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「海ゆかば 日本海海戦」 行進曲軍艦

2012-06-18 | 海軍

      

なんと一つの映画で4日連続記事を書いています。
戦争もの、海軍もの、そして軍楽隊もの。

このブログにとってドンピシャリの語るべき内容がこれだけそろっているという映画もまたとなし。
映画の筋にはろくすっぽ触れず、音楽を中心にお話を進めたらこうなってしまいました。



行進曲「軍艦」 瀬戸口藤吉作曲

いよいよ日本海大戦に臨む聯合艦隊。
伊東四朗演じる丸山隊長のタクトが一閃、
旗艦三笠艦上では、この海戦に先立つこと5年前に作曲された行進曲軍艦が演奏されます。

さっそく大疑問なのですが、前回まで説明してきたように、
軍楽隊は出航の際の儀式に演奏をした後、楽器を艦艇の格納庫に収納し
「諸子が次に楽器を演奏できるのは、日本がこの海戦に勝利したその時である」
と厳命されていたはず。

なぜここであらためて演奏をしていいことになったのでしょうか?

史実によると、丸山寿次郎隊長以下26名の軍楽隊が行進曲「軍艦」を演奏したのは、
三笠が佐世保軍港を出航したときです。
これ以降、軍楽隊は映画にも描かれているように、楽器を収納し、砲塔伝令、艦橋の信号助手、
そして負傷者運搬の猛訓練に入ったとされていますから、実際には出航時に国旗を打ち振る
群衆に答えるような形で演奏された「軍艦」が、最後の演奏になった軍楽兵もいたわけです。

しかし、この映画では前回のブログに書いたように、ストーリー上
「主人公の東郷司令への直訴により、三笠艦上で慰安演奏会が一度だけ行われた」
ということにしたので、物分かりのいい東郷司令が、この後
「一度楽器を出してきたのなら、士気を鼓舞する為に一度『軍艦』をやりんさい」
と言ったとしても、自然だよね?ってことで、ここに「軍艦」の演奏を持ってきたのでしょう。

海軍軍楽隊を描くのならば、軍艦行進曲を演奏しなければ、それを描いたことにはなりません。
どこで「軍艦」を演奏するシーンを挿入するかについては、おそらくもっとも制作者が侃々諤々、
論議を尽くしたものと想像します。


つまり、劇の後半に「見どころ」を間配るために、わざわざ決戦前に演奏したという設定にしたと。
出航時、軍楽隊は後甲板に円陣を描いた隊形で「軍艦」を演奏し見送りに答えた、という
記録が残っており、このシーンはそれを再現しています。

軍楽隊は、割り当てられた仕事だけでなく、万が一砲員が全員戦死してしまったとき、
最後の最後まで戦い続けるために、代わって砲を操作することを義務付けられていました。

したがって、彼らは砲兵としての臨時訓練をも砲兵長の指導の下で受けさせられました。

この軍艦の流れる中、画面は順に、一戦に備える三笠の艦上を追います。
明治天皇の御真影に礼をする東郷長官。
「石炭捨て方」、つまり艦を軽くするための余分な燃料を廃棄。
甲板、艦内の拭き掃除。
兵器の手入れ。
甲板に消火用の水と砂の桶を配置。
最後の入浴。
これは、バスに5人ずつ順に並んでつかり、「交代!」と言われればさっと前に進み、
後ろから次の5人が入る、という当時の軍艦内の兵の入浴を再現してくれています。
ついでに、認識票をつけた全裸の兵が、褌をつける様子も説明してくれています。



ところで、以前「甲板士官のお仕事」という項で「棒きれ持ってズボンまくり上げた甲板士官」
という話をしたのを覚えておられるでしょうか。
この映画で絵に描いたような甲板士官が登場するシーンがありました。

うーむ。まさにこれは甲板士官そのもの。
ガッツ石松のカマタキ松田と、佐藤浩市のジャクりオオカミの殴り合いに呼応して、
大乱闘になってしまった下士官兵たちをシメるために飛んできました~!

でも、実際に「脚を開け!歯をくいしばれ!」と言って愛の鉄拳を振るうのは、
士官じゃなくて右側にいるスマートな下士官なんですよね。
それにしてもこのシーン、確かに巷間伝わる伝統的な甲板士官スタイルではあるけれど、
どうして裸足なのが、この士官さんだけなのかと・・・・。
軍隊に詳しくなければ、右の皮靴の下士官の方が偉い人だと思ってしまいそうです。
実際にも、年齢は士官より上なのには間違いありませんが。

 

こういうシーンを、映像で観たい!
史実を描いた映画を観る楽しみはここにあります。
実際にこの電文を打つとき、ツートントンしている横に秋山参謀がいるはずはないのですが、
それでも、こういうシーンを観てなんとなく百人一首の下の句が出てくる前に分かったような、
「これこれ!」というちょっとした愉悦を感じる人もいるのではないでしょうか。

それにしても、この横内正さんの秋山参謀は無茶苦茶はまり役だなあ・・・。
モッくん出現にいたるまで、歴代で最高の秋山役ではないだろうか。



敵艦発見の報を受け、みな戦闘態勢に入ります。
軍艦行進曲を演奏し終わった軍楽隊は駆け足で着替えを始め、海軍手ぬぐいを額にきりりと。



「諸君の命は、今日、こん伊地知がもらう。
私も死ぬから、みんなも思い切ってやっちくれ!」
艦長の訓示の後、張り裂けんばかりの声で万歳三唱。
狭いフネの上ですが、皆さん手を高々とあげてバンザイしています。

この部分の撮影も記念艦「三笠」の上で行われたようですが、この撮影のとき、
どうやら横須賀はものすごい強風だった模様。
セーラー服の襟がバタバタはためくほどで、本当らしさ満点です。



