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映画「ハワイ・マレー沖海戦」~理想世界と白いリボン

2014-01-05 | 映画


念願かなって入隊した土浦の予科練習生生活。
朝の総員整列の続きからです。




司令に「並びました」という係。
ただし、本物っぽすぎて(というか本物なので)何を言っているのかわかりません。
整列しているのは喇叭手です。



ここで全員が「あ~~~」と言い出したので、発声健康法か?
と思ったらそうではなく、明治天皇御製の

「あさみどり 澄みわたりたる 大宮の
      ひろさを おのがこころともがな」

を皆で吟じているのでした。
これは、国民学校国語教科書『初等科國語』にも載っていたようです。
小学生がこれを吟じていたとは・・・。




続いて海軍体操。

これを考案した海軍の堀内豊秋大佐(最終)は、デンマーク体操から着想を得て
この海軍体操を考案し、海軍省から表彰されています。

堀内大佐はインドネシア・メナドへの海軍落下傘部隊を指揮しましたが、
戦後、部下の罪を被って戦犯として連合国に処刑されます。
現地住民は助命嘆願を出し、亡骸の埋葬された場所には慰霊碑を建てたそうです。

江田島の旧海軍兵学校の教育参考館には、バリ島在住であったドイツ人画家
ストラッセル・ローランドによる、メナド降下作戦の堀内大佐の肖像画があります。



時鐘を鳴らす兵。
朝六時だから・・・・4点鐘かな?



ここでいきなり藤田進登場。
予科練の教官で分隊長である山下大尉という役どころで登場します。

ここで山下大尉がする精神訓話というのも、
当たり前すぎて全く記憶に残らないくらいの(失礼)ものなのですが、
そういう1たす1は2、みたいなこともちゃんと言の葉に乗せてみることが、
実際の精神教育には有効なんでしょうね。たぶん。



入隊して一ヶ月が経過したところで、改めて訓育です。
当てられた友田義一が教官の質問に答えると・・・。



「友田の言うことは正しいか?」

何人かが手を上げていますが(そう思わない生徒もいるってことですね)皆拳をグーにしています。
これは海軍独特の挙手の方法で、なんと最近読んだ本で、
現代の自衛隊でもこの方式で手を挙げるのだそうです。

うっかり外でグーの手を挙げてしまうので、自衛官だとばれてしまうとか。



漢文の時間を思い出して読んでみましょう。
この予科練生は、「はやし」と呼ばれているのですが、字幕では「隼人」になっています。



最後四文字は「敢闘精神」のこと。

この人は、全般的にセリフの言い回しが稚拙な俳優ばかりのこの映画で、
特に素人っぽいしゃべり方をしていたのですが、もしかしたら
俳優ではなく、予科練の中から選ばれて「特別出演」したのかもしれません。



さて、訓練の最も海軍らしいのがカッター訓練。

カッター訓練は、旧軍以来の伝統で防大でも行われますし、
海自の教育隊ではつきものです。

ちなみにこのカッター訓練、防大では一ヶ月の集中訓練をするらしく、
剥けるのは手の皮だけではなく

「互いのお尻にバンドエイドを貼り合う」

男たちの美しい姿が夜な夜な見られるのだそうですが(防大出身者談)、
そのような厳しい訓練を経たあと、防大生は文字通り

「一皮むけた」

として、飲酒喫煙、廊下のソファ使用、浴室の風呂椅子使用の権利が
与えられるのだそうです。

それまでは、お風呂で膝をついて身体を洗わなくてはいけないんですって。
うーん。それは辛いものがあるな。

しかし、旧軍のカッター訓練はそんな「ご褒美」があるわけではなさそうです。



上画像の中国語は「オール上げ」の意味だと思われます。



ダビッドに短艇を吊って訓練終了・・・なのですが、
声を枯らして短艇をリードしていた班長?が、
短艇競争で負けたことを「気合いが足りん!」と叱咤。

あの、二艘で競争すれば必ずどちらかが負けることになってるんですけど。



しかしそんな当たり前のことを言って通る世界ではありません。
負けた罰直にグラウンドを縦横無尽に駆け回らされます。

「たるんどる!」

とか言いながら、さすがは指揮官先頭の海軍、 言った本人が先頭に立って
一緒に走りまくります。

 

