ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ウェストポイントの体力錬成〜ウェストポイント軍事博物館

2020-05-17 | 博物館・資料館・テーマパーク

ウェストポイント軍事博物館の展示より、今日もウェストポイントの歴史に関わるものをご紹介していきます。

現在も残る校舎、「セントラルバラック」前に整列するカデットたち。
1900年撮影。

同じ頃、砲術の訓練ですが、指揮官が馬の上にいることに注意。

わたしが撮った写真に写っているバトルモニュメントが遠くに見えています。

ウェストポイントには、ハドソン川の流れを望む高台があり、
大砲や記念碑などが展示してあるトロフィーポイントという一角があります。
映画「長い灰色の線」でもしょっちゅう出てきたところですが、
そこで1870年に撮られた写真です。

南北戦争真っ只中といった時期ですが、ご存知の通り
この戦争は、同じアメリカ人の間で起こった戦争であるので、
その間ウェストポイントの候補生たちがどのようになっていたのか、
日本人のわたしがどれだけ検索してもインターネットではわかりません。

かなり古い時代(1800年ごろ?)点呼を取っているところでしょうか。
後ろの人があくびしています。

1873年、サマーキャンプの一コマ。

今はコロナでそれどころではなくなっているのですが、
平常であればアメリカの学制は9月から6月までです。
この3ヶ月もの間が
夏休みということになるのですが、その間学生が
何もせずに遊んでいられるわけではありません。

子供は子供でサマーキャンプに通わされますし、大学生になれば
夏は大学の主催する集中講義やあるいはインターンシップで
企業に就職して実地経験を積み、それが大学の成績にも反映されます。

夏の間のキャンプや講座は「別腹」なので、当然費用も別にかかり、
日本のように1ヶ月だけ休みになる方が親にとっては楽だといえます。

話がそれましたが、陸軍士官学校でももちろん夏の間
遊ばせてくれるわけではないということですね。

ところで、この写真の後列一番左に写っている候補生をよく見てください。
不鮮明ながら彼がアフリカ系であることがわかるでしょう。

Cadet Henry O. Flipper in his West Point cadet uniform. It has three larger round brass buttons left, middle and right showing five rows. The buttons are interconnected left to right and vice versa by decorative thread. He is wearing a starched white collar and no tie. He is a lighter-colored African American with plated corn rows of neatly done hair. He is facing the camera and looking to the left of the viewer.

ヘンリー・オシアン・フリッパー
Henry O. Flipper1856-1940(1877年卒)

は、以前も
バッファロー大隊(黒人ばかりの陸軍部隊)の件で紹介したことがあります。
彼はアフリカ系としては史上初めてウェストポイントを卒業し、士官になりました。

ただし、不当な差別の連続でついには不名誉な解雇をされており、
彼の名誉が回復されたのはクリントン政権下でのことです。

 

1800年後期、候補生ジャケット。

右側、候補生フル・ドレスコート。
日本では「肋骨服」と呼んでいたもので、現在のフルドレスも
基本的にはこの頃と変わっていません。

1896年ごろの士官用バヨネット、つまり銃剣の先です。

MModel 1896、鞘付き。
士官候補生用ライフルが導入されると同時に同数の特別な銃剣も作られました。

これらの長い銃剣は、審美的な理由と、パレード使用のためのサイズと重量
といより実用的な理由でから、1963年まで使用され続けました。

この長期間にわたる光沢のある鋼の連続研磨は、
銃剣に有害であったため、最終的にクロムメッキされました。

 

フルドレスで捧げ銃する候補生。1905年撮影。

左から右に

フルドレスのcadet First classmen、1923年。

海軍兵学校では最上級生の4年生を「1号」といいましたが、
ウェストポイントでも最上級生を「ファーストクラスメン」とします。

1899年ごろの野外戦闘服、cadet private。

cadet first sergeant

陸軍には陸軍候補生隊という学生部隊がありますが、
リクルートに始まって9段階のランクのうち
ファーストサージャント(軍曹)は下から五番目です。

Cadet Officer のサマードレス(インディアホワイト)1875年。

Cadet Corporal夏用フルドレス、1875年。

「アーミー」のAを刺繍したカデットのフットボール用セーター。
ガラスに映っているのは陸軍候補生隊の制服ファッションショーです。

野外の砲撃訓練中。おそらく第一次世界大戦ごろ。

同じく銃撃訓練。

1870年ごろの候補生用「ドレッシングガウン」。
左袖のB・O・ベイカーは所有者の名前。
ローブの裾には陸軍士官学校と海軍兵学校の間で行われる伝統のゲーム、
アーミー・ネイビー・ゲームの1930〜33年のスコアがプリントされています。

