ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海上自衛隊東京音楽隊 第54回定期演奏会 後半

2015-02-17 | 自衛隊



8、團伊玖磨(福田滋 編曲):「キスカ・マーチ」

2月15日、東京オペラシティで行われた東京音楽隊定演の鑑賞記二日目です。

昨日のエントリをアップしてから教えていただいたことが幾つかあるので

まずそのことをご報告しておくと、わたしが開演前にお会いした呉音楽隊長は、
「元呉音楽隊長」であったことが判明しました。
なんと、移動があって現在は東京音楽隊の教育課におられるとのこと。
ついこの間まで呉にいたのに今は東京在住ですか・・・。
転勤が普通の自衛隊といえ、音楽隊でも移動があるとは知りませんでした。

それから、N響並みに定期公演が多い!と驚いたのですが、わたしが
前回聞かせていただいたのは「定例公演」であったことがわかりました。
東京音楽隊にとって定演は

防衛大臣直轄部隊としての訓練検閲の受閲

という位置付けであり(さすがは軍楽隊!)、やはり年一回のものなのだそうです。

それでは誰の観閲(おっと検閲ですね)を受けるのかというと海幕長なのですが、

今回は、先日起こった鹿屋の練習機事故によって殉職した隊員たちの喪に服するという意味で
海幕長が欠席したため、海幕総務副部長による検閲(という名目の鑑賞)を受けたということです。

さて。 


前回のあらすじ

わたしがコンサートにお誘いしてこの日隣に座っていた元海軍兵学校生徒のS氏は、
徹底したアンチミリ(タリー)で、この日もミリっぽい曲に拍手しなかったが、
三宅三曹の歌った「ソルヴェイグの歌」には拍手していた。


というわけで、後半に演奏された映画「キスカ 太平洋奇跡の作戦」の主題曲
「キスカ・マーチ」のとき、わたしは身を固くしていたのですが(笑)、
個人的に團伊玖磨のこの曲は好きですし、何と言ってもこの映画については

アメリカ軍の戦った敵

という題で漫画まで描いたくらい入れ込んで解説した映画。
(いまだに人気ページだし) 
Sさんの反応を気にしなければもっと楽しめたのにと残念です。
決してSさんのせいではないんですが。

ところでこの日、会場でジャーナリストの笹幸恵さんにお会いしました。
本日のプログラムは彼女的に大変好みだったらしい、とお連れの方がおっしゃっていたのですが、
特にこの「キスカマーチ」がポイントだったんじゃないかな(笑)となんとなく思った次第です。


4、デンマークとロシアの歌による奇想曲 サン=サーンス

 
 

全プログラム中わたしが一番意欲的だと思ったのがこの曲でした。
音楽関係者でもなければほとんどの方が聴いたことがないというくらい
マイナーな小品ですが、となりのSさんが
一番感銘を受けたらしいのが実はこれでした。
Sさんはピアニストが好きなので()、ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、
という変則的なピアノ4重奏で、ピアノの比率が非常に高いことがポイントだったのでしょう。



サン=サーンスは民族派ではありませんが、曲の題材にデンマークとロシア
(ロシアに嫁いできたデンマークの王女に献呈されたため)の旋律が使われたため、
プログラムに使用したようです。

わたしはもともとサン=サーンスのオーボエソナタやホルンソナタなど、
管楽器の小品が好きで、特にオーボエソナタはiPodにも入れているくらいですが、
この曲は旋律に「サン=サーンス節」が色濃く出ているとあらためて感じました。

一般のオーケストラでも時々団員が協奏曲でソロを取らせてもらえますが、
今回のこの選曲もおそらく優秀な隊員にソロで演奏させるという目的があったと思われます。

4人のソリストの演奏は、サン=サーンスの管楽器曲特有の「フランス的軽さ」
というか、洒脱さとまではいきませんでしたが、典雅にまとめられ好演でした。

終わってからアナウンスで名前を紹介されたのですが、

プログラムには記名がなかったのが、少し気の毒な気がしました。
これは三宅三曹の場合もそうで、どんなに目立っていても個人名を書かないのが
自衛隊音楽隊の基本姿勢のようです。


