goo blog サービス終了のお知らせ 

ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「人間魚雷 回天」〜散華

2017-10-13 | 映画

映画「人間魚雷 回天」最終回です。

伊36号の中で、乗組員からすでに軍神として扱われる回天搭乗員たち。

しかし、相変わらずの玉井少尉は、体調を気遣う乗組の軍医長に対し

「我々みたいなのが病人になっても治し甲斐がないんじゃありませんか?
結局死んでしまうんだし」

と自虐して、またしても座を気まずくさせます。

言葉を慎め、と玉井少尉を諌める良識派、関谷中尉。

ソロモン諸島付近に進出したところで、彼らは同じ回天隊を乗せた伊90が
回天を発進することなく
敵に撃沈されたことを知り、意気消沈します。

「あの人だけは空母か戦艦に体当たりさせてあげたかったな・・・」

あの人ってだれー!

その時、「魚雷戦用意!」の声がかかりました。
南方に来て初めて敵と遭遇したのです。

「発射用意よし!」「発射用意よし!」

「ヨーイ・・・・撃(テー)ッ!」

「大型輸送船轟沈!」「大型輸送船轟沈!」

特撮は武士の情けでここには上げません。(というくらいチャチ)

一息つく間も無く、今度は敵の駆逐艦が現れます。
艦長は潜行を命じるのですが、この時の内部から撮った映像と、これに続き
敵が落とした魚雷が爆発するシーンが、どう見ても本物のフィルム。

回天が潰れるのを気遣って深度を取らない艦長に向かって、
関谷中尉は自分が出撃して敵艦を沈める、と申し出ます。

「たかが駆逐艦に回天が使用できるか。
そのうち大物に出くわすから艦長に任しとけ」

と親心を出す艦長(井沢一郎)に向かって関谷は

「空母や戦艦を轟沈するのも進んで潜水艦を防御するのも私には同じことです!」

その言葉に艦長の目が深く頷き、

1号艇、回天戦用意!搭乗員乗艇!」

「関谷中尉、往きます!」

一人先に行くことを決心した関谷中尉。

不意に先を越され、呆然とする三人。

実際の回天搭乗員もこうだったのでしょうか。
艇に乗り込むために艦内を昂然と歩む関谷中尉は、すでに軍神となり、
乗組員は最大の敬意をもってその最後の搭乗を見守ります。

回天には潜水艦内部と回天下部に穿たれたハッチを結ぶ筒を潜って搭乗し、
潜水艦側からハッチを閉めます。

回天と潜水艦を固定していた鎖が外れると、
搭乗員が母艦に戻ってくることは決してありません。

その瞬間、彼に残されたこの世での時間は数分単位となります。

艦内とは電話でつながっていますが、この電話の用途は二つ。
一つは出撃が中止になったことを伝えるため。
もう一つは最後の言葉を艦長と交わすためです。

ほとんどの搭乗員が最後に残していったとされるこの言葉を、関谷中尉も艦長に告げます。

「今までお世話になりました」

「関谷中尉、頼むぞ」

関谷中尉が一足先に出撃していくのを万感の思いとともにただ見ている三人。

そしてすぐに爆発音と振動が伊36を震わせます。
関谷中尉の命の火が消えたその瞬間でした。

そしてそのおかげで、伊36は、当初の目的であったアドミラルティ泊地での
回天戦を行うことができるようになったのです。

泊地での回天戦なら、空母だろうが戦艦だろうが、もう目標は選び放題です。

ところが、艦長が最大の苦心を払って湾口まで潜水艦をつけ、
回天戦の成果を最大限に上げてやろうとしている最中、司令部から無電が。

(本当は作戦中に司令部からの連絡があるなどとは考えにくいのですが、
そこはそれ、映画ということで)

