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SOPAと失われた自衛艦旗の真実〜掃海母艦「うらが」艦上レセプション@高松港

2019-05-29 | 自衛隊

 

高松で行われた掃海殉職者追悼式に伴う掃海母艦「うらが」艦上での
レセプションは、日没時刻を迎え、恒例の自衛艦旗降下が行われました。

海曹と海士が索を結び、自衛艦旗を畳むという後の作業を行なっています。

この後、旧知の自衛官から

「今日の自衛艦旗降下はどうでしたか」

と聞かれたので、

「やっぱり甲板が広いと人がいなくて撮りやすいです」

などと答えるうちに、ちょっとした自衛艦旗降下のトリビアを教えてもらうことに。
ちなみにこの場合のトリビアとは、「瑣末なこと」という本来の意味ですが、
それはそれでなかなか深い話だったので書いておきます。

この会話で新たに知った単語があります。

ソパ。

この後に「アホ」をつけると「ソパ・デ・アホ」でニンニクスープのことですが、
もちろんそちらではなく、

SOPA(Senior Officer Present Afloat )

英語を読んでいただければ、一発でその意味がわかっていただけるでしょう。
定係港であれば、そこに「現在」「浮かんでいる」ところの先任、
つまり一番ランクが高い艦長がいる艦、ということになります。

リンク先を読んでいただくと、

「アメリカ海軍の掃海艇が佐世保に入った場合」

として、

「掃海艇の艇長は中尉であり、入港に先立ち、すでにそこにいる米国駆逐艦の
どこにSOPAがいるかをメッセージによって知らされている。
SOPAは掃海艇に対し、どこに係留するかを始め、各種割り当ての任務を指示する」

とあります。

 

アメリカ海軍も我が海上自衛隊も階級社会なので、フネ同士の敬礼も
下から上に向かって行い、SOPAはそれに答礼を行います。

「かが」体験航海で、艦橋デッキから艦隊司令のいる方向(別の艦)に向かって
敬礼を行なっていましたが、艦隊司令のいる艦がこの場合のSOPAだったというわけです。

ところでこの時伺った話によると、興味深いことに、このSOPA優先の法則は、
自衛艦旗降下の号令のタイミングにも適応されるというのです。

 

呉港で「夕呉クルーズ」に参加した人は、降下時間になると、あちこちから
少しずつタイミングのずれた喇叭譜「君が代」が聴こえてくるのをご存知でしょう。

少しずつずれて聴こえてくるのがまた風情があっていいものですが、
実はこれにはちゃんとした理由があるのです。

 

定係港などで複数の自衛艦がいる場合、自衛艦旗降下において

号令はSOPAが真っ先にかける

ということが決められているからです。
長年の慣習でこうなったのか、どこか規則に書かれているのかはわかりませんが、
具体的にどういうことかというと、降下の際一番最初にかけられる号令、

「十秒前」

は、SOPA艦が最初に発令し、他の艦はそれを聞いてから一斉に号令を下すのです。

ですから、

「停泊数が多い定係港などでよく注意して聞かれると、
SOPA『じゅうび… 他『十秒まえ!』てな感じできこえます」

なんだそうですよ。

アメリカ海軍の掃海艇が、佐世保のSOPAを前もって調べて入港するように、
艦乗り、(多分航海員)の重要なお仕事は、どのフネがSOPAかチェックすること。

そして、例えば同じ二佐の艦長のフネのうち、どちらがSOPAかは
どちらの艦長が先に二佐に昇任したかで決まるというのです。

航海員の間で、

「やった、うちの方が先だ」

とか、

「惜しい。あちらが半年早かった」

なんて会話があったりするんでしょうか。

SOPAは「プレゼント」という言葉からわかるようにテンポラリーなものです。
同じ港でも、定係されている艦艇が日々変わるので、SOPAもその都度違います。

だから、それを毎日チェックする係が必要になるわけです。

そういえば呉のクルーズで、「SOPAは目印に旗を揚げている」という話を
解説の人から聞いたことがあったようななかったような・・・・。

あと、細かいことにこだわるわたしとしては、同期で同時昇任した
二人の艦長がいた場合、
どうやってSOPAを決めるのかが気になります。


この法則でいうと、高松港におけるこの日のSOPAは間違いなく「うらが」なので、
「みやじま」「つのしま」の当直士官は、「うらが」の当直士官の
「十秒前」に少し遅れて発令を行なっていたはず、ということになります。