最後は直線にダッシュし、銃剣動作をして終了。
これはいかに「若い元気な予科練」でもかなりキツいと思われ。



「どうだ、きつかったか?俺もきつかった!
しかし辛いことを我慢せんと戦争には勝てんからな」

とにこやかに訓示。

実際はこんな映画のような(って映画なんですが)面はごく一部で、
裏には様々なドロドロしたものが蔓延していたのかもしれませんが、
理不尽や陰湿な苛め、体罰や時として死者を出すほどの訓練、
そういった面を海軍制作の映画で描くわけがそもそもないのです。

自衛隊などにも言えることですが、およそこの世のいかなる団体も、
現実は映画やお話のようにはいきません。

全てのものには光があり影があるのですから、
ましてやこの時代の国策映画が、理想に終始してウソっぽくなるのは致し方ないでしょう。

ただ、いまだにこの映画が「名作」と言われている意味を、
エントリのシリーズ終了までにきっちりと見極めてみます。

人間の姿をありのまま本音で描いたものや芸術作品だけが映像作品として
価値があるのか、という根本的な問いがそこには生まれてくるに違いありません。




この映画の訴える「海軍の精神主義」を表すもう一つのシーン。
兵学校では当時の人気力士の相撲部屋などが表敬訪問し、
学生はプロの力士に手も無く捻られた、という話を書いたことがありますが、
これもどこの教育部隊でもやった訓練のひとつ、相撲。




ここで、友田練習生は「勝つまで土俵を降ろしてもらえない」
というしごきに耐え、次々と級友と対戦し続けます。




なぜか友田に肩入れし、応援する山下隊長。
加油、というのは中国語で「頑張れ」です。
油を加えることが頑張ること、というのは納得ですね。

藤田進はこのとき30歳。
デビューが遅く、照明係などの下働きをしていた時期があり、
東宝ニューフェースとして大部屋に入ったのが27歳。
「燃ゆる大空」で突っ立っているだけの役をしたのがデビューの翌年です。

ですから、30歳と言っても達者という演技では決してありません。

というか、この人は軍人の役が多かったため何とか様になっていたようなもので、
戦後の映画ですら何を見ても同じような調子。
決して名優とか演技派ではないのですが、このころはまだデビュー三年目、
この頃の演技はすでに後年の演技と同じです。

というか、後年の演技もこのころをあまり変わっていません。


丹波哲郎がデビューの頃周りからあまりにも偉そうなので
顰蹙を買っていたそうなのですが、当時の丹波を知っていた同期の某男優が

「どれくらいデビューしたころの丹波さんは偉そうだったんですか」

と聞かれたのに対し、

「今(亡くなる少し前)と全く同じ」

と答えた、という話を思い出します。
三つ子の魂百までといいますが、人間根本的なものって変わらないんですね。

つまり、藤田進はこの容姿でなければ俳優としては全くだめ、とまでは言いませんが、
そもそも俳優にもなっていなかったのではないかと思われます




この中国語は確か「のこった、のこった」?

せっかくこの試合で上手投げで勝ったのに、隊長は友田に
土俵を降りることを許してくれません。

「技で勝とうと言う心構えがいかん!」

ってよく意味わからんのですけど。
藤田進は「姿三四郎」でブレイクした俳優ですが、嘉納治五郎曰く

「柔能く豪を制す」

じゃなかったんですか。
小兵が技で身体の大きな相手に勝つ柔道精神は、予科練では通用しないどころか
卑怯なこと、っていうニュアンスですね。


「娑婆の相撲とは違う!」

つまりそういうことですか。



さらに、この大学リーグチャンピオンとの試合のあとも、
山下隊長またしても意味不明な訓示。

「点数では負けたが気力では勝った!」

いや、負けは負けですから。
言いたいことは痛いほどわかるけど、これじゃたとえが悪いですがまるで

「日本の勝利は恥ずかしい勝利」

などと日本に負けるたびにケチをつける某国みたいじゃないですか。
さすがに相手を卑下する某国のそれとは全く意味合いが違うとはいえ。

スポーツは結果ではなく、その精神がどうであったかである。これはわかる。
しかし、

「相手は大学のリーグ優勝校で、お前たちより5歳上だから仕方ない」

という言い訳もそうだけど、
それでは「精神では勝った」って、何をもってそう言っているのか?


