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”フラム缶”ジョーイP〜駆逐艦 ジョセフ・P・ケネディJr.

2017-02-13 | 軍艦

FRAMという言葉をご存知でしょうか。

普通に検索すると富士通のメモリ、「フラム」だとイギリスのサッカーチームとか
子供服のお店なんかがでてくるのでそう一般的に知られているわけでもないですが、
FRAM NAVYで検索すると、

 Fleet Rehabilitation and Modernization(艦隊リハビリ&近代化)

という英語の項目が出てきます。

ところで、皆さんは冷戦というものが米ソ両国にとって
「史上最も高くついた戦争」だったと聞いたことがあるでしょうか。

アメリカ側はシップトゥーシップの思想のもと空母を大量建造し
経済が傾くほどでしたし、ソ連はそれに対抗して原子力潜水艦の建造を
エスカレートさせていきました。

この見えない脅威に備えて、米海軍は「あるものを有効活用」して
少しでも安く備えようと、フラム計画が実行されることになったのです。

そして、この計画を推進したのは!
そう、我らが(って言っちゃう)アーレイ・バーク提督その人でした。

1957年、ソ連が300隻の高速最新型原潜を導入したのに対抗するには
とにかく新しい船を作るのが最優先ではあるけれど、
その空白は、第二次世界大戦中に作られた艦のリハビリと近代化でなんとかする

という「THE AGING FLEET」(加齢艦隊)計画という勧告書を
上院下院の予算委員会に提出したのもバーク提督です。 

そして、このフラム計画の筆頭に上がって改築を施されたのが、
この「ジョセフ・P・ケネディJr.」を含む「ギアリング」級の駆逐艦、
そして「アレン・サムナー」級駆逐艦でした。

初回のエントリにギアリング級駆逐艦の多くは海外に譲渡され長生きした、
と書きましたが、この理由は彼女らがフラム改装が施され若返ったからで、
元々は戦争投入のための大量生産品である彼女らの出来が良かったからでは
なかったということが、この事実によって判明しました

アメリカ海軍の俗語で駆逐艦のことを「The Tin Can」(錫の缶)と呼ぶそうですが、
フラム改修を施された駆逐艦は「THE FRAM CAN」と呼ばれたそうです。

それではフラム改修によって、ジョーイPはどのように変わったのでしょうか。

まず、以前もお話しした「DASH」、無人ヘリ型ドローンの装備です。
そのために後部甲板もかつての形状から大幅に変えられました。
この写真は現地にあったもので、ドローンのパイロットが

「もっと昔から”フラム”してくれてればなあ〜。
ロボットヘリコプター発進だ!」

などと言っております。
左上のロゴは、「缶」とかけて、

第二次大戦時代の”缶”からもっとジュースを搾り取れ!

つまりフラム改修によっていい結果を出すことを
こんな風に言っているわけです。
(翻訳すると全く面白くないのが困りもんですが)

 

ギアリング級は、他のフラム缶より大幅な改装を施され、それは
ほとんど昔の構造を取り払うくらい徹底的なものでした。

一言で言うと「抗堪性」がアップしたということになります。
抗堪性とは英語で言うと「サバイバビリティ」(こっちの方がわかりますね)

基地や施設が敵の攻撃を受けた場合に、被害を局限して生残り、
その機能を維持する性能をいう
●航空基地やレーダサイトなどの防空能力を高めるために対空機関砲、
携帯 SAM (地対空ミサイル) 、短 SAMの配備を進める
●指揮管制など主要施設を地下に埋設して保護する
●飛行場に対する攻撃に備え、戦闘機のシェルターや滑走路を復旧する資材を整備

というのが一般的な抗堪性の解釈ですが、これでいうとジョーイPは
エンジンも取り替え、CICは一層広く充実した最新式のタイプになり、
対潜のためにレーダーやソナーも最新鋭の機種が装備されました。

さて、それでは今日はそのレーダー・ソナー関係の写真を見ていきます。


レディオルーム。
ここには通信機械と暗号機械なども装備されています。

同じ形のアンプにはテプラで「MATE1」「 MATE2」と印付けされています。
郵便物などが乱雑に積まれているあたりがリアル。 

 

ロッカーのようなもの、金庫のようなもの、
全て説明がなく何かわからない上、ことごとく写真を失敗して
細部がわかりませんorz

 

