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勇者の肖像〜PTボート バトルシップコーブ

2017-12-13 | 軍艦

PTボートを戦後有名にしたのは、映画「コレヒドール戦記」とともに
のちの米国大統領、ジョン・F・ケネディが船長をつとめ、さらにはその船が
日本の駆逐艦に撃沈されてなおかつ生きて帰ってきたということでしょう。

この一連の物語については以前お話ししましたので今回は割愛します。

PTボートについて各部の詳細が説明されていますので、
今日はこれについて紹介しておこうと思います。

1)40ミリボフォース

スウェーデンのボフォース社が開発した有名な対空銃撃システムです。
ここで見学した「マサチューセッツ」にも「ケネディ」にもあったように、
第二次世界大戦中における最も有名な銃の一つであり、現在でも
いくつかの国ではまだ使用されている名作です。

2)オリコン銃

オリコン20ミリ銃はブローニングよりもレンジが広く、
破壊力があるとして対空銃として重宝されました。

最終的にはボフォース40ミリに置き換えられましたが、
この驚くべき性能の武器は今日でも多くの海外の海軍で使用されています。

3)ブローニングM2重機関銃

現地の説明には『.50 Cal』(フィフティーキャル)とありました。
calはキャリバー、口径を意味します。

「1920年から2008年まで」(このボートができたのが2008年らしい)

戦車や装甲車、トラックやジープなどの車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、
対空用の背の高い三脚銃架、連装、または四連装の動力付き対空銃架、
艦船用対空銃架、軽量銃身型の航空機用固定機銃、航空機用旋回機銃架、
動力付き航空機用旋回機銃架など、様々な銃架に載せられ
陸・海・空軍を問わず広く配備されている銃です。

 

4)魚雷

PTボートの主流武器で、最も重量があります。
アメリカのPTボートは三種類の魚雷を搭載しましたが、それは
Mk8、Mk14、そしてのちにはMk13などでした。

 

5)37ミリ機関砲

墜落したPー39が搭載していたこの銃をPTボートに流用したのが始まりで、
より一層強力な火力が、日本の舟艇を攻撃するのに役立ちました。

終戦前には全てのPTボートに最初からこの銃が搭載されていました。
この写真の人はどうやら

「自分がこのアイデアを思いついたのに、
今は一部の作家(ペンシルプッシャー)がそれでお金を儲けている」

と言っているような・・。

ここんとこどうも翻訳に自信がないのでどなたかお分かりの方教えてください。

7)レーダー/IFF

 

PTボートのオペレーションは基本的に夜行われることが多く、
そのためレーダーが大きな役割を果たしました。

ターゲット追尾、ナビゲーション。
しかしながら、それは慎重に使用されなければ、敵のRDF
(ラジオディレクションファインダー、探知機)に探知される恐れがありました。

PTボートはさらにIFF(Identification Friend or Foe、敵味方認識)を搭載しており、
これで同士討ちを防ぐことにしていました。

(んが、前にも『フレンドリーファイア』について書いたように、実際には
同士討ちで戦没したPTボートは何隻かあったようです。合掌)


6)パッカード船舶エンジン

アメリカ軍のPTボートは、パッカードpdk4M−2500エンジンを搭載していました。
空冷式のガソリンパワーエンジンです。

パッカードは今は亡きアメリカの自動車製造会社です。
高級車の代名詞となったパッカード車は、日本でも皇室、華族の御用達になるほどで、
一時は一世を風靡しましたが、大恐慌の後凋落の一途を辿り、戦後消滅するに至りました。

戦争中は自動車業界が一斉に軍用エンジンを手がけたこともあり、パッカードも
大恐慌で体力が落ちていたところ、これ幸いと仕事を引き受けたのでしょう。


余談ですが、ソ連のヨシフ・スターリンがこのパッカードの大ファンだったため、
(繰り返しますが、ハリウッド俳優や富豪が好む高級車です)
ルーズベルト大統領は対枢軸国(つまり日独伊ですね)戦略上機嫌をとるために
大型パッカードのプレス型をソ連に売却させるということをしています。

このためソ連ではパッカードそっくりの高級車が生産されるようになったとか。

1945年:

