こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。
安倍さんも深い反省を表わした戦争を今更正当化するつもりは全くありませんが、それでも日本人として覚えておくべき重要な事があります。 それは戦いの大義です。 当時のアジアは欧州諸国により植民地化され、江戸末期の日本で薩長が手を組んだのも日本が植民地にならないようにと言う思いでした。 大東亜戦争の当時の外務大臣 重光葵は次の様に言っています「東洋の解放、建設、発展が日本の戦争目的である。アジアは数千年の古き歴史を有する優秀民族の居住地域である。アジアが欧米に侵略せられたうえにその植民地樽地位に甘んじる時期は過ぎ去った」。 この理念の下、「大東亜会議」が昭和18年に日本で開かれ次の国から出席がありました。
ビルマ/満州国/中華民国/タイ/フィリピン/自由インド仮政府
アジア各国の指導者があつまり、植民地主義を打倒し人種平等を唱えたのです。 その前にも1919年、パリ講和会議において日本は「人種差別撤廃案」を提出し、米国、英国の反対で否決されています。 ナチス・ドイツのように自分達の民族の優越性を誇示するために他民族を虐殺して戦争を進めたのと根本が違うのです。ファシズムによる戦争ではありません。
米国の国内でも以前として残る人種差別が銃器社会の中で問題を起こしていますが、あの人種差別は大東亜戦争前は国際間で平気に行われてきた事なのです。 現在は、人権という概念が広まり、建前としては人権が第一ではありますが、人権宣言が出されたのはナント1947年で、これ以前の出来事を人権と言う尺度で判断しても仕方ないのです。世界史と言うのは簡単に言ってしまえば、キリスト教白人による有色人種の虐殺の歴史で、米国では未だにその尾を引いています。 植民地主義は現在の基準で言えばトンデモナイ事とされますが、その昔は、キリスト教の下に文明国が文明が未開の人種を救うために行うことと正当化されていたのですから仕方ありません。
日本も偉そうなことを言いながら、朝鮮を植民地化したではないかとのご意見もありますが、西欧諸国のアジアでの植民地と日本の韓国併合では大きな隔たりがあります。 日韓併合は韓国の要請によって行われたものであり、日本が暴力的に支配したのではありません。 西欧の植民地では、現地人に教育を施すなど全く行われてはいませんが、日本に併合された後、優秀な方は日本で高等教育を受け、戦後はそれぞれの国で指導者となられた李登輝、朴正煕の様な方までおられます。 西欧の植民地では現地人は奴隷同然で教育など施しません。 強制労働を問題にしますが、戦時中は、国が勝つか負けるかですから労働基準法などは関係無く、日本人も同じように過酷な環境下で労働を強いられていたのです。 現在の常識で過去を判断してはならないのです。
私の父は戦時中は軍需工場で働いていましたが、その時に一緒にいた朝鮮人労働者の話も良く聞きました。 職場で威張り散らして他人をイジメル人は、現在の職場でも散見します。 そういう人が昔もいまして、朝鮮人労働者をイジメた人は確かにいたでしょう。 終戦後、いじめられた朝鮮人は「朝鮮」でなく「第三国人」として威張りだし、日本人と朝鮮人の形勢は逆転したそうです。 父は戦後、母と結婚するために母の実家を訪ねた時に、偶然、近所に戦争中に一緒に働いた朝鮮人工員がいて、その時に、もし、以前、職場でこの朝鮮人をイジメていたらカタキを取られそうな場面であったそうです。 私の父は誰にでも公平であったので、この朝鮮人からも慕われていて久しぶりに再会を二人で喜んだそうです。戦争中の国内での工場では労働基準法などある訳ありません。 国家総動員で子供まで駆り出され、戦地での兵士の事を思えば、内地での労働など過酷になるのは当然です。 しかし、それは全ての内地にいる人に共通な事で、朝鮮人だけに強いられたことではなかったそうです。
〒220-8144 神奈川県横浜市西区みなとみらい 2-2-1
横浜ランドマークタワー 44階 4406
落雷対策専門の株式会社落雷抑制システムズ
電話 045-264-4110
