ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

哀しきライトウェイト・ダウン

2011-12-10 | つれづれなるままに

以前、ある人とブログと言うものについて話をしたことがあります。
その人は、
「僕はブログと言うものなど読まない」と言い、またその理由についてこう言いました。
「所詮、自分はこんないい暮らしをしている、いいものを食べてこんな旅行に行って、
つまり、それだけの財力があるということの自慢。人の自慢など興味なし」

確かに、それが自慢を目的にしてブログ主がアップしているかどうかはともかく、
他人が何しようと、どこへ行こうと、何を買って何を食べようと全く関心が無い人は、
そのような情報をわざわざクリックする必要はないわけですね。

ブログを「自慢の場」と一概に決めつけることの是非はさておき、
それを目にすることで不快になると想像できるような情報にはわざわざ立ちよらないという、
この人の考え方にはわたしは全く同意します。

問題はそのような情報をわざわざクリックしたうえで、
何故かその情報を一般的な「生活レベルランク」に当てはめ、
さらに勝手に社会的ランク付けしたうえで「セレブ気取り」などと誹謗する人、
これは何なんでしょうか。

たとえばこのブログ、タイトルにたまたまバーキンとついているのですが、
ブランドバッグを持つことなど、いまどき特権階級の印でもなければ自慢にもならないわけです。

それではなぜタイトルでそれを標榜するかと言うと、
それを持っていることを世間に吹聴するのが目的ではなく、バーキンが
「(こういうことを語っている人間は)私的にはこういう趣味傾向の人間である」
ということを良くも悪くも分かりやすく一言で表すアイテムであったという、
ただそれだけのことです。

プロの音楽家が仕事で使う弦楽器などは家一軒買えるほどの値段であるのが普通です。
趣味であっても凄い値段の釣り道具やカメラ、車に、あるいは宗教にお金をつぎ込む人はいましょう。
その生き方や興味、信念や考え方によってお金の使いどころは様々。
当然のことながら、十人いれば十通りの方法があるわけで。

そんなことをハナから無視して、情報の断片だけを意地悪く捉えてさらにそれを非難するのは、
もしかしたら僻みを装った「個人的な恨み」だったのかなあ?

と、以前タチの悪い人に絡まれたときにふと思ったことを書いてみましたが、
このブログを楽しんで読んで下さる方には関係ないお話ですので読み飛ばして下さい。

冒頭のダウンコートとダウンブーツは、何年か前、寒い時に寒いところに行くことが決まったときに購入。
寒いところにダウンコート、というのは、毛皮しか防寒具が無かった昔と違ってごく自然な選択。
軽くて、暖かく、手入れが簡単でなおかつ安い。
そして何と言っても一般的には「ノー・ギルティ」。
グースやダックの生きて行く権利さえ無視すれば、動物愛護団体的にもOKのアイテムです。

しかし。
皆さん、ダウンって、お洒落だと思います?
世の中に、このダウン的な服が登場したのは、20年くらい前のことだと思いますが、
そのときのわたしはこのダウンジャケットを「なんだかかっこ悪い」としか思いませんでした。

みんな同じような寸胴体型のもこもこしたシルエットになってしまい、細い人でもデブに、
もともと太い人はさらにデブに見えてしまう、当時の実用一本やりのデザインには、それゆえ
断固手を出さなかったのですが、近年「お洒落なカッティングのダウン」と謳った
「モンクレー」や「エルマンノ・シェルビーノ」などが登場し、
他にもそれを倣って許せるデザインがでてきました。
ですから、極寒の地を訪ねることになった機会に、この写真の(モスキーノ)コートを、
購入したというわけです。
ダウンのブーツは、全く同じ色ですが、こちらはモンクレーのもの。いつもセットで着ます。

スキー場だけでなく、冬場のテーマパークや高原、雪が降ったとき等々、毎年必ず重宝するので、
収納場所がかさばることを除いては、買ってよかったと思ってはいるのですが、残念ながら
「とても気にいっていて、たとえ寒くなくても着たい」というほどではありません。


ところで今年寒くなり出した頃から、実に不思議なダウンジャケットを街で目にするようになりました。
ダウンらしいのですが、妙に薄くて、ダウンを縫い込んでいるキルティングの幅がやたら狭い。
そして、どれも一様にテラテラ、ぬめぬめした独特の光沢を放っています。

何かに譬えるならば、まるで・・・・・爬虫類みたいな?