なんの理由かはわかりませんが、ここで帰投命令がくだったのです。

呆然とする三人。
この刹那の命の猶予、出撃の延期がいかに残酷なことであるかを、
朝倉少尉は自分も知ることになったのでした。

「村瀬・・・貴様はこんな気持ちを二度まで耐えてきて・・」

玉井少尉だけは、その瞬間、恋人の幸子のことを考えていました。
写真を見、しばし彼女のいる世界に自分が生きていることに安堵を感じます。

幸子が自決してもうすでにこの世の人ではないことなど、知る由もありません。

しかしそれも一瞬のことでした。

そのとき、アドミラルティ敵泊地に敵の大艦隊が帰還してきたのです。
艦長は決断しました。

帰投命令に背いても、回天搭乗員に「死に花」を咲かせてやるため、
あえて回天戦を行うことを。

「昭和19年12月12日、伊号36潜水艦、
会敵の機会に接し、
艦長は今は敢えて諸君に往けと命ずる」

「搭乗員乗艇!」

つい何時間か前、関谷中尉が受けた乗組員の畏敬の眼差しと敬礼を受けながら、
三人は回天に乗り込む、あまりに短い花道を歩いていくのでした。

ハッチの下には軍医長が待っていました。
軍医は搭乗員に自決用の青酸カリを渡すように言われていましたが、
彼らへの敬意からそれをせず、今はただ出撃を見送ります。

乗り込む最後の瞬間、手を握り合う三人。

村瀬には、従兵がなぜか近寄ってきて、

「い、い、い、生きとります」

なんと、乗り込もうとする村瀬にネズミの仔を渡そうとします。

「かわいいなあ。ありがとう」

「ありがとう。でも俺はいい。内地に連れて帰ってやれ」

嗚咽をこらえるのに必死な従兵でした。

朝倉少尉は帝大の先輩だった従兵から貰ったお守りを潜望鏡にかけ・・、

玉井少尉は幸子の写真を目の前に貼り付けます。

そして三基全部が潜水艦から解き放たれました。

海上に浮上し、突入目標を定めた玉井少尉。

「幸子さん、さよなら」

「大型空母、轟沈!」

えーと、戦艦・・・・「マサチューセッツ」?

機銃掃射(きっとボフォース機関砲)を受けながら、突入していく村瀬少尉。
監督は突入の最後の瞬間、目をつぶってしまう演技をどちらにも要求しました。

戦艦、スクリュー音消えた、轟沈!」

艦長は総員に向かってアナウンスします。

「伊号36潜水艦は回天攻撃により大型艦2隻、駆逐艦1隻轟沈の成果をあげたり。
回天の勇士散華して今はなし。
我ら伊号36潜水艦乗組員は謹んで回天の勇士の冥福を祈り、これより帰途につく」

さて、ところでもう一人の搭乗員、朝倉少尉はどうなったのでしょうか。

実は発進時から水漏れを起こしていた朝倉少尉の艇、操縦不能になって
海底に鎮座した上、もうすでに腰まで海水が迫っていたのでした。

落ち着き払った様子で泰然と短剣を取り出し、潜望鏡に文字を刻み始めます。

十九年十二月十二日 一五三〇

我未ダ生存セリ

朝倉少尉の薄れゆく意識の中に、かつて聞いた子供の歌声が響いていました。

「夕焼け小焼で日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」

・・・・・・・・・・

予備学生が主人公の戦争ものは、えてして戦争とそれによって学問の道半ばで
命を断たれることの不条理を強調して訴える傾向にあります。

しかしこの映画は1955年作品で、戦争の記憶の生々しい頃に
元予備士官の監督のもと、軍隊や戦争を知るスタッフによって制作されたため、
その後の、厭戦気分だけをお涙頂戴で綴る作品とは異なり、その時代に生まれ、
そうせざるを得なかった若者たちの公と私の両面を描くことに成功していると思います。

特に、伊号36の艦長と回天搭乗員たちの、命令を下し、それに従う関係の中に、
この時代に生きた者にしかおそらくわからない「愛」が描かれていたのは
個人的に大変評価できる部分でした。

 


終わり

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
滅多なことは書けませんが (Unknown)
2017-10-13 22:12:06
深刻な話題なので、滅多なことは書けないのですが、ある一般大出身者の自衛官から「街を歩いている人達を見て、この人達を守るために命を賭ける価値があるのかと思ったことがある」と聞かされたことがあり、ビックリ仰天しました。

某大だと18歳の時から、分刻みのスケジュールで「言われたことをとにかく愚直にこなす」生活が続くので「戦争になったら行くし、下手したら死ぬんだろうな」くらいは考えますが、それで終わりで「この人達を守るために命を賭ける価値があるのか」までには考えが至りません。そんなことを考えている暇があったら、身体を動かさないと生活が回りません。

海兵出と予備士官の差も似たところがあるように思います。大学生まで普通に暮らして来て、いきなり「理不尽」に耐えることから始まる、がんじがらめの軍隊生活だと、なんでこんなことをしなきゃならないのかと思うのは無理もありません。

実際に部隊に配属されて、部下を持つようになれば「理不尽に耐える」のは、いつどうなるかわからない戦闘に備えるために必要な資質だとわかる時が来ますが、部下を指揮することもなく、特攻要員になるだけなら「理不尽に耐える」意味もわからないまま死んで行くことになります。