さて。第二次世界大戦は終わりました。
生き残ったPTボートは全て破棄処分になってしまいました(T_T)

写真は海上で焼却されるPTボートの最後の姿です。

1960年:PTボーター、ジェームズ・ニューベリーがPTボート同期会を結成  
   のみならず、そのための会社を作ってしまう

幸い、元PTボート関係者の中に、財力と実行力があり、PTボートをこよなく愛する
ニューベリーのような人物がいたことで、歴史の片隅に忘れ去られようとしていた
PTボートのことが世間の注目を集めることになりました。

戦後の1946年、彼は海軍博物館を含む公式の海軍の情報源が、
PTボートに関する情報をほとんど保持していないことを憂えて、
その年のクリスマスにかつての仲間にクリスマスカードを出すところからはじめ、
PTボーターの組織を結成することから始めたということです。


今日わたしたちがほとんどかつてのままの姿のPTボートを見ることができるのも、
おそらくはこの人がいたからこそです。

1967年:マサチューセッツ出身のトーマス・ケリーさん(だれ?)が
   ベトナム戦争でのガンボートでの戦闘を指揮したとかで叙勲される

詳細な説明がないのでこれは想像ですが、このケリー氏は、おそらく
かつてのPTボーター、若い時に乗り込んでいた経験を生かし、
ベトナム戦争では昔取った杵柄(違うかな)で類似のガンボートを指揮し、
その結果戦果をあげたということではないかと思われます。

1976年:ニューベリーの作ったPTボート社がヒギンズ型のPT796を修復
   バトルシップコーブに展示される


1985年:PTボート社、今度はエルコ型のPT617を修復

このPTボート社というのが、先ほどのニューベリー氏の作った会社です。
調べてみたところ、この会社は未だに存在しており、非営利組織として、
PTボートの偉業を後世に伝える使命を持った人々によって運営されています。

2001年:同時多発テロ発生後、沿岸警備隊のパトロールボートが
   重武装してアメリカ沿岸の警備に当たった

2003年:ナショナルジオグラフィックの撮影隊が、海底に沈んだ
    PTボート109の撮影に成功
    他ならぬJFKが艇長であったPTボートである

これは驚きました。
JFKが乗って『天霧』に沈められたPTボートが海底から発見されていたとは。

The search for PT 109

まあ、この間参加した海底の潜水艦探査の時のお話にも出ていましたが、

「沈んでいる船そのものの価値」
 
のあるなしでいうと、ただのPTボートではここまで探してもらえたかどうか。
やはりJFKが乗っていたということだけで、プライオリティが高かったということです。

冒頭のケネディ中尉も言ってますね。

「どうして僕が戦争の英雄になれたかって?
そりゃ僕の船が撃沈されたからさ!」


2009年以降:ネイビーシールズのマークVボート特殊任務艇は
   50ノット 

   人体に20Gがかかるため、乗員はあざ、足首捻挫、
   歯を欠損するのは日常茶飯事

   しばしば首と背中のジョイントを骨折する
   

なんてことが書かれているわけですが、これに16人も乗るんですと。
どんなバケモノ、いや鍛えられた屈強の戦士にその栄誉が与えられるのでしょうか。

ていうか首とか背中骨折したらその時点でもう使い物にならないのでは・・・。


「この技術のおかげで僕はオスカーがもらえたのかも」

とパッカード製のエンジンを前に言っている海軍士官姿の俳優は
モスキートフリートの一員だったロバート・モンゴメリー

この人が映画「コレヒドール戦記」の主人公に抜擢されたのは、
彼が当事者、つまり大戦中に他ならぬPTボーターだったからに他なりません。

先日の映画「ペチコート作戦」で「奥様は魔女」の二代めダーリン役だった
ディック・サージャントが少尉役をしていたのを紹介しましたが、
こちらは同番組サマンサ役の女優エリザベス・モンゴメリーのお父さんです。

 

エンジンとオスカーは、はっきりいって直接関係ないですが、
彼が戦死せずに無事に帰って来て映画に出ることができたのも、
優秀なエンジンのおかげだったといえないこともありません。


ところで海軍出身の俳優といえば有名なのが
ダグラス・フェアバンクスJr.

