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バーキン片手に靖國神社

映画「ハワイ・マレー沖海戦」~皇国の興廃繋りて此の征戦にあり

2014-01-12 | 映画

本作は「戦争映画の名作」と絶賛されます。

しかし、もし戦争、真珠湾攻撃なりマレー海海戦なり、そういった作戦や
軍艦や航空機、 そして何より海軍に何の興味も知識も無い者が観れば、

「我が軍の勝ち戦を誇りつつ、ついでに予科練の人員募集もしてしまおう」

という海軍制作の国策映画にしか見えず、(実態はそうなんですけどね)

その目的ゆえ評価できない、となってしまうかもしれません。

で、別のエントリでいくつかのこの作品に対する感想を抜粋してみましたが、
どうも、この映画の評価の高低は、軍知識の有る無しに比例しているように思われました。

つまり知識が深ければ深いほど、この映画に表現されていることや、
制作者(監督と特撮)の意図が理解でき、
従って面白みも感じるのではないかと。

通り一遍の知識しか持っていないと、いわゆる「国策主義的な部分」、
たとえば忠明と義一の会話や、「帰る燃料がない」と報告する部下に、
隊長となった忠明が「帰ることを考えるな」というような部分だけしか印象に残らず、
従って誰かが書いていたように「嫌悪感が湧く」「喜んで見る人の顔が見たい」
などという評価にしかたどり着けないのではないだろうか。

とどのつまり、見る人間があの戦争をどう考えているかで、
この映画の評価も決まってくるのではないかと思うのです。


わたし自身は、当時海軍が海戦当初のこの勝利をどう自己評価していたか、
ということがわかるだけでも、
歴史の証言として貴重な作品であると思っています。

 

こちらは食堂。
主計長と軍医が待機しています。
両者ともに、背中に何か背負っていますが、これはなんですか?
酸素ボンベでもないだろうし・・・救命具かな?



握り飯を作る時間が2時間25分5秒、食べる時間が21分11秒、
などと主計兵から報告を受けております。

糧食を作る時間をストップウォッチで計っていたのは
世界広しと言えども日本海軍だけだったのではないでしょうか。



軍医長と主計長がそんな会話をしていると、艦内放送が。
いよいよ来ました。



皇国の興廃此の一戦にあり。



各員一層奮励努力せ・・・・

ん?

ちょっと待った。
なんだっていつの間にか日本海海戦の電文になっているの?

この真珠湾のときの激励電文は

皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ
粉骨砕身各員其ノ任ヲ 完ウセヨ

であったはずなのに。(当ブログ掲載の電文コピー参照)
こちらはどうしても「日本海海戦の二番煎じ」感が拭えないからですかね。


それから、わたしがここで笑ってしまったのがこの中国語翻訳。


所有士官兵在午夜零時開始備戦

って・・・。
わたしのかすかな中国語の知識によれば、これはどう見ても

「士官と兵は今夜零時に開戦の準備をせよ」

って言う意味ですよね。
どうしてこんなことになってしまったのか考えるに、
中国人には「奮励努力」が聞き取れず、「奮励」の「れい」だけを聞いて

「おお、つまり零時に準備せよと指示しているわけアルか。明白了」

と早合点してしまったってことらしいですねえ・・・・orz




決して豪華なものではないですが、せめてもの尾頭付き。

 

主計士官、軍医の顔も見えます。
皆で本作戦の成功を祈願して乾杯。

 

下士官兵たちも乾杯。
いつもは作業着ですが、全員が第一種軍装を着用。
義一は自分に次がれた清酒を愛機に注ぎに行きます。

 

操縦席を見れば、そこにはおそらく母が与えたのであろうお守り。



お守りに頭を下げてから、義一は操縦桿に清酒をかけます。
日本海大戦を描いた「海いかば 日本海大海戦」では、
砲郭に皆で集まって、砲身に清酒を注いでいました。

ことに及ぶとき、お神酒で「清める」というのは、
神事からくる日本人の精神に備わった儀式です。

先日、アスロックの実験成功を祈願する絵馬の写真を
読者の婆娑羅大将が教えて下さったのですが、科学の粋を集めた
現代の護衛艦でもやはりこういうところは「担ぐ」んでしょうねえ。



寝床で「もうすぐ切りのいいところだから」と本を読みふける同僚に、 

「きりをつけて往くと死ぬぞ」

と縁起でもない冗談を飛ばす義一。
本当に帰ってこなかったらどうすんだよ~。



そしていよいよ決戦の朝。



艦橋には人がぎっしり。



5時になったので攻撃隊準備、とか言ってます。

あの・・・・もしもし?