そう思うと、国防に燃えて志願して来たにも関わらず、ふたを開ければ特攻要員という運命は、心の準備を行う時間があまりにも短かった予備士官達には過酷だったと思います。
返信する
潜水艦内 (お節介船屋)
2017-10-15 10:27:11
イー36艦内が実態とは違うのではと思います。
海人社「世界の艦船」No791「日本潜水艦史改訂版」に掲載されています艦内写真があります。
何れも米軍引渡前に乗員が記念として撮影した昭和20年10月の丙型イー47、中型ロー50、潜高型イー202と米軍に接収された後昭和20年10月14日横須賀での米軍によるイー400の艦内写真が掲載されています。

イー47は乙型のイー36の航空装備を廃止し、艦首雷装を強化していますので魚雷発射管は6門から8門となっており、艦首形状が違いますが、同時期の建造であり、九五式発射管装備であろうと思います。
光人社刊「写真日本の軍艦第12巻」には丙型イー53の同じく終戦後の乗員記念撮影の魚雷発射管室が掲載されていますが、九五式1型53cm魚雷発射管6門が写っていますが乙型の図面を使ったとあり、これはイー36と同じものとなっていると思いますが隔壁から6門の発射管後部が約2mくらい突出しています。扉形状も全く違います。
映画のように隔壁に扁平に4門の魚雷発射管の扉が付いていません。
またその位置の天井部に魚雷装填用軌条2条がなければ魚雷を装填出来ません。室内ももっと狭く、通路も隔壁部はハッチがあり、映画のように通行できません。
イー36の回天4基搭載での攻撃は昭和19年11月20日と昭和20年1月12日のウルシー泊地への発進でした。

ユーチューブに戦時中の映画轟沈がありましたので貼り付けます。不鮮明ですが艦内の撮影もあり、分割されていますがその当時のインド洋での通商破壊戦での潜水艦の活動が分ると思います。
甲型イー10であろうと思われます。昭和16年10月竣工、川崎重工建造。
昭和18年ペナン基地を出撃、インド洋通商破壊戦で商船4隻撃沈、1隻撃破しました。
昭和19年6月サイパン島にいた第6艦隊司令部収容に赴きましたが、7月4日サイパン島沖で米駆逐艦に撃沈されました。合掌
https://www.youtube.com/watch?v=C0LsAMLkT7M&list=PLE4B3B5008B9D7F33
返信する
回天 (お節介船屋)
2017-10-15 17:23:14
海人社「世界の艦船」No791「日本潜水艦史改訂版」から回天要目を改訂します。
一型
 重量8.3トン、全長14.75m、直径1.00m、機関魚雷用機関1基、1軸二重反転式4翼×2、燃料酸素1,550ℓ、ケロシン196ℓ、速力30.0ノット水中、射程30ノットで12.4浬水中、炸薬量1,550kg、乗員1名 420基完成
四型 拡大(18.2トン、16.50m、直径1.35m、40kt、2名)で同燃料、二型過酸化水素と水化ヒドラジンの燃料、十型電池動力 いずれも試作で実用化に至らかった。

45基が潜水艦から発進し、散華した。

海人社「世界の艦船」No766「潜水艦100のトリビア」から
殉国碑として回天大津島基地跡、回天平尾基地跡、回天光基地跡にそれぞれ回天慰霊碑が建ち、合わせて回天での戦死者89名、殉職者15名、自決者2名の英霊を顕彰している。合掌。

返信する
イー162 (お節介船屋)
2017-10-15 20:32:05
ユーチューブの潜水艦は前部に12cm単装砲を装備、セイルの恰好、セイル上の7.7mm単装機銃から海大4型のイー162と思われます。イー10はセイル前方に飛行機格納筒及び射出機、後部に14cm砲となっているため違います。あくまで私の推定ですが訂正します。
ペナンからインド洋通商破壊戦に17年8月から18年2月まで、18年9月から19年2月まで従事。その後練習潜水艦となっています。
この映画は昭和17年の比較的平穏な時期に撮影し、後日公開されたのではと思います。どなたか解析されていないかなと思いましたが該当するものがありません。

昭和5年4月竣工、三菱神戸建造、1,635トン水上、2,300トン水中、全長97.7m、幅7.8m、水上20kt、水中8.5kt、53.3cm魚雷発射管6門(艦首4、艦尾2)、安全潜航深度60m、乗員58名
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。