彼は開戦になったので予備士官に志願しました。

1941年にはソ連に物資を送るPQ17船団に加わる第1巡洋艦隊の
巡洋艦「ウィチタ」に乗り組んでいます。

その後、俳優だからというわけではないでしょうが、欺瞞作戦に従事し、
ビーチ・ジャンパーという名前のユニットの作戦隊長を務めました。

サービス画像

この海軍士官姿、さすがは美男俳優でならしただけあって、美しい!

フェアバンクスは戦前、俳優としても第一線の、しかも大富豪でしたが、
海軍軍人としても大変評価されており、この作戦中PTボートに乗り、
あげた功績に対してシルバースター勲章を授与されています。

 

というわけでPTボートシリーズ、小さくとも勇敢で強かったボートの
ヒーローだった人々を紹介して終わります。







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5 Comments

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こりゃちっちゃい (Unknown)
2017-12-13 21:03:32
ちっちゃい船ですね。これでレイテ海戦では日本の戦艦に立ち向かって行ったのですから、勇者の看板に偽りなしです。

武装が12.7mm、20mm、37mmや40mmと全く行き当たりばったりというか、戦時中なので、そこにあるものを取りあえず載せましたという感じで全くコンセプトを感じませんが、それでも船として結構使えたのは高速だったからでしょう。

海軍というより沿岸警備隊に近い感じでしょうか。魚雷では駆逐艦以上の軍艦にも損害を与えることは出来ますが、その他の機銃だと対空射撃には使えても、水上射撃では気休めにしかなりません。

まさにExpendableというにふさわしいと思います。こんなちっちゃな船で駆逐艦に乗り切られたら、普通だったら死んでます。天霧も魚雷艇乗員は総員戦死と報告したようですね。ケネディ中尉は強運でした。
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37ミリ自動小銃ですか? (Coral)
2017-12-14 17:14:34
エリス中尉

>5)37ミリ自動小銃
37ミリなら機関砲と言うと思います。
普通、小銃とは歩兵が携行できるレベルの小火器を言いますよ。
返信する
とほほ (エリス中尉)
2017-12-14 18:36:25
またやってしまいましたか。
「持てるのが自動小銃」「持てないのが機関砲」ってことでいいですか?
本文訂正しておきました。ありがとうございます。
返信する
unknownさん (エリス中尉)
2017-12-14 18:40:25
前にも一度書いていますが、死んでいていも全く不思議ではなかった、
というか奇跡的な生還だったみたいですね。
ケネディ中尉は部下を背負って何キロも泳いで命を救っています。
(ハーバードで水泳部だったのが役に立った模様)

高速で逃げ足が速いのがPTボートの最大の強みでしたが、そのために
極限まで船体の重量を減らしており、実際に見ると「大きめのボート」という感じです。
ボートより攻撃する側には面積が広いので、的にはなりやすいと思いますし、
大変な装備で乗る方も覚悟がいったと思いますね。
返信する
銃砲の呼称 (Unknown)
2017-12-15 05:13:37
口径10ミリ以下は小銃、拳銃、軽機関銃等の個人携行が可能ないわゆる小火器(89式小銃:5.56ミリ、64式小銃:7.62ミリ、9ミリ拳銃)です。

10~20ミリは二人以上で持ち運ぶか、車載型の重機関銃(M2重機関銃:.50 Cal(キャリバー50))になります。

20~40ミリは車両や航空機に据え付けて使う機関砲(87式偵察警戒車:25ミリ機関砲、87式自走高射機関砲、89式装甲戦闘車:35ミリ機関砲)と呼びます。自衛隊にはありませんが、海上保安庁が巡視船で使用する30ミリと40ミリも「機関砲」です。

40ミリ以上(海上自衛隊の76ミリ、127ミリ速射砲や陸上自衛隊の105ミリ、120ミリ戦車砲)は「砲」と呼びます。

ただ、英語表記だと文書等の正式な書き方だと全部「Gun」になります。口語では「口径20ミリ以下の銃」を「Gun」それ以上の口径の「機関砲」以上は「Cannon」と言うことが多いです。
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