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キスカ撤退作戦 アメリカ軍が戦った敵

2012-03-11 | 海軍





キスカ撤退作戦、三日目です。

日本軍が犬二匹を残してキスカ島から完全撤退をしたのは7月29日のことです。
艦隊の間で衝突が起こり、また島を敵艦と誤認して攻撃してしまうような
濃霧であったこの日、
不思議なことに艦隊がキスカ湾に到着したとたん、霧が晴れました。
強い風が一時的に霧を吹き飛ばしたのです。
これが神風と言うべき恵みの風だったのですが、恵まれたのはこれだけではありません。
何しろ徹頭徹尾この作戦には出来すぎるくらいの幸運に恵まれました。

今日はこの作戦にまつわる「不思議な現象」を中心にお話しします。


日本側が辛抱強く待つ間も、アメリカは着々とキスカ上陸の準備を進めていました。
Xデーは8月15日。
アメリカ軍はさらなるキスカ島砲撃に加え、海上閉鎖を実行しつつありました。

7月22日。
アメリカ軍の飛行艇がアッツ島南西200海里地点で七隻の艦をレーダー捕捉します。
それは第一次と第二次の撤収作戦の合間で、
そこに日本軍は影も形も存在していなかったにもかかわらず。

7月26日。
「ミシシッピー」始め各艦隊が一斉にレーダーにエコーを捕捉します。
ただちに米軍はレーダー射撃を行い、戦闘開始から40分後に反応は消えました。
しかしこれも日本軍ではありませんでした。

日本の水上部隊はそのころまだ幌延を出発して一日目です。
濃霧のため艦同志で玉突き衝突を起こし、「若葉」が帰投していた頃。
アメリカはこの幻の敵に対し戦闘を行い、盛大に無駄弾を浪費することになりました。

こんにち、これをアメリカ艦隊が一斉にレーダー誤認したということになっていますが、なぜか、
「サンフランシスコ」のレーダーにだけは、一切反応がなかったということです。

映画では、この砲撃音をキスカ島の日本軍も聞き、
「助けに来た艦隊が敵に捕捉されて戦闘になっているに違いない」
と絶望するシーンとなっていました。

これも映画で描かれていましたが、その後のレーダー解析で、日本側は、
平文でやり取りされた米軍の緊急時通信を、全てを傍受していました。
そして、「米軍はどうやら同志討ちをやっているらしい」と思っていたそうです。

しかし、米軍は同志討ちをしていたのではありませんでした。
レーダーにだけ捕捉された幻の艦隊と戦っていたのです。

そして、反応が消えたのを、日本の艦隊を全て海に沈めたためと思いこんだアメリカ軍は、
ここでとんでもない油断をします。
つまり、一日二日艦隊が留守でも大丈夫だろうと、このときバラまいた弾薬を再び補給するため、
7月28日艦隊を―哨戒用の駆逐艦も含め全て後方に送ってしまったのです。

7月28日
この日をよもやお忘れではありますまい。
濃霧をついて日本の水上部隊がキスカに突入した、まさにその日です。

7月30日。
アメリカ軍は全ての艦船の補給を終え、元通りに配置します。
しかしご存じのように、もうこの頃、キスカには、
日本軍と名のつく生き物は犬を除いて全くいなくなっていました。

撤収作戦完了後、大急ぎでキスカを離脱した艦隊は、実は一隻の米潜水艦と遭遇しています。
しかし、濃霧のせいで米艦船と間違えられたらしく、何事もなくすれ違ったのでした。

この不思議な符合を歴史はただ「誤認であった」「偶然があった」と書き残すことしかしません。
いや、できないでしょう。
しかし。
あまりにもこの話は出来過ぎを通りこして、気味が悪くありませんか?

幻の艦隊がまず「アッツ島」の近辺から現れる。
警戒している米軍は、レーダーに捕捉された艦隊を本物だと思いこむ。
そしてその幽霊艦隊相手に砲弾を浪費する。
砲弾の補給のために米艦隊がそろいもそろって前線からわずか2日消える。
そのうち一日が撤収作戦当日であった。


わたしたちが一様にここから想起することを、キスカの生存者はより強く感じていました。
つまり、米艦隊がレーダーに捕捉したのは、アッツ島で玉砕した日本軍の英霊だったのだと

そう、人によっては「あほらしい」と一蹴するオカルティックな想像です。
しかし、この作戦がもし冥界の日本軍によって実行されたものなら、
作戦立案者はまさに名参謀と称揚されるにふさわしいのではないでしょうか。



そしてその後、よもやまさか犬を残して日本兵が一人残らずいなくなっているとは思わず、
米軍は8月に入っても雨あられのようにキスカに砲撃を降らせ続けました。

航空部隊もそんな事態を全く想像していないので、キツネが移動しているのを
「小兵力の移動を認む」
空爆のため煙幕が起きたのを
「対空砲火認む」
そして何を見間違えたのか
「通信所が移転した様子を認む」
と、次々に誤った報告をあげたので、2週間の間、無人であることは全く悟られませんでした。
(この誤報告も何か不思議なんですが・・。通信所の移転?キツネってなぜわかったの?)