5、ルスランとリュドミラ 序曲 グリンカ




もともと管弦楽曲なので、吹奏楽のバージョンを貼ろうと思ったのですが、
中学生の演奏しかなかったので、最もこの日の演奏に似たテンポで
演奏されユーフォニアムとチューバの合奏バージョンを持ってきました。

始まった時おもわず「速っ」と心の中でつぶやいたくらい速かったです(笑)
それを全員管楽器の楽団がやるのですから、司会の三宅さんが

「超絶技巧による演奏をお聞きください」

とわざわざ言ったのもよくわかります。
各自のテクニックの確かさが発揮され、この日のプログラムの中でも特に印象的でした。

6、「わが祖国」より「モルダウ」 スメタナ




民族音楽といえばスメタナ、スメタナといえば民族音楽。
ことにこの「わが祖国」はどんぴしゃりのテーマでそのものです。
本日のメインプログラムはこれではなかったか?と思うほどの気合の入りようでした。

勿論ブラスバンドで聴くのは初めてですが、このブラスバージョンは
決して珍しいものではないらしく、幾つものバージョンがYouTubeでも見つかりました。


そして後半。

7、行進曲「興亜」橋本国彦


帝国海軍軍楽隊の演奏による

橋本国彦というのは、わたしが以前「太平洋の翼」という映画の時に取り上げた
「大東亜戦争海軍の歌」の作曲者です。

「見よ檣頭(しょうとう)に思い出の 
Z旗高く翻(ひるがえ)る 
時こそ来たれ令一下 
ああ十二月八日朝 
星条旗まず破れたり 
巨艦裂けたり沈みたり」

というあれですね。
で、この「興亜」となんとなく似てるんだ。旋律の癖が。
というか同じ人なので当然なのですがね。

このときご一緒だったSさんは、前にもお話ししましたが、兵学校で同期だった
「憧れのハワイ航路」「艦隊勤務」の作曲者、江口夜詩の息子と親友だったというので、
わたしはここにも書いた

「憧れのハワイ航路の前奏に、朝だ夜明けだと続けても全く違和感がない」

という説をこの日恐る恐る言ってみたところ、笑われました。
ちなみにこの手の曲は最も「軍歌嫌い」のSさんの琴線にネガティブな意味で触れるものらしく
終わった後には拍手どころかピクッとも反応をなさいませんでした(^◇^;)


9、南鳥島の光 坂井格

自衛隊委嘱作品。
この題名から、戦前の「興亜」みたいな曲かと怯えたのですが
(いや、わたしは好きなんですよ。わたし自身はね)そうではなく、本日初演でした。

レアアースで注目されている南鳥島に防衛のために駐留してこの時にも任務に就いている、
自衛隊員への応援の意味を込めて書いた曲だそうです。
会場には作曲者が来ていて、終わった後紹介されていました。

10、吹奏楽のための舟歌 伊藤泰英



こちらは少し昔の委嘱作品で、「金比羅船ふね」のメロディがいきなり冒頭に取り入れられています。
この曲を依頼したのは呉音楽隊。

もう少し先にアップ予定のエントリに、掃海隊の慰霊式の話があるのですが、
呉地方総監が執行者となってその慰霊式を行うのが、慰霊碑のある金刀比羅宮なのです。

この曲は聴きなれたメロディもあって受け入れられやすいらしく、
Sさんも「あれは面白かったですねえ」と感心していました。
以前横須賀地方隊の演奏で聴いて感心した「ぐるりよざ」と同じ作曲家だそうです。
道理で。

11、この道 山田耕筰

北原白秋の詩は、札幌での想い出が述べられています。
これを三宅三曹が独唱しました。
あえて苦言を呈させて貰えば、三宅さんの声は低音に響きがなく”鳴らない”のが難点。
そのせいで歌詞がほとんど客席まで聞こえてこなかったのが、残念といえば残念です。
(厳しくてごめんね(_ _;))



 12、火の伝説 櫛田てつ之扶(てつのすけ、てつは月編に失う)

 

 
委嘱作品ではなく、「民族音楽的観点」から選ばれた曲のようです。
京都を舞台に行われる、「八坂神社の大晦日の火縄」「大文字の火」「時代祭の篝火」
・・・つまり、火の祭事、神事を描写しながら人々の営みと関わる「火」を
主題に歌った叙事詩のような作品です。

