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F-M社の対向ピストンエンジン〜潜水艦「ライオンフィッシュ」

2017-01-15 | 軍艦

さて、潜水艦「ライオンフィッシュ」見学、最終回です。
いままで見た潜水艦の内部は、前後に魚雷発射管、コニングタワー下に
ジャイロコンパスや操舵のあるコントロールルームがあって、士官用の区画は前方、
下士官兵の食堂はタワーよりも後方、にあるというのが共通していました。

狭い潜水艦内ならどこが上も下もなさそうなものですが、これが決まっているのは
おそらくですが、

「士官の居住区は少しでもエンジンから遠いところに置く」

という理由によるものではないかと思いました。
下士官兵はクルーズ・メスという食堂以外には居住区はなく、
バンクというベッドがまとめられている区画で寝起きするか、
あるいは魚雷発射管室の棚のベッドがもらえるかなのですが、
その場所は必ずエンジンと隣接しているようです。

メスの次の部屋は何もありませんでした。
もともとはここにバンクが所狭しと吊られ、ほとんどの兵が
寝起きしていたはずの場所ですが、現在はご覧のように、
例えば元サブマリナーの同窓会があったり、レクチャーが行われたり、
そういう場所として利用されているように見えます。

しかし、そこに唯一当時のままに残されている装備がありました。

はい、アイスクリームマシンです。

一瞬ウォータークーラーかと思いました。
おそらく当時は上部にサーバーが設置されていたのでしょう。

アメリカ人のアイスクリーム好きについてはこのブログでも
何度となく取り上げてきましたが、「パンパニト」にも別のタイプの
マシンがあり、ここにも・・・。

前回「アメリカ海軍の艦艇にとってのチャプレン(従軍牧師)は
日本海軍艦艇にとっての神棚と同じかもしれない」と仮定しましたが、
もしかしたら神棚に相当するのはアイスクリームマシンではないか?
という気がしてきました。

敵の艦船を沈めて興奮のアイス。
魚雷を躱されて悔しさをぶつけ合うアイス。
パイロットを救出して、あるいは捕虜を生け捕りにしてご褒美のアイス。
敵の攻撃により友を失い、彼を偲んでアイス。
故郷のパーラーを思い出して、恋人とのデートを思い出してアイス。
良きにつけ悪しきにつけ、嬉しい時も悲しい時も、暑い時にはもちろん
もしかしたら寒い時にも、おそらく彼らは何かと理由をつけては
アイスクリームマシンの前に列を作ったのではないかと思われます。

ね?ここまでくれば宗教みたいなものでしょ? 

続いては洗面所。
といっても、潜水艦の乗員が哨戒中ここで毎日髭を剃れたか、
というとそれはとんでもない話でした。
人間の尊厳としてせめて毎日歯は磨くことができたのだと思いたいですが、
とにかくこのころの潜水艦は、水を作ることができなかったので、
特に男性ばかりの空間ではものすごいことになったと思われます。

後ろに洗濯機もありますが、果たして哨戒中にこんなものが使えたのか。


ところで昔から潜水艦に女性を乗せないことになっている理由は

 

「狭くて浴室やトイレを分けられない」

「同じく狭くて居住区を分けられずプライバシーが確保できない」

「水が制限されるので衛生面で女性には過酷であるから」

だと言われてきたのですが、原子力潜水艦を持つアメリカ海軍では
かなり昔からフェミ団体に後押しされた政治家が圧力をかけてきて、
潜水艦に女性将兵を乗せるという試みが検討されてきました。

現場からはかなりの反発があったと言いますが、そこはアメリカ、
勢いとノリで押し切って、女性サブマリナーが誕生しました。

いろいろを乗り越えて、潜水艦が女性に門戸じゃなくてハッチを解放したのは
2010年で、この時に43名の女性士官が潜水艦配置されています。
彼女らは専門の「潜水艦勤務士官」のコースを修了した後、
バージニア級の潜水艦にそれぞれ着任しました。

さらにはUSS「ミシガン」SSGN-727は、2016年(ということはもうすでに?)
女性下士官を乗せる最初の潜水艦になることが決まっています。

英国海軍にもこんなニュースも。

ロイヤルネイビーに最初の女性サブマリナー

2年前のニュースですね。
フランス海軍にも女性サブマリナーはいるようです。

各国がこうやって一見悪条件で現場からの反発も大きく、
さらにトラブルとなりやすそうな女性の配置を進めるかというと、
人権問題よりもむしろ「人材確保」(優秀な)という面が大きいとか。

