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映画「ハワイ・マレー沖海戦」~予科練生活

2014-01-04 | 映画

年末、旅行と大掃除とエントリ制作の合間を縫って、
ようやくこの映画を観ました。

陸軍省が紀元2600年記念に創った「燃ゆる大空」もそうですが、
この映画も、きっかり半分ずつ二部構成になっていて、

前半は予科練生活の紹介

後半は真珠湾攻撃とマレー沖海戦

となっています。
「燃ゆる大空」もまた、前半が少年飛行兵の生活、後半に戦闘シーンがありますが、
海軍はこの映画を真珠湾攻撃からきっかり一年後に「記念」として作るにあたり、
どうも陸軍の「少飛の生活紹介ついでにリクルート」という方式を
真似たのではないかと思われます。

開戦一年後と言えば、海軍は航空機搭乗員を大量採用していた頃で、
当初少なくてせいぜい200人だった予科練生は一期の採用人数が三万人にも上りました。

これはもう、あからさまに飛行兵欲しさの勧誘です。

というわけで、後半は真珠湾攻撃とマレー沖の大成功を謳い、
前半は友田義一少年の予科練生活を描く。
何しろ国策映画で予科練の宣伝が目標なので、登場人物は当然ながら
誰も本音らしいことを言いません。

最初から最後まで理想を絵に描いたような(ってそのとおりですが)
人物ばかりが登場し、実に清々しく勝ち戦で終わる。
おそらく当時これを観た日本人は、まさか日本がその三年後、
泥沼の敗戦を迎えるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。

同じ海軍制作の国策映画「雷撃隊出動」は、敗戦も明らかになったころ、
飛行機が無いということを映画の中で訴えるために作られたので
(制作が竹槍事件の直後であったことからわたしがそう思っただけですが)
しかも主人公たちは自爆して戦死する、といった具合。

こちらの方は、とてもこれを観て日本が勝利するとは思えなかったでしょうから、
「雷撃隊」で海軍はもしかしたら「日本の死に体」を国民に啓蒙したかったのか、
などと考えてしまうのですが、その話はともかく。

今日はこの映画の前半、予科練生活の部分についてお話しします。



なぜ中国語で字幕が?

これはですね。
以前「乙女のいる基地」でも説明したのですが、この映画を
鳥浜とめさんの娘の話を読んで観たくなり八方手を尽くして探したところ、
非常に入手が難しく、台湾にあるショップからようやく取り寄せることが出来ました。
それが「ハワイ・・」「野戦音楽隊」を含む三枚一組のセットだったのです。

台湾と日本はリージョンが同じですから問題なく観ることができるのですが、
当然もれなく中国語の字幕がついて来て、しかも消せません。
中国人が日本語をどう解釈しているのかが結構面白いので、
要所要所で字幕もチェックしながら観ていましたが、これが間違いが多いのよ。

「野戦音楽隊」のトップの

「撃ちてし止まむ」

「射撃停止」という字幕がついていたときはお腹を抱えて笑わせてもらいましたが、
この「ハワイ・・・」も、かなりのものです。
翻訳はどうやら中国人らしく、「ようそろ」とか「奮励努力」なんて、
通常の現代日本語で使わない言葉になるとトンデモ訳になってしまっています。

それもまたおいおい紹介します。



陸軍省の制作だった「燃ゆる・・」に対して、こちらは海軍の「後援」。
撮影のセットを作るのに参考にする実際の軍艦を見せてくれないなど、
制作者からしたら「どこが後援じゃ!」と毒づきたくなるほど
実はこのときの海軍は制作に非協力的だったそうですが、その話もまたいずれ。



企画は大本営の報道部でしたか。
やはりこれは予科練の宣伝(略)



情報局とは、昭和15年に発足し、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと
思想取締の強化を目的に、内閣情報部と外務省情報部、陸海の情報事務を統合して
設置されたものです。

国内の情報蒐集、戦時下における言論・出版・文化の統制、マスコミの統合、
文化人の組織化、銃後の国民に対するプロパガンダを目的に作られました。

つまりこの映画はの制作に当たっては、映画会社が海軍報道部の意を受け、
情報局のお墨付き映画(つまりプロパガンダ)に「参加」したという構図ですね。

 

「燃ゆる大空」もそうですが、台湾から三枚組で取り寄せた国策映画はどれも、
このような英霊への追悼の一文が捧げられています。 



映画は、風光明媚な田舎の一本道を、
一人の兵学校の学生が帰郷してくるシーンから始まります。

この田舎が、どこであるかはわかりません。
少なくともこの地方に住む人たちのしゃべる言葉は、全員そろって
東京の山の手言葉だからです。
そういった設定の甘さゆえこの映画の登場人物が住む世界にはリアリティがなく、
この映画が「官品」であることをあらためて感じさせます。

