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笹井中尉と三輪車

2012-09-13 | 海軍













「さとん」さんから68期海軍史についてのお訊ねがあったとき、
ある軍事雑誌の特集で掲載されていた笹井中尉の未公開写真のことを書いたら、
さとんさんは当然これを知っておられ、
「笹井中尉の三輪車に乗った姿が可愛くて癒されました」
というコメントをして下さいました。

それについてエリス中尉が

あの雑誌の笹井中尉の三輪車写真ですが、解説の方が何も知らなかったらしく、
写真に「当時三輪車を持っている家庭は無かった」と、
まるで笹井家が金持ちであるような描き方をしていますが、
あれにはわたくし異論があります。


後ろに写っている建物から、あれは笹井中尉の父親の、造船士官であった笹井大佐が
若き日呉に赴任して官舎に住んでいたときの写真だと思うのですがどうですか?
(どう見ても個人宅にはみえないでしょう?)

きかん気の強い子供だった笹井中尉が、他の上官の子供を泣かせたりして、

大佐や母上が謝りに行ったそうですが、
これは官舎住まいならではのエピソードではないですか。
三輪車は笹井家の所蔵していたものではなく、
官舎全体で士官の子弟のために持っていたものではないかな、という推理をしています。

と書いたところ、さらにさとんさんから、このようなコメントを頂きました。

私も官舎か何かのような気もしますが、笹井中尉のお父様は大学も出ていますし、
だからと言ってお金持ちにはイコールってわけではないですが、
大佐ともなるとかなりの給与があったことは間違いないです。
三 輪車の撮られた時期は、お父上も海軍に入って15年以上ですし
お金には余裕があったでしょう。
私は、あの三輪車は本人の所有だと思っています。
官舎であれ ば士官の子供ばかりでしょうから共有するまでもなく
高価であっても買い与えることができたとふんでいます。
一枚の写真で色んな推察が出来るのは楽しいです ね。


今となっては検証しようの無いこういったこと(しかも興味の無い人間にとってはどうでも話)
を、こうやってあれこれ議論できるのは、まったくブログならではの楽しみです。
さらに、この「どうでも話」について記事を書いてしまう、というのも、ブログならでは。


笹井醇一少年が三輪車に乗っているという写真ですが、眉根を寄せたきかん気の強そうな表情が
実に笹井中尉らしくて、思わず微笑んでしまう「なごみ写真」です。

それはともかく、以前、「川真田中尉の短ジャケット」という項で、
この特集の写真欄に付けられたコメントがあまりにひどい、という話をしたことがあります。
笹井少尉候補生の写真説明に、「兵学校の休みに撮られたと」書いていることなどです。


この三輪車の写真に付けられたコメントも、突っ込みどころ満載です。
まずは、

(この写真は笹井中尉の)小学生時代と思われる。

いや、これどう見ても小学生じゃないと思うの。
見たことのある方、そうですよね?
わたしも子供を持つまでは、乳幼児の年齢なんて全く分からなかったけど、今なら分かる。
この写真の笹井少年はせいぜい四歳でしょう。

新宿区上落合の自宅の庭で撮影。

なぜか言い切っています。
しかしながら、さとんさんとのやり取りにもあったように、
後ろに写っているのは、その造りから、どう見ても個人宅には見えません。

この筆者は、上落合は、笹井家の最終住所であり、
笹井中尉が生まれたのは東京の青山であったことを知らずに書いているようです。


笹井少年が上官の子供を泣かせたのでご両親が謝りに行かねばならなかった、
というエピソードからも、これが官舎であるのは確実でしょう。

コメントには呉と書きましたが、笹井賢二氏は、佐世保に赴任したこともあります。

因みに笹井家は、佐世保の官舎住まいの後、またもう一度青山に戻った形跡があり、
それは笹井少年が青山小学校を卒業している(卒業名簿にも名前がある)ことからわかります。

つまり整理すると、笹井家は、

青山―呉―佐世保―青山―新宿

と移動したということになります。


ところで、佐世保海軍工廠の人事部長が井上四郎という中佐で、
造船大尉であった笹井氏の上司でした。

この縁から、井上少佐は笹井中尉の母上の妹を、あの大西瀧治郎とお見合いさせています。
大西長官の結婚は36歳のとき、つまり1927年。
笹井中尉はこのとき9つです。
当時の、ことに造船士官は昇進も早くはありませんでしたが、それでも、
9歳のときに大尉なら、笹井中尉が4歳のころ、賢二氏は中尉であった可能性もあります。


わたしが「三輪車は官舎の共有物、あるいは借り物だったのではないか」と考えたのは、
官舎住まいの中尉大尉であれば、いくら海軍軍人でもあまり経済的余裕は無いからです。
単純に考えても、一般的に、現代でも世の小さい子供を持つ若い夫婦、ことに勤め人は、
例外なくあまり家計に余裕はありません。(一般的に、ですよ)

いまならともかく、当時超高級品の三輪車を買うことができたか?という疑問ですね。

ましてや上官の子弟がいる官舎敷地内で、高級品の三輪車を息子に乗せるというのは、
「海軍士官の妻」の項でもお話したように、縦社会の、「出る杭になるのを怖れる」
当時の(今もかな)日本人としては、あまりありえないことに思えるからです。



もっとも、母上の実家は名家ですから(御典医の家系で、父は一橋大学の創立者)、
もしかしたらそのオジイチャマが初めての男の孫に買ってやった、ということも考えられます。

つまり、どう考えても真実はわからないまま、というのが結論です(笑)


それにしても、笹井中尉は、素晴らしい環境に資質を持って生まれてきたのですね。
あの時代に生まれていなければ、軍人ではなく医者にでもなっていたのでしょうか。


さとんさんがおっしゃるように、笹井家の所有であっても全く不思議はないのですが、
わたしはあえて「三輪車は官舎の子供の共有だった」と考えてみます。
冒頭漫画のようなことがあったのではないかなあ、と、ふと思いついてしまって、
どうにもそれが頭から離れなくなってしまったもので・・・・・・。

つまり、ブログならではの無責任な妄想ですので、あらかじめご了承ください。


それにしても、刊行物の写真につけるキャプションを書く人は、お金をもらっているんだから、
せめてちゃんと調べて、本当のことを書いていただきたいと思うの。








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