外はすっかり明るくなってるんですが、こんなことでいいと思います?
実際に第一攻撃隊が飛び立った時間は12月8日の午前1時半ですよ?

余裕ぶっこいていたと映画では強調したかったのか、全く時間の整合性を無視。

もっとも、このときは日本はまだ戦争真っ最中だったので、
それもこれもまだ詳細は
「機密」で、
さらに今後の作戦を読まれることのないように、という配慮かもしれません。




こちらもさんさんと明るい中、整備を行っております。
実際は彼ら整備兵たちは寝なかったのではないでしょうか。



ようやく起き出して「良く眠れました」などとのんきな挨拶。
それにしても義一役の伊東薫は飛行服でいるときが一番凛々しく見えます。



皆代わる代わる神棚の前で頭を下げます。
キリスト教徒は知りませんが、仏教徒でもお正月には神社にお参りするのが日本人。
ましてや大事を為すときには神棚に頭を下げるのは当然のことです。

現代の護衛艦にもあるってご存知ですか?
わたしは「ひゅうが」でこの神棚を見つけました。
近くに立っていた水兵服にこれを拝むことはあるか、と聞いてみましたが、
とんでもない、といった調子でありません、と答えました。

でも、きっとお正月には拝むんだろうな。安全を祈願して。



手前の第一種が飛行長。

「だいぶガブってるな。発艦できそうか」
「発艦できると思います」



さて、いよいよエンジン始動です。
言っておきますが、これ、本物ですからね。

 

整列前、ふと面を上げて、翩翻と翻る軍艦旗を見上げる友田。
ここはカラー映像が欲しいところです。

冒頭でも述べたように、こういうシーンや、たとえば古兵の分隊士が、
整列の号令がかかる中持っていたタバコを最後に思い切り吸込んでから火を消すシーン、
こういった細部に目を留めるか、何の意味をも見いださないか。

こういう違いはやはり観るものの「戦争」に対する意識に
大きく関わってくるものであるような気がします。



第一攻撃隊出発前に訓示をする艦長。

後ろに「皇国の興廃」がチョークで書かれているのですが、これに注目。
こちらはよくよく見ると

皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ
粉骨砕身各員其ノ任ヲ 完ウセヨ

という、この真珠湾攻撃の際打電された実際の電文が書かれています。
こういう細かいところに気づくと、俄然裏側でどんな「配慮」があったか、
想像できて楽しいですね。(わたしだけかな)

先ほど書いたように映画では「皇国の興廃」のあと、
日本海海戦で秋山真之参謀が作成した


「・・・此の一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」

と続きました。
これはこのころ真珠湾攻撃がどのように行われたか、
今の日本人より知らなかった民衆が


「おお、このときの激励電文は、あの大勝利をおさめた
日本海海戦のと同じだったのか」


と感じ入る、ということを期待して決定されたものと思われます。
ところがあちらを立てればこちらが立たず。
これをすることによって、今回の電文の作者が「面白からぬ」事態になります。
その辺の?下っ端であれば我慢していただくしかないでしょうが、
実はこの真珠湾の電文を作成したのは、当作戦参謀であらせられるところの

宇垣纏中将(最終)