公式サイト http://www.rakurai-yokusei.jp/
Eメール info@rakurai-yokusei.jp
安倍さんも深い反省を表わした戦争を今更正当化するつもりは全くありませんが、それでも日本人として覚えておくべき重要な事があります。 それは戦いの大義です。 当時のアジアは欧州諸国により植民地化され、江戸末期の日本で薩長が手を組んだのも日本が植民地にならないようにと言う思いでした。 大東亜戦争の当時の外務大臣 重光葵は次の様に言っています「東洋の解放、建設、発展が日本の戦争目的である。アジアは数千年の古き歴史を有する優秀民族の居住地域である。アジアが欧米に侵略せられたうえにその植民地樽地位に甘んじる時期は過ぎ去った」。 この理念の下、「大東亜会議」が昭和18年に日本で開かれ次の国から出席がありました。
ビルマ/満州国/中華民国/タイ/フィリピン/自由インド仮政府
アジア各国の指導者があつまり、植民地主義を打倒し人種平等を唱えたのです。 その前にも1919年、パリ講和会議において日本は「人種差別撤廃案」を提出し、米国、英国の反対で否決されています。 ナチス・ドイツのように自分達の民族の優越性を誇示するために他民族を虐殺して戦争を進めたのと根本が違うのです。ファシズムによる戦争ではありません。
米国の国内でも以前として残る人種差別が銃器社会の中で問題を起こしていますが、あの人種差別は大東亜戦争前は国際間で平気に行われてきた事なのです。 現在は、人権という概念が広まり、建前としては人権が第一ではありますが、人権宣言が出されたのはナント1947年で、これ以前の出来事を人権と言う尺度で判断しても仕方ないのです。世界史と言うのは簡単に言ってしまえば、キリスト教白人による有色人種の虐殺の歴史で、米国では未だにその尾を引いています。 植民地主義は現在の基準で言えばトンデモナイ事とされますが、その昔は、キリスト教の下に文明国が文明が未開の人種を救うために行うことと正当化されていたのですから仕方ありません。
日本も偉そうなことを言いながら、朝鮮を植民地化したではないかとのご意見もありますが、西欧諸国のアジアでの植民地と日本の韓国併合では大きな隔たりがあります。 日韓併合は韓国の要請によって行われたものであり、日本が暴力的に支配したのではありません。 西欧の植民地では、現地人に教育を施すなど全く行われてはいませんが、日本に併合された後、優秀な方は日本で高等教育を受け、戦後はそれぞれの国で指導者となられた李登輝、朴正煕の様な方までおられます。 西欧の植民地では現地人は奴隷同然で教育など施しません。 強制労働を問題にしますが、戦時中は、国が勝つか負けるかですから労働基準法などは関係無く、日本人も同じように過酷な環境下で労働を強いられていたのです。 現在の常識で過去を判断してはならないのです。
私の父は戦時中は軍需工場で働いていましたが、その時に一緒にいた朝鮮人労働者の話も良く聞きました。 職場で威張り散らして他人をイジメル人は、現在の職場でも散見します。 そういう人が昔もいまして、朝鮮人労働者をイジメた人は確かにいたでしょう。 終戦後、いじめられた朝鮮人は「朝鮮」でなく「第三国人」として威張りだし、日本人と朝鮮人の形勢は逆転したそうです。 父は戦後、母と結婚するために母の実家を訪ねた時に、偶然、近所に戦争中に一緒に働いた朝鮮人工員がいて、その時に、もし、以前、職場でこの朝鮮人をイジメていたらカタキを取られそうな場面であったそうです。 私の父は誰にでも公平であったので、この朝鮮人からも慕われていて久しぶりに再会を二人で喜んだそうです。戦争中の国内での工場では労働基準法などある訳ありません。 国家総動員で子供まで駆り出され、戦地での兵士の事を思えば、内地での労働など過酷になるのは当然です。 しかし、それは全ての内地にいる人に共通な事で、朝鮮人だけに強いられたことではなかったそうです。
〒220-8144 神奈川県横浜市西区みなとみらい 2-2-1
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