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ソッピースキャメルに乗る犬・第一次世界大戦〜ウェストポイント博物館

2020-04-20 | 歴史

アナポリス、アメリカ陸軍士官学校内のアナポリス博物館、
その展示から、今日は米西戦争以降のものをご紹介していきます。

それでは参りましょう。
もしかしたらこれにすごく似た写真をご紹介したことがあるかもしれません。
説明はありませんでしたが、

「コースタル・ディフェンス」(沿岸防衛)

と名付けられたこのパートの写真は、まず間違いなく
サンフランシスコのバッテリーと呼ばれる沿岸の砲台を写したものです。

彼らの軍服を見てもおわかりのように、沿岸部分の防御は
真珠湾攻撃より遥か昔からおこなわれていました。

南北戦争の時には、南からアメリカ連合が攻めてくるかもしれない可能性、
そして、それが済んだら今度は、米西戦争で、
南から海沿いにスペイン軍が攻めてくる可能性を危惧したのです。

模型は1892年ごろの「シーコースト・ガン」(海岸線砲)
沿岸防衛のために特に設計された砲で、サンフランシスコには
このタイプが当時設置されていました。

1902−1905年の間と言いますから、ちょうど日露戦争の頃です。
当時の陸軍重砲兵部隊の軍服です。

第一次世界大戦の航空

その頃になると、ライト兄弟の発明した飛行機が
さっそく最新鋭の兵器として軍隊に導入され始めました。

この不安定な空飛ぶ兵器にチャレンジして、死んでいった軍人は数多です。
たとえばこの写真のトム・セルフリッジ大尉は、ウェストポイント卒、
1908年には、近代飛行機を操縦した最初の米軍将校になりました。

ちなみに海軍第1号は「天空に投錨せよ」でご紹介した
セオドア”スパッズ”エリソン大尉ですが、彼の初飛行は1911年。
こちらは海軍なのでその必要性から陸軍に遅れを取ったと考えられます。

まだ実験段階だった航空界で航空部門に配備された彼は、
自分でも動力飛行機を設計するほどのパイオニアでした。

写真で無残にも墜落しているのは「ライト・フライヤー」号です。

そう、その名前からもお分かりのように、オービル・ライトの設計した
初期の飛行機ですが、この実験飛行の際、セルフリッジの操縦する機体は、
右プロペラの破損によって墜落し、その際、セルフリッジ大尉だけが
骨組みの支柱で頭蓋底を骨折、3時間後に意識を取り戻すことなく亡くなりました。

ちなみに操縦していたのはオービル・ライト、セルフリッジは同乗者でした。

オービルの証言によると、プロペラが破損した瞬間、セルフリッジ大尉はそれを見て、
一度二度、オービルの顔を不安げに覗き込み、そして
さらに機体が地面に向かって降下を始めたとき、”Oh!”と一言叫んだそうです。

Thomas selfridge smoking pipe.jpgセルフリッジ大尉

墜落の結果、オービルは無傷で、セルフリッジ大尉だけが亡くなりました。

もしこのとき、彼が頭部を保護さえしていれば死は避けられたはずで、
このことから、アメリカ陸軍のパイロットは、フットボールのギアのような
革製の重い帽子を着用することになったのでした。

そういう意味でも、彼は航空界に身を以て貴重な提言を行った
「パイオニア」となったのです。

第一次世界大戦ごろの陸軍飛行隊。
左手に並んでいるのはスペアの翼でしょうか。

陸軍航空隊着用のウール製オーバーコート。

第一次世界大戦時の寒冷地用フライトジャケットです。

 

大戦が始まって1ヶ月というもの、飛行機は偵察のために使われ、
1916年までに空中写真は戦争に欠かせない情報戦のツールとなりました。

そのうち航空機同士の会敵の危険性も増え、航空機の武装が始まります。
最初はパイロットがピストルやライフルを機上に持ち込み、
二人乗りの場合は一人を銃撃手としていました。

そのうち、想像力豊かなフランス人パイロット、ローラン・ギャロスが、
飛行機前面に取り付けた機銃でプロペラの回る隙間から弾を撃つ、
という超画期的なアイデアを思いつきましたが、そのころの機構ではどうしても
10発銃弾を撃てばそのうち1発はプロペラに当たってしまうので、
プロペラに防弾板を取り付けて、なんとか凌いでいたそうです。

ローラン・ギャロス

戦闘機パイロットとして自作の銃撃システムを搭載した
飛行機に乗って3機を撃墜したギャロスでしたが、ある日、
ドイツ領空内で撃墜されて
彼の発明はドイツ軍の手に渡ってしまいました。

さっそくドイツはその飛行機をオランダ人の航空機エンジニア、
アントニー・フォッカーのもとにを持ち込み、
フォッカーは即座に
プロペラ同調装置を搭載した、

パラベルムMG14機関銃

を発明してドイツ軍に納入し、その後の航空戦を有利にします。

無駄に超イケメンのアントニー・フォッカー

フォッカーはその後、同時期で最も有名な航空機製造メーカーとなり、
あのマンフレート・フォン・リヒトホーヘン男爵や、弟のロタール
愛用した名機フォッカーDr.Iなどを世に出しています。

ちなみに、ドイツ領土に着陸して捕虜になってしまったギャロスですが、
収容所を脱走してフランスに戻り、再び空軍に復帰して戦い、
30歳を翌日に迎える日の戦闘で撃墜されて戦死しました。

合掌。(-人-)

 

先日陸軍の気球についてお話ししたことがありますが、
第一次世界大戦では「気球エース」(気球をたくさん落とした人)
というのがいたというくらいで、偵察には普通に使われていました。

左上の模型は、イギリス空軍のソッピース・キャメルです。
ところでこれをご覧ください。

 

「The World War 1 Flying Ace」の画像検索結果

ウェストポイントの展示にあったわけではありませんが、
「ソッピース・キャメルと第一次世界大戦」といえば、こんな漫画を知っていますか?