昔と違って潜水艦勤務の環境がましになり、危険も力仕事もなければ、
女性を乗せることはむしろいいことだと考えられているようです。 

 

いずれにしても、このころの潜水艦と我が海上自衛隊では全く考えられません。

水兵たちのバンクの隣がエンジンルームです。
通路を挟んで両側にあるのがエンジンそのもの。

フェアバンクス-モース社が1943年から米海軍の
潜水艦専用に供給しており、当時の潜水艦ほとんどすべてが
同社のエンジンを搭載していたと言われています。

同社はもともと風車を作っていましたが、回るものつながりで
そのうちエンジン製造にも進出し、メジャーになり、潜水艦用に開発された
ディーゼルエンジンはことに評価されています。

現在も同社のエンジンはホイッドビー・アイランド級ドック型揚陸艦や
サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦の水陸両用の船に使用されているほか、
アメリカ沿岸警備隊のカッターでも使用されています。

F-M社のこのタイプを「対向ピストンエンジン」といいます。
英語ではそのままopposed-piston engineで、
1気筒に対して2個のピストンが対向して備えられ、燃焼室を共有するものです。

エンジンの一部がスケルトン仕様になって展示されています。

なのに急いでいたのと暑さでぼーっとしていて、詳しく写真を撮りそこないました。

対向ピストン機関とはこのようなものです。

 

上で回転している車輪の吸入口から空気と燃料を混ぜます。
上の写真で見えているのはクランクの部分ではないかと思いますが、
詳しく写真を撮らなかったのでわかりません。

しかも今気づいたのですが、この展示にはボタンがついていて、
そこをぽちっとすると説明が聞けたというのに・・・。



ちなみにこちらもF-M社の対向ピストンエンジンを搭載した
潜水艦「パンパニト」のエンジンルーム。 

いわゆる「マニューバリング・ルーム」。
エンジンルームに隣接していて、各種操作機械や、あるいは
メイン・プロピュルージョン・コントロールシステムがあります。 

写真上部のドラムには「バルブ」と記されています。 
メインエンジンの排気バルブではないかと思われます。 

エンジンルームは「メイン」と「アフター」とが続いてありますが、
メインの方がエンジン、ジェネレーター2基ずつなのに対し、こちらは
それに加えて排気バルブ、補助エンジンなどもあります。

ちなみにゴミ箱は現役の模様。

アフターエンジンルームのメインエンジン。

メインモーターはここにあります。
「バラオ」級のモーターは4基搭載されていました。 

トイレは狭いですが、左側にいざ!というときにつかまれるような
安全用の手すりが配置されています。
用足し中に転がり落ちるなんてシャレになりません。 

マニューバリングルームのマニューバリングスタンド。
潜水艦の2つのプロペラを動かすのは4つのモーターで、
ここと直結しています。

潜水艦が水上を航走するときにはその電力は4つのジェネレーターを通じて
4つのディーゼルエンジンから生み出されますが、潜航のときにはそれは
蓄電されたものを使うしかないのです。

電池は浮上しているときに充電されます。 

ジェネレータの出力をコントロールするパネル下部のレバー。
このパーツはGEの製品でした。  

というわけで、最後尾の後部魚雷発射室までやってきました。

前部と同じく、魚雷発射管に近づくことができないように柵があるので、
間からカメラを入れて撮りました。

やり方を知っているとハッチを開けることもできるので、
ツィッターやインスタグラムに、魚雷発射管に入って顔だけ出している
写真をあげるような不埒ものが出てきかねないってことでしょうか。

 