これも「娑婆のラグビーと予科練は違う!」ってことなんでしょうか。



お待ちかね、食事タイム。
食事が済んでから、友田練習生、箸でツートンし、

「しるこが食いたい」

すかさず僚友が何か答えますが、これはわたしには何と言ったのかわかりませんでした。



「実際お前らは食べることしか考えとらんな」

でました「実際」。
兵学校67期について書いたときもこの流行言葉について述べましたが、
この「実際」は当時の流行語です。
その他、山下隊長が

「手荒なこともしたが」

と訓練について言いますが、これは海軍独特の言い方で「すごく」の意味だったり、
「厳しく」だったり、決して現代の「手荒なこと」つまり殴ったりすることではありません。

実際は予科練の訓練というのは「軍隊式」ですから、
罰直は必ずバッターで殴られ、何かと言うと拳骨が降り、
そういう意味では本当に「手荒かった」のは事実なんですけどね。


・・・・あ、

「手荒なこと」って、本当に殴ったということを映画的に穏便に言っただけだったのか。




さて、ここで不可思議な演出があります。

友田練習生が疲れきって眠りにつき、夢を見ます。

音楽は最初に出て来た「ふるさと」の、妙に怪しげなアレンジ。

夢には、ありありと隅々まで思い出すことの出来る実家の内部、
彼の視線が母を探して彷徨っていると、頭に白い大きなリボンをつけた
姉きく子と妹うめ子が笑いながら並んで正座しています。

「二人ともそんなリボンなんかして、まるで気違いみたいじゃないか」

この頃の映画ですから、今なら一般人すら言わない放送禁止用語で
こんなことをいいます。
するときく子とうめ子は

「立花の忠明さんがお手柄を立てたらその勲章のために使うのよ」
「このリボンはね。お兄さんが怪我をしたら包帯にしてあげるのよ」

うっわー、怖いよ君たち怖いよ。



そして仏壇に向かう母に呼びかけても母は全く聴こえない様子。

確かにこのようなシュールな夢を見て後から「なんだったの」と思うことって
実際にはありましょうが、この前半は精神主義的、後半は我が海軍の
華々しい初戦の勝利を自慢かたがたご報告、という構成の映画には
この夢がいったいどういう意味を持つのか謎です。


そこでわたしなりにここを解釈してみたのですが、
「忠明さんのための白いリボン」は、そのうち忠明が特進(つまり戦死)するという暗示で、

母親が仏壇で一心に拝んでいるのは、もしかしたら・・・・・

・・・・・・義一自身?

義一の声が母親に聴こえないのは、彼がすでに幽界を彷徨っている存在であるから?


厳しい訓練に精神訓話、国に捧げた命を惜しむものではないけれど、
義一の深層心理には実は「既に戦死してこの世からいなくなる自分」が予感されていた

・・・・・という意味なのでしょうか。

もしこのわたしの仮定が当たっているとすれば、この映画の
表面的な理想世界に相対する「闇」の部分を
このシーンは間接的に表現しているということであり、もしそうなら、
この映画に対するわたしの印象は、当初より少し複雑なものになってきます。







 



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2 Comments

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彼は後の名俳優です (足軽零戦記者)
2014-01-05 14:33:43
 明けましておめでとうございます。今年も「目からウロ
コ」の楽しいお話をよろしくお願いします。

 で、新年早々コジュウト発言ですが、「敢闘精神であり
ます」と発言する練習生は木村功(「七人の侍」の勝四
郎)です。ウィキを見ると、山本嘉次郎監督にスカウトさ
れて、初めて映画に出たみたいですね。

 この作品、クレジットが見られないのですが、その後、
東宝や円谷特撮に出た俳優さんたちが出演しています。私は、マレー沖海戦のシーンの索敵機長・谷本予
備少尉役の柳谷寛が印象的です。「ウルトラQ」の「2020年の挑戦」 「あけてくれ!」 の演技にしびれた者
としては、若いころの姿を見てうれしかったです。

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ええええ! (エリス中尉)
2014-01-05 21:33:03
零戦足軽記者さま、明けましておめでとうございます。
今年も記者さまならではの鋭い指摘を内心期待しております・・・というが早いか、
来ました、メガトン級のビックリが。

この演技の下手すぎて素人だろうと確信した予科練生が・・・木村功?
たしかにクレジットにその名前があるので、「誰だろう」と考えたのですが、
この生徒はわたしの記憶に残る木村功氏とは全く似ていないので想像さえしませんでした。
教えていただかなくては多分絶対気づいていないと思います。
演技も下手だし。
これが初めての映画出演ということで、多分上がっていたからなんでしょうね。
クレジットは最初はあったそうですが、戦後の再上映のときに無くしてしまったそうです。
これもなんか理由があると思うのですが、なぜなんでしょうね。
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