ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

京都お花見ぶらり旅行

2014-04-04 | お出かけ

息子が春休みになったので京都で遊んできました。
ちょうど桜が満開だったので、お花見も兼ねての一泊旅行です。



京都駅直結のホテルは今までグランヴィアしかありませんでしたが、
最近この近鉄ホテルができ、TOはグランヴィアほど広くなく(グランヴィアは部屋まで遠い)
安いのでこちらの方を常用しているそうです。



京都駅の南口は最近すっかりこぎれいになりましたね。
大昔は本当、何もなかったんですよ。
タクシー待ちをしていたら派手なショッキングピンクのプリウスタクシー発見。 

チェックインしてからすぐに朝昼かねて予約を入れていたイタリアンに向かいました。



旧都ホテル、現在ハイアットリージェンシーに到着。
ドアマンは日本語をしゃべる外国人でした。
(あ、日本人かもしれないのか)



桜を見ながら食事ができるということで紹介してもらったイタリアンレストラン。
グリッシーニとフォカッチャが美味しかったです。



庭に大木が一本あるだけなのですが、「桜が見られるレストラン」として
登録されているだけあって見事でした。

 

「ここに泊まっても良かったのに」

というと、

「ここは『出る』と評判だから、そういうのに敏感な人(わたし)に配慮してやめた」

何でも昔病院だったから出る、と結構言われているそうです。
ただまあ、京都でそんなこと言いだしたら「因縁」のない場所の方が少ないんじゃないかっていう。



ランチは本日のパスタかピザを選び、それに一品がついてくるというもので、
わたしはトマトソース&モッツァレラのパスタを注文。
ピザは、パプリカにズッキーニ、茄子という息子の嫌いな三大野菜でした(笑)

息子は晩が和食だと聞くと、「夜の分も今食べる」とイミフなことをいい、



大山鶏の単品を注文して食べまくっておりました。



ランチ終了後、次の目的地に向かいます。



ホテルの前の道。
「うぞうすい」と京都市博物館の前の道です。
バスのデザインが昔と全く変わっていない・・。



さて、我々が次に向かったのは四条歌舞練場。
今日のメインイベントは「都をどり」鑑賞。
この界隈のきれいどころが京都に春の訪れを告げるあでやかな踊りを
繰り広げる京都名物で、この日は初日となります。

 

ぱっと見ただけでここに写っているほぼ全員が「日本人ではない」ことがわかるでしょう。
京都に観光に来た外国人は京都らしい、日本らしい見物を求めてここに押し掛けます。



しだれ桜と普通の桜が満開で、皆この桜をバックに写真を撮っています。
しかし、中国人のポーズの取り方というのはどうしてこう端で見ていて恥ずかしいのか。 

シャッターの一瞬に彼らがものすごい気合いを入れてポーズを作るのと
日本の女の子が(女の子でなくてもやってるけど)Vサインするのはどちらがまし?
 



しかし、日本の桜の美しさを愛でる心に国境なし。
満開の桜を日本の観光の思い出にすることができたこの日の観光客は幸いです。



この日は4月1日、つまり都をどり初日だったので凄い人でした。
当日券は後ろの席しかなかったのではないでしょうか。
わたしたちはお茶屋さんからの紹介だったのでここでチケットをピックアップ。
なじみの芸妓さんからチケットを買うご贔屓さんもこちらです。



見事に満開です。

京都には花街が全部で5つありますが、そのうち都をどりを行うのは4つ。
この日の「をどり」は特に出演芸妓の数が多く艶やかなの祗園甲部の花街が行ったものです。

初演は明治5年。
明治の世になって「都でなくなった」後、京都は一時寂れかけたのですが、
それに危機を感じた地元が考案した「博覧会」の余興として、三代目井上八千代が
普段は座敷で披露する踊りを舞台でも見られるように創案したものです。



「をどり」、となぜか「を」を使うこの踊りですが、例えば別のお茶屋が行う
宮川町の「京おどり」は昭和25年と比較的最近始まったせいか「お」です。



待っている時間に、観客は土産物屋を冷やかしたり、庭を歩いたりします。



そして、声がかかったら、「お茶券」を持っている客は
このような階段を上って移動。
京都に地震が起こらなくて本当によかった、と思わせる普請です。



階段を上ればそこは異次元が出現。
ここで、芸妓さんがお茶を点てているのを眺めながらお抹茶とお菓子をいただきます。



芸妓さんのお茶の点て方を「立礼式」(りゅうれいしき)といいます。
時々、点てたお茶を直接客に運んだりしていましたが、特別客でしょうか。



この小皿はお土産に紙で包んで持って帰ります。

「あれ、このお皿見たことあるなあ。
っていうか、『スズメ食堂』でえさ入れにしてたお皿だけど」
「だからわたしが前に来たとき貰って帰ったんです」(TO)
「そういえば初めてじゃなかったんだっけ」

