青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

京今新在家西町むぉおん七-十八

1533年12月20日 00時00分00秒 | 投稿


万華鏡の技術は三重降臨種、異界の者が輸入せしガラス技術への、京での改良者、アオイと樋口一葉系によって成った。
これらの眩さは、アオイを見る人間の瞳に宿る、対人貢献意欲人の姿に当たる。
これらが、アオイ。

これが匂い袋で、香りは袋が漏らす。
年頃の女子が深く感得し続ければ、京都寺町通りの小物店の商品を多く、自室に揃えたがるようになる。
季節を頭で、これこそ春、と諭しつつ、かつ文化の華やぎへの急ぎ足衝動、これは女子の非下品、との概括を左脳を経ない。
匂いは、桜吹雪の景色を、火で、鼻孔の中で、燃やす、が如く。

祇園祭の山鉾やまほこ:
サウジアラビアの紅海沿岸、ドゥバーからジェッダにかけてで遊牧民暮らししていた、ユダヤ教を奉じていた人々が、四百年台に、現地での他民族との軋轢を厭がり、東への旅を決心する。
大馬車団は、定住へ逡巡する事なく、すんなり速度で東へ、大くねりした旅路を選んでいく。
四百年台末、上海でいい条件に出会い、迷う。
千名が、ここでの帰化を選ぶ。
残り、一万名は博多を経由し、下関海峡を抜け、難波湾へ。
大金を、馬車団は持っていた。
現地で払っていた外貨は、彼らが所有していた、からくり構造現物と、実際操作しつつの、懸命な口語説明。
人間頭部を一切嘲笑せずである、文明含意内在からくりの動き方を、政治家が、注視して沸く衝動を、民生用品開発視野に投入しゆく、倫理的堂々指数とは。
着想は、旧約聖書のある一節。
短い柱を覆う、操舵輪の取っ手状が無数。
これを一つ回そうとして、柱周囲で動かすも、残りの取っ手は、あまり、動かない。
しかし、二人掛かりで、取っ手動かし役、柱を回し役を担うと、すると、取っ手はゆっくりと、全てが回り出す。
握っていた取っ手を握る手を、他の取っ手が襲い出す。
無数の取っ手が得た推力は、暫く止まらず、惰性的に回り続ける。
この時、二人が失笑する。
ならば、それを、罪悪感と捉えるべし。
以上が、使用法。
こうしたからくり構造を無数に、彼らは製造し、先行個数に追加し、運んでいた。
仕事には出会えた。
政治家にも同様。
船は借りれた。
喰い物は当時の常識上、言語差無視の丁寧挨拶で、まとも市では、大量を貰えた。
明石行き派閥を除いた、八千名は東山区の大谷中学から、左京区の平安神宮にかけた一帯で、定住を始める。
大いに、疲れていた。
サウジアラビアでの遊牧民暮らし派閥が百年以上かけた、旧約聖書のある一節の解釈を、彼らはサウジアラビアでの祭りに顕現させていたが、これの簡略版を、八坂神社関係者に、何の眺望も無いまま、詳しく教えてしまう。
派手さが、大いに受けた。
祭祀対象は、豊穣、あらゆるにとっての、根源で、どの神名も不介在、だった。

山鉾
エン、アア、ウル、ヤー。
エン、ヤアル、アア、ヤー。
エンヤラヤーの起源、原典の意味は、一語音ずつ、重量にて、誰も、意味を頭で追わずべし、が渡来人の常識だった。
このでかさ規格を、大量配列。
ここら人種で、着想と、実践政経は、準備出来るだろうか、果たして京の奥、頭部で。
渡来人の顔は、濃い、中東人だった。
でかさの連射ぶりを見るんだ。
頭違い過ぎるべ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京今新在家西町むぉおん七-十七 | トップ | 京今新在家西町むぉおん七-十九 »
最新の画像もっと見る