 

文武両道の陸軍士官学校ですから、体力錬成は大事な日課。
説明には Calisthenics(徒手体操)とあります。
全員が今のアメリカ人より痩せている気がします。
っていうか絶対に皆痩せてるよね。

「おいっちにーさんしー」という声が聴こえてきます(嘘)

写真が撮られたのは1904年のこと。
日本は日露戦争真っ最中のころです。

冬なのか、地面が凍り付いているように見えますね。

ウェストポイントにフットボールが導入されたのは1891年でした。
彼らは初めて結成されたフットボールチームのメンバーです。

1896年に行われた校内フットボール大会で優勝した
1898年クラスに授与された記念のトロフィーボールです。

候補生フェンシングチーム、1900年。
軍隊なので、偉い人は座っています。
髭が顧問の先生で、左はキャプテンかな。

フェンシングチーム使用のフェンシングジャケットもありました。
1908年ごろ使用されていたもので、寄贈した持ち主は
アルバート・スニード准将(1908年卒)です。

 

ところで、ウェストポイントとアナポリスの間には因縁のライバル関係があり、
とくにフットボールは「アーミー・ネービー・ゲーム」として有名である、
ということについて、当ブログではかつて熱く語ってみました。

Go Army! Beat Navy!〜アメリカ陸軍士官学校ウェストポイント

歴史を遡れば、史上初のアーミーネイビーゲームが行われたのは
1891年の11月29日のことです。
最初の試合は海軍のボロ勝ちで、24対0。陸軍は手も足も出ませんでした。

この年に一度の試合は、そのうち二つの軍事アカデミーの間の
ライバル関係を象徴する最も知られたイベントとなって今日に至ります。

今年はできるのかなあ・・・・。

「ジェームズ・ホイッスラー」の画像検索結果ホイッスラー画

昔、ジェームス・ホイッスラーというのちに有名な画家になる生徒が
ウェストポイントに何かの間違いで入ってしまい、
すぐに退校になった話をしたことがあるかと思いますが、彼は 
このアーミー・ネイビー・ゲームにしばしば起こる「場外乱闘」について、

「士官候補生たるもの、フィールドの外で蹴られたボールのために
他の大学などと争いが起きるなどということは厳に慎まなくてはならず、
それらは常にアメリカ合衆国の将校の尊厳の下に行われねばならない」
キリッ(AA略)

などと言っていたようです。

途中で候補生不適合のためやめてしまったホイッスラーですが、
こういうことについては不寛容でいられないほどには
軍将校に対してはっきりとした理想を掲げていたらしいことがわかります。

こちら、同じ画家によるアナポリスのプレーヤー。
背景がなぜか帆船です

フットボールのみならず、全てのスポーツ試合において、
アナポリスとウェストポイントは昔から、そして未来永劫ライバル関係にあります。

ライバル関係が拗れて(というかおそらくそういうことにした方が盛り上がるから)
試合前に相手のマスコットの動物を盗み出すという暴挙に出たり、
試合前に一人ずつ捕虜を交換して牽制し合うなどといった慣習については、
当ブログでも書きましたので、ご興味のある方は是非そちらをご覧ください。

この一角にあった凛々しい女性士官候補生の肖像画。
1996年に卒業したクリスティン・ベイカーは、史上初の女性士官候補生です。

彼女は候補生隊で4,400名からなる旅団を率いていました。
女性だから大目にみてもらっていたのではなく、マジで優秀だったようです。

「Kristin Baker USMA Wiki」の画像検索結果

現在、彼女のランクは陸軍大佐、カーネル・ベーカーです。
部下には、

「イエス、マム!」

とか言われてるんだろうなあ。

「女性か男性かはあまり関係がないと思います。
軍服を着て任務に当たる限り、ストレスに順応し、
対処する能力に男女の差はなく、もしあるとしたら個人差です」

と彼女はインタビューで語っています。

続く。