音楽的構成からも決して安易なものではなく、演奏者の意欲が感じられる選曲でした。


アンコール 早春賦

アンコールでは三宅三曹が最後にもう一度歌ってくれました。
昨日の冒頭にも書いた通り、この日は大変厳しい寒さでしたが、
この曲で一足先に春を感じてもらおうという計らいです。

三宅さんは歌い終わった後、客席と、楽団に向かっても挨拶していましたが、
そのときの音楽隊員、特に女性隊員の表情を見ていると
(わたしはこんな瞬間に”何かがあるなら”特に女性の顔に表れるものがあると思っているので)
やっぱり彼女は皆に好かれているんだなと今回も確信した次第です。

そして、一番最後に

行進曲「軍艦」 瀬戸口藤吉


わたしはこの曲で手拍子をする風潮が嫌いです(笑)

この曲が海軍軍楽隊で生まれて以来、どういうときに演奏されてきたかということを考えると、
手拍子で調子を取るような曲ではないし、少なくともわたしはそうするべきではないと思っています。
海上自衛隊の演奏会が必ずこの曲で終わるということを、ロビーに揚げられた自衛艦旗と共に
たいへん重く考えているという、ごくごく個人的なこだわりに過ぎないのですが。


「早春賦」のあと、最後に指揮台に立った手塚2佐は少々不審に感じられるほど
長い時間瞑目してから、初めてタクトを振り下ろして「軍艦」の演奏を始めました。
おそらくですがこの長い時間にも同じような理由があるとわたしは感じました。




ところで同行したSさんは、この日演奏された「キスカ・マーチ」が主題歌の映画、
「キスカ 太平洋奇跡の作戦」を観ていないだけでなく、
「キスカ作戦」そのものをまったく知りませんでした。

そこでわたしは講談師よろしく、アッツ島の玉砕に始まり微に入り細に入り、
キスカ作戦についてもと海軍軍人に説明する羽目になったのです(笑)
一通り喋り終わった後、Sさんは

「本当によく知ってるねえ」

と言いましたが、その後またこう付け加えました。

「僕は本当にそういうのを見るのも聞くのも避けていてね。
兵学校の集まりでも皆が軍歌を歌いだしたら逃げたりしていた」


それに対し、わたしはためらいつつこう言いました。

「わたしもSさんのように戦争を体験していたら、おそらく
同じように戦争を語ることも関わるものを見聞きするのも避けていたかもしれません。
語りたくないという方がいても、それはもっともなことだと思います。
事実、そんな方が戦後たくさんいて、家族にも何も語らないまま死んでいきました。

でもわたしはその時を知らないからこそ、尚更知らねばならないと思うんです」


行進曲「軍艦」が始まると同時に、会場では一斉に手拍子が始まりました。
しかし、少なくとも周りでは唯一わたしと隣の席のSさんだけが、
全く違う理由ではありましたが、手を上げずにただその調べをただ聴いていたのです。



終わり




移動中のTOから送られてきたこの日の富士山。
怖いくらい澄み切った空を切り取るような富士の稜線が美しい。



 





 



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9 Comments

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初めまして (筆不精三等兵)
2015-02-18 01:24:22
昨年5月ごろ、「飛虎将軍」を検索ワードにネットサーフィンをしていて、こちらのブログにヒットして以来、愛読させていただいております。軍事、特に帝国軍を題材にしたものは往々にして堅すぎたり、重々し過ぎるきらいがあるものですが、ファッションや旅行などのネタを織り混ぜた軽妙なお話のなかに、時折、ハッとするご意見や芯の通ったお考えがお見受けできる、こちらのブログは大変面白く、朝一番でチェックさせていただいております。まだまだ寒い日も続いておりますので、どうぞ体調管理にご留意ください。