そしてXデー8月15日。
艦艇100隻余、兵力3万4千名の兵力をもってアメリカはキスカに上陸します。
もはやもぬけのからであることを知る由もない彼等は、極限の緊張下で味方を日本軍と誤認し、
あちらこちらで同志討ちになってしまいます。

このときの死者数100余名、負傷者54名。

ここでまた、不思議というしかないのですが、いくらなんでもこの死者数は多すぎないでしょうか。
海上と同じく、アメリカ軍は、この島でも、何を見て、誰と戦っていたのでしょうか。


アメリカ軍人にとって、きっと「キスカ」は汚点とでもいうべき名であろうと同情するのですが、
案の定戦史家には
「史上最大のもっとも実戦的な上陸演習であった」(サミュエル・E・モリソン)
なんて言われてしまっています。

そこで冒頭マンガですが、映画では残念ながら軍医長がとてもそんなことをしそうにない、
清廉潔白そうなキャラクターの平田昭彦だったせいか、このエピソードはでてきません。
しかし、ほぼ実話です。
英語ではペストはplagueと言います。

軍医が悪戯で「ペスト患者収容所」と書いた看板を兵舎前に立てておいたのでした。
おそらく歴史DNA的に、ペストを異様に怖れるアメリカ人はパニックに陥りました。
本土に大慌てでペスト用のワクチンを注文したそうですが、
・・・・・これがジョークだとわかったとき、みんなどんな顔をしたのでしょうか。



「ちょっとずつ食べるんだぞ」(いや、もう早速食べちゃってるし)
「弾が落ちてきたら逃げるんだぞ」(つないであったら逃げられないし)と、

ついつい突っ込んでしまうセリフを、撤退前の兵隊が犬にかけるシーン。
映画では「太郎」「花子」という二匹の犬になっています。
実際の犬の内訳は海軍所属が「勝号」「白号」陸軍の「正勇号」

日本軍がキスカに上陸したとき、10名ほどの米軍気象観測班と子犬がいて、
その犬の名前が「エクスプロージョン」(爆発)であったこともわかっています。
撤収後のキスカでアメリカ軍が見つけたのが数匹の犬、という記述があるのですが、
これが爆発くんをいれた四匹だったといわれています。

キスカ守備隊は何回にもわたって撤収のために浜辺に集合したのですが、
実はその何回かにわたって、犬たちはなんと繋がれていた縄を食いちぎり、
必死で皆の後を追いすがってきたのだそうです。
浜辺の集合が繰り返されるたびに犬たちが追いかけてくるので、縄はだんだん太くせざるをえませんでした。

白号は繋がれていなかったらしく、最後の大発に乗りこんで浜辺を見たら、そこには白い点が
行ったり来たりしているのが見えた、という生存者の証言があります。(キスカ戦記)

犬たちは15日間の砲撃にも怪我ひとつせず、そして餌をちゃんと節約しながら食べたらしく、
米軍が島に乗りこんできたときにはちゃんと元気でした。

米軍に捕獲された犬たちはその後アメリカ大陸に渡ったということです。



ところで、原点に立ち返るようですが、なぜ日本軍がアリューシャンの孤島を占領する必要があったのか。
それは簡単に言うと、陽動作戦でした。
海軍がミッドウェイを敵機動部隊撃滅の決戦の場と定めており、
そのためにミッドウェイ方面ではなくこの地域に目をそらせることが目的だったのです。

アメリカ側も、軍事的に意味のないこの地域を警戒することがなかったので、
日本軍が駐留しているのに気がついたのは6月10日頃のこと。
キスカ湾に着水しようとした水上飛行艇が日本軍を見て慌てて逃げるということがあったそうです。
目そらしのおとりが目的ですから、連合艦隊司令部は駐留を9月までと定めていたようです。

これもそのうち駐留部隊に越冬させ哨戒地方を北方に移動する、などと言いだす一派が出るわ、
さらに陸軍や軍令部も口を出してくるわで、帝国陸海軍お約束の
「内部で意見がまとまらず右往左往状態」に陥っていたようですが、
米軍が駐留に気付き、徹底的にここを叩きだしたことで、
話は白紙にせざるを得なくなったということになります。



しかしなんというか、こんなことで命を粗末にされる将兵にしたら、たまったものではありません。
結果良ければ、で、このときの作戦は皆に称揚され、痛快な脱出劇として映画にもなりました。
映画では「我々に手を差し伸べてくれた日本と軍に感謝しようではないか」などと言っていますが、
よく考えたら、いやよく考えずとも、撤収作戦は軍がするのが当然の義務よね。





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