あまり事例はないですが、潜水艦内で死者が出た場合には
魚雷発射管から外に放出して水葬したときいたことがあります。

そこで思い出すのが、ドイツからU-boatで日本に帰国する途中
ドイツが降伏してしまったため、艦内で自決した二人の技術中佐の話です。

1945年、アウシュビッツとキールのトロイメライ

このエントリで語った二人の海軍軍人は、いずれも
Uボートが連合軍の手に落ちる前に、魚雷発射管から海中へと、
ドイツ海軍の手によってその遺体を水葬に付されました。

24本ストアしてあったという魚雷が、ローディングするためのラックに乗せられて
展示されています。

今でもNATOでは魚雷は21インチつまり533mmが規格となっていますが、
それはもともとこのころの魚雷の規格が21インチだったからです。

「ライオンフィッシュ」に搭載されたのは同じバラオ級の「パンパニト」が
搭載していたMk14ではないかと思われます・ 

こちらにMk14とは明らかに形の違う魚雷が2本ありますが、
こちらは1945年には主流となっていたMk16だと思われます。

魚雷は推進のために内部に内燃機関を持ちますが、このタイプは
機関への酸素供給にあたって、従来の空気室を用いる方法ではなく、
液体の過酸化水素水を化学反応させ発生した酸素を用いています。

このとき同時に水蒸気も発生することから、これらを利用し、
燃焼及びタービンへの蒸気供給を行雨という仕組みです。

この仕組みのおかげで酸素携行量が増え、Mk14より航続距離が倍以上に伸び、
空気を用いた場合と異なり窒素排出も無いため航跡が薄く、
発見されにくくなりました。

また、ジグザグ航行などのパターン航行もできるようになりました。

昔はこの上部が魚雷を積み込むためのハッチだったと思われます。
今は階段をつけてここから出入りができるようになっています。 

上の写真を改めて見て、魚雷の中身を見せるために
わざわざ外側を外して展示してあったのに気付きました。

この時もちろんこれらが見えていたはずなのに、どうして至近距離で
写真を撮っておかなかったのか・・・・。

さらには魚雷の上に魚雷の爆発の仕組みなどの説明があります。

今にして思うと、この時には時間がないのと暑いのでモノを考える
力がかなり低下していたからだと思うのですが、
潜水艦内で酸素不足っていうのも関係していたんじゃないかな。(嘘)

 

でも、こうやって外に出てきた時に少しほっとしたのも事実。
きっと酸素供給システムなんて作動させていないでしょうしね。

さて、これで潜水艦「ライオンフィッシュ」の見学は終わりましたが、
バトルシップコーブにはもう一つの記念艦があります。

 

 

 



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8 Comments

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詳細な写真と記述 (お節介船屋)
2017-01-15 20:51:46
エリス中尉
ありがとうございました。
4回にわたる「ライオンフィッシュ」の写真と記述でこの時代の潜水艦が良くわかりました。
佐久間さんのコメントにある司令塔はコントロールルームの上ある区画だとおもいます。
日本海軍の潜水艦もセイル(艦橋構造)の中に司令塔(耐圧殼)がありました。
潜望鏡もそこにあるのでしょう。
暑い日に冷房もない艦内で詳細な写真を撮られ、思い出しながらの詳しい記述、本当にご苦労様でした。
楽しませて頂きました。

魚雷の説明の写真は惜しかったですが、現代はもっと進んでいる事でしょう。
533mm(大多数)と650mm(ロシアの高速力魚雷等)があるようです。

去年なにかのニュースで見たような記憶があるのですが、ドイツ海軍は下士官も潜水艦に乗り組んでいるとの事でした。
212A型(水上1,473トン、水中1,859トン)6隻で各乗員数27名全部で162名中女性が何名なのかわかりませんが。
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男所帯 (ハーロック三世)
2017-01-16 00:34:17
潜水艦の男所帯。

亡父の友人で大東亜戦争時の潜水艦乗組員が居ます。(生き残っているだけでも強運!)

その人によると、兵・下士官はフンドシ一枚。腰に手ぬぐいを巻きつけて任務にあたり、士官以上は威厳を保つために縮みのステテコとシャツだったと聞きます。
ちなみに腰の手ぬぐいは流れ落ちる汗でフンドシが濡れて、「見苦しいこと」になることを避ける為の身だしなみだったそうです(爆笑)