さて、今回のエントリにて「軍艦」演奏時の拍手について言及されておりましたが、同様の思いをした経験がございます。
以前、諸用で上京した際に時間に余裕が出来たため、ちょうど近くにいたこともあり、靖国神社に参拝いたしました。私自身には英霊となられた近しい方はおられませんが、これも何かの縁と思い、正式参拝させていただきました。しかし、参拝が終わり帰ろうとした時、鳥居の前に何かの一団が屯しているのに気が付きました。何事かと思って見ていると、その団体の先頭にいる男が拡声器を片手に、「見事に散った英霊に、云々」だのとやたら右にネジ切れた演説をしておりました。それこそ英霊のおわす桜の下で下品な怒声を挙げていることにやや不快になりましたが、男の「敬礼!」の掛け声のもと、ジーンズやパーカー足元はサンダル履き、スニーカーのような団体が、反り返らんばかりに胸を張り、角度や手の向きが滅茶苦茶な敬礼をしたのには、思わず唾棄したくなりました。

参拝の前に若い親子連れや年配のご夫婦が、鳥居の前を通りすぎる際、立ち止まって本殿に一礼して行かれるのを見受けたあとでは、尚更醜悪に写りした。

ああいった典礼というのは、それ相応の組織に属している者がやって初めて形をなす物だとつくづく思いました。

エリス中尉には到底及ばぬ拙文にて、伝えられるかどうかわかりませんが、この時私が感じたものを、エリス中尉が「軍艦」の拍手に感じておられるかもしれないと思ったら、堪らずコメントしてしまいました。お目汚し失礼しました。
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避けたい話 (ハーロック三世)
2015-02-18 03:15:35
S氏が避けたい気持ちがわかる気がします。

亡き父は以前申し上げたとおり、陸軍少年飛行兵で黒磯にあった所沢航空隊所属の特攻隊員でした。

そこでは多くの先輩、そして通信に回って、一足早く部隊配属された同期が散華されています。

在りし日の父は、母にさえ本当のことを言わず、「乗る飛行機もろくになくて訓練なんかしていない。塹壕堀ばかりだった」と言っていました。

それも「自分だけが生き残ってしまった負い目」がずっと影を落としていたからでしょう。

家族にさえ語ることのできなかった父の思いを今更ながら重く受け止めています。
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向き不向きがあります (雷蔵)
2015-02-18 05:52:57
エリス中尉、海軍兵学校生徒に喝!ですね。おじいさんもお父さんも海軍の偉い人という流れで兵学校に入られたのだと思いますが、海兵に受かるくらいの頭はあっても、特殊な環境でもあり、向いていなかったのかもしれませんね。

みんなが軍歌を歌い出して、逃げ出すようなら、向いてないです。卒業して部隊に行ったら、多少不本意でも、言われたことはやらねばならない立場の人が、自ら逃げ出すようでは勤まりません。今なら、そういう人は辞めるように勧めるのですが、当時はそんなことは出来なかったでしょう。かわいそうだなと思いました。
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筆不精二等兵さま (エリス中尉)
2015-02-18 08:40:46
初めまして。コメントありがとうございます。
筆不精二等兵さんがこのブログに来られるきっかけになった飛虎将軍廟のエントリが
つい最近「保守速報」というまとめサイトに載ったようで、
またもや一時的に閲覧数がダダ上がりしている今日この頃です。


さて、筆不精二等兵さんが靖国神社で感じられた不快と、わたしの「手拍子嫌い」は
その不快度においてかなり意味が異なるものです。(方向はおそらく一緒かもしれませんが)

当日集まってきた人々は、海上自衛隊音楽隊のファンであり、
(三宅さんはじめここの隊員のファンという人も少なくないと思います)
楽器を持った青少年がいたように吹奏楽演奏に興味がある人々だったり、
つまり演奏するのが自衛隊であるかどうかは意に介していない人もいる可能性があるということです。

その点靖国神社で騒ぐ人種とは全く母体が異なりますし、「軍艦」への手拍子も、
自衛隊への好感というか演奏者へのねぎらいや感謝の意味こそあれ、
深い意図があって行われることではない(皆がするからわたしも、という程度)と思っています。
つまり、手拍子を取る人たちを見るとき、わたしの中には「好悪」はありません。

