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ノルマンジー上陸作戦〜ボストン 第二次世界大戦国際博物館

2020-05-23 | 歴史

昨年惜しくも閉館してしまったボストンの軍事博物館、
第二次世界大戦国際博物館の展示から、今日は
ノルマンジー上陸作戦に関する展示物をご紹介していきます。

まず、冒頭のわかりやすい形の戦車はシャーマンです。

シャーマン戦車は北アフリカに遠征したパットン軍で最初に使用されました。
1945年の段階でアメリカは日本への本土侵攻を計画していたため、
それに備えて、幅広のトレッドが装備され、火炎放射器が付加されました。

アーミーナイフが三本見えますが、いずれもノルマンディ上陸作戦の時に
参加した兵士が携えていたものです。
下は、南北戦争の時に誂えられたもので、由来はわかりませんが、おそらく
祖父の遺品などではないかと思われます。

上はハチェット(hatchet)ナイフで、空挺部隊が電線や電話線を切断するために
身に付けていたものです。

右写真は、Dデイでめざましい働きをした397大隊のリチャード・バイエル
(ドイツ系ですね)の功績を称えて
勲章が与えられているところです。

マネキンがきているのはアメリカ軍のレンジャー部隊の軍服です。
間話梯子やロープなど、全て実際にDデイでレンジャーが使用したものです。

鍵のついた道具を「グラップリング(ひっかけ)・フック」といいます。
アメリカ軍のレンジャーは、上陸作戦のひとつPointe du Hoc、つまり
「オック岬の戦い」で海際にそびえる30mの崖を登るのにこれを使いました。

こんな崖

ノルマンディ上陸作戦のことを多少でもご存知の方は、

「オマハビーチ作戦」

という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。
オック岬は、オマハビーチ侵攻の際、アメリカ軍のレンジャー部隊8個中隊が
崖を登ってその上のドイツ軍要塞を攻略したポイントです。

Call of Duty 2 (日本語化)オック岬の戦い

ゲームの映像ですが、この崖が想像しやすいのでぜひご覧ください。
このとき、「ブラッディ・オマハ」と言われたほど米軍は多くの犠牲を出しました。

崖の上で防衛をしていたドイツ軍は精強部隊だったのに対し、米軍は
海岸線から5キロも手前で戦車の進軍を開始するというミスを犯したため、
シャーマン戦車32台のうち27台は2mの波をかぶってしまい、
水陸両用であるのにもかかわらず、上陸に大変な困難をきたしたこと、
また、上陸する兵士の多くが船酔いと緊張、疲労、そして濡れた戦闘服のため
砂浜を走って移動することもできなかったといわれます。

このことについてアメリカ軍の公式記録には、

「上陸用舟艇のタラップがおりた瞬間、先導の中隊は活動不能、
指揮官不在、任務遂行不能となった。
指揮をとる全ての士官と下士官はほぼ死亡もしくは負傷した。
部隊は、生存と救出のためもがいていた」

と記されています。

ここに投入された第二レンジャー大隊の攻撃目標は、崖上のコンクリート要塞でした。
彼らは敵の熾烈な砲火の飛び交う中、ロープと梯子を用いて高さ約30mの崖を登り、
ユタとオマハを射程とした要塞内の砲を破壊せんとしました。

この戦いで精強で鳴らした225名のレンジャーのうち半分以上が戦死し、
作戦終了後に生き残ったのはわずか90名でした。

最終的にレンジャー部隊は到達に成功し、敵の砲を破壊することに成功しました。

 

また、この戦闘で、現地のフランス人がドイツ軍の補助を行ったとして、
戦闘後、アメリカ軍は彼らを民間人にもかかわらず処刑しています。

ちなみにこれが現在のポワン・デュ・オック
上から敵が狙いを定めているのに、よくこんなところから
攻めようと思ったなとおもうレベル。

General of the Army Omar Bradley.jpg

この戦いの指揮官はあのオマー・ブラッドレー将軍です。

ヨーロッパ戦線参加国兵士たちの軍服一覧。壮観です。

右、英国軍空挺隊員軍装

イギリス陸軍第16空中強襲旅団隷下の空挺部隊で、パラシュート連隊とも。

左、英国軍グライダー操縦士

英国軍は、一箇所にまとめて兵力を着地させられることから、落下傘よりも
強襲揚陸にはグライダーを有用としていたようです。

マーケット・ガーデン作戦中にアーネムに着陸したハミルカー

戦車も持ち運べる大型のグライダー、ハミルカー
ゼネラルエアクラフト社の製品で、これはマーケットガーデン作戦で
畑に着陸したハミルカーを別の航空機から撮ったものです。

ノルマンディ上陸作戦にもハミルカーは投入されました。

どちらも第82空挺部隊降下兵

恐れを知らない精強部隊を謳うこの師団のあだ名は
「オール・アメリカン」🇺🇸
師団創設時、出身者が全州に及んだことからこの名前がつきました。

「スクリーミング・イーグルス」というあだ名の
第101空挺師団とともに
ノルマンディ上陸作戦、マーケットガーデン作戦に参加しました。

アメリカ軍空挺隊が使った落下傘からは、ダミーの降下兵がぶら下がっています。
このダミーも実際に降下を行いました。

ノルマンディ作戦の嚆矢はトンガ作戦と名付けられた空挺でした。

まず上陸部隊の開始に先立って、「オールアメリカン」「スクリーミングイーグル」
の米空挺部隊、
そしてイギリス第6空挺師団が、降下を開始。

英軍第6師団は第一波パラシュート、第二波グライダーで強行着陸を試み、
内陸侵攻に必要な橋を確保したものの、砲台の攻略は困難を極めました。

米軍空挺師団はコタンタン半島に降下しましたが、こちらもまた、
パイロットの経験不足で部隊は広い範囲に散らばってしまいました。

前もって連合国軍の侵攻を予期していたドイツ軍は、空挺部隊の行動を阻むため
川を堰き止め一帯を沼状にしていたため、多くの兵士が沼に落下して溺死
輸送機から降下するのが遅れたものは海に降下して溺死していきました。

