の間に、必ず籠り隠れる、との俯瞰上指摘を厳しく与えるは、給仕女子、情念排斥済み勤務体系なる世。
望みと、当たり棒の間が、如何に、高速理性で連結せしとして、二者の存在が在るならば、必ず、現実との乖離が定めが素性である情念を咎める形で、真冬の隙間風を、世は遮二無二、顕現せしめてくる。
人間の定めがここに在る。
京人は、隙間風の根源は公言はならずと定めたがる。
生きているならば、人間は物流による被使役人生に成り下がりいく。
世話になっており、侮蔑はならぬ、台車曳きへ。
人間、街が、何も定めずならば、人間はこの定め、難波の底辺階級への堕ちいきから逃れられず。
人間が定めへ抗う術は、物事の真相、連関を捉えいき、至った捉えを明かりとして、抱えいく、これのみ。
この希望の夫婦から、隙間風を沸かせてくる、世の俯瞰上指摘を避ける術は無し。
下駄の鼻緒を間抜けに緩める、の等価文は、多種、堅牢な風体な捉え事に服するらしい他者や街が、ある時、突如車輪の回転が蝶の羽ばたきとの、目を当てられぬ、約束破り。
しかし、隙間風の根源は公言はならず。
人間が難波行きへの定めへ抗う希望の術、捉えいきと、捉え、高次機能化への協力を、信頼する他は無い。
即ち、二者に、消滅、固体からの気化、いずれ選択を一度も問わぬ勢いでの、周囲滞留粒子化迫りである。
機能を残すであろうとの期待には、沿って頂く。
これで隙間風吹かせには資さず、かつ自己の願いには従う、高次段階なる二者に至る。
現代では、粒子化は、軽妙声量声優化、が妥当。
この気付き、必要性への到達は、一人のみで至るべし。
到達者はそして、他言を控えるべしとの自戒に至るが必定。
一連との、穿ち事の限りを、見聞きす、とする。
政経動態への乱雑な掌握段階が、ご活躍となる。
難波への親和、非忌避人は、遮二無二、成立しゆく筈。(現代では大いに疑義がかかる)
京人が、云ってはならん事を、ある時、口にする。
こうした決心や、発言の前後、人間は確かに在る、と見る。
京の井桁街路の外での、論外なる禁忌耽り。
京の民度、難波政経、いずれにも頼っては、おらずの時の。
中京区、二条城東、押油小路町おしあぶらのこうじちょう、ねおの経営の手荒さ、悪貨鎮圧法思案、“ぬあううあう むああうあう 鵜ああうああう”、三十六。鵜、え う の間。
趣味は考え事。

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