今ここまで書いて気がついたのですが、「軍歌の時には逃げていた」S氏が
同期会で軍歌を歌う元同級生を見る目と、このときのわたしが拍手をする人々を見る目は、

「それをする人々が不快なのではなく、ただ自分がそれをすることを自分の気持ちが許さない」

という意味で一致していたということになります。
ところで兵学校の同期会が行われた時、懇親会の一番最後に隣の人と肩を組まされて、
「同期の桜」を歌ったということがありました。
S氏は息子さんの隣にいたので、「息子と肩を組み同期の桜を歌う」
(S氏は息子さんと戦争や海軍に関わる話を一切したことがないらしい)
という、おそらく彼にとっては拷問のようなひとときになったと思われますが、
そのとき彼が「逃げた」かどうか、いつか機会があったら聞いてみたいと思います。
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ハーロック三世さま、雷蔵さま (エリス中尉)
2015-02-18 09:25:25
戦争を知らない世代の者は、それについて知る権利と知る義務があると思いますが、
当事者に話す義務を負わせることは、特に話したくない人にそれを課すのは残酷なことです。
ですからそれを義務と心得て世間に向かって語ってくれる方がおられる限り、
彼らの貴重な話は、後世に残すためにも聞いておくべきなのだと思います。

雷蔵さん、「向いていない」かどうか断ずるのは
その間S氏に「戦後」があったということを
考慮しなければいけないのではないでしょうか。
あのまま戦争が終わらなければ、Sさんはおそらく恩賜の短剣をもらって指揮官となり、
海軍軍人として死んだはずです。

そのときSさんがどんな軍人になっていたのかは誰にもわかりません。

戦後、中将だった父上は「海軍」亡き後まるで抜け殻のようになってそのまま世を去り、
Sさんにはただ敗戦によって齎された惨めさと、兄(航空隊長)の死という現実だけがありました。
さらに終戦後の混乱期に元軍人であることが原因で大変な辛酸をなめたとあっては、
戦争に関わるものに顔を背けてきたとしても全く当然の行動であろうかと思われます。

Sさんが「逃げていた」のは決して「責任から逃げた」のではなく、それをするのは
人生を戦争に蹂躙されたことに対する意趣返しであり、一種の美意識からくるものだと思っています。
返信する
戦後のことと軍歌 (昭南島太郎)
2015-02-18 10:04:41
エリス中尉

以前にもコメントさせて頂いてましたら繰返しで申し訳ありません。
私の父母両系祖父は二人とも陸軍軍人でしたが、対照的でした。
私を育ててくれた父系祖父は自分の所属した部隊のこと、戦闘中のことをまるで昨日の事のように熱く語る人でした。
母系祖父はシベリヤ抑留からの帰還者で母含め家族も戦死したと諦めていた時にふと帰って来たそうですが、それから死ぬまで一切戦争や軍隊の事は語らなかったそうです。
私は個人的に、現代の尺度で過去を測るのが嫌いですし、人さまの事をどうこう言えるほど人格者でもないので何とも言えませんが、他人が入り込めない領域が各個人にはあると思います。すみません、生意気でしたら。

全く話題が変わりますが。。。
音楽家のエリス中尉からすれば、なんでもない話で恐縮ですが、私全く音楽ダメ人間です。今では少なくなりましたがお仕事の付き合いでカラオケを歌わされるのが一番の苦痛でした。元来天邪鬼なので、流行は追いません。それでも若い時、接待で歌わされる時に選ぶ曲は必ず「ラバウル小唄」「月月火水木金金」「海行かば」で、周りを引かせてました。。。(汗)

明日は春節初日、今日は大晦日の雰囲気いっぱいの昭南島です。

昭南島太郎
返信する
未来の日本を紡ぐもの (復活21世紀中年)
2015-02-18 12:49:36
小生こと、いい年して育MEN中にて。
久々に投稿させて頂きます。

三宅由佳莉三等海曹の・・・「この道」、そうですか低音が"鳴りません”でしたか・・・^^;
ホールとの相性かも(*^_^*)、とついリカバーしたくなります。
3月4日にリリースされる2ndアルバムには入ってますから楽しみだな。・・・「let.it.go」がじゃまだな・・って小生だけ?(笑

定演のアップありがとうございました、地方にいるとなかなかいけませんので。(子育て中ですし)