最初に見たのが、うちの駐車場の昇降ケージを修理に来て、とんでもない対応をしていった、
何だか日本語の怪しいおじさんだったので、余計に印象が悪いのかもしれませんが、
いよいよ季節が冬にきて、あっちでもこっちでも、このぬめぬめダウンを見るようになってくると、

これは、中国に大工場を持つ大手安売りメーカーが、軽くて安いことをウリに大量に放出し、
何かそれらしい名前を付けて、世間的に流行らせようとしているに違いない。


そう観察の結果思っていたのですが、やはり。
某安売りメーカーが「ウルトラライトダウン」と名付けて、何と五千円台で販売しているのが判明。
そして、最近急に寒くなってきたので、注意してみれば、あらまあ、このハ虫類ダウン、
思ったより市民権を得ているではありませんか。


そこで、リサイクルブティックで買った新古品とはいえ、モスキーノのダウンを持っているような、
かのブログ荒らしのいうところの「セレブ気取りの」エリス中尉が、
安物を購入するしかない人々の経済事情に思いも馳せず、
上から目線で文句を言うと思っているあなた、違います。
いくら美的に許しがたいセンスの洋服であろうが何であろうが、それを買うのは人の勝手。
バーキンを買うのも人の勝手であるように。

このさいわたしが文句を言いたいのは、こういう、安さと機能ばっかり優先して、
着てその人がどう見えるとか、素敵かどうかとか、センスがいいかとか、言わば
「その人が何たるかを分かりやすく伝える記号としての」洋服というものに、
何の希望も持てない、作り手の志が全く見えない代物を薄利多売するこのメーカーに対してです。

純粋に美的観点から見れば、たとえとんでもない代物であっても、人気のメーカーが
「これ、いいでしょう、機能的だし、着心地いいんですよ。そしてお洒落なんです」
みたいな宣伝文句を付け加えて売れば、買う人はいくらでもいます。
なんたって安いんですから。

ましてや機能的で安ければ何でもいい、ということになりがちな子供用に選ぶ親は多いでしょう。
「自分は(こんな安物)着ないけど子供のならいいや、どうせすぐ着られなくなるんだし」
みたいな。

事実、そういう親は多いものらしく、今朝目撃した小学生の集団登校の列によると、
全員がダウン着用、そのうち4割がこの爬虫類ダウン、という我が家の近所の進捗状況?。
凄まじいこのエピデミック状態。いや、全国展開でパンデミック?
思わず目頭を押さえてしまいました。

これは、なんというか、罪ってやつだぜ・・・。


着る、ということは、ある意味文化であり、自己表現。
子供だからって親の都合と財布優先で、あまりにもチープな格好をさせるというのは、
大手メーカーの戦略に乗せられ過ぎではないでしょうか。
五千円しかコートにかける予算がないのなら、わたしならリサイクルショップでもいいから、
ちゃんと仕立てられたコートか、もう少しましなダウンジャケットを買うと思います。

それに、一応おおざっぱにノーギルティってことになっているダウンですが、
実は、それはそれは残虐な方法で鳥から羽をむしり取っているようですね。
とくに、このヌメヌメダウンの工場がある中国では特に。
だからダウンなら動物愛護的にも大丈夫、っていうのはまったく説得力ないかもしれません。
(鳥だから殺戮してもOK、なんてまさか言わないよね?)
つまり、ダウンでなきゃ駄目、って理由はどこにも無いわけです。


いずれにしても、他にいくらでも選択肢があるのに、いくばくかのお金を払って、
わざわざ、かっこ悪いものを選択する必要はないのではないか?と、言うことです。
増殖具合が酷いのもあって、あれ、街の景色さえ、醜くしている気すらするんですが。
街を歩く人の服装は、その街の印象にすら影響を与えるという現実を、
アパレルメーカー(特に安売りの)は、もう少し認識すべきです。

しかし、不幸にしてこのダウンを買ってしまった人、悪く言ってごめんなさいね。
センスの良いあなたであれば(そういう人が買っているように思えないのも問題だけど)、
まあせめて、あの難物を最大限お洒落に着こなして、爬虫類のイメージを変えてくだされ。







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