TOは以前もお茶屋さんのつてで席を取ってもらったそうです。



観光客が芸妓さんの写真を撮れるのはここだけなので、あたかも撮影会の様相を呈しています。
写真に撮られていることを思いっきり意識して、彼女らは顔も仕草もかなり「作って」いました。
白塗りに目尻に入れた真っ赤な紅、まるで人形のようですが、
そんな彼女らに、ご贔屓筋でもあるのか、目の前で嬉しそうに手を振っているおじさんがいました。

しかし、芸妓はすうっとかすかに目で挨拶しただけ。
そのように躾けられているのかもしれませんが、決して表情を綻ばせることはしません。

あの独特の祇園ことばも、出自と個人的感情を巧みに隠すものだと聞いたことがあります。



この後観客は演舞場に移動し、観劇します。



開演したら写真撮影は禁止。
禁止だ、というておろうに、わたしの前の外国人の男(多分ロシア人)は
一人ならず二人もが途中でカメラを取り出し撮影しようとして、そのとたん
後ろから脱兎のごとく飛んで来た会場係にプラカードを出されて注意されていました。
日本人ならまず「駄目」と言われればやらないんですが、今はいろいろいるからねえ。
中国人とか中国人とか中国人とか。

どんなものを観たかについては都をどりHPをどうぞ。

出演者のなかで特に美貌の(と思われた)芸妓は男役で「都の少将」という役名でした。
謡の歌詞はわたしも腐っても日本人、かなりの部分理解できたのですが、

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん

という後白河法皇の作った 『梁塵秘抄』など、知識として知っているもの以外は
ほとんど身振り手振りと状況でストーリーを察するという感じです。

後から息子が

「まっっっっっったくわからんかった」

とぼやいていましたが、

わからなくていいの、感じるんだよ」

というと

何も感じなかった」

まあ、あれに価値を見出すのは子供では難しいかもしれないなあ。

 

その後タクシーに乗って祇園を後にしました。 



タクシーから見た八坂神社はご覧の通り。
平日なのにものすごい観光客です。

 

百万遍に到着。
新々堂でお茶を飲もうと思ったのに、お休みでした。
ここは、パリ帰りのパン屋さんが「カルチェラタンのカフェのような」お店を目指して
大学前に昭和5年(!)オープンしてそのままです。

京都は戦災に遭いませんでしたので、そのままの姿を留めています。

仕方がないのでその近くの喫茶店に入ったら、狭い店なのにカウンターのカップルが
盛大にタバコを吸い出し、咳が止まらなくなりそうだったのですぐに出ました。



百万遍角にある「かぎや」でTOが手みやげ購入。
実はわたしが初めてTOにもらったプレゼントというのが
何を隠そうここの益壽糖というニッキ味のお菓子でした。
今にして思えばそれがお付き合いのきっかけになったと言えばなった、のかもしれない。
(遠い目)



構内に入ってみました。



ノーベル賞受賞記念の碑はこのように実際に貰ってから建てましょう。(忠告)

ところでどうして東大はノーベル賞を取れないのか。
などと言う話をしながら歩いていくと、



これもおそらく福井先生(とか湯川先生)がいたと思われる古い校舎。
勿論のこと今もそのまま使われています。



台湾の成功大学構内と似た雰囲気です。
成功大学は台湾のトップ3大学なので、ここと同じような位置づけですか。



構内の桜も満開で(そりゃそーだ)学生たちが静かに花見をしていました。



急性アルコール中毒などにつながる「アルハラ」啓発ポスター。
「罰ゲーム飲み」や「一気飲み」を強要されて死んだ人もいるよ、だそうです。



生徒だけでなく先生にも啓蒙ポスター。
特に外国人研究者との共同研究で油断しないように、とあります。

「国際交流の推進は大切ですが・・・・」

だそうです。
技術者を目指す学生に、技術流出による国力の低下の危険も啓蒙してほしいですね。



構内の桜を一枚。
今回はニコン1だけを持ち、レンズは変えませんでした。



ダイインしている学生、春眠暁を覚えずというやつですか。



「入るまでは、この時計台が高く見えたもんなんだよ・・」

そう、何を隠そうこの学校はTOの出身大学でもあります。
父親の出身大学を一度ぐらい息子に見せておくのもいいんじゃないか、
と今回時間が空いたので急遽企画しました。

