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ある海軍軍人の(笑)回想録

2012-06-01 | 海軍

戦後、往時を回想して書かれた回想録は、それが出版されたものではなく、ましてや
ゴーストライターによって名文でリライトされたドラマティックなものでなくても、
それだからこそ真実に迫るものをあらわしています。

亡き戦友や、級友に鎮魂をこめて綴られた文章は、職業作家の筆からは決して産まれてこない
巧まざる思いが、読むものをして涙ぐませることもしばしばです。

しかし。

「この世の出来事について語るのに『絶対』はない」

というこの世の真理に照らすと、いや照らすまでもなく、同じ学校に学び、同じ戦争を体験し、
過酷な戦場と友を失うすさまじい体験をしていながら、何故か
それを語ると全てが笑いに包まれてしまう、といったタイプの人間が時おり現れるものです。

今日紹介する「ある海軍士官」は、まさにそのお手本のような軍人です。
眉根を曇らせながら、凄惨な、あるいは過酷な、そして時には感動的な体験の続く文集を読んでいるとき、
突然この方の文章に触れ「笑い虫」に襲われてしまったことを白状しましょう。

本人は決してふざけているつもりはないのですが、この方の思いだすことがそもそも
「なぜよりによってその話を・・・」
と言うようなことばかり。
シリアスなことも書いているのにまたそれが激しく他人事。
そして兵学校から終戦まで怒られっぱなし。


まずは兵学校時代の想い出は以下のようなもの。

映画撮影に来校した俳優の海軍大尉に新入生ゆえ区別がつかず、敬礼してしまった
サインを欲しがり活を入れられた

増食(ご飯の増加)が欲しいと思った

艦隊実習時駆逐艦の動揺の少ない煙突付近に座を占め、くすねた乾麺を相川と大いに食べた

・・・・・・なんだか、いやな予感がしてきませんか?

しかし、厳しく精神主義的な兵学校の教育ばかりを語られるより、こういう生徒もいた、
ということの方がずっと面白いですね。なんだかほっと安心すると言いますか。

ところで、他ではあまり聞いたことのない潜水学校での訓練についてこの中島生徒は語ってくれています。
なんと、冬季、潜水訓練をするのだそうです。
厳しい!厳しすぎる。
それも、潜水して水雷艇のスクリューを触ってくる、というものです。
この方は入校当初「赤帽」だったのですが、この訓練では

寒さで息続かず、スクリューに手届かず、今でも残念
ということで、すでに赤帽は克服していたようです。それにしても凄いですね。

そして、少尉候補生の時。

「森永キャラメルを甲板で食べていてげんこつを食らった」
「マニラで外人を艦内案内していたが、もてあまし途中で逃げる」
←おい
霞空の航空適性で「アシ!アシ!アシ!」で(機を横滑りさせた)適性に失格した


まあ、航空に行かなかったのは本人と海軍のためにもよかったのでは、と思わずにはいられません。
何となくですが。


しかしここからがよくわからないのですが、この方は駆逐艦に乗ったり、水雷艇に乗組んだり
通信士になったり、あるいは陸戦隊の隊長になったり潜水艦に乗ったり、と
けっこう一貫性の無い配置を任されているのです。
なぜか「軍法会議判士」(裁判員ですね)などもさせられ、七回出廷しています。


そうかと思ったら「落下傘部隊に推薦してやるといわれ、平身低頭して謝絶する」
などという経歴もあり、しかも、一度ならず
「臨時考課表が真っ赤にされ、一度などは海軍を辞めさせるときつーいお叱りを」
うけたりしているのです。
このときの理由は上官にたてついたことらしいです。
いやー、なんだか、よくわからないことだらけですが、こういう人も・・・いたんでしょうね。

そして、そういうダイナミックな海軍人生の途上

(潜水学校学生時)
深夜校内で放歌高吟した件で校長より陛下の赤子の安眠を妨害したとお叱りを受け
たり、

海賊から押収した温州ミカン数百樽を黄色くなるまで食べ
たり

「なんら関係ない」ミッドウエイ作戦(関係ないか?)を3000哩離れた孤島で知り、
そのころ同期生に会ったところ、ヤシ油のせいか
「貴様は土人臭い」といわれてそちらの方に「ショック」を受け
たりしながらも、決して軍人として戦意が無いわけではなかったようです。
それどころか昭和二〇年、同期のどんがめ乗りを呉で見送った後、
自分も第一線(つまり激戦地)に勤務することを司令に上申しているのです。

同じ体験をして、同じ国を思う真剣な気持ちと責任感を持っていても、決して深刻な物言いをしない、
いわば極めて軍人らしくない飄々とした人だったようです。

病気で戦線を退かされそうになったときも
「軍医長に頼み込み、あるいは脅かし、体格丙」にさせても現役にとどまろうとしているのです。

そのやり方はともかく、裏腹に垣間見えるこの戦わんかなの意気。




ある日、敵大船団北上中の報があり、それを深夜飲み屋で聞いた中島氏、
いや中島艦長。早駆け帰艦でことに当たります。
(ご紹介が遅れましたが、この方は中島さんとおっしゃいます)

北上していた大船団と見えたのはなんと夜光虫の大軍団だったそうです。
「艦長は傍から見ているほど楽ではない」
となぜか、そんな感想を持ちます。
夜光虫だったからラッキーなわけで、本当に敵船団だったら楽とか楽ではないとか、
それどころではなかったようにも思いますが。


そんな中島少佐にもひとしく昭和二〇年八月一五日はやってきます。
この一見呑気な海軍少佐の迎えた終戦とは・・・・?

 

以下続きます。乞うご期待。

 


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