こんなところへ女性はとても載せられないのでしょう。

航空業界も女性パイロットが増えて居ます。
長距離路線ではコクピット内にある休養施設で交代で眠る訳ですが、どうしても共用せざるを得ません。

赤の他人の若い女性の使ったベッドに寝るのも妙なものですが、もっと気を使うのは、「ヲッさん」である私の後に女性が休養をとる場合。

シーツを張り直したり、枕は自分の携帯用テンピュールを持ち込んで使うなど、休んだ気がしません。

やはり、歌にもあるように「男所帯は気ままなものよ〜♫」です。
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居住性 (Unknown)
2017-01-16 07:08:18
日米の、潜水艦のみならず、艦艇の居住性の違いがわかって面白いです。

日本の海軍の艦艇では、下士官兵の居住区と食堂がわかれたのは大和型戦艦のみで、その他の艦船では兵員室と呼ばれる居住区で総員起こしの後、吊り床(ハンモック)を片付けて、テーブルを出して食事をしていました。

このような状況の足柄(重巡)を見て、イギリス海軍の士官は「奴隷のような扱い」だと言っていますが、当時の日本家屋を考えると、囲炉裏端でみんなで食べた後に布団を引いて寝ていたでしょうから、それが日本標準だったのではないかと思います。

ガトー級潜水艦のみならず、アメリカの艦艇では第二次世界大戦当時から下士官兵であっても居住区(寝室)と食堂は分かれていたのですね。奴隷扱いではない訳だ(笑)

ただ、機関室の隣が居住区というのはつらいですね。当時は水上航走が主で、敵艦に遭遇した時だけ潜航(エンジンは停止して電池航走)していたので、航海中ほとんどの時間はエンジンを回しています。そのあたりは日本の設計の方が人に優しいようで、イ号の艦内配置図を見ていると兵員室の隣は補機室(減速装置。エンジン程うるさくはない)になっていて、すぐ隣がエンジンにはなっていないようです。

航海中、あまり眠れないのと起きたら吊り床を畳んで一々テーブルを出す手間を比べたら、日本の船の方がいいかもしれませんね。そのあたりをアイスクリームでごまかしていたのでしょう(笑)
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みなさま (エリス中尉)
2017-01-16 21:44:39
お節介船屋さん
わたしも、実際に現場を駆け回りながらシャッターを押している時より、
こうやって写真を切り取って詳細に眺め、資料と照らし合わせて記事を書くことで
初めて分かってくることが多く、書き終わって初めて少し全体像が見えてくる、
ということを繰り返して今日に至ります。

潜水艦は、サンディエゴでも見てきましたので、いつになるかわかりませんが、
また集中してお話しする日も来るでしょう。
よろしくお付き合いください。

unknownさん
「マサチューセッツ」でも思いましたが、アメリカの軍艦は水上艦も潜水艦も
基本兵員のベッドはカンバス式のバンクなんですよね。
ハンモックって、慣れれば揺れてもベッドから落ちるようなこともないし、
なかなかいいと思うんですけどね。

「コンスティチューション」など帆船の時代にはイギリスの軍艦も兵員は
カンバスのハンモックで寝ており、それはあまりにひどい、ということで
カンバスになったらしいので、日本の軍艦を見てまだこんなことをやっとるのか、
と思ったんでしょう。
それと、向こうは厳密に寝室と食事の場を分けますね。
帆船時代に寝室で食事をしなければいけないのは中国人労働者だけでした(笑)
船の後部で潮が吹き込み、ひどい労働環境で人間扱いされていなかったようです。
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死神につかれた潜水艦医官 (佐久間)
2017-01-16 23:10:46
本当に詳しいご解説をいただき、誠に有難うございました。

私は、Historical Naval Ships Associationの終身会員で、ライオンフィッシュもボーフィンも、ガイドつきで見学したはずなのですが、こんなに詳しく覚えておりません。興味のある部署で留まって尋ねていると、後ろが詰まってくるばかりか、他の見学者からも、(私専属の)ガイドの方が質問攻めになられるので、申し訳なくて、写真も撮らずに通り抜けてしまっていました。

海軍軍医学校昭和18年卒で、まだ御存命ですが、昭和20年1月30日付で第六艦隊司令部附に発令された方は、さすがに死神がついたと覚悟されたそうです。

帝国海軍潜水艦にしかいなかった軍医は、消耗も極めて甚大で、18年卒で第六艦隊司令部附は39名中戦死23名。そのうち19年5月15日同司令部附19名中実に15名が戦没。さらに19年卒戦死者総数36名中潜水艦勤務の軍医官が19名という状況だったそうです。