でした。

オリジナルを作成した秋山真之が参謀だったことからもわかるように、
こういう文案の作成は参謀の職務なんですね。

まずい。まずすぎる。
この映画に関わっていた海軍の関係者はどう転んでも宇垣纏より格下。
しかも映画完成のあかつきには、宇垣閣下にもお見せせねばならんというのに。

「ああ~どうするよ。宇垣閣下も見るんだって。そりゃ見るよな」
「だってこんなパチもんみたいな電文聞かされても国民はピンと来ませんし」
「そりゃそうだけど・・・やばいやばいよ。今からそこだけ撮り直せんのか」
「無理っす。大河内先生の撮影スケジュールはパンパンっす。
 撮り直しなんて言ったら大御所だから機嫌悪くなって今後の撮影にも支障が」
「しょうがない!もう一回訓示の場面あるだろう!そのとき後ろに宇垣電文書け」
「なるほど!いい考えですな」

というやり取りがスタッフの間で行われ、(※フィクションです)
こういう大岡裁きと相成ったのではなかろうか。


映画完成後、宇垣纏聯合艦隊参謀長は、この映画を(なぜか)
戦艦「大和」の艦上で鑑賞しました。

自身の「戦藻録」で、宇垣は「素晴らしい出来」だとこの映画を
大絶賛しています。(Wikipedia)

宇垣纏自身がこの「激励電文」の扱いに気づかなかったわけがありません。
電文が秋山案に変えられていたこと、その代わり言い訳のように?
大河内伝次郎の訓示シーンの後ろに自分の電文が書かれていたことを
彼はどのように受け止めたのでしょうか。


宇垣自身、世紀の作戦の激励電文を作成するにあたっては、「秋山電文」の呪縛から
どうしても逃れることが出来ず、

「どうひねくり回しても、やっぱりこうなってしまう」

と嘆いた末の、いわば「妥協案」であったことを痛感していたようです。
「大和」艦上で行なわれた試写会では、
この点について全員が腫れ物に触るように黙っていたのかしら。

もし空気読まないことで有名だった井上成美中将がいたりして

「電文が秋山閣下のものでしたな」

なんて発言していたらおもし・・・いや気まずかったでしょうね。



 

 



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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
2通の電文 (平賀工廠)
2014-01-13 09:46:27
エリス中尉

今年もいろいろな記事楽しみにしています。

名前の長を取ることにしました。工廠長は将官ですし、当工廠は一人しかいませんので、自分的には技術中尉相当であろうと思っています。

さて、2通の電文考察面白く拝見しました。私もこの違いにはひっかかっていました。
また大河内艦長が最上位になっていますが、本来は司令長官の役どころも兼務していますね。

細かいところですが、主計長と軍医が背負っているのは、火災時の有害ガス発生に備えるマスクです。

空母甲板実物大セットに出てくる、九七式艦攻は初期の(当時は旧式)1号艦攻なのが残念です。ここは九七式艦攻三号、九九式艦爆にも出てほしかったところですが、戦争真っ最中では難しかったのでしょう。

飛行甲板上で、単発機としては大きい九七式艦攻を発艦位置にみんなで押してゆきますが、ここも貴重な動画と思います。中尉の考察どおり、海軍、飛行機、軍艦に興味のある者にとっては当然高評価です。
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そうですよね (エリス中尉)
2014-01-14 21:54:26
平賀工廠長あらため平賀工廠さまですね、了解です。

ところで、最初からこの点にお気づきだったということですが、私が気づいたのは
このエントリを書くために写真を撮り、写真をアップしてからでした。
書くことを決めてからエントリ制作始めたわけではないので、
急遽そのことに焦点を当てて書くことにしたのです。
普通に見ていたらそこまでは気づかない方の方が多いかもしれませんが、それもまた
この映画に特に思い入れを持つ方ならではの観察なのだろうと思います。

なるほど、二人が背負っているのはあの「伏竜」の特攻で使われたボンベと同じ仕組みのもの、
と考えればいいのでしょうか。
確か空気清浄缶というもので苛性ソーダを使っていたとか・・。

とくに99式艦爆の模型のできがあまりよくないのはわたしも残念でした。
開戦して一年ですし、飛行機はどんどん戦地に投入されていたので、
映画のためにわざわざ貸してくれるなどということはありえなかったんでしょうね。
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