確かに「軍艦」に手拍子はどうも・・・と小生も思っております。
鳥居をくぐる際のお辞儀、手拍子、も所作としては、心情発露がある時もあれば、単なる型のときもあるのでしょう。
軍歌への同調は、国家による強制的な個人や財産の死を連想させるものかもしれませんが、一体感なくして戦争などできませんからその時の為政者にとってはやむなきものでしょう。音楽としてその完成度の高さから小生は個人的に・・・好きです!
あの戦争が、視野範囲にある歴史からもう少し時間距離が開くまで物議事なのかもしれませんね。
とはいえ、小生もこれらの楽曲を聴くときは(歌っちゃったりもします^^;)つい居住まいを改め、姿勢を正し、決してそっくり返ったりせず、散華せれた方々に想いを馳せます。
今の時代に、これから生まれてくる子らがそれを歴史年表の一つとして捉える頃までかもしれません。
未来のために我々はせめてより事実に沿った歴史認識に近づきたいものだとおもいます。
・・・歴史のみえる丘公園・・の上から4号ドックを眺めつつ。
返信する
エリス中尉殿 (筆無精三等兵)
2015-02-19 09:50:32
返信有難うございます。
浅慮にてエリス中尉のお気持ちを斟酌致しましたこと、お詫び申し上げます。

確かに自衛隊"音楽隊"の演奏を聴きにいらしているのだから、興味の第一は音楽にある方ばかりであることを、失念致しておりました。
私も中学生時代にブラスバンド部に所属しておりました当時、あるイベントで陸上自衛隊音楽隊の演奏を聴く機会があり、その技術と音色に驚嘆した覚えがあります。
確かに演奏会に足を運ばれるほど音楽に興味のがある方たちなら、「最期の演目で軽快なマーチ」を耳にすれば、屈託のない労いと賞賛の手拍子が自然と発生するのも頷けます。

実は私の多くない友人知人にも、現役、予備役の自衛官がおり、かれらの精勤を目の当たりにしている身としては、左右を問わず、過度の反応を示す輩の存在に忸怩たる思いを抱いておりましたが、それが過ぎて私自身、知らないうちに色眼鏡をかけていたようです。

機会があれば、また音楽隊の演奏を聴きたいものです。
返信する
皆様 (エリス中尉)
2015-02-19 16:58:44
昭南島太郎さま

S氏は少なくとも今は「語りたくない」人ではないですね。
最初からそういう話を聞いて欲しくてわたしに声をかけたのだと思います。
家族とは話せない、ましてや兵学校の同期生とはいまさらそんな話はしない。
人生が秒読みにはいったことをおそらく感じておられるであろう今、全く第三者に、
海軍軍人だった頃の話をあらためてしておきたくなったのではないかと思っています。

しかしカラオケでいい若い者が軍歌ですか!
宅のTOさんは、カラオケ大好き中年です。
軍歌はカラオケでは聴くだけだそうですが、一曲だけ持ち歌として「同期の桜」の替え歌、
「動機の錯誤」(←わかる人にはわかる)があるそうです。

21世紀中年さま
おお、イクメンパパさん、お久しぶりです。
お嬢さんは確か年末にお誕生日だったのでは?
今一番かわいい(幾つになってもかわいいですが、特に)時期でデレデレじゃないでしょうか。

「この道」、三宅さんはマイク無しで歌ったんですよ。
オペラシティは木の材質をメインにした音響なので、響きを重視したんじゃないかと思います。
彼女はいわゆるクラシックの声楽家とは発声も違うので、マイク使ってもいいのにと思いました。

前にも言いましたが、声楽家の声が完成するのは30過ぎと言われています。
まだ三宅さんはお若いのでこれから変わっていく可能性もありますし、
「今の段階では」という限定付きでの評価に過ぎません。
歌手としても自衛隊がうまく育てて能力を最大限に引き出してあげて欲しいです。
きっと歌手としても伸びしろがある人だと思います。

「軍艦」のお話、わたしも同感です。
しかしその頃には戦争を知る人たちはこの世からいなくなっているでしょうね。
逆説のようですが、彼らがいるうちは、きっと「まだだめ」なことがあるのに違いありません。
それこそS氏のような人が生きているうちは。

筆不精三等兵さま

いえいえ、お詫びなど全く無用でございます。
所詮個人の「こだわり」にすぎませんから。
世の中には「軍艦」を聞くとパチンコ屋しか思い出さない方もおられるくらいですし、
それこそ戦争に対しても軍艦に対しても個々の思いがあってしかるべきなので。
「人は人我は我されど仲良し」ということで(笑)


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