 

また、こんな自衛艦旗降下にまつわるトリビアも聞きました。

「うらが」のような大きな艦にはラッパを吹く航海員は4人ほどいて、
一人や二人上陸していても、誰か必ず吹ける人が残っているものですが、
潜水艦や掃海艇は航海員そのものが2〜3人しかいないので、停泊の時間には
全員が上陸してしまっていることも少なくない(というか多い)そうです。

この日も掃海艇の航海員が全員でうどんを食べに上陸していた可能性は高いですが、
「うらが」がラッパを拭いてくれるので、全く問題はなかったはずです。

 

そこで、またしても細かいことにこだわるわたしとしては、
掃海艇や潜水艦が
単身でどこかに係留していたとして、航海員が出払っていたら、
その時はラッパなしで自衛艦旗降下を行うのかがとても気になります。

みんなでハミングしながら降下とかだったら、ちょっと見てみたいですが。

なみに呉地方総監部から万が一、ラッパを吹ける人が何かの事情で
誰もいなくなったとしても、今ならあの!杉本総監がいるから大丈夫です。

太陽が沈み、急激に周りが暗くなってきました。
「うらが」のマストには、掃海隊群司令の海将補の在艦を表す
桜二つの司令官旗が揚げられています。

去年の掃海母艦艦上レセプションまでは、格納庫の中に主賓テーブルを置いて
その奥で主賓が挨拶していましたが、今年は格納庫には
呉音楽隊から選抜された軽音楽バンド「マリーンナイツ」の演奏ステージになっています。

バンドは「セント・トーマス」「A列車で行こう」「イパネマの娘」など、
ジャズのスタンダードやボサノバなどを演奏していました。

「かしま」で焼き鳥が美味しかったのを思い出し、屋台に行ってみたら、
最後の三本になっていました。
三本も食べられそうにないので二本だけもらおうとしたら、

「全部どうぞ!」(迫真)

まあ、一本だけ残していかれても困るでしょう。
覚悟を決めて全部いただきました。

ところで、この日、とても不思議だったことが一つ。

カレーがなかったのです。

海自といえばカレー、カレーといえば海自、というくらいで、
カレーの屋台はいつも大人気なのですが、そのカレーがないとは。

そのことに気がついて、知り合いに

「カレーないですよね。そういえば」

「本当だ。なんでだろう。聞いてみよう」

たまたま通りかかった乗員にその人が声をかけました。

「今日なんでカレー出てないの」

「そ、それはですね・・・・・・」

わたしは彼の答えにくそうな様子をみて、察しました。
翌日の紅梅亭での参加費は4000円也を徴収しましたが、
「うらが」でのレセプションで会費は取らなかったところを見ると、
やはり財政に関係する理由なのかもしれない、と。

そこで、

「わかった!どうしてカレーがないのか」

「えっ・・・?」

「今日金曜日でしょ?乗員の皆さんがみんな食べちゃったんだ!」

「(苦笑いして)・・・そうです」

楽しい時間はすぐに過ぎ去り、いつしか艦上には、マリーンナイツの
ピアノがやたら上手いクラリネット奏者が奏でる「蛍の光」が流れています。

出口に向かうと、なんとそこでは掃海隊群司令白根海将補と、
呉地方総監杉本海将が、

一人一人の手を両手で握って

お別れを惜しんでくれているではありませんか。

いろんなレセプションに出ましたが、ホストが手を握る系は初めてです。
もちろんわたし自身、この人生で海将や海将補に手を握られたのは初めてです。

うしてそういうことになったのか、どなたの発案かはわかりませんが、
下艦したあともお二人の掌の暖かさは不思議なくらい心を明るくしてくれました。

 