真水にも困らずに、のんびりと、衛生兵が虫垂切除術を行っていた米海軍がうらやましいです。

たしか、最初に女性士官に潜水艦徽章が授与されたのは、2012年12月にUSSメイン(SSBN-741)とUSSワイオミング(SSBN-742)で(訓練で乗り組んだのは2011年末)、バージニア級のUSSミネソタ(SSN-783)へは2015年1月だったと思います:
https://www.stripes.com/news/navy/1st-female-officer-reports-to-submarine-uss-minnesota-1.323819
https://www.stripes.com/news/navy/1st-female-officer-reports-to-submarine-uss-minnesota-1.323819

最初に下士官として潜水艦徽章が授与されたのは、仰せのとおり、昨年8月2日にUSSミシガン(SSGN-727)だったはずです:
http://www.navy.mil/submit/display.asp?story_id=96017

ず~と、退役したサブマリナーの間で、大激論が繰り広げられていたので、頭の隅に残っていました。間違っていたら、ゴメンナサイ。
返信する
訂正させてください (佐久間)
2017-01-17 13:35:18
スミマセン!

2012年12月5日に、3名の女性海軍中尉にドルフィン・マークが授与され、USSメイン (SSBN-741) と USS ワイオミング (SSBN-742) に配属されたとの記事です。上では、間違って同じURLを記載してしまいました:
http://www.navy.mil/submit/display.asp?story_id=70940
返信する
佐久間さん (エリス中尉)
2017-01-20 15:00:51
Historical Naval Ships Associationの終身会員!それはすごい。
アメリカの軍艦について調べるのに、 HNSAのページは精密で正確なので、
非常にお世話になっております。
日本の資料では見つけることのできない鹵獲した日本軍の潜航艇の戦歴など、
どこでこんな資料を収集できたのかと感心するくらいです。
歴史資料を収集し分析して後世に残すという仕事は日本ももちろんやっていますが、
こと軍事遺産となると、そもそも軍艦が残っていないこともあり・・(涙)

見学の時に連れがいると本当にそうなってしまいますよね。
わたしはそういう意味でもガイドすら必要ない派です。
一人で入り、一人で歩き回って好きなところで立ち止まり、写真を撮る。
場合によってはもう一度戻って見直す。
これくらい自由がきかないと、後で改めて詳しく調べることすらできなくなります。

サンディエゴであの空母を見学した時には、招待者が前以てチケットを
予約してくださっていたので一緒に見学を始めましたが、相手は何しろ
ご高齢のご婦人で、艦内を行ったり来たり階段を登ったりおりたりしているうち、
傍目で見ても肩で息をしている状態になってしまわれ、途中で
「もうわたしは結構ですから外に出ましょう」と言わざるを得なくなりました。
それを聞いた時のほっとした相手の顔を見て、つくづく一人で来たかったと
内心残念に思ったものです。

>退役したサブマリナーの間で、大激論が繰り広げられていた
それはやはり女性を潜水艦に乗せるのが是か非かって激論でしょうか。
しかし思ったより昔からそういう話になってたんですね。

ところでつい最近、韓国海軍で潜水艦に女性を乗せる話が出たという話を聞きましたが、
あの国は・・・うーん・・やめておいた方がいいような。
返信する
ハーロック三世さん (エリス中尉)
2017-01-20 15:16:18
わたしも元潜水艦乗りの方はお会いしたことがないですね。
それだけ生き残るのが難しい配置だったということです。

>士官以上は威厳を保つために縮みのステテコとシャツ
どこまでも階級による差異化をはっきりさせる軍隊社会であった。
ステテコとシャツで威厳が保てるならそれもまた、良しとしましょう(笑)

華やかなエアライン業界のダークなお話、本当に想像もつかないことばかりで
いつも驚いてしまうのですが、休憩もそういう状態で行われていたとは・・。
シーツはもちろん枕も下手したら共用なんですね。それはきつい。

無神経な人なら自分が寝た後のことなど気にしないのかもしれません。
そしてその方が圧倒的に人生楽に過ごせるとは思いますが・・・。

そういう気遣いのできるハーロック三世さんは、きっと FAさんの間でも
評価が高く人気があったに違いないと思いました。


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