正面の楠は当大学のシンボルツリーですが、テントが残念。



次は平安神宮近く、岡崎にある「武徳殿」。
昔、大日本武徳会武道専門学校という武芸専門の学校があったところです。
通称武専は村上もとかの漫画「龍ーRON」に出てきました。
(あの漫画、主人公が武専にいたときが一番面白かったような・・。
安重根を褒めてたあたりで読むのをやめたので知りませんが)

武道専門学校は戦後GHQによって武道を禁止されたときに廃校になり、
その跡地はしばらくGHQが接収していました。
今は総合武道場になっています。



向かいのカフェ「La Voiture」で名物のタルトタタン(リンゴの焼き菓子)を頂きました。
関西在住のころ、演奏会の帰りによくここに立ち寄り、ご自慢のこのお菓子を食べたものです。
その頃いた白髪のオーナーはお元気かどうか 聞いてみると、なんと

「先月亡くなりました」

とのことで・・・。
なんというか、偶然というのか・・。

女友達とここで時間つぶしにチェスをしていたら

「雰囲気が壊れるからやめてください」

と叱られたことがあります。
お客さんでも自分が気に入らなかったらずけずけとものをいう、
だけどなんだかいい感じの店主さんでした。

合掌。


ここから夕食の場所まで歩きながら近づくことにしました。
外国人旅行者のための「ハンディクラフトセンター」はじめ、
刀も売っていますが・・・・
外国人が買ったとしてどうやって持ち出すのでしょうか。



甲冑ひとそろい26万円。
アメックスも使えます。



鴨川の河原を歩いていくことにしました。



お昼は花見でにぎわっていたようです。



夕方のせいか、花弁がきれいなピンクに撮れました。







歩いていくと、このような飛び石があったので、ここを渡ることにしました。



渡りだして、この日の服装(皮のスカート)では、
少し脚の広げ方に制限があり、意外と敷石の間隔もあることに気づきましたが、
渡りだしてしまったので引き返すわけにいきません。



わたしは骨折して手首に金属を入れそれを辛うじてつなぎ止めているという状態なので、
もしここで脚を滑らせたらもういろんな意味で人生終わりです。

案外流れも早くて、落ちたら流されるのもほぼ確実。
かかとの低い靴で良かった。
というか、ヒールのある靴だったらまず渡ってませんけど。



激流を必死にさかのぼる亀さん。



さて、河原から道に出て現地までタクシーに乗りました。
ここが今夜のお食事どころでございます。



・・・・・お寺?



入ったところには白雪姫と7人の小人の置物が。
じゃなくて、誰だか知らないけど皆坊主。坊主の石像。
変わった趣向のレストランである。



ご~~~~~ん。(鐘の音)

みたいもなにも、そのままお寺じゃないですかここは。

そう、ここは「寺が本業、副業は料亭」の生臭寺。
いや、そんなことを言ったら失礼かな。
お寺の精進料理というのは昔から普通に外部の人間も飲食できるものだし。
提供するのも「精進料理のコース」。

京都にはこんなお店もあるんですねえ。



本道に続く道にそって「料飲部門」の建物があります。
お店の方によると、この形態での営業を始めたのは30年前のことだとか。



個室のテーブルは重役が座りそうなふかふかの回転椅子を装備。
座敷では外人さんは我慢できませんからね。

このときわたしたちの隣の部屋はインド人の家族でした。
なるほど、インド人も菜食なら遠慮なく来ることができます。

わたしがお手洗いに立ったときに会ったのはどうもアラブ系。
アラブ系も何か制限がありましたね。
菜食なら、一部を除くアメリカ人以外はどんな民族でも、いかなる宗教もOKです。