 

愈々(いよいよ)合戦のとき。
三笠艦上では杯を交わす儀式が各場所で行われます。
東郷司令はじめ将官たちは日本酒をグラスで。



フネの底の機関室でも同じように茶碗での乾杯が。
うーん、この映画でのガッツさん、かっこいいぞ。



ケースメート(砲郭)を、この映画では砲員の持ち場という意味で使用していました。
杯を交わした後、砲に清酒をかける大上一曹。

 

そして揚がるZ旗。

「皇国ノ興廃 コノ一戦ニアリ 各員一層 奮励努力セヨ」

秋山真之参謀考案、この世紀の名信号旗文。
これを全艦にメガホンで伝令するのも軍楽隊員の役目。



それを受けて復唱し、あるいは緊張する各部署。
この医務室の軍医たち、そして負傷者運搬に割り当てられた軍楽兵たち。
後ろにクラリネットのガタさん(緒方軍楽下士)がいます。

 

世紀の一瞬、東郷ターン、敵前大回頭を支持する東郷長官(を演じる三船敏郎)。
もうなんかね、三船敏郎でないとできない演技ですよ。
演技と言っても、三船さん、この映画で実は大したことはしていないんですよね。
じーっと空をにらんでるのがほとんどのシーンで。
だけど、本当に、これはもうこの人でないとだめ。

だいたい今、この瞬間の東郷平八郎を演じるのにふさわしい男優が、
日本の映画界に果たしていますか?

ところで、最近どこかで、
「東郷長官は、このとき実は『面舵』と言いながら手を左に回したのだけど、
回りの(多分加藤参謀長)が気を利かせて『取り舵』に修正した」という説を読んだんですよ。

多分、この証言が間違いだと思う(思いたい)んですが、これが海軍軍人の書いていることで、
無下に単なる妄想だと言いきれないところがあって・・・。
どなたかこの件についてご存知の方、いませんか?


 

戦闘がはじまり、艦内は修羅場となります。



東郷司令が「一ところに皆で集まっていることはなか」といったので、分散した将官ですが、
なんだかここの人たちはやられてしまっています。
よく東郷さんのいたところは無事だったなあ・・・。
負傷者運搬の兵たちも、「大丈夫でありますか?」「大丈夫ですか?」「大丈夫か?」
と相手によってかける声も微妙に区別しています。

まあ、このあたりの描写については、おそらく皆さんもご覧になった「坂の上の雲」に詳しいので、
これ以上はやめますが、戦闘中、甲板士官が、下士官が、仲間内で、
「がんばれーっ!」「がんばれ!」
と叫びあう。
頑張れという言葉が、本当の意味で使われる、ってこういう場合なんだろうなあ・・・。





戦死する大上一曹。白目剥いてます。
緒方先任も、眼をやられてしまいました。
「おめえのラッパ、上行って皆に聴かせてやれ・・・・・・」がくっ。



決戦が雌雄を分け、喜びあう松田兵曹始めボイラー室の面々。
ここの兵たちは、弾を撃つわけではなく、ただ艦底でフネを動かし続けるのが戦闘。
艦がやられたら、まず助かることなく一緒に沈んでいく持ち場です。

従って、機関部の勤務をする者たちは、恬淡というより無頼というか、妙に肝の据わった
人物が多かったとどこかで読んだことがあります。



艦橋の皆も、感無量の面持ち。
三十分で勝負はつきました。



砲員の持ち場に戻ると、生き残ったのはわずか三名。
三名共に呆然自失の態で機能停止しています。
そこで源太郎は一世一代の演奏を・・・。

「映画 海ゆかば オリジナルテーマ曲」 




終止符をつけてしまいましたが、これはAメロです。
砲員たちが、このトランペットの音色に我に帰ったようになり、再び最後の戦闘に突入する。
負傷して呻く兵たちをうち眺める悲痛な表情の秋山参謀、相変わらずの東郷司令(笑)。
もう三船敏郎、ほとんど演技してません。立ってじっとしているだけの簡単なお仕事です。

とにかく、大変良いシーンなのですが・・・・・・いかんせん、このメロディが・・・。

いい曲なんですよ。
譜面が読める方は、哀愁を帯びたこの旋律が御理解いただけるかと思います。
だがしかし、譜面を読める方なら、これもお分かりかもしれませんが・・・・・このメロディ、
まるで裕次郎の歌うムード歌謡みたいではないですか?
明治時代に、こんな曲調の旋律があるわけない、とあえて突っ込んでみる。


エンディングでこれが「海ゆかば」に変わる。「海ゆかば」が終わってから、
さらにその後一度思い出すかのようにこの旋律をリフレインする。
この音楽の演出も、実に心憎いものです。

しかし、ここで皆さんに悲しいお報せがあります。

国民歌謡「海ゆかば」が、信時潔によって作曲されたのは1937年。
昭和12年です。
当然日本海開戦時にはこの曲は存在していません。
ですからこそ、源太郎がいきなり「海ゆかば」をトランペットで奏で始める、
という展開にならなかったのですが、それを言うなら、このタイトル自体が無茶よね。



交響曲第4番ヘ短調作品36 第一楽章」 P.I.チャイコフスキー作曲


これは映画の中で使われたのではなく、この映画の予告編に使われていました。
このファンファーレの「運命の警告」を意味するテーマの勇壮な、そして悲愴な響きは、
この映画の内容そのものです。

そのあまりのはまり具合に思わず我が意を得たりとひざを叩いてしまったのですが、
この曲が

ロジェストヴェンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー

演奏のものであることに、10ルーブル5カペイカ。







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