 

輸送機は西から東へ進んだのだが、半島を横切るのに12分しかかからず、
降下が遅すぎた者は英仏海峡へ落ち、早すぎた者は西海岸から冠水地帯の間に落下した。

…ある者は飛び降りるのがおそすぎ、下の闇をノルマンディだと思いながら
英仏海峡へ落ちて溺死した…

いっしょに降下した兵士たちはほとんど重なりあうようにして沼に突っこみ、
そのまま沈んだきり上がってこない者もあった。
         

— コーネリアス・ライアン「史上最大の作戦」

 

真ん中、イギリス海軍のコマンドー(奇襲特殊部隊)、ブリティッシュ・コマンドス
右はフランス軍特殊部隊です。
フランス軍第1海兵歩兵落下傘連隊がノルマンディに参加しています。

Men wading ashore from a landing craft

この写真はノルマンディ上陸作戦を行うブリティッシュ・コマンドス。
緑のベレーを被った隊員たちが舟艇を降りて海岸に向かっています。

イギリス陸軍歩兵

横に自転車がありますが、自転車部隊は主に枢軸国の専門だったようです。
我が日本の自転車部隊は「銀輪部隊」と呼ばれていたとか。
自転車部隊じゃあまりかっこよくないから付けられたような名前ですね。

ちなみにこれが自転車に乗ったドイツ軍の伝令兵。
自転車の前にある柄の長いマラカスみたいなのは(笑)
パンツァーファウストといって、携帯対戦車擲弾発射機です。

後ろにあるのは上陸を報じる新聞などですが、
後ろのポスターはオランダ語で、

「侵略 連合国の墓地」

と書かれています。
オランダはもちろん当時連合国側だったわけですが、
(交戦勢力を見ると、12カ国対ドイツでひでー、って思います)
オランダ国内に向けてドイツが行っていたプロパガンダだと思われます。

Dデイ以前、ドイツは大西洋沿岸「大西洋の壁」は連合軍を防ぐための
強力な防御施設であるとして、

「ドイツの背後を突こうとする連合軍を大西洋に突き返す」

と内外にプロパガンダしていました。

上陸作戦で使われた武器のいろいろ。
マシンガン、手榴弾からナイフ、何に使うのか黄色い「危険」の旗。

地雷を埋めたところに目標にしたのでしょうか。

上は無反動砲の祖先みたいな感じですね。
対戦車砲ロケットランチャーかなんかでしょうか。
細かい説明は現地にありませんでした。

右下は、第377師団のエドワード・ボール一等兵がイタリア戦線で
戦死したことを、ケンタッキーのハニービーに住む母親、ローラに向けて
通知をした戦死告知で、タイプされた部分は消えてしまっているものの、
手書きの部分だけが残っていて、そこから

「Instant Death」(即死)

「By Bomb Fragments In Stmach.」

「Killed By Fragment 」「duties well」

という文字が微かに読み取れます。

左は第18歩兵のリチャード・コンリー中尉が、「勇敢に」
「敵のストロングポイントを破壊し敵を排除しながら進んでいったが」
「レジスタンスの抵抗に遭い、重傷を負った」ことに対して叙勲されたときの
表彰状とシルバースター勲章です。

イギリス軍の空挺団が上陸作戦に携行していた手榴弾など。

さて、ここからはドイツのノルマンディ上陸作戦までのプロパガンダポスターです。

映画をもじって

「紳士はブロンドがお好き・・・でも」

「ブロンドが好きなのは強くて健康な男。
決してcripples (不具)ではありません」

「あなたは本当に幸福になれると思いますか?
それはそのことはたくさんの不具者たちがそうなるまで考えていたことです」

これらのポスターは上陸した連合国兵士にばらまかれたものです。
「あなた」とは、今のところ五体満足な兵士たちで、戦争に行けば
ブロンド娘に好かれることなどなくなるよ、と脅しているのです。

「あなたのヨーロッパでの最初の冬」

厳しい寒さの中鎌を持って迫ってくる死神。嫌な予感しかしません。

Dデイにひっかけて、「D(EATH)マーチ」は死の行進・・。

「あなたをお待ちしています」

待たれたくない・・・。

「お父さん、おうちに帰ってきて・・・・・」

こんな年頃の女の子でもいれば、思わず国に帰りたくなってしまうこと請け合いです。

WAITING IN VAIN - FRONT

故郷で帰りを待つ愛しい女性。
戦地で彼女を置いて死んでいくことの虚しさ・・・。

情報の極端に少ない状況でこのようなプロパガンダビラは
絶対と言わないまでもネガティブな心理的効果を与えるのに
そこそこ効果的であったと考えられます。


ドイツ軍は侵攻後の連合国軍兵士の戦力を少しでも削ぐために
情報戦としてこういうことまでしていたということなんですね。

なぜこんなポスターがここにたくさんあるかというと、
それはアメリカ兵が向こうで取得したのを持ち帰ってきたからです。

歴史的資料というか、戦地「土産」にするつもりの人もいたでしょう。

 

続く。