まず、おうすとなぜかせんべいが出てきました。



続いて前菜のトレイ。
茄子の田楽、酢レンコン、ごぼうの青のりまぶし、焼き麩、
山芋のすりおろしにカボチャの煮たの、卵焼き、こんにゃくなどです。



野菜の天ぷら。
シソの上は蘭。
蘭の花が食べられるとは知らなかった。
まあ、天ぷらにしてしまえば紅葉でもなんでも食べられるものですけど。



ごま豆腐。
精進料理の花形?というような存在のごま豆腐ですが、
ここのはとても濃厚でした。
今は忙しいので(笑)しませんが、昔はよく手作りしたものです。



栗のイガ。
イガイガは茶そうめんを揚げたもので、中はサツマイモを練ったもの。
お菓子感覚でした。



もうこの辺に来るとお腹がいっぱいで、少し味見をしただけで終わった
「うなぎの蒲焼きもどき」。
醤油で味と色と筋を付けた湯葉?に、ミソで黒い部分を表現。



というわけで食事は終了。
最後に本堂を取ってつけたようにお参りしました。
お賽銭を入れ、手を合わせて

「ご馳走さまでした」

と・・・・違~う!



青海波文様の白砂のお庭もあり、ここを見ながらバーで一杯も可。
本堂の真横(しかも同じ本堂内)がバー、ってあなた・・・・・。

というわけで、京都の春を目でも舌でも満喫しました。

京都は行くたびに人の歴史の深さというのか、奥の深さと、
それと同時に町の比叡山より高いプライドを感じます。
何回行ってもただの観光客でしかいさせてくれない敷居の高さとでも言うのか。

だからこそ世界の人々が憧れてやまない町であり続けているのだと思いますが。
今回、桜の季節に久しぶりに見た京都は、相変わらずの京都でした。 (←褒めてます)





翌日帰って来たら、家の桜も満開でした。
花見客が観に来るわけでもない一本の木ですが、これもなかなか立派ではないですか。



京都のような「特別な場所」でも、うちの桜でも、桜は桜。
寝室から眺められるこの桜を独り占めしながら、今夜は疲れた体をゆっくり休めるとしましょう。







 

 



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14 Comments

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飛び石渡り (平賀工廠)
2014-04-04 08:24:13
エリス中尉

桜と紅葉は京都のベストシーズンですね。鴨川の石渡りは何ヶ所もありますが、どこも案外間隔があります。スカートで無事に渡れて読者としてひと安心です。

こちらは混雑を避けて新緑時期に行きます。歴史好き、奈良・京都好きとしては、後白河法王は後白河法皇とされたく・・・。
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京都の桜は最高ですね (足軽零戦記者)
2014-04-04 20:43:59
 ご無沙汰しています。京都の桜の素晴らしさに、また書き込みします。いつまで見ても飽きませんね。ありがとうございました。

 時計台のある大学、わたくしも同窓です。表から見ると変わりませんが、後ろにあった大講義室が対震問題で壊され、ガラス張りの温室みたいな建物になったのが、ちょっと寂しいですね。
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訂正しました (エリス中尉)
2014-04-04 22:46:57
平賀工廠さま、ご指摘すみません。
タイプしたときに一瞬字面に違和感を覚えたのですがそのままアップしてしまいました。
ローマ法王じゃないんだから・・・。

鴨川に石渡りが何カ所かあるという話は初めて知りました。
わたしが関西在住の頃はあまり記憶がないのですが、いつからあるんでしょうか。
言われてみて画像検索したら、デザイン違いで4~5カ所あり、わたしが渡ったのは荒神橋の近くの
『亀石』。そのままです。
わたしたちが渡り終えてから4歳くらいの男の子が全くストップせずに
ものすごい勢いでピョンピョン渡っており、
(牛若丸はもう少し下流の橋)
わたしが母親なら絶対に止めさせると思いました。
小さい子が流されたらまず助かりませんよ。あの流れの速さ。
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あらそれは (エリス中尉)
2014-04-05 10:32:38
偶然ですね。大変うれしいです。

吉田寮も耐震のため建て替えに踏み切ったようですね。
さぞかし反対もあったことと思いますが。
安易に建て替えないで、補強工事で保存するというわけにはいかなかったのでしょうか。
このあと熊野寮の前を通りましたが昔と全く同じままでした。
こちらはそう風情のある建物でもありませんがちょっとほっとしました。
「エスポワール」はもうなくなったそうですよ。
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懐かしいです ()
2014-04-05 11:54:56
エリス中尉

お久しぶりです。

我が家、古くから親族はたくさん京都にいるのですが、
広島産広島育ちの私は大学4年間だけの生活でした。
デキが良くなかったので旧帝大どころか、百万遍から
真西へ行ったチャペルの見える大学でしたが、
当時鴨川と言えば、祇園でサークルのコンパを終えて
カレッジソング歌いながら先輩後輩と肩組んで対岸へ渡り、
復路は泳いでました(あの汚い鴨川を、しかも四条で)。。。 