青年は立花忠明。
村一の秀才と誉れ高かったのであろうこの眉目秀麗の青年は、憧れの兵学校に入学し、
夏休暇を取って颯爽と帰郷してきました。

彼が身を包んだ純白の兵学校軍服は、この長閑な夏の風景にあたかも一陣の風のように
涼と凛とした空気を齎(もたら)します。

流れる音楽は、やたらテンポよくアレンジされた

「ふるさと」。




「ただあきさん!」

鄙には稀すぎる美女が藁篭抱えて登場。
これが、(一応)主人公となっている友田義一の姉、きく子。

いかなる遺伝子の突然変異によるものか、この美人の姉は、
義一少年とは姉弟には全く見えないどころか、母とも妹のうめ子とも
とても血のつながりがあるようには見えません。
これも、この映画のリアリティの無さの一因です。

あまりにも浮世離れしすぎて、最初は「ねえね」(姉さん)と義一が彼女を呼んでも、
実の姉ではなく「近所のお姉さん」だと思ってしまっていたくらいでした。

それにしても原節子の美しさというのは、古今東西の美人映画女優、
全部ひっくるめてもそのトップに堂々と位置を占めるレベルです。

兵学校の忠明さんも、実はこの村でも評判の美人に憧れており、
実は兵学校学生姿のかっこいい自分を見てもらうことが、この帰省の
一番の目的であったに違いありません。

戦後の映画なら少なくともそうなったはず。


しかし、そこは官製、忠明さんはきく子に声をかけられても、
さして特別の感情を見せず、ただ爽やかに敬礼するのみ。
むしろ、その姿をうっとりと見送るきく子の方が、この青年に対して
憧れを持っているかのように描かれます。

戦後の映画ならこれも、きく子が戦地の忠明の身を案じて百度参りしたりとか、
手紙を送ったりするシーンにほとんどが費やされると思われます。




畑から忠明の荷物を持つために飛び出して来た義一ですが、
涼しい顔をして汗もかかず忠明が携えて来た荷物を受け取るなり、
その重さによろめきます。

「兄さん、汗かいてませんね」
「水を飲まない訓練をしているんだ。船に乗りこむときに困らないように」

自分を律して訓練に励む海軍軍人をここでも強調。

忠明青年の実家は、この田舎でも特に立派な門構えで、下男がおり、
父親は彼が帰宅したときには何やら書道をしております。

この青年士官の卵が村では特別な存在であり、だからこそ義一少年も
飛行兵になると決めたときに同じ海軍に行きたいと思ったという設定。

実際、兵学校の制服と短剣姿は世の憧れで、夏冬の帰郷の際は
兵学校生徒はその姿で母校に「凱旋講演」し、海軍への志願を勧誘しました。 
こうしたかっこよさに憧れ兵学校受験を決めた軍人の中に、井上成美がいます。



字幕を見ればお分かりの通り(笑)忠明に向かって
搭乗員になりたいということを相談する義一。

どうしてこの二人は川で泳ぐのにこんな水泳帽を被っているのでしょうか。

 

それはともかく、海軍少年飛行兵になることを母親に説得してくれ、
と義一は忠明に懇願します。

この忠明を演じているのは中村彰。
実に聡明そうな白皙の青年ですが、 成蹊学園創設者の中村春二の息子として生まれ、
父と同じく東京帝国大学を卒業して映画界に入ったという「初めての学士俳優」。



俺についてこい!と水に飛び込む忠明。
このとき中村は26歳のはずですが、若々しい筋肉を持つ肢体は、
鍛えている兵学校学生のそれといっても全くおかしくありません。

頭脳明晰、身体壮健。
スマートを標榜する海軍がこの俳優を士官役として抜擢した理由がわかりますね。

そこでバイオグラフィをあたってみると、この人なんと

「加藤隼戦闘隊」「燃ゆる大空」

にも出てるんですね。
全然気づきませんでしたが。

 

「燃ゆる大空」より。藤田進の左後ろが似ているような気もしますが・・。



崖から自分が飛び降り、義一があとに続くことを躊躇わなかったら
母親を説得する、というテスト。



この崖はヘタしたら岸壁に激突の危険さえありそう。
代わりに飛び込んだスタントも、結構なスリルだったに違いありません。



テストに合格したので、義一の母親に少年飛行兵への入隊の許可を
説得している忠明。



次の瞬間義一は予科練に入ってしまいますが、実はこうなるまでが大変で、
開戦前の予科練はこの映画公開のときよりはるかに「少数精鋭」でしたから、
大変な競争を勝ち抜いた者しかここに来ることは許されませんでした。