舷梯のすぐ近くには、殉職隊員のご遺族のためにバスが待機しています。

岸壁にはいくつものテントが明日の広報イベントのために用意されていますが、
おそらく例年のように陸自からいくつかの装備が展示されるのでしょう。

追悼式行われた25日、翌日の26日と行われた一般公開には
結局今年は行くことはありませんでしたが、おそらく今回も
年に一度の掃海隊の寄港を楽しみにしてやってくる人々で賑わったのに違いありません。

 

さて、わたしは、レセプションが終わった後、元海自の紳士にお誘いを受け、
三人の方々とアフターにお付き合いすることを約束しておりました。
下艦して、さあ行きましょうということになった時、一緒に歩きだした団体は
三人どころか、なんと十人くらいの一個小隊になっていました。

ほとんど全員がオールドセイラーで、海将とか総監とか、そうでない方も
某大の名誉教授で作家とか、またしてもなんでわたしがここに混ざっているのか、
というメンバーだったわけですが、とにかくそういうことになったので、
車を埠頭の駐車場に置いたままみなさんと一緒に駅前まで歩いていきました。

最初に入ろうとしたのがここ(笑)
大衆酒場みたいな、じゃなくてちゃんとそう書いてあります。

この日は金曜日でお店が混んでいたため、5人分しか席がないということで、
まずは約半数がこちらになだれ込んで行きました。

残りの六人はその隣の店に。
隣の店はホッピーがあるけど、こちらにはない、という違いがあります。

(このホッピーとやらを飲むために、わざわざ途中で隣に出張していた人あり)

ここで出た話は、どれも、皆様にお話ししたいくらい興味深いものばかりでしたが、
その中でも、わたしが個人的に一番盛り上がった?のは、三井玉野で行われた
潜水艦救難艦
「ちよだ」引き渡し式で、「自衛艦旗がなかった事件」の真相です。

自衛艦旗が艦長に渡され、艦長がそれを副長に渡し、副長は高々と
それを掲げて乗艦し、
自衛艦に命を吹き込むという伝統の儀式ですが、
この日は、誰も自衛艦旗がないことに気づかないまま式が進行してしまい、
急遽海曹室にある自衛艦旗を走って取りに行って間に合わせたという事件。

あれは、

「前日の雨で自衛艦旗が濡れたのを、三井造船が良かれと思って
どこかで乾かして、その後返すのを忘れていた」

というのが原因だったんですって。

やっぱりね。
海自なら全てそういうことはルーチンワークで間違いなくやるはずなのに、
あんなミスをするなんておかしいと思っていたんですよ。

やっぱりいつもと違うことをしたらダメってことなんですね。

そうそう、この時聞いたところによると、自衛艦旗を艦長が受け取り、
それを二つに折って副長に渡すという時に、
緊張して自衛艦旗を落としてしまった
という例も、海自の長い歴史にはあったそうですよ。

「最初にそういう事故があると、どうしても縁起が悪い、ってなるんだよね」

オールドセイラーのこの一言が重かったです(笑)

宴会が終わり、車を取りにもう一度「うらが」のいる岸壁に戻って、
冒頭の写真を一枚撮りました。

駐車場に戻ろうとして、ふと柵に「ご安航を祈る」のUW旗と、
安全祈願が描かれた紙が貼ってあるのに気がつきました。

毎年訪れる掃海隊を待ちわびていた高松の応援団が置いていったのでしょうか。

 

さて、明日はいよいよ掃海隊殉職者追悼式当日です。

 

 

続く。