昨年法事で4年ぶりに京都へ行きましたが、親族との
気を使う会話と緊張感で、学生時代を懐かしむとか
周りの景色を愛でる楽しむゆとりもなかったです(涙)。

でも、亡き祖父は第十六師団勤務の経験があったらしく
懐かしそうに軍隊時代を語っていた祖父の京都の思い出話しも懐かしいです。
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潔さま (エリス中尉)
2014-04-05 22:44:03
デキが悪いなどとんでもない、百万遍から西に行った大学も名門ですから。
京都の大学生、特に体育会は羽目を外すのも豪快だそうですが、鴨川を泳ぐとは・・・・。
そもそも泳ぐほどの深さがあったのかという。

16師団後は聖母女学院の校舎として残されているそうですね。
鴨川の氾濫のときに災害派遣されたりした話がwikiに載っていましたが、
やはりそのようなときに旧軍が出動していたという例を初めて知った気がします。
石原莞爾や南次郎なども師団長を務めたことがあり、南京攻略に出動した師団だそうですね。
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Unknown (足軽零戦記者)
2014-04-07 19:31:55
 貴重な情報ありがとうございます。「エスポワール」もなくなったんですか。まあ、OBの感傷より、今の学生さんや先生方が使いやすいキャンパスであれば良いのですが。

 この間、新設の桂キャンパスの教授とお話ししたら、「急な坂の上にあるので、自転車の学生は寝坊すると午前中は来ない。研究室で飲もうと誘っても、『帰りがつらい』とつきあわない」とこぼしていました。前半は昔の学生も変わりませんが。
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正直なのか (エリス中尉)
2014-04-08 20:05:33
最近の学生は先生のお誘いを本音で断るんですね。
学生なんてどうせ暇だろうに、昔、特に京都の学生は「電車が無くなったら鴨川で野宿」くらい無茶をしていたのではないかと思いますが。
まあ、京都市内の「学生に優しい」町中と違って桂の山中は竹林くらいしかありませんから、
つい現実的になるのかもしれませんねえ。
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はじめて投稿させて頂きます (ごんまめ見習士官)
2015-01-07 17:59:40
はじめまして。過去の記事への投稿、大変失礼致します。
以前から楽しく拝読させて頂いております。昨年4月から、本記事にて紹介されている大学の院に進学したのですが、先日久しぶりに本ブログを拝見致しましたところ、毎日私が教室まで向かう道すがらの写真を見つけ、あのエリス中尉様とあわやニアミスしていたかも知れない、と妙な驚きに駆られて、ついコメントさせて頂いた次第です。
私も、以前から旧軍関係の歴史や人物に興味があり、エリス中尉様のブログも楽しみに拝読させて頂いておりました。特に、笹井中尉への愛の深さには脱帽しております。(笑)
当方は、帝国海軍の宿敵にして米海軍の偉大なる武勲艦エンタープライズに体当たりし、日本の敗戦まで戦線復帰させなかった富安俊助中尉と同じ大学の出身でありますので、バンカラ予備学生気質は十二分に持ち合わせておりますが、海兵出身士官のスマートさにもあやかりたいものであります。(笑)

これからも楽しみに拝読させて頂きたく思います。御迷惑でなければ、また何かの折りにコメントさせて頂ければ幸甚です。
初投稿でこのような長文となってしまい、大変失礼致しました。
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もしかしたら・・・ (エリス中尉)
2015-01-07 20:59:33
初めまして。お褒めに預かり大変光栄です。
とはいえ最近エントリにするべきイベントが多すぎて(というか一つのことをだらだら語るので)
正直笹井中尉への愛どころではないという状態なのですが・・。

京都の学生生活はいかがですか?
かの地では「学生さん」と言えば昔から帝大生を指すのだそうですが、学生の街なので
生活がしやすいのではないでしょうか。
寒さ暑さが難といえば難ですが・・・。

ところでごんまめ見習い士官さんの出身校なのですが、うちの家族が副業でお世話になってます。
もしかしたら授業を取られたことがあるかもしれませんし、わたしも去年の3月ごろ、彼に着いて
都の西北に行ったことがありますので、そこですれ違っていたかもしれませんね。

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