しかし、映画の尺の関係でその辺の苦労は一切省略。



この映画の貴重であるのは、こういった実際の予科練の内部が映し出されていることです。
ここからは、海軍報道部の意向通り、予科練生活の描写です。

ここから始まるBGMは、「我は海の子」をアレンジしたもの。
この最後の歌詞が

「いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」

であることから、海軍のテーマソングとしても使われていたのでしょう。



これも本物の予科練生。
まるで納豆みたいですが、陸(おか)の上でもハンモックで寝るのが海軍式。
慣れたら寝られるものだと思うのですが、わたしはきっとダメだな(笑)



起床喇叭が鳴るなり跳ね起きて「吊り床上げ」。
ハンモックにかかれた楕円のなかには「ハンモックナンバー」が書いてあります。

これから転じて海軍での成績順を「ハンモックナンバー」と称します。



吊り床の利点は省スペース。
寝ていたところがあっという間に何も無い空間へと。
ハンモックは一段高い棚に収納したようですね。



起きるなり総員駆け足で整列。



きっとこの予科練生も、本物・・・。

こういう、はつらつとした若い人たちを見ると「このうち戦後生き残ったのは何人だろうか」
なんてことをつい考えてしまうのはわたしだけでしょうか。



義一練習生の予科練生活、明日に続きます。







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5 Comments

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フルーツコウモリ (婆裟羅大将)
2014-01-04 16:25:10
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

きれいな着物の話も政治の話もコメントつけられない人なので年寄りの悪癖、昔語りなどを一つ。
私事になり恐縮ですが、婆裟羅は横須賀にある高校の出身なのですが、
旧制中学から続く高校なので在学していたころはまだ古い、戦中の遺物もいろいろ残っていました。

生物部でメダカやタップミノーすくったり、バードウォッチィングに明け暮れていたのですが
標本室の朽ちかけたオオコウモリ、フルーツコウモリの標本を鮮明に覚えています。
旧制中学時代の先輩がボルネオあたりから送ってくれたものと聞きました。
その時代、一番成績が良くて体力もある先輩達はこぞって海軍や兵学校に進み、そしてほとんどが帰ってこなかったそうです。
実際、その当時の同窓会の名簿でも戦争にかかわる年代のみ、存命の人が少ないのだそうです。

珍しい生物好きの後輩の為に、はるか南方の島から珍しい生き物の標本を送ってくれた先輩は無事に帰還できたのでしょうか。
今となっては調べようもありませんが、フルーツコウモリという名前を聞くと
標本室の朽ちかけた標本と名も知らぬ先輩と戦争の事を思ってしまいます。
返信する
旧制中学 (エリス中尉)
2014-01-04 19:22:20
明けましておめでとうございます。

それはもしかしたら旧制横須賀中のことでしょうか。
出身中学というのは兵学校の場合必ず名前の後につけられ、戦後も
級友のことを思い出すのに必ず「どこそこ中学出身の誰々」とワンセットになっていたそうで、
生徒のアイデンティティの一つともなっていたようですね。
もし横須賀中であれば、兵学校の名簿でしょっちゅう見る学校名です。
現在横須賀中学は横須賀高校となっていますが、旧制中学の頃を知る人には
今でも「横中」と呼ばれているとwikiに書いてありました。

旧・旧制中学には、そのころ戦争に行って帰ってこなかったの先輩の名残りがあって、
何十年も経った後輩がそれを見て身もしらぬ先輩を偲ぶということが多々あるようですね。
返信する
その標本って (エリス中尉)
2014-01-04 20:41:11
先ほど書き忘れましたが、もしかしたらその標本って、先輩が兵学校卒の隊長として赴いた戦地から
母校の後輩のために送ったものだったのでしょうか。
返信する
仰せのとおり (婆裟羅大将)
2014-01-05 20:09:02
旧制横須賀中学です。

残念ながら状況証拠だけで標本を送ってくれた先輩の名前は存じ上げません。

兵学校に進んだ先輩かどうかも明らかではないですが、
戦争が泥沼化してからではそんな物持って帰れるか疑問ですから、
徴集兵ではなく、早いうちに現地へ行った、つまり兵学校へ進んだ将校さんからのお土産だった可能性は高いと思います。

ところで かの国ではコウモリは食用種が多く、市場で手軽に買えたのだろうと想像します。

まあ、横須賀は良くも悪くも海軍さんの街ですよ。
久里浜の小さな神社で こんな絵馬がありました。

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200710190002/

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200710180000/
返信する
アスロック成功祈念! (エリス中尉)
2014-01-05 21:46:41
うわー!
さっそく大好物のネタありがとうございます。
アスロック試験隊の皆さんが試験成功を祈願に来て、絵馬を掛ける。
凄いですね。日本という国は。
科学の先端である現代兵器を操る人々が非科学的な神頼みにその成果を託す。
全くそれが矛盾なく共存してしまうんですね。

うーん・・・・なんか感動です。

[岩陰]・ω・` )
↑こういう狛犬さんに胸キュン・・・。

お正月からいいもの見せていただいてありがとうございます。
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