艦内の電気系統のインジケーター。

アンテナのチューナーです。

改装に当たって、ジョーイPはキールに独特な形のドームがつけられました。
そこには敵潜を見つけるための「もっとも効果的な」ソナー類が収納されていました。

7の番号が打たれた部分がそのドーム。
今ではそれらの機器は全てバウソナーに変わっています。

「ソナーがあれば潜水艦は我々の手の中に入ってしまうよ!」

と文字通り潜水艦を手に乗せて?乗員が言っております。
アメリカでも「お釈迦様の手のひら」 みたいな言い方あったんですね。

 

1958年、ジョーイPがニューヨークでフラム改修された際に導入された
ソナー AN/SQSー23はロングレンジで、
捜索と攻撃用精密追尾の両機能を有するマルチモード・ソナーです。
 

同時にフラム改修を施された「アレン・サムナー」級も同じソナーを搭載しました。
我が海上自衛隊でも「あまつかぜ」「やまぐも」「たかつき」などが
一時搭載していたようですが、のちに66式探信儀OQS-3

に切り替えられ、アメリカでも5年後には、より大型でより低周波を使用できる
AN/SQS-26が開発され、新造艦への搭載はこちらに切り替えられています。

 ALOFT 、というのは海事用語でマストの頂上のことです。
この電源はマスト上に人がいる時には切っておくように、と
わざわざ大きなプレートで警告しています。

艦内各所のスピーカーのアンプのようです。

C-4621/SRというのは軍用機、軍艦などに搭載するラジオセットコントロールです。
無線機の動作モードを決定する単一のコンポーネントで、
現在でも型番を変えて使われているらしく、これを検索していたら
「注文ページ」にたどり着きました。

これ、普通の人でも注文できるんだろうか・・。



「NBCR」というのがジョーイPの固有信号。

奥に通信室がありますが、ドアが開いています。
他のジョーイPの写真で知ったのですが、もしこれが閉じていたら、
そこには雷のマークが描かれているのが見えたはずです。

1984年当時の艦内写真

 

ここでまた、ジョーイPの年表を上げておきましょう。

1951年 佐世保に入港し、朝鮮戦争に参戦
    写真は元山で砲撃するジョーイP

1961年 1月 ケネディが大統領就任したのでお祝い 
    4月  FRAM改修を施される

1962年 9月 アメリカズカップ観戦のためケネディ夫妻乗艦
    10月 キューバ危機でカリブ海に出動

1964年 10月 ドミニカ共和国に海兵隊とともに上陸する
        オペレーションスチールパイクに参加 

       1945年の沖縄上陸作戦以来の大々的な上陸作戦だった 

 

ちなみに1964年、ドミニカの内戦に、アメリカは直接関係ないのにもかかわらず、

「合衆国市民を保護し、ドミニカを共産主義から保護するために」

介入を決めたのはリンドン・ジョンソンで、スチールパイク作戦を指揮したのは
「ミスター・シーパワー」と呼ばれたジョン・マケインJr.でした。

 

続く。 




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1 Comments

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コンピュータ (Unknown)
2017-02-14 05:51:39
電信室の機器の写真の上から3枚目の大きな、インディケーターのほとんどないキャビネットは初期のコンピューターだと思います。そのものずばりではないですが、こんな格好をしていました。

http://ethw.org/First-Hand:Legacy_of_NTDS_-_Chapter_9_of_the_Story_of_the_Naval_Tactical_Data_System

キャビネットを開くと百枚近いプリント基板が入っています。当時はコアメモリの時代で実際にコア(小さな指輪状のリング)を動かして記憶させていたので、電源を落しても初期化しない限り、データは残っていました。

自衛隊も「たちかぜ」「あさかぜ」「しらね」「くらま」の建造時はこんな感じでしたが、部品がなくなり、1990年代に換装されました。

1960年代初めの機材で、ちょうど国鉄のみどりの窓口と同じ世代です。この人の背くらいの大きな機材で恐らくRAMのみ32KBくらい。初期のPC98くらいの能力です。

昔のチャンネルを回していた頃のテレビと同じで、調子が悪くなったら「叩いて直していた」時代です。今の子達はもう「叩かない」そうですね(笑)

OQS-3はSQS-23の技術を開示してもらって国産化したものです。今と違って、そういうことに大らかな時代(1960年代)でした。
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