カリフォルニアの地方空港に、この漫画の作者の生地があり、
空港に併設された航空博物館ではこの犬がフィーチャーされていたものですが、
実はこの主人公の犬は、

「ソッピース・キャメルを駆る第一次世界大戦のエース」

になりきる空想をするのが大好きというキャラ設定になっています。

ゴーグル付き飛行帽を被り、マフラーを締めた姿で、
「フォッカー三葉機(フォッカー Dr.I)」に乗るライバルの
レッド・バロンとの空中戦を繰り広げる。
夜になると小さなカフェ(マーシーの家。給仕はもちろん彼女)へ行き、
ルートビアを楽しむ。

ウッドストックが担当整備兵やレッド・バロンの助手“ピンク・バロン”として、
また、マーシーがフランス娘役で登場することもある。(Wiki)

そこでお節介ですが、上の漫画を翻訳しておきます。

(パイロットの皆さん!ここにポケットの物を出してください)

犬「おはよう地乗員の諸君!」

「今は第一次世界大戦。
パイロットがソッピースキャメルの横でポーズをしているところ・・・」

「コンタクト!」

「さあ、哨戒に出るぞ!我々はレッドバロンを探し出し撃ち落とす!」

「今敵前線を横切っている・・・敵の塹壕が見えるぞ」

「突然フォッカー三葉機が雲からあらわれた!レッドバロンだ!」

「太陽を背にして急降下、全ての対空銃が僕を狙っている!
彼を照準に捉えたぞ!僕は・・・」

子供「   」

子供「だだだだだだっ!」犬「ああう!」落ちる

犬「多分僕、民間のエアラインの方が向いてるんだろうな・・・」

うーん・・

漫画としては面白くもおかしくもないですが、
犬の分際でフォッカーとかレッドバロンとか言うのがいいんでしょう。多分。

上の右下写真のように、前線を歩む第一次世界大戦の兵士たちは
空を飛ぶ航空機を羨望と脅威と、憧れをもって見つめました。

 

 

第一次世界大戦の軍装

前にも書いたことがありましたが、第一次世界大戦が始まった時、
多くの兵は防具を全くつけない布の服で戦場に赴きました。
中には戦場でステッキをついていた者もいたといいます。

そのうち多くが頭部に負傷するようになったので、
消防士のヘルメットを参考にした鉄兜が登場しました。

最初導入したのはフランス軍です。
アメリカ軍は遅れて参戦したときにイギリス仕様のヘルメットを導入しました。

(第一次世界大戦のアメリカ陸軍兵が、イギリス軍と同じ
平たいヘルメットをかぶっていたわけがたった今わかりました)

ここに展示してあるのは中世の鎧ではなく、全て第一次世界大戦中のものです。

説明板の左にある鎖帷子のようなマスクは、アメリカ陸軍の
戦車操縦をおこなう車長が着用していました。

第一次世界大戦に参加した各軍の制服コレクションです。

左から

ドイツ陸軍 二等兵

 分厚いウールでできたコートで、開戦後に着用されたものです。
 ヘルメットはこの頃からドイツらしいですね。

イギリス軍第42歩兵 二等兵

 第42歩兵師団は「ブラックワッチ」という別名があります。
 スコットランドで1740年代に組織された師団で、
 彼らは家系に伝わるタータンとは違う、政府を表す
 特徴的な格子柄の制服をもともと着用していました。

 同師団は全ての大英帝国の戦争において戦線に立ってきました。
 イギリス陸軍はこの戦争の始まる直前にオリーブドラブ色の
 制服を導入しています。

オスマン帝国トルコ軍 軍曹

 トルコは、脆弱なオスマン帝国の長としての地位を維持するために
 ドイツ軍の同盟国という立場で大戦に参戦しました。
   第一次世界大戦の敗北が帝国の運命を決し、結局トルコは
 近代的な民主主義の道に舵を切ることになりました。

 第一次大戦においてトルコ軍は1915年のガリポリの戦い
 侵攻してくるイギリス軍から国土を防衛し、
 その勇気を称えられることになりました。

左;

イタリア陸軍「アルディーチ」(砂漠の軍)

      塹壕戦の急襲に特化したエリート特殊部隊です。
   この種の特殊部隊としては近代戦になって初めて組織されたもので、
   敵から最も恐れられることになりました。

アルディーチについてはまた後日詳しくお話ししたいと思います。

右;

フランス陸軍 軍曹

  ブルーのコートに同色のヘルメット、  
  襟の先に赤のポイントとオシャレ度高し。

  この色は「ホライズンブルー」と称し、お洒落のためのみならず、
  フィールドで見つかりにくい色とされていました。

  第一次世界大戦ではいろんな新兵器が導入されましたが、
  フランス軍の制服は基本的に1800年台から変わっていなかったとか。

うーん、さすがおフランス、デザインにかなりのこだわりありだ!(適当)

 

続く。